(142)開封の儀
季節が夏を迎えたころ、底抜け姫アリーシャは開封の儀を受けることになった。
開封の儀とは、対象者に【ステータス魔法】という特殊な魔法を習得させる儀式魔法のことであり、秩序神神殿が執り行う。
一般的には雪解け後の春に行われ、その年、数えで七歳になる子供を対象とし、その儀式を受けてステータス魔法を習得することで子供は【魔法を使えるもの《キャスター》】となるのだ。
儀式に用いられる魔法には、それなりに貴重な触媒を使うが、その費用は一般的にその地方の豪族が負担することになっている。
その為、豪族への納税を行っていない流民の子供は必然的に【魔法を使えないもの】になってしまう。
だが、儀式への参加そのものに厳しい規制があるわけではなく、(主催する豪族及び神殿双方への)いくばくかの参加費を支払えば、冒険者や遍歴商人の子供も儀式を受けることができた。
魔法の習得は即ち神の恩恵であることから地方神殿まで行くことが難しい地方の村々を回って儀式を執り行う信心深い一派も在るほどである。
但し、底抜けを除く。
底抜けは、神の恩恵たる魔臓を持たない、または機能していない者の総称で、魔力を貯めることができない。これはその者が生まれつき罪人であるという神の意志と考えられ、底抜けに対して、(公には)開封の儀が執り行われたことはない。
また怪我などによって後天的に魔臓を失った者は、今まで使えていたはずの魔法が使えなくなってしまうため、底抜けは魔法が使えない、開封してもムダ、という意識が一般的であった。
そんな底抜けに対して高価な触媒と大量の魔力を費やして開封の儀を執り行うというのだ。反発は必至であった。
「だから、準備に手間取った。今回の儀式の費用は全てアリーシャの魔力で賄っている」
神殿に向かう前、離宮の応接間で、父王よりそのように説明された。
現在の王都は問題を抱えており、グリゴリ王は神官騎士に聞かれても問題ない範囲でアリーシャに話して聞かせた。
王都の様々なインフラを支えていた魔法が失われたのだという。それがどんな魔法であったかは明言を避けていたが、アリーシャの脳裏には胸を剣で刺し貫かれ、玉座に縫い付けられた宵闇色の髪の女性の姿が浮かんだ。
「お前が充填してくれている魔力のお陰で一息ついているが、まだ根本解決には至っていない。本当はお前の意見も聞きたいんだが、恐いお兄さんたちが、恐い眼で睨んでるからそれもできねぇな」
ソファーにふんぞり返ったグリゴリ王の揶揄に、神官騎士たちは不快気に表情を歪めるが、剣に手を掛けた王の護衛達を気にしてか、特に動きはない。
「お前が聖女と認められたことが大きい。なんと言っても世界一の権威が【底抜け】を聖女と認めたんだ。その上、その聖女様が自分たちの苦難を溢れる魔力で救ってくださった……てな」
思ったより、アリーシャの評判は悪くないようであった。その事を知り、アリーシャは少しほっとしたが、審問官の不快度は増す一方であった。
そんなやり取りの後、グリゴリ王に手を引かれてアリーシャは離宮を後にし、王宮の外、そして神殿へと向かった。
* * *
その日、底抜け姫アリーシャは西方王国の王都神殿に初めて足を踏み入れた。
特種神官と認められ、魔力を寄進していた際も基本は街の外にある分神殿に訪れ、正神殿への立ち入りは、穢れた底抜け故に認められていなかった。
この扱いの変化は、先ほど父王の言った聖女と認められた云々、ということと無関係ではないのだろう。
無論、アリーシャの護衛……というより監視として聖地神殿の神官騎士が同行している。先日一人減った十四名全員で警戒している上、審問官まで同行しているのだから、その物々しさに迎える神殿長も腰が引けている。
ニッコリと笑みを浮かべてアリーシャが礼をすると、神殿長の視線がアリーシャ、グリゴリ王、聖地の審問官の間を高速でさ迷った後、曖昧に頷くだけですませた。
神殿長の案内で礼拝所に移動すると、思わぬざわめきに、アリーシャは勿論、審問官や神官騎士も困惑する。
「ああ、言い忘れていたが、折角高い触媒使って儀式するんだ。もったいないから儀式に参加したい流民の子供たちを集めた」
なんてない事を言う王の言葉に、神官騎士たちは顔を青くしたり、赤くしたりし、審問官に睨まれた神殿長が首を肩に沈めさせてしまう。
そこに居るのは、控えめに言っても子供たちとは言えない。一番年下でも十代半ば、中には老人と言った方が早いものまで含まれていた。
共通しているのは皆、白い布を身体に巻いたような、独特なファッションをしていることであった。
「……王よ。この年齢で魔法を習得していないのは、魔法を使え」
「彼らは入市税を払い、参加費も払い、主催者である俺が参加を認めたし、神殿への寄進も済ませてある。親の経済的理由で儀式を受けるのが数年遅れるぐらいよくあることだ。聖地の神官様は細かいことを気にし過ぎだ。ハゲるぞ」
神官騎士の一人が一瞬で魔法を完成させ、数十本の槍がグリゴリ王に襲い掛かる。
しかし、その魔法は【防壁】を掛けた護衛騎士の盾に阻まれ、魔法を唱えた騎士は王自身の剣で切り捨てられた。
「神殿内で攻撃魔法を放つとは、この罰当たりめ。王の暗殺を企てた罪で首を刎ねて晒せ。ついでに神官騎士の癖に神殿への攻撃も行った不敬者とも告知しろ」
「グリゴリ王!」
まだ息のある神官騎士を指して命ずる王に、思わず反論する審問官。
「何度も同じ事を言わせるな、阿呆。この国では俺が法だ。俺は独裁者だぞ」
その言葉に、審問官も、神官騎士も黙り込む。
白い服の者達への驚きで確認が遅れたが、この場は王国の騎士で囲まれている。下手なことをすれば、残り十三名の神官騎士は生きてここを出られないだろう。
そして秩序神神殿内で暴れた不敬の罪を未来永劫背負わされる。
信仰のための死は恐れない。
しかし死後、自分の信仰を否定されることは、信仰に殉ずる彼らにとって耐えがたいことであった。
「……『法治』は神の七徳の一つです。独裁は、」
「みなまでゆーな。王の権利と罷免も規定した“憲法”を定めてるとこだ。俺は、俺の独裁によって、王と統治の権限を制限した『法治』を成し遂げる。口ばっかで何千年かけても『法治』が達成できない神殿は黙ってろ」
更に二名の神官騎士が捕縛、処刑され、神殿への不敬者として晒された。
神官騎士、あと十二名。
* * *
こうして、二件の流血・障害事件と三名の捕縛者を出しながらも、開封の儀は予定通り開始された……最初からそれを見込んで時間に余裕を持っていたのだろうか?
まず、神殿のスタッフから参加者たちに紙束が渡された。
【総原色複写】された最初の数枚は言う事聞かないと【魔法を使えないもの】になっちゃうぞ、という脅しが、文字が読めなくても理解できるよう工夫されたマンガ形式で描かれていた……っていうか、あったんだ、マンガ。
子供たち(?)が飽きないタイミングで派手な衣装のお姉さん(神官)が現れ、子供たち(アシーシャ以外いないけど)に対する慣れた口調で幻影魔法で表示されたマンガにアテレコしながら注意事項を説明していく。
「……すっごく判りやすい」
子供だったら大喜びだろうな、と思うアリーシャ八歳であった。
「愚かな人類に対する神殿の試行錯誤の賜物です」
アリーシャの呟きに審問官が、何故か偉そうに胸を逸らして答えた。
一方、白い服の聴衆は食い入るように見ているが、一人、白い布でサリーやヒジャブのように頭まで隠した少女は、面倒そうに渡された紙を次々めくっていく。
わたしも同じ気分だけど、監視が厳しいから先が読めない。
きっと毎年話しを聞かないガキども、もとい、お子様方で慣れているお姉さんの説明に合わせて、紙束のページをめくっていく。
魔臓も正常でステータス魔法も習得したのに、説明をちゃんと聞いていないせいで魔法を使えなくなってしまった子供の話しを、お姉さんが情感たっぷりに面白おかしく演じていく。
しかし余りにサイレントを馬鹿にした熱演に白い服の飛び込み参加者たちの間でざわめきが広がり、段々収拾がつかなくなっていき、お姉さんも困惑気味だ。
その時、白い服の内、一番若そうな少女が立ち上がり、いきなり奇声を上げた。
『俺たちゃ底辺、あとは上がるだけ』
それはこの世界の言葉ではない。
アリーシャの前世で極東列島言語と言われていた言葉だ。
その言葉を神殿関係者も、聖地のお偉い神官様達も誰も理解できない。
しかし、白い服の人達は、血がにじむほど歯を食いしばり、一番年若い白服の少女に目礼してから、説明のお姉さんに視線を集めた。
そして、
「ごめなさい、つずけてくだサい」
拙い言葉で白い服の男が言い、他の白服たちも静かになっていった。
説明会が終わり、いよいよ儀式が執り行われる段になった。
紙束は回収され、代わりに薄い木の板が配られていく。これは毎年使われているのか、角が丸くなったり、傷があったり、と年季が入っている。
その板にはステータス魔法で開かれるステータス画面を模したもので、先ほどの説明で一番大事、とされた場所が強調されている。
お姉さんは脇にずれて、代わりに詠唱を担当する神官が壇上に立ち、インベントリから取り出した触媒を並べていく。また、短い魔法の杖を人数分だし、それを配っていく。
お姉さんの説明によると、この杖も触媒であり、これを持つ者が魔法の対象になるらしい。
「杖を離さないでくださいね」
お姉さんが注意する。
落ち着きのない子供相手では、杖を持つ手を縛ってしまうこともあるらしいが、今日は必要ない。
「行きわたりましたか? 無い人は手を上げてください……いませんね。では始めます。気持ち悪いと感じる人もいるかもしれませんが、我慢してくださいね~」
お姉さんが口を閉じると、前置き無く神官が詠唱を始めた。
二分ほどの長い詠唱と【魔力結晶】を数個空にして魔法が完成した。
するとアリーシャの手の中の魔法の杖が魔力を帯び、まるで体の中に吸い込まれるように消えていく。
そしてその魔力が身体全体を巡り、魔臓のある丹田と頭に集まっていく。
魔臓に向かった魔力はそのまま『底』から漏れて消えてしまった。一方頭に集まった生暖かい魔力は【審議】の魔法や、セザールが魅了された『誘惑の剣』の魔力みたいな自分が書き換えられてしまいそうな不快感を感じる。
「頭が気持ち悪いって人いますか~。でも我慢してくださいね~」
不安から周囲を見回すと離れて見ていたグリゴリと目が合った。
「洗脳魔法に似ているが、これは害はない。大丈夫だ」
大丈夫だ、という父の言葉に気が楽になり、その魔力への抵抗を止めた。するとその魔力が脳を満たし情報が書き込まれていく。
それはこの世界の言語情報であった。
既に言語を習得しているアリーシャには新鮮味はないが、他の白服達は違う。
「すげぇ、言葉が判るようになった」
「私もです。すごい」
先ほど奇声を上げた少女の喜びの声に、周囲の白服達も呼応する。
魔法を唱えた神官はさっさと触媒を片付けて出ていき、代わりにお姉さん神官が再び壇上に上がった。
「はい。ではこれからが大事ですよ。先ほど配った木の板を見てください。そこには絶対に触らないようにしてくださいね。でないと、サイレントになっちゃいますよ。判りましたか?」
「「はーい」」
しつこいほどに念を押すお姉さんの確認に、先ほどの顔を隠した少女とアリーシャの返事が重なり、静かな笑いが起きる。
「はい。ではこう唱えてください。『ステータスオープン』」
その呪文が書かれたボードを示しながら、お姉さんが指示する。それは魔法で言語を習得した人たちが最初に読む言葉であった。
「ステータスオープン」
喜びを隠しきれない人々の声が幾つも重なる。
「ステータスオープン」
アリーシャもそう唱えると、目の前に光るボードが現れた。
それは木の板に記された絵と同じ【真名】と【開封の言葉】の設定画面であった。そして散々注意された場所、【自動でログインする】の項目にはすでにチェックが入っていた。
アリーシャは画面をしばし凝視してから、静かに手を上げた。
「質問があります」
「どうぞ」
横の審問官が頷いたのを確認してから、お姉さんが応じる。
「真名が最初から入力されているんです」
「ああ、そういうことはよくあります。そのまま使ってもいいですし、別の物にしてもいいですよ。問題ありません」
お姉さんの快活な答えに、ありがとうございます、と答えて改めて画面を見る。
DIAAS
前世の名。
この名に該当する開封の言葉……パスワードとして、思い当たる文字列がある。
「でも……」
他人の画面は見えないはずだが、アリーシャを監視する審問官たちの前で下手なことはしたくない。
「試すのはいつでもできる」
身体の中に魔力を巡らし、気持ちを落ち着けて湧き上がる好奇心の衝動を抑え込む。
「真の名、本当の名。ととさまとかかさまから貰ったアリーシャという名前ではなく、自分で名乗る自分の名前……」
そこまで考えると、自然と名前が浮かんできた。
「アリーシャ、ちょっと待て。おい、真名と開封の言葉の設定を覗き見るのはマナー違反だぞ」
入力しようとしたアリーシャをグリゴリ王が止め、画面を覗き込んでいた審問官たちを遠ざける。
「これは大神官様より与えられた私たちの仕事です。邪魔しないでいただきたい」
「他人の真の名を覗き見るなんてゲスな真似を大神官殿が命じたのか? 自分たちの言動が大神官殿の名を汚していると理解していないようだな。第一、子供が入力ミスしないよう見守るのは親の役目だ、下がってろ」
そう言って、再度神官たちを遠ざけ、王国の騎士達がアリーシャに背を向けて周囲を囲んだ。
更に魔法の杖を渡され、言われるがままに使用する。
「【隠蔽】の効果があるレアアイテムだ。持ってろ」
使用者の魔力を必要とするアイテムだが、魔法が使えず、魔力しか持たないアリーシャには有用な品であった。
「それで、真名は決まったのか?」
「……ととさま。かかさまは来てくれないのですか」
問いとは全く別の答えに、父王の表情が暗くなる。
「……お母さんは普段の仕事が忙しくて、疲れているんだ。それに神官騎士達は危険だから、俺が来ることを禁じた。お前のハレの日なのに、きちんと祝ってあげられなくてごめんな」
「ととさま、なんか、謝ってばかり。リーはへっちゃらです」
父の言葉に嘘を感じたが、気づかないフリをして、アリーシャも嘘で返した。
「だいじょうぶです。リーは、わたしは、ととさまの娘です、かかさまの娘です。娘で……いいですか?」
ステータス画面の光に照らされた表情が、不安に陰る。だがその頭を大きな父の手が優しく撫でる。
「お前が俺の娘でよかった。お前でいい、ではない。お前がいいんだ。お前は俺達の大事な娘だ」
「ありがとう、ととさま。真名を決めました」
そう言って、父の耳元で小さくその名を囁いた。
「……俺のほうこそありがとう」
こうして、この日、アリーシャはステータス魔法を習得した。
* * *
「なーなー、王様」
儀式が終わり、王宮に戻る準備の時間の合間を縫って、白服の少女が王に話しかけた。
審問官たちの目を気にして顔を隠しているが、布の隙間から碧眼と金髪がのぞく。ニンジャガールのアスカだ。
周囲では五十有余人のアンズーマリーの街の魔法の使えないもの達が、魔法を使えるものになったことを喜び、新たな人生への希望に興奮していた。
「アリーシャのお袋さん、相変わらずか?」
その問いに、王は無言を返す。
「まあ、おかげ様で俺もこの世界の言葉を習得できた。えっと、ブリージダ様が約束してくれた報酬は、間違いなく受け取った。ありがとうございました。そう伝えてください」
社会経験が無いが、魔法で言語を習得したおかげか、なんとか敬語の語彙が浮かんできた。
「ああ」
短く答えた王の態度に、意気が挫けそうになるが、アスカは唾を飲み込んで言葉を次いだ。
「俺、アリーシャを助けたことになってるけど、俺の方こそアリーシャに色々助けられてる。その恩を返せてない。それにこいつ等に魔法を習得させることだって、オヤジ達のことだって、王様には世話になりっぱなしだ」
そこまで言ったアスカを意外そうな目でグリゴリが見下ろした。
「それで?」
「それで、その、だから、……俺を使ってほしい。雇ってほしい、いや、違う。アリーシャの力になりたい。アンタの力になりたい。恩を返したい。恩義に報いたい。アンタらのためにできることをしたい。でも、俺、アホだし、経験が無いから、自分の持ってる力の使い方が判んねえんだ。サイレント達を迎えに行くのだって、王様の助けがなきゃ、俺一人じゃ何にもできなかった」
「あれはお前に仕事を頼んだついでの事だ」
「それ! 俺に仕事を命じてくれ。そうすれば俺もこの世界での経験を積める。これは俺のメリットにもなる。だから遠慮なく命じてくれ」
「お前、人を殺せるか?」
静かな王の問いに、アスカの意気は一気にしぼんでいく。
「ごめん、それ、ムリ……でも、俺がんばってみる」
「いや、いい。って、落ち込むな、勘違いするな。がんばって殺す必要は無いって意味だ。お前に暗殺者や軍人をやれというつもりはない。だが危険な仕事を頼むことはあるだろう。その時は相手の命より自分や大事な者の命を優先しろ。それが条件だ」
「それって……」
アスカの期待を込めた顔に、グリゴリ王がにやりと笑う。
「いいだろう、アスカ。俺がお前を使ってやる。但し王としてではないし、お前を騎士にする気もない。だれでもない私人のアスカとして動いてもらう」
「それって、俺に何かあっても王様は知らぬ存ぜぬができるってことか」
その問いに、やはりにやりと笑う王。
「おーけーおーけー、それでいいぜ王様。それがアリーシャの為になるならドンとこいだ。但し、そうならないと俺が判断したら裏切るぜ」
「おーけーおーけー、それでいいぜアスカ。逆もまた然りってことを忘れるなよ。俺は世界中のなにより自分の家族が大事だ」
そう言い切るグリゴリ王の表情を、アスカはまぶしそうに見つめ、胸の奥が熱くなっていく。
そして小さく、自分にも聞こえない声で呟いた
「……うらやましいな」




