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一通り済んだところでティルの首根っこを掴み、ぶら下げながらレイネに目を向けた。
「事情はわかったが、すまない。これからのことを話す前に私はこいつに話があるんだ」
「はぁ。受け身も取らずワタシの邪魔をした件についてはキッチリお話してくれればいいですけどね。なぜワタシに言うんですか」
言われて少し苦笑しつつ視線で周囲を示す。
「お前もあいつらの処理があるだろうからそう暇はさせないが、シルラは殿下の相手で忙しそうだ。それに、あいつはさり気なく呆けてるからな。このメンバーなら、必然的に今後の話をする相手はお前になる」
「辛い立ち位置」
レイネの嫌そうな顔を見なかったことにしてティルを引きずって少し開けた場所に行く。
ティルは酷く不満そうな顔で離せーともがいていた。
「おっさん何に怒ってんのさ?!離して首死ぬ!」
「窒息と言う言葉も習わなかったか?」
首死ぬ!ってなんだ。
ティルから手を離しぼとんと落としながら腕を組んで見下ろしてやる。ティルはなおも不満そうにむー、と唸って恨みがましい目で見上げて来た。
「痛いし!」
「この程度でも、落ちれば痛い。当たり前のことだ。お前にもそれはわかるな?」
「わかるけど?」
私の話の流れがわからないのかキョトンとした顔をして立ち上がる。こいつはバカだから風邪を引かないのはもちろん、人一倍頑丈らしく怪我一つしない。どうなっているんだか。
「お前がいくら頑丈でも、ポットに落とされ慣れていても、ワイバーンの飛ぶ高さから落ちれば最悪死ぬ可能性がある。わかるか?」
「ポットはそんな高さ飛ばないけど…まあ、わかる…かな?」
「曖昧な…まあいい。私はお前に戦い方を教えて来た。武器を貸してやらないのはお前がまだまだ未熟で渡した方が危険だからだ。そんな状況でも、私はお前に及第点をやったものがある。何かわかるか?」
「うーん?素手での戦闘?」
「…まあ、それは一級品だとは思っているが…初めに教えてやっただろう。お前は完璧に覚えるのに一年もかかったが」
「えー?なにー?」
「…はぁ、ポットを呼べ」
全然理解しないティルに痺れを切らし、頭を抱えてしまいながら言う。ティルは素直にはーいと返事を返してパタパタと手を振り叫んだ。
「ポットー!!ちょっと来てー!!」
叫び声が森にこだまする。それが掻き消えて、数分後。
バサバサバサ…
羽ばたく音が大きくなると同時に私はしゃがみ、私の目の前に立っていたティルの姿が掻き消えた。
「わー…」
また咥えられたらしいティルの悲鳴とも歓声ともつかない声が空に響く。今回は何処かへ移動する気は無いらしくそのまま上空でホバリングした。
それを見上げて空に声をかける。
「受け身だ馬鹿者。一年もかけて覚えたのをもう忘れたか。お前の頭なんて最初から信頼していないから、その身体に覚えさせたわ。ちょっとそこから落ちて来い!」
「えー…りょーかーい!」
無事聞こえたのかティルは特に迷うそぶりも見せずにやー!とワイバーンの口から落ちてくる。高度数メートルの高さだ。殿下もいる今、最悪の事態にはならないだろう。
「わー、落ちる受け身わかんなっ!」
内容に寄らず、叫ぶ声はまだまだ余裕がありそうだ。言い切るかどうかくらいで自然と身体を動かし、地面に落ちる。
ドスンッ!
結構な音を響かせながら落ちたティルはコロコロと転がって地面に横たわる。様子を見てたらしいレイネと殿下、シルラが私の側に寄って来た。
「え、バロン!なにやってるの?!あの子大丈夫!?」
「バロン先輩相変わらず鬼ですね…」
「バカは怪我しないでしょう」
心配する2人をよそに涼しい顔でティルに目を向けるレイネを横目で見つつ先の騎士達の狙いを悟る。なるほど、殿下たちの正体が知れてなくても襲われるわけだ。
「おい、起きろ。もう一度だ」
声を掛けるともぞもぞと横になったまま動いてちょいちょいと顔をこちらに向けて手招きする。面倒に思いつつも慌てて駆け寄ろうとする殿下をシルラに止めさせてティルの方に近づいた。レイネもさりげなくついてくる。
「なんだ」
「なんかさ、身体がさ、勝手に動くんだけど」
まあ、身体に覚えさせたからな。刷り込まれた本能的行動レベルになるまで一年間ワイバーンのポットに協力してもらって。
「きもい」
真剣な目でそう呟くティルの傍にしゃがみ込みその額に拳骨を落とした。
「お前、立ち上がったらまたポットに咥えられるから立たないんだな?」
「だって、痛くなかったけどキモかった!」
「キモくない!それをやろうと思ってするより早くできるお前の方がきもい!」
「…どっちもどっちですねぇ」
低レベルな言い合いの後ろでレイネが呟く。お前、噂通り辛辣な物言いだな。
「とにかく、受け身は普通に取れるようですし、いいんじゃないんですか?」
もうわかってるから助けませんし、と続けてレイネは興味を失ったように殿下たちの方へと戻って行った。その先で殿下に泣きつかれて嫌そうに引き剥がしたりシルラに押し付けたりと忙しそうだ。
子育てをしてくれたのはシルラでなくあいつなんじゃないのか。
ふとそんなことを考えてしまう、平和な昼下がりだった。
もっふもっふもっふ
私の目の前に広がる、毛、毛、毛。
先ほどまで広がっていた平和な昼下がりはどこへやら、国境沿いのこの場所を埋め尽くさんばかりの魔物に私は重いため息をついた。少し離れたところに居るレイネも大概嫌そうな顔をして居る。シルラは純粋に驚くことに忙しいようだ。相変わらず、純真なようで何より。ただ、彼よりももっと純粋な少年と元凶だけはこの場において元気に走り回っていた。
「わー!ティルすごいね!こんなにジンドールを集めれるなんて!」
「すごいでしょ!やり方はわっかんないけどさ!」
わー、もふもふもふもふ!と言った具合に毛の海に飛び込む殿下。それに続けとばかりに飛び込む元凶。考えようによっては平和だが、仮にも魔物に囲まれた今を平和という人はいないだろう。
私たちの周りを埋め尽くすこの魔物の名前は殿下の言う通り、ジンドールという羊型の魔物だ。もふもふで真っ白な毛を刈るとひょろんとした骨だけの体が露出する、比較的倒しやすい魔物。アクティブモンスターではないので普段は放置でも問題ない。食用羊の骨が魔物になったものなので、これを狩っても毛以外の価値はない。たまにゾンビのように肉付きのものもいるがあれは別の魔物として認識されて居る。
さて、そんなジンドール、本来この付近にはいない魔物である。
そもそも、国境であるこの森の魔物はワイバーン含め強敵とされる魔物が多い。そこに羊、それも骨がいたら、さっさと殺されて終わりだ。生息できるわけもない。
ならなぜ、ここにいるのか。
それがティルの、引いてはソルナの実家の恐ろしいところであった。
「獣使いの一家ですか」
「…さすが、名が通るだけのことはあるな、情報屋」
いつの間にかそばに来ていたレイネに声を掛けるとやはり知っていましたか、と特に驚いた様子のない返事が帰ってきた。騎士達が来たことで私が気づいている可能性くらい気づいていたのだろう。
「獣使いは確か、先日最後の一人が亡くなったはずですが?あのバカはその血を引いているんですか?」
「…亡くなったのか。それは、いいことを聞いた。ソルナに教えてやらないとな」
「…ソルナ?まさか、一人娘の?」
さすがにソルナの行方までは追えていなかったようだが、獣使いの家の家出した才女のことは知っていたらしい。私は頷いてティルがソルナの娘であることを教える。レイネは目を見開いて驚いていた。
「何がどうしてそうなったんですか」
「なんでだろうな」
人の運命とは、わからないものである。