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8.警察と“探偵”

 黄色いテープの前で、行く手を阻もうとする警官の声を無視して、ビニールシートの向こうに消えそうになる背中に声を張り上げた。


「待ってください!」


 思えばいつも背中ばかりを見ていた。そんなことがふと過る。変なの、と少しだけ可笑しかった。


「依頼を受けました。今この瞬間から、奥野敏之氏の住居は探し物探偵としての捜索範囲です。入ってもいいですね?」

「歩くん、さっきも言ったけどさ」

「自分の仕事をしろと言ったのはそちらの刑事さんですから」

「えぇー、何という屁理屈……」


 どう言われてもいい。すべきことを全うしたいだけだ。そうして知りたいと思う、怖いけど、知らないままではいたくない。どちらかしか選べないのだから、自分が選んだものを最良だったと思う方が幸せ。僕もそう思う。思いたいから、意思は曲げない。

 遠いのにすぐ傍にいるような威圧感が僕を包む。諦めてなんかやらないと、返す言葉を幾つも作っては喉の奥に待機させてあのしゃがれた声を待った。


「依頼人は誰だ」

「守秘義務があるので言えません」

「内容は」

「言えません。が、各所を隈なく探します」

「来い」


 あっさりと、実にあっさりと許可が下りた。僕だけでなく、姉川さんや僕を止めていた警官も驚いている。しかしその相手は早々に姿を消した。誰の反論も受け付けないままに。追いかけた姉川さんに続いて、僕もテープを潜った。




 入口側から見ると分からなかったが、離れは後ろ半分をかなり抉られていた。焦げて文字の読めない紙の束がそこら中に転がっている。消火に使われた水が、剥き出しの梁から雨のように落ちて服を濡らす。炭のように変色した柱は青空とのコントラストが抜群に悪い。

 全体的に煤けた色をした離れの中で、人型を模した白い紐だけが浮いて見える。室内に向けて片手を伸ばした形でそれは横たわっている。生命力のない枠だけが眩しくて、寂しい光景だと思った。


「姉川、遺留品」

「はいはい、って、え!? それ流石にまずいんじゃ」

「あった通りに並べろ」

「本当にいいんですかぁ? 鑑識が早く遺留品渡せって言ってきてるところなのに」


 そんなやり取りの最中に白い手袋が差し出される。離れを捜索するだけでなく、遺留品に触ることを許される意思表示。本来なら考えられない待遇の良さに眉が動く。ここは素直に喜んでおくべき場面だ。が、一応の反抗で自分の黒い手袋を取り出した。そうしても特別、相手の顔は変わらない。


 姉川さんが渋々といった風を前面に出しながら、袋に入った遺留品を置いていく。とはいっても数は少ない。ほぼ燃えてしまったからだろうか。重要なものがそれだけしかなかったのかもしれないが。



 まずは身元の分かる財布から見てみる。話に出たのは免許証だけだったが、他にも何かあればいい。

 財布自体は黒いシンプルなもの。燃えていない面を見ると革製品のようだが、もう片面は溶けた樹脂が冷え固まったような凹凸ができている。袋から出すと鼻をつく臭いがした。金に困っていたようだし、合皮の安い財布と断定する。

 カード入れの中にあるのは免許証と銀行のキャッシュカード、名刺がキャバクラのものを含めて数枚。お金は千円札が一枚に小銭が少しあるだけだ。


 免許証に載せられた顔写真は、優男といった雰囲気だった。借金苦を抱えているようには見えないし、無職で人から金をせびるようにも見えなかった。

 外見と中身は案外違うものだ。優しい顔をして詐欺を働いたり、無垢な顔で殺人を犯したりする。無害そうな人物こそ注意しなくてはいけない場合が往々にしてある。疑ったり信じたりすることは言葉ほど単純じゃない。

 

 名刺の中で気になったのは、森下金融と社名の入った名刺だ。肩書は代表取締役副社長で、白戸勲(しらといさむ)とある。


「森下金融って、ちゃんとしたところなんですか?」


 俺ですか、と後ろで声がして姉川さんが嫌そうに進み出てくる。僕からの質問には姉川さんが答えてくれるらしい。真面目に対応してくれるなら誰だっていい。


「表向きは。副社長が裏で色々やってるって話は前から上がってたけど、詳しいことは捜査中」

「じゃこの小林って人が裏の何かに関わっているか、とかは分からないってことですね」

「まぁ、そうなるね」



 僕が考えているのは、自演説だ。出血するほどの打撲痕があったとはいえ、不可能ではないと思う。勿論、もっと簡単な方法はあると思うけれど。

 ただそうなると小林氏は奥野さんに恨みか、或いはそれに近い感情があったことになる。自分の元まで呼び付けて、留守の間に離れで遺体となることを選択するのはかなり極限の感情だろう。死んででも苦しめてやりたいとか、どん底まで落としてやりたいというような。

 でも奥野さんに対してそれだけの感情を持つかという点に関しては疑問が残る。確かに人との諍いや悪感情は案外小さなことから始まってひょんなことで膨れ上がるものだ。しかし、奥野さんは小林氏に対して金を渡している。しかも返済を求めていない。そんな相手、言葉を悪くすればいいカモじゃないか。感謝して、あまつさえ利用してやろうとは思っても、恨みに発展することがあるだろうか。

 ……僕の推理という名の想像は、まだその程度の淡いものだ。口にすれば鼻で笑われるだろう。



 財布を姉川さんに返して、今度は横たわる人型の手の部分に置かれた遺留品を拾う。


「懐中電灯?」


 海外メーカーのLEDの懐中電灯だ。しかもかなり強力なタイプ。同じものを改造して特製の懐中電灯を作ったことがある。夜に仕事をすることがない上、電池は重いし消耗が激しくてすぐに破棄してしまったが。

 壁が残っている入口に向けて点灯する。白い光が煌々と壁を照らしているのが、傾きかけた太陽の下でも分かる。

 ざっと見回してみたが、やはり蛍光灯の類はなかった。窓も付いていないようだし、日中でも離れの中は暗かっただろう。それなら懐中電灯は必需品だが、小林氏はそれを知っていたということだ。


「被害者の方はこの離れには何度か入っていたんでしょうか?」

「奥野は一度見せたことがあると言っていたよ。古い本に興味があるとかで見せてあげたら、じっくり隅々まで見ていたって」


 一度入れば暗いことは分かる。しかしこれから死ぬつもりの人間がわざわざ懐中電灯を持参で来るか? 頭を何かでぶつけて火を着けるという作業に懐中電灯は必要ないだろう。携帯電話の光さえあれば事足りる。この懐中電灯を持って歩く方が邪魔なはずだ。

 何か他の目的があったのではないか。隠したり、探したり。明かりがなくてはできないことをしていた可能性はある。でも火を着けていることからすると、燃やしてしまうまでが目的だったのか、目的が果たせなかったかが不明だ。ついでに言えば、自分ごと全部を巻き込もうとしたのか、自分が巻き込まれたのかというところも曖昧になる。まだ答えは出そうにない。


「ところで火はどうやって付けたんでしょう?」

「ライターでぼわっと。これね、結構いいやつだよ。使い方は悪いけど」


 部屋の真ん中に置かれていたものを掲げられる。装飾はなくつるりとした形状のオイルライターで、事務所のプレートよりもよく光っていた。


「いいやつなんですか……」

「これが、みたいな顔したな?」

「お好きなんですか?」

「うん、ライター自体がね。煙草は吸わないけどオイルライターのコレクターなんだな、実は」


 意外なところで意外な趣味を知る。色んな人がいるものだ。


「借金苦なのに煙草はやめなかったんだ」

「ん、何?」

「被害者ですよ。金がなくて困ってたのに、良いライター持って煙草吸ってるって、何だかおかしくないですか?」

「ライターについては同感だけど、煙草は吸ってないと思うよ」


 聞くと、煙草は吸い殻の一本も見つからなかったと言う。離れの半分が燃えているとはいえ、遺留品に残っていないというのは不自然だ。

 オイルライターを持っている人は喫煙者か、姉川さんのようなコレクターくらいなものだろう。ライターにこだわる喫煙者であれば、一本も持って出ていないのは死を前にしていたにしてもしっくりこなかった。

 

「コレクションしているライターを使うことってあるんですか?」

「実用するかってこと? しないよ、煙草吸わないのに使う場面もないし。家で眺めるだけ」

「放火するとしたら?」

「嫌だよ、そんな下賤なことに使うなんて」


 小林氏もコレクターだとしたら、同じような思いを持つのではないか。ではなぜ、このライターは使い込まれているのか。放火に使われたのか。

 第三者のものだとしたら?


「第三者って例えば?」


 声に出していたらしい。姉川さんが聞く。そして僕は考えてみる。


「……盗んだものとか。借りた、ってことはないか」

「放火のために盗むかなぁ」

「売ろうと思っていたとか、どうでしょう」

「あぁ、知識がなければするかも」

「あとは、被害者以外にも誰かが居た、とか」


 声が止む。なくはない、言ってから納得する。

 例えばここにふたりの人間が居て、何かしらの作業をしてから放火して逃げようとする。が、小林拓馬は頭を打ったために倒れてしまう。もうひとりは助けようとしたが火の勢いが強く、やむなくひとりで逃げることにした。

 これまで考えてきたものよりも現実味がある気がする。後ろを窺ったが、目が合うことはなかった。


 その辺りは警察に任せるとしよう。僕が見つけるべきは奥野さんが無実である証拠なのだから。



「携帯電話……何だかすごいところに飛んでますね」


 遺留品の最後のひとつは携帯電話だ。遺体から随分離れたところに置かれている。倒れた拍子に落としたのだろうか。


「ここまできたら言っちゃうけど、害者が入口から中に向けてうつ伏せに倒れていたことと携帯が身体から離れていることから、後ろから殴られたんだろうと見てる。所轄の考えとしては害者が離れに入り込んだのを見つけて奥野が殴打し、それを隠すために火を放ったんだろうってことなんだけど」

「それにしては火を着けた場所がおかしくないですか?」

「あーあ、気付いちゃう?」


 殴打の傷を隠したいなら、離れの奥ではなく小林氏の近くで火を起こすはずだ。離れがここまで燃えたのは古い本や雑誌に火が回ったからだが、遺体は顔が損傷し財布が焼けている程度に過ぎない。それなら早く燃えて無くなりそうな新聞なんかを遺体の周りに集めておけば、頭の傷の発見を遅れさせられるだろう。

 傷は致命傷には至っていないのだから火が遠いと意識を取り戻して逃げてしまうかもしれない。そうなれば小林氏がどう出るか思い至らない訳がない。不法侵入より殺人未遂の方が明らかに重いのだから。


 しかし事故でないことは確定だ。倒れていた入口付近には頭を打つような箇所はなく、凶器となるようなものも見つかっていないらしい。持ち出されたと考える方が自然だ。奥野さんの話を全面的に信じるとすれば、小林氏側の作為的なものを感じてしまう。


 何かを呟いている姉川さんはそのままにして、遺留品に戻ろう。

 火元から最も離れたところにあった携帯電話は炙られることもなく問題なく使えるようだ。通話履歴により奥野さんとの連絡の裏は取れているという。ただ履歴だけでは電話の内容は分からないため、本当に小林氏に呼び出されたのか、ホテルからかけたのかという点に他の刑事達は固執しているようだ。かなりのこじつけではないかと思うし、それだけに焦っていることも感じ取れた。

 警察が見ても分からないことを僕が透視できる筈もなく、中を見ることはしなかった。それ以上に気になるものがあったという方が大きいが。


「これ何ですか、バッジ?」

「名門大学の校章バッジなんだって。害者も奥野もその大学の出身者らしいよ」


 縦に伸びた菱形が横に三つ重なったマーク。言われてみれば見覚えがあった。日本で五本の指に入る有名大学の校章だ。

 そのバッジは携帯電話にぶら下がっていた。いつ切れてもおかしくないような黒い紐が針の部分に括り付けられていて、ストラップ用の穴に通してある。

 これまでで一番、小林拓馬という人物の人となりを感じる代物だった。思わず本音が零れてしまう。


「これは……残念な人だなぁ」

「どういうこと?」

「だって、そもそも大学のバッジって無料配布じゃないですよね。付ける場面もないのにわざわざ買ってまで持っている、それももう三十四の男がですよ? 通った大学をかなり誇りに思っている証拠でしょう、学歴至上主義者と言ってもいいほど」

「まぁ、そうかもね」

「更に言えば携帯自体はそんなに古いものじゃない。なのにバッジと繋がっているこの紐はぼろぼろです。携帯に付けるのにわざと古い紐を使うような人は居ないでしょう。携帯を新しくする度にバッジは紐ごと付け替えているんじゃないですか」


 高卒の僕にその感覚は全く理解できないが、成人式を過ぎた頃に中学の同級生とばったり会ったことがある。頭の良い子だったという漠然とした印象しか残っていなかったが、大学生活がいかに大変かということを長々と話していた。恐らく誰が聞いても苦労自慢にしか思えなかっただろう。つまらない話だったが、意気揚々と去っていく姿に、こういう人も居るということを知った。

 このバッジはそんな執着めいたものを感じる。特定の住まいもなく無職で借金に追われている男の持ち物だと考えると、とてつもなく哀れに思えた。


「いつも持ち歩くもの、誰でも見える携帯に付けているってことは、名門大学に通っていた自分をアピールしたいのか、これを見せていることで自分の不出来を隠したいのか。どちらにしても自己顕示欲が強そうな人だと思って」


 言い終えて姉川さんを見ると、目を丸くして何とも言えない表情をしていた。


「君、同僚じゃなかったよね……?」


 今度は僕が目を丸くする番だった。


  

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