出帆
夕刻になり、寝殿造りの大きな屋敷に、氷川とお蜜の二人が辿り着いた。
海部一族の者が、三十人ほどの人数で出迎えてくれていた。
その中心に居たのが、『慶姫』と『誠姫』の二人だ。
二人とも貴族の姫君であるため、周りの家臣達より若干豪華な衣装で着飾っている。
まず慶姫が、
「氷川様、お蜜様、今回の海円衆討伐の件、誠に見事なお手際でした。海部家を代表して、お礼申し上げます」
と、深く一礼する。
他の従者達もそれに従う。
「あ、いや、そんな恭しくしなくても、いつも通りでいいですよ」
と、氷川が戸惑ったように応えると、一同から笑いが漏れた。
「いえ、ここは儀礼を重んじなければなりませんので。さあ、宴会の用意が出来ていますよ。皆も今日はお祝いしましょう!」
と彼女が宣言すると、一同から歓声が上がった。
そしてあっという間にちりぢりになっていく。
その場に残ったのは、氷川とお蜜、慶姫、誠姫、そして一人の青年だった。
「本当にここのお屋敷では、みんな仲がいいのですね。まるで大きな家族みたい……」
と、お蜜が笑顔で感想を漏らす。
「はい、私もみんな家族だとずっと思っています。もちろん、氷川様も、お蜜さんも。『神の使い』である氷川様には失礼かもしれませんけど」
少し遠慮がちにそう口にする美少女に、氷川は思わずドキリとする。
「……いや、前から言っているように、俺はそんな大層な者ではない。君ももう何度も『仙界』に行っているんだ、わかるだろう?」
「いえ、やはり仙界においても、氷川様は特別ですよ。貴方の事を知る人は、みんなそうおっしゃいます。『天才』とか……」
そこで少し口ごもる。
「『変人』もだろう? なあに、気にしていないさ。ちょっとぐらい人と変わっているぐらいでないと、物理学者なんてつとまらない」
と彼が言うと、二人は一瞬目を見つめ合って、そして同時に笑った。
「……二人とも、仲がいいのですね」
とお蜜がからかうと、
「いや……慶姫は誰とも仲が良いからな」
と、一人の青年に目をやって言う。
「ええ、慶姫様のことは、皆本当にお慕いしています。ただ……たまに無茶なことをされるのが心配の種ではありますが」
と、彼のちょっと悩む様な演技がかった答えに、
「そんなことないです、最近はおとなしく屋敷の中にいるでしょう?」
と慶姫が反論し、また笑いが起こった。
「……そういえば、今日の宴会の料理、涼姫が用意してくれているんですよ」
これはまだあどけなさの残る誠姫の言葉。
「ほう、それは楽しみだ……慶姫が現代……いや、仙界から運んだ食材かい?」
「はい、調理は私もお手伝いしたんですよ。皆でご馳走を食べながら、氷川様の武勇伝を聞くことにしましょう!」
一同、大きく頷いて、屋敷の方に歩いて行く。
氷川は小さく、お蜜の耳元で
「腰を抜かしたことは秘密にしておいてくれ」
と囁いたのだった。
――室町時代は、あまり注目されることのない年代だ。
しかし、実際は初代将軍、足利尊氏から十五代将軍、足利義昭まで、二百三十五年間も続いた時代である。
都は『京』であり、この海部地方は中央から二百キロ以上離れた『地方』となる。
海部家は天皇家の子孫であり、いわゆる『貴族』だ。
多くの荘園を持ち、『大川』を基とする肥沃な土地にも恵まれていた。
さらにこの地域では五つの地方豪族を従えており、それだけ聞くと盤石のようにおもわれるが、いくつか問題も抱えていた。
まず一つが、後継者問題。
現在、当主の『海部重吉』が病の床にあり、もう長くないと言われている。
そして彼には男子の世継ぎが居ない。
満年齢で十七歳の慶姫、十四歳の誠姫の二人がいるが、彼女たちはまだ結婚していない。
そこで、従属している五つの豪族の中から誰かを婿入りさせ、世継ぎにしようと考えられているのだが、それで豪族達の間で揉めていたのだ。
最近有力されているのが、五つの勢力の中でも最も力の強い、細川家から長男を婿入りさせる、という案。
当然、他の四家は良く思わなかったし、当主としても細川家の力が増すことを警戒していたのだが、成長したその長男と実際に会って話し込んだところ意気投合、まずは海部家の屋敷に、警備員として住んでみないか、と、事実上取り込んでしまったのだ。
それが先程の青年、『細川一成』だ。
満年齢に換算して十八歳。
氷川が慶姫から得た情報では、彼は好青年で、少し気弱な所もあるが、いざというときは頼りになるらしい。
ということは、慶姫も彼の事を好意的に見ている。
それを聞いて氷川は、慶姫に対する淡い思いをあきらめるようにした。
この時代に於いて屈指の美少女、慶姫。
ちょっと「じゃじゃ馬」的なところはあるが、皆に対して平等に優しい、そして妹思いのいい娘だ。
満年齢で十七歳の彼女に対し、氷川は三十六歳。恋心を抱くこと自体、無理があった。
近いうちに、一成と慶姫の婚姻の義を見ることになるのだろうな、と少し憂鬱に思っていた。
もう一つの問題が、盗賊集団『海円衆』の存在だ。
時には村一つを丸ごと襲い、略奪することがあるという神出鬼没の厄介な集団で、その構成員は五百人とも、千人とも言われる。
最近では海賊船を造り、海を帆走する商船まで襲うようになっていたのだが、その内三艘もの小早船を、氷川達は沈めたのだ。
これは大変な快挙、手柄だった。
そしてこのことがきっかけで、この地方の覇権を争う戦いは大きく転換されていくことになる。
それから約十日後、『長口湾』と言われるこの地方の港では、出帆の儀式が執り行われていた。
(大きい……)
氷川は、その船の壮麗さに驚いた。
乗員定数、百五十人。
二本マストを備えた、この時代としては最大級の帆船だ。
貴族の船、ということもあり、あちこちに装飾も施されている。
いわゆる『遣明船』と同タイプの船らしい。つまり、大陸まで移動できる能力があるのだ。
これほど立派な船が作れるのは、この地方が良質の木材の産出地域であることも関連している。
貴族ということで、数年に一度、朝廷に海部家の当主が挨拶にいくしきたりとなっていたが、肝心の当主が病の上、この海域に海賊が出没すると言うことで延期になっていたのだ。
その海賊は、氷川の手によって船外機や兵器を装備された船『つるぎ』によって三艘も沈めていた。それで問題の半分は一気に解決していた。
まだ海賊船が存在するかもしれないが、氷川が『つるぎ』を護衛としてあてれば問題ないだろう、という結論に達した。
この操船は氷川が務めることになる。
また、『つるぎ』の同型艦、『かたな』も配備が終わっていた。
『かたな』は引き続き、この地方の海域を警備する。
なお、今回の朝廷の挨拶には、慶姫と誠姫の二人が乗船することになった。
これは貴族本人が乗っていないと意味がないので、当主が乗れない以上、仕方無いだろう。
また、家督の継承者として認識してもらう、という意味もあるらしい。
朝廷への土産としては、この地方の特産品でもある『海部刀』を百振りほど。
さらに、今回の目玉として、すばらしく映りのいい『鏡』も運ぶ。
実はこれはちょっとズルをしていて、現代の鏡をこちらに運んで、装飾などの加工をしているのだ。
この時代の技術ではあり得ないお宝である『鏡』、氷川も慶姫、誠姫も、
「これを見た都の人たちの顔を見てみたい」
と、密かにほくそ笑んでいた。
ちなみに、氷川は現代と室町時代を、慶姫は逆に室町時代と現代を往復する能力を持っている。氷川が開発した腕時計型時空間移動装置、『ラプター』を使用しているためだ。
特に慶姫は、重量制限である八十キロに対して、体重が四十キロに満たないので、より多くの物品を運ぶ事ができる。
それを利用して大量に運び込んだのが、現代の鏡だった。
――いよいよ、出発の時が迫った。
お蜜、涼姫――江戸時代から時空間移動してきた姫君――は、この地に残る。
青年警備兵の細川一成も同様だ。
旅は往復で一ヶ月程度になるという。
しばしの別れの時、意外にも、次女の誠姫が泣きじゃくっていた。
それに対し、一成は何度も彼女の頭を撫で、その涙を指でぬぐっている。
そして彼は、一言、なにか『歌』を詠んだ。
それを聞いて、誠姫は目を見開いて、そして何度も頷いた。
氷川は、それが聞き取れなかった。いや、聞こえてはいたが、意味がわからなかった。
そこで、隣で涙を浮かべていた、彼女の姉の慶姫に、その意味を尋ねた。
「……しばしの別れにすぎないにもかかわらず、これほど悲しいものなのか。私は月を見る度に、同じ月を見ているであろうあなたの事を思い浮かべよう……誠に対する、恋慕の歌です」
と、彼女はちょっと涙声でそう話した。
それに対し、氷川はしばし考え込み……そして小さく、「えっ」と声を上げた。
「それじゃあ、一成は誠姫の事を……」
「はい……ご存じなかったのですか? あの二人は恋仲です」
「なっ……」
氷川は声を失った。
満年齢で十八歳と十四歳、この時代では結婚できない年齢ではないが……。
「たぶん、あの二人が家督を継ぐことになります。私は、どこかにお嫁に行くことになるでしょう……こんな私をもらってくれる人がいれば、の話ですが……」
微笑の中にも、わずかに憂いを含んだその美しい横顔。
潮風が、彼女の黒髪をわずかに揺らしている。
氷川は、自分の鼓動がやけに高まっているのを感じた。
そして半刻後、様々な思いを乗せて、大型帆船『あまべ』は京を目指して出帆したのだった。