(10)世話人ジョーの報告 3年目
雪に閉ざされた屋敷の中で、ジョーは様々なお話をアリーシャに語り聞かせ、文字を教えていった。
彼女は話をしっかり理解し、時にジョーも唸るほどの質問を返してくれるので本当に教えがいがある。
その中でも特に食いつきが良かったのが創世神話だ。
* * *
かつて世界は秩序に満たされ、秩序神の御許、争いもなく平和な世界でした。
しかし異界より混沌と呼ばれる悪魔が神の世界に攻め入ったのです。
無論所詮は悪魔。神の御力に敵うはずもなかったが、悪魔は卑劣にも世界の一部を切り取り、深い山々で覆い隠してしまったのです。
秩序神の御力ならば山を崩し、悪魔の力を祓うのは容易い。しかしそうすればその中に捕らわれた者たちまで一緒に滅ぼしてしまう。
そこで神は捕らわれた世界に降り立ち、自らを贄として混沌の力を弱め、人々が暮らせる場所を御創りになられました。
最後に神が天空に向けて伸ばした右腕は銀の塔となり、世界を照らしだしたのです。
こうして混沌の作った山脈に囲われたこの世界が作られたのです。
この世界が作られた日を法暦元年とし今年は4983年。記録によると2000年ほど前から混沌山脈の高さが少しづつ下がっていることが判っています。私たちが混沌に打ち勝ち、平和な世界に帰還する日は近いのです。
* * *
興味深そうに、時折首をひねりながら聞いていたアリーシャは、話が終わるとすぐに質問してきた。
「ちつじょしんって『女がみ』さまなの?」
「女の神などおりません。神といえば秩序神ただ御一人。それ以外の神の存在など口にしてはいけません」
いつもとは違うジョーの口調にビックリしたのか、姫はそれ以上何も言おうとしなかった。
--こんなこと、異端審問官に聞かれたら大変な騒ぎになりますよ。
* * *
雪も解け始め、日差しが少しづつ暖かくなってきました。もうすぐ姫君は四歳になられます。
冬の間屋敷にこもっていたせいか、少しお腹周りが気になります。
そんな話をしていたらアリーシャ姫が「ジョーも一緒にやろう」と奇妙な踊りを始めました。
踊りといっても両足を肩の幅に開き、軽く腰を降ろし、両手を前に出す。そんな姿勢からゆっくりと身体を動かしていく。
ちょっと真似してみたが結構きつい。
姫君はすごいなぁ。決して私の年齢のせいではないです。
外で遊べるようになると、仲良しの子供たちと一緒に村中を駆け回ったり、一緒に奇妙な踊りをしたり、かと思うと物陰でこそこそ頭を突き合わせてたり、と毎日楽しそうにしています。
ただ気になるのは、奇妙な踊りをするときに限って、
「ほっほっほっ、ワシのことはりーしーふーとよぶのじゃ」
と姫君がまた変なことを言っていることです。ごっこ遊びか、新しい想像のお友達でしょうか?
* * *
今日は施術を行います。
魔臓に穴が開いているので、その容量を増やす意味はないですが、身体中に魔力を巡らすことで、体の抵抗力を強め、病に罹りにくくなり、また身体の悪いところを予め知ることができます。
姫君を寝かせてヘソの上に手を当てその奥にある魔臓に向けて魔力を流す。
魔臓はマナを溜める臓器であり、マナの循環回路の中心でもある。姫君の魔臓の底は抜けて、常にそこから魔力が抜けているが、魔力回路そのものは抵抗なく流すことができる。とても素直で多くの魔力を流せるであろうそれは、もし魔法が使えたならば稀代の使い手になれたであろうことを予感させた。
「ジョーの魔力はすっごくきもちいー。へたっぴだとアツかったい、チベたかったり、あっちこっちぶつかって、アタマくらくら~てなっちゃうんだよ」
うん? 確かに魔力操作が下手だとそんな感じになるけど、一体誰と比べてるのでしょう? 疑問は多いが今は大事な施術中だ。
魔力が順調に流れていたのは脊髄に沿って登り、頭頂に至るまでであった。魔力が頭に流れ込む直前、強い抵抗にあって魔力の流れが断ち切られてしまった。
「またダメでしたか」
私が世話人になる前、姫君が底抜けになった?後に代理で施術を行っていた者の話だと、初めての時はスムーズに頭にも魔力を流せていたらしい。
しかし2、3回施術を行うと、頭に魔力を巡らせると強い抵抗があり、弾かれるようになったという。
その者は「まるで姫の頭の中に何かいて、外部からの魔力の侵入に抵抗しているみたいだ」等と言っていた。しかし元々彼女は底抜けなど【魔法を使えない者】に強い嫌悪感を持っている。彼女の思い込みに過ぎないだろう。
「もう、にいたまのガンコモノ!」
姫君が飛び上がるように立ち上がり、地団駄を踏む。
姫君に兄は居ない。念のため王妃様にもお伺いしたので間違いない(はずだ)。
何度も問いただすが幼い姫の返答は要領を得ず、空想上の友達のようなものかと思うが、今の現象の説明にはならない。
やはり姫君にはナニカが宿っている。それは魔力の循環を阻害し、魔力袋の底を抜き、姫君から兄と認識されている……いや、思い込みに過ぎない。私もまた、彼女の言葉に引きずられているだけだ……きっと。
* * *
それはアリーシャ姫の何気ない一言から始まった。
「ねージョー」
「なんですかぁ?」
食事の準備をしながら姫の言葉を促す。
「【底抜け】って汚いの?」
私は思わず持っていた食材を落としてしまった。食材が光の粒に変じて消えてしまったが、そんなことにも気づかず私は姫に視線を合わせた。
「誰がそんなことを言ったんですか」
底抜けなどの【魔法を使えない者】は世間一般では汚い、穢れていると認識されている。
これは魔法が神の恩恵である以上、魔法の使えないものは恩恵の無いものとされる点と、彼らは魔法を使えないため文字通り汚いのだ。
しかし姫には毎日【清潔】の魔法をかけているし、服だって綺麗なものを着せている。食事だって私が魔法で準備している。
この子がそんなことを言われる筋合いはない。
頭の中をぐるぐるとどす黒いものが蠢く。こんな幼い子供にそんな汚い言葉を吐く者を想像し、使う呪術をピックアップしていく。
「ん~」
口をつぐむ姫。どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったとでも思っているのだろう。
その様子に怒りがまるで底抜けのように私の心から抜けていく。
「怒っているのではありません。怖がらせてごめんなさい」
私は自らの主である四歳の女の子をそっと抱きしめた。
* * *
アリーシャ姫の魔臓の底には穴が開いている。それ故に魔力を貯めることができない。
魔力は財だ。
ステータスを通したものか、マナ貨や魔力結晶かの違いはあれど、物の売り買いは全て魔力で行われる。魔力に価値を見出し、魔力を基本とした魔力本位制でこの世界の経済は動いている。
一方、姫にはあの小さな身体しかない。魔法を使えず、魔力も無しに、あの身体で財貨を得る方法など、考えるのも憚られるような方法しかない。
そして魔法。魔臓が魔法の行使に深く関わっている事は多くの賢者が指摘している。
しかし魔臓の底が抜けてしまっているが姫君には才がある。優秀な魔力回路、その聡明さ。しかしこの世界で女の言葉に耳を貸す者は少なく、それがサイレントならば尚更だ。
なんて、なんてお可哀想な。いったいどんな悲劇が、どんな悪魔が姫君に憑りつき、この事態を引き起こしたというのでしょう。
私は彼女の運命の不条理に、救いを神に願った。
* * *
そのアリーシャ姫に憑りつく悪魔は頭を悩ませていた。
ジョーの施術は何とか凌げたな。問題はアリーシャだ。
アイツは俺を兄さまと呼んで慕ってくれるが、もし俺が活性化すれば、彼女の思考を乗っ取ってしまうかもしれない。
またそうならなくても二重人格のような状態になれば彼女に更なる負担をかけてしまう。
その上、俺は一度彼女を殺しかけている。そんな俺が……アリーシャ?
ジョーに隠れてアリーシャは魔力を練っていた。その強度、圧力はジョーを遥かに上回り、魔力袋を破った時をすら軽く凌駕していた。
それ、やばい、やばい。ヘタレて落ち込んでる暇ねーぞ俺。
「けしとべ!」
消し飛ばっしゃダメだろ! 俺は必死に魔力を固めてアリーシャの脳を守った。
「ちっ、うんのいいやつめ」
女の子が舌打ちとかしちゃいけません。
ただ、なんだろう。アリーシャの方向性がずいぶん迷子になってるような気がしてきたよ。大丈夫かな、この子?
……あれ? なんで俺思考できてるんだ?
回によって長さがマチマチだけど、話の区切りのいいとこで切りたいから、このままいきます。
残業続きで次話の内容チェックが間に合いませんでした。連続投稿はここまで




