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(146)悪い子_2

「アリーシャ姫、まず初めに言っておく。君は【底抜け】じゃない」

 アストリアスの言葉に、部屋に静かなざわめきが広がった。中には神官騎士の露骨な舌打ちや悪態まで混じっている。

「それってどういう意味でしょう?」

 表情を改めてアリーシャが問い直す。

 今のアリーシャは魔臓(マナマック)を持たず、底から常に魔力がどこかへ漏れてしまう【底抜け】に間違いない。

「赤ん坊の時に施術した私が秩序神に誓って証言する。君は生まれた時には健康な魔臓(マナマック)を持っていた。君は秩序神の恩恵を受けて生まれた普通の人間だ。いや、むしろ抵抗のない素直な魔力回路を持って生まれ、更には短刀の御力を賜るなど、誰よりも強い秩序神の加護を受けている。まさに聖女と呼ばれるに相応しい資質を持っているのが君だ」

 その言い方に、アストリアスが何を言いたいのかようやく判った。

 魔臓は秩序神の恩恵であり、それを持たない、または機能不全な者は恩恵を与えるに相応しくないと秩序神が判断した者、即ち罪人であるとされている。

 一方、怪我などの後天的な理由で魔臓を損なう者もいるが、そういった者が【穢れた】罪人として社会から排除されるわけではない。むろん、魔法が使えなくなるため、生きにくくはあるが。

 アストリアスのこの主張が広く認められれば汚い穢れた底抜け姫、という悪評は払拭できる。神官騎士の前で敢えて言うのもそういう意図だろう。

 アリーシャはそう予想し、彼の主張に素直に頷く。

「その上で君に聞きたい。心して答えて欲しい。君の魔臓の底を抜いたのは誰だ?」

 なるほど、確かに尋問なんだ。アリーシャは眠気を払うように大きく深呼吸し、ついでに大あくびをして……姉様に叱られてから、その問いに正直に答えた。

「わたしです。赤ん坊の時、自分の魔力を練って、魔臓を広げようとして失敗して底を抜いてしまいました」

 アリーシャの常識を揺るがす言葉に、先ほどに倍するざわめきが広がった。しかしアストリアスは顔を上げ、護衛の騎士の方に視線を向ける。

 そこにはこの場に居るのが不自然な雰囲気を漂わした人物が、一人紛れ込んでいた。文方(ふみかた)にも見えない。晴着を纏った平民、が一番近い印象だった。

 その人物が必死で首を振っている。

「質問を変えよう。君の魔臓の底を抜いたのはアリーシャ姫、君自身か? はい、か、いいえ、で答えるように」

「……はい」

 実際は兄さまだけど、兄さまは前世の記憶を再構成してわたしが演じていた(エミュレート)していた人格(アバター)だから大きな違いはない。

 先ほどの男がまた首を振る。

「底を抜いたのは君が“兄”と呼ぶ存在か?」

 その質問でアリーシャは悟る。底抜けの後天性の話題は話の入り口、前提に過ぎない。姉さま達の狙いは兄さまだ!

「…………………………」

「姫?」

「……言いたくない」

 頭がぐらぐらする。眠気で頭痛がするのは勿論だが、イヤな話題から逃げたい気持ちから、立ち眩みのように何も見えなっていく。

「アリーシャ。これは正式な()()といったでしょう。キチンと答えなさい」

 気遣うような優しい声音で厳しい事を言う姉の言葉を遠くに聞きながら、真っ黒い視界の中、平衡感覚を失った身体を必死で支える。

「まて、本当に体調が悪そうだ。アンナさん!」

「使用人に、敬称は必要ありません」

 姉とその婚約者のやり取りを聞きながら、誰かの手がアリーシャの身体を楽な姿勢の整えてくれる。やがて脳に血が通い、ゆっくりと視界が戻るのを感じた。


     *    *    *


 ソファーに身を預けた妹を見ながら、ヴィルジーニアは静かに嘆息した。まさかこれほど体調が悪いとは思っていなかった。

 集めた情報とその裏付け、ようやく見つけた【嘘検知(センスライ)】の使い手と触媒の用意。そうして臨んだ今日だというのに……


--アリーシャ自身の口から答えさせなければ


 他人を挟まない一次情報こそが、証拠としての説得力が強い。

 底抜け、異端、混沌。世界最高の権威である聖地神殿の最高位、大神官から断じられた悪名を名実ともに払拭するには、一欠けらの瑕疵もない証拠が必要だ。

 そこまで考えてから、少し不思議になる。

 何年も別に暮らし、一緒に過ごした期間も短い妹を相手に、なぜ自分はこんなにも必死になっているのだろうか、と。

 しかしその疑問を追求する間もなく、応接室の扉が開かれ、女召使が躊躇いがちに告げた。

「あ、あの、王妃様と審問官様がアリーシャ姫に面会に訪れましたが、その、どうしましょうか?」

 舌打ちしたい気持ちを抑えながら、ヴィルジーニアの思考が一瞬で切り替わった。


     *    *    *


「アリーシャ!」

 案内も待たずに乱入した王妃ブリージダは、辛そうにソファーに身を預けた愛娘の姿に目を丸くする。

「いったいどうしたの。ヴィル、なにがありましたの?」

「寝不足だそうです。随分とこちらの離宮で不規則な生活をしているようです。人を入れて相応しい生活をさせるつもりです」

「まあ、そうなの? ありがとう、ヴィル。でも大丈夫よ。ここでの生活は今日でおしまい。大神官様のご許可も頂いております」

 その言葉に、ヴィルジーニアの産毛が逆立つ。

「大神官様の、ですか?」

「ええ、そうよ。アリーシャの無実を証明する嘆願書を準備してね。それに色々な伝手を頼って聖地神殿の重鎮の方々にもお願いしたのよ」

 無実の()()()()では意味合いが全く異なる。矛盾していると言ってもいい。

 賄賂や政治的取引で不当に手に入れた無実ですか、という言葉を飲みこむヴィルジーニア。そのような手段では秩序神の一般信徒や市民達の理解が得られない。だからこそ瑕疵のない証拠が必要だというのに……。

「……そのことをアリーシャは知っているのですか?」

 アリーシャの傍らに座り、その頭を優しく撫でる母親に、固い声を混じらせて問いかける。

「ヴィル、なにか怒っているの? ああ、ごめんなさい、アリーシャとのお話し中に邪魔してしまって。でも、一刻も早くアリーシャに伝えたかったのよ。許してくれるわよね? でももう大丈夫よ。家族五人、一緒に暮らせるのよ」

 喜びを隠し切れない母親の言葉に、娘は苛立ちを隠し切れない。

 だが、どうやったにしろ、アリーシャの開放は喜ばしいことだ。後で尋問の続きを行って、それを公表すれば……。

「アリーシャは何も悪くない。悪いのは全部あの赤いクマですもの。赤ん坊のアリーシャに憑りついて、魔臓の底を抜き、デタラメを教えて子供のアリーシャを騙し、アリーシャの“兄”を自称した【混沌の悪魔】。アリーシャは何も悪くない、何も悪くないのよ。大丈夫、大丈夫だからね」

 暗い視界で母の言葉を遠くに聞きながら、アリーシャは胸の奥に暗い穴が空くような気分であった。



 ちがう、兄さまは悪魔なんかじゃない。リーの、わたしのせいなの。

 だって兄さまはわたしが作ったんだもん。前世の記憶を元に、わたしが模倣(エミュレート)していただけの想像上(イマージナリ―)分身(アバター)なんだから。お兄様のやったことは全部わたし自身がやったことなのに。

 ……でも、ニナを救いだした時、確かに兄様たちはどこかに消えちゃった。

 混沌の元で兄さまと再会した。そして核に宿らせて赤いクマとして再生した兄さま……あの兄さまはなに? わたしの妄想? わたしが知らない場所で、わたしの知らない体験をして、わたしの知らないことを知ってる兄さま。

 ……わたしの妄想が、わたしの知らないことを知ってるの?



「……お母様。そのことはどうやって」

「あら、わたくしはこの子の母親ですもの。少し考えれば判りますわ。赤ん坊が魔力を練って底を抜くなんて常識的にあり得ない。それに頭の中にあった魔力の障壁。アリーシャが想像上の兄イマージナリーフレンドとお喋りしていたのは知っていましたが、その兄の人格が赤いクマに宿っていると聞けば、それが想像上の存在ではなく、独立した存在と誰だって判るわ」

 ブリージダの考えは、ヴィルジーニアやアストリアスの考えとほとんど同じであった。

 違いがあるとすれば、その結論を証明する何者にも負けない証拠を得て禍根を残さないようにした論理的な娘と、結論を以って一刻も早いアリーシャの開放を願った情動的な母親の違いと言えた。

「このことは大神官様も理解してくださったわ。今後、混沌の悪魔に洗脳された娘の教育は、わたくしが責任をもって行います。それとこのことは新聞社を通じて広く公表します。悪いのは全て【混沌】の悪魔、赤いクマの魔物の姿をした【混沌】が、わたくしの娘を傷つけ、惑わし、穢れた底抜けにしてしまったのよ」

「待ってください。新聞社への公表? 証拠も無しにそんなことをしても、」

「証拠ならもう説明したじゃない。アリーシャが“兄”とおしゃべりをしていたのをわたくし達は聞いていますし、魔力の障壁だってステラが証言してくれていますわ」

「そういうことではなくて!」

 苛立ち紛れについ大声をあげてしまうヴィルジーニア。その様子に護衛の騎士達も驚きの目を向ける。

「お母様は下準備も根回しも無しに性急に動き過ぎます。そんなんですから豪族たちや文方(ふみかた)らから軽んじられているというのに」

 ヴィルジーニアは思わず、この場と関係ないことを持ち出して母親のやり方を非難する。

 それは事実であるだけに、ブリージダもまた、まなじりを上げた。

「ヴィルジーニア! 母親に向かってなんて言い方をするのですか。第一、根回ししたからこその大神官様の許可です。アリーシャをいつまでもこんな場所においておけません。あなたは妹に、こんな場所で一人で年を越させるつもりですか。妹が可愛くないのですか!」

「そういう話ではありません!」



 かかさまとヴィル姉さまがケンカしている。

 そう思うと、また頭から血の気が引いて、視界が暗くなっていく。

 わたしのせい、リーのせいだ。

 悪いのは【混沌】。悪いモノは何でもかんでも【混沌】のせい。悪いのは兄さま。兄さまはわたしの分身(アバター)。兄さまはわたし自身。だから悪いのはわたし。兄さまは光、兄さまは赤いクマ、兄さまはリーとは別の存在? 悪いのは兄さま。わたしは、リーは、悪くない?



「わたくしはアリーシャのためを思って!」


「それはアリーシャのためになりません。アリーシャのためにはもっと……」



 ああ、かかさまと姉さまが喧嘩しているのは、アリーシャ(わたし)のせいだ。


「やめて、ケンカ、やめて」

 暗い視界の中から、呂律が回らない口で小さく主張するが激昂した二人の耳には届かない。

「王妃様、ヴィルジーニア様。アリーシャ様が何か申しています」

 近くに居た女の人がそう口を挟み、アリーシャに耳目が集まる。

「かかさま、ねえさま、ケンカやめて。リーが悪いの。リーが悪い子だから。良い子になる。良い子になるから、ケンカしないで」

「ええ、ええ、判っているわ。貴方は悪くない。貴方は騙されていただけ。クマの事なんか忘れて、これからは正しいことを勉強しましょうね。わたくしが教えてあげるから。ね」

「うん。かかさまの言う事聞いて、良い子になります。だから、ケンカしないで……」

「約束よ」

「うん、わたし、良い子になる。だから、かかさま、キライに、ならないで」

「約束よ」

「うん」

 約束、という言葉を胸に刻みながら、母親に抱かれ、アリーシャはそのまま寝入ってしまった。


     *    *    *


 リーは悪い子だ。

 異世界からもたらされた世界の異物(コンタミ)の言葉に騙された悪い子だ。


 リーは悪い子だ。

 夢の話を真実と信じ込み、大神官様を批判した悪い子だ。


 リーは悪い子だ。

 わたしのせいで家族がケンカしてしまう悪い子だ。


 リーは……悪い子だ。

 全部、全部、イヤなことを兄さまのせいにして、自分だけ良い子になろうとしているする悪い子だ。


「わたし……良い子になる。約束する」


 赤いクマ、略してアクマ

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