41
「だってさ、ティルのお父さん…僕を逃がしてくれた人は、人を殺せなかったから負けたでしょ?」
当たり前のように言葉を紡ぐ殿下を見る私は、きっと情けない顔をしている。だって、そうだろう。今まではただの子供、王に仕立て上げると豪語したとはいえ政治はやはり出来ないだろうからとなるべく生かす方向にしたし、暫くは私が手伝うつもりだった。少しずつ、少しずつ王の自覚を持ってくれればいいのだと、そう思っていたはずの少年のその口からそんな言葉が出るなんて誰が予想できたというのか。
「王を守るものとして、その弱点は、とても怖い」
否、もしかしたら、私以外の誰もが彼がこう語ることはなんらおかしくないことだと認めるのかもしれない。
「だって、死ぬ物狂いの人間は何をするかわからないんだよ。中途半端に生かされて、働けもしない食い口を残されるなんて」
語る、殿下の口は確かに弧を描き、穏やかな顔からはまさかそんなことを話しているとは夢にも思えない。しかし、その冷淡な目は一朝一夕で出来るものではまるでなくて。
「そんなの、国にとって損しかないでしょ」
だからね、と殿下がティルを見る目はもう友人を見るそれではなく自分に仕えるものを見る目だった。
「ティルがああして人を殺してくれるのは、すごく喜ばしいよ」
「…っ、殿下」
思わずと言葉がでかかった時、下で一層の大きな音がしてティルの元気な声が聞こえた。
「おっさーん!終わったから、下いこー!」
早く早く。急かすティルの顔は昔と変わらず無邪気なもので、けれど、その全身には酷い返り血の跡があった。
「バロン、早く行こう」
殿下が急かしてくる。何気に、名を呼ばれたのは初めてだ、なんておかしなことを考えるくらいには思考が停止してしまっているようだ。
「…急いで降りるぞ、王達はもう退路に着くかもしれない」
「王じゃなくて、反逆者じゃないの?」
くすくすと何処かおかしげに笑う殿下を横目に見ながら階段を駆け下りる。踊り場の惨状は、酷いものだった。生きているものが不思議なくらいで、けれどそれは殆ど全員であるという事実が恐ろしい。たった一人、明らかに死んでいるとわかるものはもはや見る影もない肉塊と化していたが、周囲の顔触れを見るに副隊長だったのだろう。
「…これで、いいのか?」
ティルが仇を取れて、王が殺人を場合によるが認めて、優秀な部下を力で支配して、国を豊かにする。
どこに問題があるという。あるとすれば、殺人の容認だが、場合によると言ってしまえば今後の殺人罪については何も言えなくなる。だから、この胸の引っ掛かりは、私の個人的なものだ。
無邪気で、バカで、頭が悪く、バカで、能天気で、バカで、お気楽で、バカなティルのままでいてほしいだなんて、そんな親の理想でしかないものの押し付け。そんなものに縋って、あいつの成長を妨げていいはずがない。
悶々として考え込むうちに階段は一番下までたどり着き、そこを守っていた兵を蹴散らしている、その時だった。
ごごごごご。
という地響きとともに何か重いものが引きずられるような音がして城全体が揺れる。どういう事かはすぐにわかった。退路のドアが閉まっているのだ。きっと始めは開けていたはずなので、閉めたのはレイネあたりだろうか。思いつつ、先を急ぐべく指示を出した。
「ルカ、最高範囲の攻撃魔法をぶっ放せるか」
「出来るが、急いでいるのか」
「かなり」
即答で頷けば、はぁとため息をついた後何やら呪文を唱え始めた。有り難いと思いつつ、ティルを退避させて纏めて兵を退ける。
「走れ!王達はこの先だ!」
もはやティルだけでいいだろ、とかはさすがに思っていないがこういえば当たり前のようにティルが一番前に出て走り始めた。ここから先は一本道で、薄暗くカビ臭い道がただただ続く。城下町から直接外に出られる道なれど、出来る事ならあまり来たい道ではない。
「! いた!」
ティルが叫んだ、その先には扉に向かって必死に魔法を放つ集団の後ろ姿が小さく見えていた。
間に合った、思うと共に足が重くなる。当然だ。タワーシールドも剣も決して軽くはないのだから。
「バロンさん、大丈夫?」
「あなたも衰えたわねー」
ふっと背中を押す二つの手に心臓が止まるかと思うほど驚いた。慌てて振り返り確認すればそれは声で予想していた通り、ソルナとコトハであるらしい。コトハは敵の姿を認めるや否や弦を引き弓矢を放った。的確に相手の頭部を貫き仕留める腕を見ていると戦慄ものだが、できれば殺したくない旨を伝えた方がいいのだろうか。今更だが。
「なに?うちのバカ一人に行かせてるの?」
なぜこの女は息切れもせずに私の隣を走っているのでしょうか。答え、この女が魔物の背に乗っているからである。ゴースト系の魔物で、淡い桃色の球体をしている、人に危害を加えない、存在意義のものすごくよくわからないものである。それの背に乗って走っているから早いのだが、そいつ、実体あったかな…
「ああ、あいつが一番早いからな」
「ふぅん…殺すの?」
「王たちは」
ティルの飛び蹴りが炸裂し、王たちの護衛に突き刺さり何人もを巻き込んでいく。立ち止まった一向に追いつくまで、そうかからないだろうがそれまでにはきっと収集つくだろう。
終わってみれば、ティル一人でしたようなものじゃないか?
「呆気ないな」
「8年前も、そうだったでしょ。国なんて、どうせ人がやってるものだもの」
あの子は、あの人とは違うものね。
呟くソルナは何処か寂しげだった。
結局、王は虫の息ながら生き残らせることにした。殿下に王位を戻すにしても、引き継ぎが必要になるのは必至で、それには殺すと都合が悪かったのだ。王妃は訳もわかっていない様子だったので取り敢えず部屋に隔離することにした。引き継ぎが終われば、2人揃って田舎に隠居させるつもりだ。そう話した時、ティルは嫌がるかと思ったが存外素直に頷いた。
「オレはいつだって、おっさんが決めたのに従うよ。だって、俺のお父さんでしょ?」
にっこりと屈託なく笑った顔が悔しくも頼もしくて少し泣けてしまったのはここだけの話にしたい。
何処かへ行ったいたレイネは、まるで当たり前のように初見の連中を連れて合流をしてきた。
「お疲れ様です」
こいつも相変わらずだが、なんだかすっきりしたようにも、虚しそうにも見えるので恐らくこいつはこいつで何かの決別をしたのだと思う。
ナガルには国を落ち着けてから約束を果たすと誓わされた。わざわざ正式な騎士の誓いをさせられたのは、これから騎士に戻る私へのあいつなりの応援なのかもしれない。
「バロン!今夜はこっちに泊まらせてもらうから、一緒に寝るかい!」
いや、ただの変態的本能か。
「バロン、この後この死屍累々をどうするつもりなんですか」
「おっさーん!がおーたちが暴れ足りないっていうんだけど!」
「先輩、あの当時の騎士たちが皆、平伏してますけど」
「ねー、俺ってこれから式典とかいろいろあるのかなぁ!?」
念願だった国の脱却、元あるべき姿に国を戻すことは恐らく今回の一件が大きな一歩になることだろう。国を戻すためならば、どんな苦労も犠牲も厭わない、けれどな。
「お前ら、少しは自分で考えろ!」
たまには、私が怒鳴るのも許してほしい。
最後に、後処理やらなんやらから逃げ出した私は、今度もまた国民を人知れず守っていたラルを訪れた。
けれどその店は、もう俺の目にも見えなくなっていた。
あいつは、隊長の無念が晴らされたことでもうここにいなくてよくなったのかもしれない。
もうずっと前に死んだ、隊長の兄だしな。
そっと花を手向けて、私はその場を後にした。




