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6.親子らしく

「歩、巻き込んでごめんね」


 図らずも母さんとふたりきりになる。奥野さんはまだ事情聴取中だ。

 そんな中、母さんの弱々しい声がそう言う。こんなことを言う人じゃなかったのに。だから少しでも伝染するように努めて明るい声で返した。


「何言ってんの。母さんだって巻き込まれた側なんだし。素直にこうして会えたことを喜んでよ」

「そう……そうね、もう会えないと思っていたのにまた会えたんだものね」

「僕は絶対にまた会えるって思ってたよ。それが約束だったから」


 胸ポケットの白い薔薇を抜き取って、それを母さんに差し出した。花好きだった母さんのことだ、この花言葉も知っているだろう。記憶より痩せた指がそっと受け取って、目尻を下げた。

 贈るはずだった深紅の薔薇は潰れたまま危うく遺留品にされかけた。勿論、落として踏んだ僕が悪いのだけど。何とか贈り物ができたのは花屋の店主のお蔭だ。


「まだ覚えてたのね。あれは確か、歩が小学生の時?」

「二年生に上がってすぐだね。忘れないよ、あれが僕の人生最初の決意表明だったんだから」



******



――おかあさんがいない!


 見渡す限り巨大な大人達でひしめく中にひとり残された小学二年生の僕。唯一頼りの母さんがどこにも居ない。すぐにでも泣いてしまいたい気持ちを堪えたのは、大きくなった、とおとうさん(・・・・・)おかあさん(・・・・・)が嬉しそうに言ってくれたからだった。


――ぼくはもう大きいから、おかあさんをよぶのははずかしいよね。


 行き交う人々がちらりと僕を見て、声をかけようか迷っているようだった。だから僕は顔中で笑顔を作って、何でもない風を装う。そうしていると安心したのか、皆笑顔を返して通り過ぎていった。


――おかあさん、きっとぼくのことさがしてる。ぼくもおかあさんをさがさないと。


 家の中では、無くなったものを探すのは僕の役目だった。

 母さんは少し大雑把なところがあるから、見える面だけを探して早々に諦めることが多い。それで僕が部屋の隅や箪笥の裏で見つけるというのがいつものパターンで、“探し物隊長“を名付けられたのもこの時期だった。

 だから子供ながら母さんには僕は見つけられないだろうと思った。代わりに僕が探してあげないと、と妹を思う兄のような気持ちで歩き始めた。


 その日は歩行者天国で、いつもは車しか通れないところを歩けることにはしゃいでいた。それで僕は道路の真ん中を歩きたがったけれど、母さんは端を歩きたがった。車はこないんだよと教えてあげても、分かってるよと笑うばかりで。最終的に妥協案として中央から少し外れたところを歩くことにしていた。

 ひとりになった時、僕はなぜか道路の真ん中に立っていた。手は繋いでいなかったから、母さんが目を離した隙にふらふらと出てきたのだろう。すぐ横を自転車が走って行ったりして、車が通っていなくても危険な場所であることが分かる。だから嫌がったのだと気付いて、それなら道路の端に居るだろうと当たりをつけた。


 歩道に立って視線を行き巡らせる。大人達の身体で街が埋め尽くされているように見えた。必死で母さんの服装を思い出す。


――ぼうし、きみどりのふく、しましまズボン、くつは……くつはペタペタサンダル!


 ショーウィンドウの前で急にしゃがみこんだ僕に、幾人かはぎょっとしていたように思う。そんなのはお構い無しで、母さんの足を探していた。

 歩くとペタペタと音がして、それを母さんはうるさいから捨てようとしていたけれど、僕はその音が好きだった。楽器を鳴らしながら歩いているみたいで気分が弾んだからだ。それに大きなガラス玉が付いているのもお気に入りで、足を前に出す度にきらきらと複雑な色の光を放つのが楽しかった。

 良い天気だったから、きっとその光で見つけられると思った。母さんが歩いていたら音も聞こえる筈。目を細めて、耳をすませて、注意深く辺りを見回していた。


 ペタ、ペタ、と音がして振り返ると同時に眩しい光が目に飛び込んできた。


――いた!


 走り出す。おじさんにぶつかりそうになって、お姉さんの鞄に当たって謝って、転びそうになりながら走った。背中を向けていたその人はやっぱり母さんで、思わず足に抱きついた。


「歩! 良かったぁ」

「かってに行って、ごめんなさい……」


 ほっとすると同時に後悔が押し寄せてきた。もちろんその頃は、おこられちゃうかな、という程度のものだったけれど、母さんの顔を見れなかった。

 そんな僕に、母さんはしゃがみこんで乱れた髪を直してくれた。目の前の顔は優しく笑っていた。


「見つけてくれてありがとう。さっすが、我が家の探し物隊長ね!」


 褒められるなんて思ってなくて少し驚いたけど、あとはただ嬉しくて、胸を張って大きく頷いた。

 今度はしっかり手を繋いで、歩道を歩き始める。得意になった僕は母さんを見上げて、探し物隊長として宣言をした。


「おかあさんがまたいなくなっても、ぼくがぜったい見つけてあげるね!」

「ほんと? 頼もしいなぁ、じゃあ約束ね」


 そうして指切りをした。大きな声でゆびきりげんまんを歌ったから、周囲の人達が僕達を見て可笑しそうに身体を揺らしていた。ほんの少し恥ずかしくなったけれど、母さんが声を上げて笑っているのが楽しくて、この約束を必ず守っていこうと心に決めたのだった。



******



「といっても、奥野さんが知らせてくれたから今日ここに居られている訳だけど」


 これは反則。約束を守ったとは胸を張れなくて、苦笑いを零した。だけど母さんは、あの日より控えめながら穏やかに微笑んだ。


「でも探していてくれたんでしょう?」

「……うん。今や探し物探偵だからね」


 自分の得意なもの、かつて認めてもらったことを仕事にしたのは事実だけれど、母さんを探すためになったのだとはとても言えなかった。

 そんな仕事をしてみようかと空想を食卓のネタにしたことはあったけれど、本当になるとまでは思っていなかっただろう。小さな記憶を残してくれていて、そのお蔭で再会できた。だけどあくまで仕事の延長だったと思ってほしかった。全てバレてしまっていると分かってはいても、自分の口から話してしまうと、重荷になってしまうような気がしたんだ。


 もっとフランクな距離で向かい合っていたかった。親子として当たり前にあるような、近付きすぎず遠のきすぎない居心地の良い距離感を僕達の間に見たかった。

 きっとこんなことを考えている時点で全く自然なものでなくなっている自覚ははっきりとあったけれど、別にいいんだ。失いかけたものをもう一度構築するためにはわざとらしいくらいが丁度良い。


「仕事は楽しい?」

「うん、それなりに。始めた頃からの常連さんもいてさ」

「探し物の常連って、大丈夫なの……?」

「無くす度に僕が探してるから今のところは大丈夫だと思うけど」

「じゃ、今頃困ってるかもしれないわね」


 さらりと言われた一言が心のほんの隅を重くする。しかしすぐに見えないところに追いやった。


「正直そろそろ気を付けてもらわないとと思ってたし。財布を探したことも一度や二度じゃないからなぁ」

「まぁ。それは危ない」

「ね。変わらなきゃいけないことも、あるからさ」


 言い聞かせるように言うと、喉が震えた気がした。咳払いで誤魔化した僕を母さんは見上げたけれど、それに視線を返すことはできなかった。咎められている訳でもないのに見つめ返せば何かを後悔してしまいそうで。俯きたくないと雲の開けた空に顔を向けた。


 母さんも母さんで、母親らしい会話をしようとしていたのだと思う。息子を気遣って、仕事のことを聞いて。だけど本当に話したいことはここからなのだろう。


「わたしの体のこと、聞いた?」


 嘘をつく必要はない。少しだけ、と答えた。


「そう。もし聞いていなくても、今の姿を見たらなにかあるって分かっちゃうわよね」

「確かに、変わったね」

「髪はまたちゃんと生えたけどねぇ。ダイエット成功、には見えないか」


 冗談を言うところは変わらない。それがあまり笑えないところも。分かっていないのかどうなのか平気でこういうことを言ってしまう。周りを戸惑わせる才能は一級品だ。両親の馴れ初めなんて今更知りたいとは思わないが、どうしてこのふたりが、という気はしないでもない。

 髪が揺れる程度の風が断続的に吹いている。山の中腹に立っているのに、潮の影響だろうか、風は湿っている。


「寒くない?」

「なぁに、急に病人扱いして。普通にしてる分には問題ないのよ」

「でも」


 車椅子に収まる姿は明らかに、病人のそれだ。

 右肩に流した白髪の混じる三つ編み、白いハイネックのセーター、やや光沢のある深い緑のロングスカート。それに薄手のストールを肩に掛けた装いだけ見れば、物静かな女性といった雰囲気だが。

 車椅子の存在感がこれほどのものだと思ったことはない。それも、高校生の息子に競争を持ちかけていたような母親が相手だから余計なのかもしれない。


 皆まで言わずとも考えは通じたようだ。何が可笑しいのか、くつくつと肩を上下させている。


「これね、前に畑で転んじゃったの。倒れた先が運悪く石が突き出した上でね、骨にひびが入って。(とし)さんが大袈裟に騒いだものだからこの通り、すっかり歩かない生活になっちゃったわ」


 その時の奥野さんの様子を思い出しているのかもしれない。先程帰ってきた時の慌てようから何となく想像はできた。そのことを特別どうこう思うことはないけれど、それよりも母さんが僕とあの人以外の男の名前を呼んでいるというのは、不思議な感じがした。嫉妬とは違う、妙な感慨深さ。母親に女を感じるのは気色悪い瞬間だと誰かが言っていたが、母さんにできるだけ幸せな位置に居てほしいと願う僕にとっては、わずかに口角が上がってしまうような、喜ばしい瞬間だった。


――あの人さえ、居なきゃなぁ。


 これが偶然と言うのならなんて作為的だろう。誰かによって人生を弄くられているような気がしてならない。そうでなければ、十年越しに何の縁もゆかりもないこの土地でバラバラだった家族が集まる筈がない。……そんな馬鹿げたことを考えてしまう。


 本当にどうしてここに居るんだろう。久しぶりに掛かってきたいつかの電話の時には、同じ街に居たのに。今度はここに回されているということか。僕に着いてきた、なんてことはないだろう。それなら母さん? いいや、それもない。執着心なんてものを持たずに生まれてきたような人だ、自分から離れて行った元妻を追い回すなんて真似をする男ではないことは、残念ながら息子である僕はよく知っている。となるとやはり、偶然の一致ということなんだろうな。

 一緒に居た若い刑事。僕に見覚えがあるような顔をしていたけれど、まさかな。

 

「敏さん、遅いわね」

「あ、うん。そうだね。ご遺体の身元は分かったのかな」

「警察は優秀な方々だから」


 そうだといいんだけど。声にはしなかった。見下ろした眼差しが、信頼を色濃く煮詰めたような光を宿していたから。

 言う通り、戻るのが少し遅すぎる。ほぼ部外者の僕はさておいて、母さんも大したことは聞かれていない。周囲に知り合いが少ないというのもあっただろうが、ここは母さんの家でもあるんだ。無遠慮に問い質すのが警察じゃなかっただろうか。

 遺体は、奥野さんの知り合いだったのだろうか。それが放火犯であるなら、どんな恨みがあって放火するだろう。それに巻き込まれれたというのなら、そんな結末は予想もしていなかっただろうな。



 屋根の焼け落ちた離れが、伸びた木の枝の向こうに覗く。炎はもうない。けれど網膜に焼き付いた景色が残像として重なっている。黒い梁の後ろではもうすっかり雲が晴れていた。


「え、ねぇ、あれって」


 母さんの声にわずかに焦りが滲む。真っ直ぐに一点を見つめて、僕のコートの裾を引いていた。

 見ると、家からの坂を奥野さんが下りてくる。ひとりではない。左右と後ろ、囲まれるみたいにして刑事が一緒だ。

 その様子は連行をイメージさせた。手錠をかけていないだけで、さりげなく掴まれている肘に拒否権はない。奥野さん自身も神妙な面持ちをしている。彼等が向かっているのは想像と違わず、パトカーだった。


  

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