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昔はいい時代だった。
賢王と呼ばれた彼の王に統治されたシーリアと今も安定した政治を執り行うアルミラの国境にほど近いこの村はよく他国の人が来る、半ば無国籍に近い村だったけれど、皆仲良く、いい時代だった。
何より、弓が重宝されていた。
かつて弓の名手として名を馳せた私にはそれが何より大切なことだった。
当時誰も無理だと言われた同時に二本を射る技術。必死に完成させたのに、そのたった数年後には銃が庶民にも売り出され、一般化して弓の価値が大下落するなんて。
予想できたなら、私も銃を買っていた。
「…とまあ、そんな感じの手紙を昔もらったことがあった。ここから先は銃への文句と弓への賛辞が長々と続くから割愛するが、とにかく、この爺さんはかなり弓の腕が立ったんだ」
ソラト国はオスト村への道すがらそこにいる友人からもらった手紙の話をする。あの友人は変だが、自分で言うだけあって弓は天才的だった。変だが。騎士として一応修めてはいる私だが、初めて見た時は弓とはこう使うものなのかと学ぶことが多かった。
そして、そんな爺さんだからこそ、手紙の最後に添えられた言葉の意味に深い興味を以った。
「ティルが一人前になるまでは離れない。決めていたから会いに行くのが遅くなってしまったが…爺さんが弓の申し子だと絶賛するほどに上手い少年がいるらしい。彼に会いに行き、もし、行けそうだと思ったら引き込む」
「引き込む?」
辻馬車を拾い、乗る前にいつの間に私から取ったのかわからない金で買ってきた串焼きを食べながらティルが問いかける。何故かシルラと殿下も串焼きを食べているのをみて私とレイネはほぼ同時にため息を吐いた。先行させていたカロのための人参を幾つか買って置いてやらなければと頭の片隅に置いておく。
「バロンさん、あなた、その少年を利用したいんですか?」
ティルのことはさらっと無視することにしたらしいレイネの問いに半分正解だと答え、馬車の端にティルをおき、その隣に腰掛ける。
「…保護者か」
その際のレイネの呟きを今度は私がスルーして、三人が座るのを確認してから続きを話す。幸い、私たちの他には老婆が一人しか乗っていなかった。
「変人の友の話だと言っただろう。彼奴は、村でも変人として扱われ、大人は兎も角子供とは接点がないはずだ。そんなやつの話だぞ?これは、その少年に何かあると思うのが自然だろう」
「何かある、ですか…例えば、虐待ですか?」
流石に察しがいい。恐らくな、と頷きかけて友人の手紙を思い起こす。
来るなら早く来た方がいい。その記述で終わった大半が弓への執着で埋められた手紙から察するに、それは少年が長くはないということではないだろうか。病弱なのか、働き手として幼いながらに危険な仕事をさせられているのか、どちらにせよ、命の危険があることは変わりない。
他国になるので先も言ったとおり長くティルから離れる気が無かった今までは会いに行くことができなかった。けれど、今ならば行ける。うまく行けば弓の名手が手に入るかもしれない。
「この先のことを考えるなら、戦力は多い方がいいだろう」
「……」
言い訳のようにぽつりと呟いた私にレイネは訝しげな目を向けていた。
日も暮れ始めた頃漸く国境を越えたと御者が声をかけて来る。老婆は途中で降りると声を上げることもなく、ただ目を伏せて私たちから少し距離をおいて座っていた。
「もうすぐ着くー?もうお尻痛いんだけど」
「あ、僕も痛いー。休憩出来ないの?」
「もうしばらくの我慢だ」
殿下とティルの言うのにため息を堪えて答える。ティルは遠出をさせたことがないから馬車に乗るのは初めてだ。殿下はどうだか知らないが、シルラが言うにはギルドでクエストを受けていたようだし、乗ったことくらいはあるだろうに。
殿下だとバレると面倒なのでティルにするより気持ち丁寧くらいの対応をしてしまいつつ、進行方向を流しみる。日が傾くと早い時期、もう直ぐそこまで迫った闇が木々の助けも借りて私らの視界を黒く染める。偏屈な友人は、何故こんな奥地に住んでいるのやら。
「三国が近しくなる場所の村、なんて、物騒ですねぇ」
レイネが話しかけてくる。探る様な話し方に流石はと苦笑をこぼした。
「そうだな。今は平和に同盟国、そう危険もないだろうが…」
レイネの言う通り、行く村は少し変わったところにある。シーリアとアルミラの国境の森、その国境線上に位置するくせ、どちらの国でもなく、その先にある国に属するのだ。もし、戦争なんてことになれば前線に立たされるのは必至。好き好んで住んでいるのは、訳あってギルドから干されたやつらか、人間関係に疲れた自殺志願者か、よっぽどの変人。友人は三つ目に当たる。
「お前は、人を殺したことはあるか」
「は?」
レイネは一瞬目を見張り、直ぐに余裕の笑みに変わる。
「さて、ワタシはあなたと違ってただの一般人なので」
「…よく言う」
はぐらかされたのだと、わかってはいても追及するわけにもいかない。彼の存在は確かに必要だ。またやる気を失われてはかなわない。
「あなたは、何人くらい?」
「さぁ、何人だろうな」
私は仕事だと割り切れば存外容易く人殺しへの忌避感を捨てられた。それが良かったことか、悪かったことかはわからないが、なんだかんだと言って、副団長は団長の純粋で傷つきやすい、言わば人間を続けれていたことが羨ましく、妬ましかったのかもしれない。
それから暫くはただ無駄にティルと殿下がはしゃぐ声だけが馬車を制し、レイネは呆れた顔をして何か見たこともない道具をいじり始め、シルラは爆睡をし始めた。私は二人の子守りをしつつ、先を見る。
ガラガラガラガラ…
馬車の蹄の音を飲み込む森はすでに深い。道とも言えぬ道を走るこの馬車は目的の村で一夜を明かす予定のはずで、ならば、老婆もまた、あの村に滞在するのだろう。
暇を感じて老婆を観察する。場所柄、どうしても治安の悪いあの村でこの老婆は一夜を過ごせるのだろうか。
「……」
私の視線を感じたか、老婆は生気のない目をちらりと向け、わずかに首を傾げて見せた。ボロい布を頭から被り、顔を見辛くしつつも、布の橋からさらりと白い髪が流れ落ちる。
その髪が、何故か、艶やかで若く見えた。
「…おい、レイネ」
「はい?何ですか」
「あの老婆、」
私の位置からあの老婆はよく見えない。レイネはティルたちがうるさいのか私たちと距離を置いて座っているため、幾分か老婆に近い。その、ボロボロの服を着た、私が老婆だと判断した、それは、本当に…
ヒヒィンッ!
と馬の嗎が響く。急停止した馬車の中、ティルと殿下が大きく傾き転びかけた。頭を打って目が覚めたシルラが殿下を、私がティルを何とか抱きかかえて止める。
レイネは自分で耐え、老婆は慣れた様にふわりと馬車から飛び降りた。
レイネと私が呆然と見守る中、老婆は流れる様にボロ布を落とし、背からやはりボロボロの弓を出して来て一本、火のついた矢を打ち上げた。
「弓?…まさか、あの少年ですか?!」
レイネの驚いた声に私は口を噛む。人を食ったような性格の、あの友人の最も好んでよくしかけて来ていたことを今更ながらに思い出す。
ボロ布を落とし矢を打ったのはもはや老婆でもなんでもなく、白く長い髪を持った、まだ成人もしていないだろう少年だった。