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思い人

 大型帆船『あまべ』は、天候にも恵まれ、初日の航海を無事に終えて、夕刻前には予定通りとある地方の港に辿り着くことができた。


 この時代、夜間の航行は危険だ。そこでこのように、京までの途中でいくつかの港を経由することになる。


 併走してきた、湯川の操縦する小型艇『つるぎ』も同様に停泊したのだが、その際、櫓も使わず、帆も張らず、それでも高速で航行するその技術に、港で働く水夫達は一様に驚いた様子だった。


 どういう仕組みなのか聞きに来た商人もいたが、彼は面倒なので『海部(あまべ)に伝わる秘伝の技法だ」とごまかしていた。


 ここで『あまべ』の乗員は水や食料の運び込みを行ったのだが、『慶姫』と『誠姫』の二人は、安全のため船内に留まったままだ。


 氷川も、小型艇での寝起きは不便なので、『あまべ』へと移動する。

 食事を取り、しばらく休憩すると、もう辺りは真っ暗になっていた。


 と、そこで『主屋形』と呼ばれる船体上の構造物(その名の通り、船上の屋形)から慶姫、誠姫の二人が出てくるところだった。

 夜の風に当たりたい、と言うことだったので、氷川も誘われて船上を船首の方に向かって歩く。


 あいにくの曇り空、月は出ていないが、彼が持ち込んでいたLEDランタンが足下を照らすため、特に不安はない。


 月や星が出ていないことが残念、とか、夜の海はちょっと怖い、とか、たわいもない話をしていたのだが、ここで彼女たちは、身体を清めることが出来ないのがつらい、ということを口にした。


 この時代、貴族である彼女たちでも毎日入浴するという贅沢は出来なかったのだが、それでも水が豊富な海部地方では、タライのような物に水を溜めて行水ぐらいは出来た。


 しかし、船上では最も貴重な水を、そんな風に使うわけにはいかない。

 かといって、外に出て裸で海水を使って身体を洗うわけにもいかず……京に着くまでは我慢することになる。


「なるほどな……でも、いい物を持ってきているんだ。二人にも使ってもらうよ」


 氷川はそう言うと、一旦船倉に入って、紙袋を持って帰ってきた。

 その中から『身体拭き用ボディータオル』と書かれたパックを取り出す。


「これは、使い捨ての身体を清めるための布なんだ。水が含ませてあって、しかも大きめなので背中まで自分で拭ける。安価なものだから、その後は捨てればいい。使ってみなよ」


 と勧めた。

 とたんに二人の目が輝く。


「これも、仙界の品なのですか?」

「ああ……ちょっと取り出してみよう」


 そう言って、彼は一枚ずつシートを取り出し、彼女たちに渡した。

 姉妹は、そのひんやりとした感触から、確かに彼の言うとおり水が含まれており、身体が清められそうなことを感じた。


 大喜びで礼を言い、主屋形に二人だけで入っていく。

 氷川は誰も入ってこないように、見張りを務めた。

 と、しばらくして……。


『キャアァー!』

『いやあぁー!』

 と、悲鳴が聞こえた。


「ど、どうしたっ!」

 氷川は慌てて主屋形に飛び込み……部屋の隅で抱き合っている、ほとんど裸の二人を見て、思わず目が点になってしまった。


 氷川に気付いた姉妹は、さすがに恥ずかしがってお互いに身体を隠す様にさらにきつく抱き合って、

「そこに、ねずみが……」

 とだけつぶやく。


 ここで氷川は、すでにパニック状態になってしまっていた。

 見てしまった、色白で美しい姉妹の裸体。

 貴族の娘の裸を見てしまうということは、一体どれほどの罪なのか。


 いや、それより、彼女たちに嫌われてしまったのではないか。

 いやいや、そんなことよりネズミを怖がっている、なんとかしなければ。

 いやいやいや、なんとかって、どうすればいいんだ?

 ネズミ、退治、武器……武器なんかないぞ……素手?


 パニクった彼は、とりあえず何かしないといけないと思い、素手でネズミを捕まえようとする。

 しかし、そんなに簡単に捕まるはずがない。


 屋形の中をあっち、こっち動き回り、裸の二人を見ないようにするあまり、奇妙な動きになってしまい、転ぶわ、頭を打つわの騒動の末、ようやく屋形の扉からネズミを追い払うことに成功。


「も、申し訳ないっ!」

 部屋の角で、裸でその様子を見ていた二人に謝ると、慌てて自身も外へ飛び出した。


 ……数秒後、屋形からは明るい笑い声が聞こえてきた。


 しばらくして、身体を清め終えた二人が出てきた。

 氷川は深々と頭を下げ、申し訳ないと謝ったのだが、


「いえ、とんでもないです。氷川様は私達を助けてくださったのですから。二人とも全然気にしていませんよ。それより、ネズミを追い払ってくださって、ありがとうございました」


 と、慶姫が笑顔で話してくれる。

 誠姫も、ちょっと赤くはなっていたが、笑顔だった。


「いやあ、それも……ネズミなんか、初めて見たので……」

「えっ……ねずみを、初めて……」


「いや、遠くを走っていくのをちらっと見たことはあるんだが、そもそも現代……仙界では、普通は家の中にネズミがいたりすることは滅多にないんだ」


 それは都市部に住む彼の場合ではあったが、慶姫も

「そういえば……仙界ではねずみ、見たことありませんね……」

 と同調してくれた。


「とはいっても、無様なところを見せてしまった……」

「いえ、私達も、たぶん他の男の人でも、ねずみを素手で捕まえるなって、無理です。棒きれでもあったなら退治できたのですが……」

 と、彼女はフォローしてくれた。


 そのとき、雲の切れ間から、月光が差し込んだ。


「お月様、出た……」

 誠姫は空を見上げ、涙を流し……そして船首の方に歩いて行って、じっとその満月を眺めていた。


「……あの歌、か……」

「そうですね……あの娘は今、一成(かずなり)殿を思っている……」

 もの悲しそうに涙を浮かべて月を眺め続ける誠姫。


「……慶姫、あの娘……誠姫は、実は来なくても良かったのではないだろうか」

「……ええ、言いたいことは分かりますよ。私さえ京に行けば、そこで『らぷたー』の『ぽいんと登録』を行えば、いつでも誠姫と一緒に移動することができる……でも、やはりそれじゃあ駄目なんです。船に乗って、陸路を歩いて……京までの距離、旅の大変さを理解しておかないと……それに、家族や思い人と離ればなれになっているのは、あの娘だけではありません。乗り込んだ全ての船員がそうなのですから……」


 誠姫の表情は、決意に満ちていた。


「なるほど、その通りだな……俺は独り身だから気楽なものだが……」

「……そうなのですか? 待っていてくれる人とか、いないのですか?」

「ああ、いないな……」

 と彼が即答すると、慶姫はなぜか、ほっとした表情になった。


「そういう君は、思い人とかいないのかい?」

 氷川はすぐ隣の慶姫に、それとなく尋ねた。


「私ですか? ……そうですね、私は、父の言われた方に嫁ぐだけになると思いますから」

「そうなのかい? それは……ちょっと気の毒な気がするな……」


「いえ……父は、私が不幸になるような人には嫁がせないって言ってくれています。既に、気に入った人がいるみたいですが……」

 と、その言葉に氷川は敏感に反応した。


「なっ……じゃあ、もう相手は決まっているのか?」

「いえ、まだ父がいいと思っているだけのようで、先方にはお話していないようですが……でも、その方はずっと尊い身分の方ですし、お受けしていただけるかどうか……」

 慶姫が、慌てて否定する。


「尊い身分……君よりもか……」

「はい、私なんかより、ずっと……」


 日本でも中級貴族に数えられる海部一族より高貴な身分となれば、上級貴族か、あるいは皇族だ。

 氷川は、これは太刀打ちできない、と唇を噛んだ。


「そうか……その方、いい人だといいな……」

「優しくて、いい人ですよ」

 と、慶姫が微笑みながら話す。


「なっ……君は、会ったことがあるのか?」

「ええ、何度も」


「か、顔見知りなのか……どんな人なんだ?」

「どんな、と言われても……歳は、四十前だと聞きましたが……」


「四十! そ、そんなに年上なのか……俺とあまり変わらないじゃないか。そんなおっさん……いや、そんな方で本当にいいのか?」


「……ええ、私はいいですよ。さっきも申しました通り、優しくて、とてもいい方ですし。この海部にとっても、居ていただかなくてはならない方です。そんな方に嫁げるなら、これ以上の幸せはありません……ただ、その方が私をもらってくれるかどうかが問題なのですが……私みたいな、あまり上品でもなく、大人しくもない娘、受け入れてもらえるものでしょうか」

 と、心配そうな顔を見せる。


「いや、何言っているんだ、君はすばらしい女性だ。君が嫁入りするなんて知ったら、断る人なんかいやしないだろう」


 氷川は反射的に彼女を励ます。


「そう……ですか? でしたら……例えば、氷川様がその方の立場だったとしたら、私を嫁にもらっていただけますか?」


「もちろんだ。そんなことになれば、一生大事に、幸せにしてみせるよ」


 彼は興奮気味にそう語った。

 それを聞くと、慶姫は赤くなり……そして一筋の涙を流した。


「……約束、ですよ……氷川様……」

「……えっ? ……へっ?」


 彼は、慶姫のその涙に、大いに戸惑ったのだった――。


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