火力チート
白い船跡を残しながら、その小船は疾走していた。
季節は春、天気も良く、暖かい日差しが海上に降りそそぐ。
太陽光がキラキラと海面に反射し、まさにクルージング日和だった。
しかし、全長六メートル、全幅二メートルのその小型艇に乗る男女は、心地よさを感じる余裕など全くなく、相当焦っていた。
「……あれだっ! 間に合った、『海円衆』はまだ商船に追いついていないっ!」
と、天狗の面を被った彼、氷川は、船外機を操縦する般若の面を被った女性、お蜜に大声で知らせた。
「間に合った……でも、この後どうすればいいんですか?」
「このまま直進して、百間(約百八十メートル)ほど間を開けて『海円衆』の船と併走してくれっ」
「わかりましたっ!」
海上には、海賊団『海円衆』から必死に帆走して逃げる、百人は乗れると思われる大型商船が一艘。
それを追いかける海賊団の小早舟が三艘、そしてその斜め後方から氷川達の乗った小型艇が、陸から約一キロ離れた海上を南進している。
小早舟の大きさは全長約十五メートル、速度を増すために左右九対の櫓を使って、かなりの速度で商船を追いかけている。
乗っている海賊達は、一艘につき三十人程度。こんな海賊団に襲われたなら、大した武装もない商船はひとたまりもないだろう。
それに対し、小型艇に乗っているのはたった二人。
しかし独特のエンジン音を轟かせ、考えられぬ速度――時速五十キロ以上で急接近するその小船を、海賊達は驚愕の目で捉えていた。
奇妙な面を被り、そしてウエットスーツの上にウインドブレーカー、さらにライフジャケットを装着するという、誰も見たことのない格好だ。
「……気付かれたようだな……こっちを指差して大声で何か叫んでいるようだ」
「そうですね……でも、こちらに向かって来るつもりは無いみたいですね」
「ああ、舐められているんだ……なあに、すぐ思い知らせてやるさ」
そう会話を続けている内に、海賊団の先頭の小早舟と、約百八十メートルの距離を取って併走する位置にまで追いついた。
「今だ、船首をあの小早船の方向に向けてくれ」
「はい、了解っ!」
まだ二十代前半の若いお蜜が、大きな声で応える。
「……よし、いいぞ……投射っ!」
氷川が、船首付近に積まれた、高さ百五十センチほどもある巨大な縦長の黒い箱――放電型指向性スピーカーを先頭の小早船に向け、そしてスイッチを押した。
とたんに耳を押さえ、苦しみ始める海賊達。
櫓は漕がれなくなり、船の速度が落ちる。
間を置いて、二艘目、三艘目にも投射する。
それらの船の船員達もまた、耳を押さえて苦しみだした。
「……何が起きているのですか? あんなに苦しそうにするなんて……」
「いわゆる『音響兵器』だ。今、奴等には耳元で、まるで女性の金切り声のような不快な音が、大音響で聞こえている……完全指向型だから、我々には一切聞こえないがな……」
お蜜にとっては狐につままれたような話だったが、実際に屈強な海賊達が苦しんでいるのだ、氷川の言っていることは本当なのだろうと推測した。
「……しかし、一度に一艘しか足止めできないな……」
先頭の一艘はダメージから回復し、また商船を追いかけ始めようとしていた。
また、その船に乗る一際大きな体躯の男が後方の船に指示を出している。
最後尾の船が、船首をこちらに向けてきた。
「……どうやら、一艘は俺達を襲うつもりのようだな……先頭が司令船か……仕方無い、まずあれを仕留める」
氷川はそう言うと、大きな袋の中から、両腕で抱えられるぐらいの船の模型と、小さなスティック、ダイヤルが付いた、両手のひらに収まるぐらいの黒い箱を取り出した。
「……この船に乗るときから気になっていたんですが、その玩具、何に使うのですか?」
「……まあ見ていてくれ。本当はこんな物、使いたくなかったのだが……」
と、彼が身を乗り出してその船の模型を海面に浮かべ、そして立ち上がって黒い箱のスティックを倒すと、玩具と思われていたその模型は、勢いよく走り出した。
「なっ……あんなに小さいのに、あの船は自分で走るのですかっ?」
「ああ、『ラジコン』という物だ……我々の世界では、たいして珍しいものでもないがな」
「『らじこん』……」
氷川に操られた船の模型は、一直線に、しかも高速で先頭の小早船目指して突き進んでいく。
海賊達はただ、あっけにとられて見ているだけだ。
そしてそれは、無防備な小早船の船腹に、正確にぶち当たった。
――約五秒後。
雷が落ちたかのような強烈な破裂音が響き渡り、白煙が舞い上がる。
小早船は大きく揺れ、そしてさらに数秒後、炎が上がった。
船員達はパニック状態だ。
「あれは……火薬を使ったのですか?」
お蜜も、驚愕の表情で氷川を見つめた。
「いや、アルカリ金属と水との激烈な化学反応を応用した……まあ、火薬と似たようなものか。本気でやればあの程度の船、木っ端みじんに吹き飛ばせるのだが、それだと死人が出てしまうからな。船腹に穴が開く程度に抑えた。あと、高熱の反応でもあるから……まあ、あの通り火が着いた、それでも海に飛び込んで、逃げるぐらいの時間的余裕はあるだろう」
氷川の予想通り、船腹から水が浸入した船は徐々に傾き始め、さらに消火が間に合わず、海賊達は次々と船を捨てて海に飛び込み始める。
その頃には、氷川は二艘目、三艘目にも同様に『ラジコン爆弾』を被弾させていた。
燃え上がる、三艘の小型海賊船。
「貴方は、本当に『神の使い』なのですね……あの拓也さんとも、比べものにならないぐらい……」
お蜜は、鳥肌が立つほどの寒気を感じながら、そう呟いた。
その小さな声は、悲しそうに戦況を見つめる氷川の耳には届いていない。
海賊達の何人かは、反撃とばかり矢を小型艇に向けて放つが、百八十メートルはとても届かない。
「この船の速力と、正確に敵を足止めし、そして一方的に沈めることの出来る火力……チートだ」
「……ちーと?」
「……いや、何でもない……」
彼は、美しい顔で問いかけてくるお蜜には、その意味の説明が困難であると判断して言葉を濁した。
「……それにしても、お優しいのですね、海賊達にさえも生き延びる余裕を与えるなんて……」
「いや、単に臆病なだけだ。如何に野蛮な海賊達とはいえ、この手で人を殺したくないんだ……」
彼はそう言って、燃えながら沈みゆく三艘の船を見つめ続けていた。
「……なんだ? 一艘目に、まだ逃げない奴がいる……」
「……本当。あんなに燃えて、しかも傾いているのに、弓なんか構えて……危ないっ!」
瞬間、『忍』であるお蜜が動いた。
念のため直ぐ脇に置いていた防弾シールドを持ち上げ、氷川の前にかざしたのだ。
キィン、という澄んだ音と共に、その矢は弾かれて飛んだ。
氷川は、船底に腰を落としていた。
「……ばかな……この距離で矢を届かせるなんて……この距離で正確に当ててくるなんて……」
「本当……今のは危なかったです……凄い豪腕、凄い技……」
お蜜が、シールドの透明部分から、その巨躯の男を驚愕の目で確認しながら呟いた。
「……もう安心です、あの男も弓を捨てて、海に飛び込みました……氷川様、もう立ち上がっても大丈夫ですよ」
「……ああ、いや……すまない、それはできない」
「できない? どうしてですか?」
「情けない話だが……腰が抜けて、立てないんだ……」
と、震える声でそう話す氷川の姿を、お蜜はきょとんと見つめ……そしてうふふっと小さく笑った。
「貴方はやっぱり、拓也さんの叔父様なのですね……そういう所、あの方にそっくり……でも、情けなくなんかないですよ。初めての戦で、しかも命を落としかけたのですから……もう、引き上げましょうか。商船も無事逃げたみたいですし、十分戦果も上げました。何より、貴方の力を、海円衆と、海部一族、他の豪族達にも見せつけました。まだまだ海円衆の数はこんなものではありませんが……とりあえずは上出来です」
「……ああ、そうだな……操船、頼む……」
「はい、了解しました」
こんな派手な戦になったにも関わらず平気な顔で微笑むお蜜に対し、氷川は、頼もしさと、若干の恐ろしさを感じたのだった――。