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一、冒険者と冒険者にされた魔物と

 深緑の繁りから落ちるまばらな光のなか、いくつかの影が走り抜ける。密林がつくる罠のごとき障害を、ときに飛び越え、ときにくぐり抜け、ひとときの停滞もない。追って走るものも追われて走るものも、それは奇妙な影であった。


 追う側の先頭、赤毛の男が最後尾を走る男に呼びかける。

「いるかい」

 それは追う四人がつくる一塊の影のなかでしか聞き取れない不思議な響きの声であった。わずかに外れると、意味をとれるほどには聞こえないだろう。

「いないね。やはりあれ、一人だよ」と弓を掛けた軽装の若者は答える。

 細面で優しい表情をするこの若者の言葉は、森のなかにある限り確実である。最後尾にありながら、四人のなかでもっとも敏捷で優雅、森を知り尽した走りをしている。その目その耳は周囲にある、木の実木の葉の落ち舞う様まで把握しきっている。どれほど手練の暗殺者であろうと、彼が背負った弓矢に撃ち抜かれることなく近付くことはない。


 二番目を走る巨漢の青年が、身体に似合った大きな顎でうなずく。

「つまり、奴は本当のことを言っていたわけだ」

 繊細さなどないおおざっぱなつくりだが、みれば美男子と言える顔付きだ。もはや鎧に等しい強靭な筋肉を、装飾のように光り輝く鎖鎧でしばっている。この肉体にふさわしいまでの大剣を背負い、その鞘は縦に裂け、それは剣を引き抜くのではなく振り抜くためなのだろう。巨体にこの重量物、されど足をとられることなく密林を走る彼の技量はどれほどだろうか。


「たまにはそういうこともあるのだろう」赤毛の男は微笑して答える。「なんにしろ、一人きりというのはありがたいことさ」

 大男とは真逆といえる繊細な剣を背負い、鋼で防御をほどこされる右腕。しかし左腕はというと布のそで一枚で覆うのみ。そでの隙間からわずかに入れ墨がのぞく。そして左肩の布地には五つにもり上がった小さなふくらみ。その特徴は、見る人をたちまち理解まで運ぶであろう。

 人類以前の古代文字をもって組み立てられた方陣の入れ墨に、そこに魔力を供給する肩に半ばまで埋め込まれた紅玉のふくらみ。そして人目を引かずにおかない、紅玉の影響であざやかに赤くそまった頭髪。右手で剣を使い、左手で魔道をふるう、この大陸において希少ながら最も危険な戦士の類である。

 それは神の褒賞を授かりし者と呼ばれ、世界にある無窮の謎をいくばくかなりと解き明かした偉大なる冒険者と呼ばれ、ときに勇者と呼ばれ王と呼ばれた者さえいる。

 魔王と呼ばれた者さえも。

 しかしながら、五つも紅玉を身に宿すのは、そのなかにあってさらに稀であろう。


「殺さず、生け捕りにしたいな」赤毛の男がつぶやくように仲間に語る。「話が最後まで本当なら、大した技量の盗賊だね」

「ああ、たしかにオレたちには盗賊が欠けている。奴の蔵から盗み出したってんだから、技量も申し分なかろうよ。」

 そこで大男は嫌悪感に顔をゆがめ、吐き捨てるように言った。

「だがゴブリンだ」

「しかしながらキジャナンムよ、あれは君の仇ではない。なによりいまだ見付からぬ君の仇は集団であって、一人っきりの相手に復讐もないだろう」

 赤毛の男はわずかに眉を寄せ、「復讐を忘れることはないのかい」と静かに問う。

 キジャナンムと呼ばれた大男は感情を抑えながら、答える。

「忘れることができたなら、そもそもこんな風に旅などしていない。必要があっても、だからといって納得はきかん」


「それが最良の道なのだ」

 背後からの突然の声に、キジャナンムは驚いて身をひるがえした。その動作に怯えが見える。

「エウン・・・喋るのか今」

「再び言うが、それが最善だ。星辰よりの預りはすでに与えられている。彼の者を得れば吉、我等一人一人が求めていたものを見出すと」

 答え終えるなり、再び聞き取れないつぶやきを繰り返すだけになった。キジャナンムの眼にするどい光がやどる。

「エウンギダ=ドゥよ、それは確かなことだろうか」

 赤毛の男は尋ねるが、エウンギダ=ドゥは答えない。ただつぶやき続けるだけ。フードにより顔を隠し、意味のとれぬ言葉ともつかぬことをつぶやくのを止めない。狂人のごとくだが、魔導師としては正常なありかただ。

 そのつぶやきは人類以前から伝わる古代語、魔道の言葉であり、それによって魔導師はその身に魔力を召喚する。起きている間はもちろん、修練をつんだ高位の魔導師なれば、眠りのなかにあっても途切れることはない。途切れるのは、話すときか食事のとき、口が本来の用途に使われるときであろう。

 あるいは死ぬときか。


「エウンギダ=ドゥ、確かなことなのか」

 全身をローブで覆い皮膚のわずかな露出もない魔導師は、迷惑と言いたげに答える。

「確かだ。汝シドウサスラ、キジャナンム、アウィリアス、そして我、エウンギダ=ドゥにおいてすら、その望みを得る」

 つぶやきに戻る。

「求めるものが得られるか・・・なら話は別だぜ」

 それにしても、足先まで覆うようなローブをまとい仲間たちとかわらぬ速さで密林を走るのは、不思議なことだ。これも魔道の一端なのか。

 シドウサスラの左腕と同じく、魔導師は古代語で構成された方陣を入れ墨する。全身に。常に召喚され続ける魔力は、方陣によって翻訳されぬ限り、現世の力、「術」として現すことはない。多くの術を修めた魔導師は、熟達に応じて皮膚を入れ墨が埋めてゆく。

 それを隠すためにローブとフードがある。入れ墨姿をさらすのを恥るわけではない。方陣を魔道の知識ある者が見れば、たちまちに術の系統を読み盗られる。この皮膚こそ彼等が究明した魔道の体系であり、常に隠し続けなくてはならない叡智の集積なのだ。

 それ故に高位の魔導師は傷の少ない死体に高い値がつく。皮を剥ぎ、なめし、羊皮紙のごとくにして無二の魔導書を作り上げるために。

 むろんフードで隠された顔も入れ墨で満ちている。ありふれたことだが、たとえ魔導師の顔を見慣れた者であっても、エウンギダ=ドゥの顔を見たものは驚愕することだろう。

 眼球にさえ方陣が書き込まれたその顔を見たものは。


 アウィリアスが最後尾より注意をうながす。

「そろそろ捕えるべきだよ。じきに森の最深部にある遺跡に近付いてしまう。そうなったら捕まえるのは大変だよ」

 シドウサスラは、しかし何か楽しげに薄く笑っているのみ。望みがかなうときを想像しているのだろうか。キジャナンムの興味深げな視線に答える。

「ゴブリンの冒険者さ。我らの仲間に加わるということはそういうことだ。ゴブリンの冒険者。なんとも愉快じゃないか」


 それら冒険者に増して奇妙なのは、追われるゴブリンである。

 矮小短躯のその姿は、しかし綺麗に洗われ、不潔さや汚れたところがない。着ているのも奢侈な服で、いくらか鋭利に裂かれた斬り合いのあとがあるものの、金糸銀糸に彩られたそれは亜人の蛮族が対価を支払えるものではない。

 どこかの金持ち、あるいは王侯貴族に飼われていたものか。しかし醜いゴブリンを鑑賞動物として飼うものだろうか。あるいは召使として。しかし猿よりマシな知能があるものの、ゴブリンが人間に懐くものだろうか。王侯貴族、あるいは豪商の子供服を盗み着ているというのが、無理のない想像だろう。

 走り良い服とは言えないが、しかし蹴躓くことさえなく、獣道さえ見分けられない密林を軽快に進む。服は豪奢なものだが、足に履くのは柔らかなサンダルであり、足の指と鋭い爪は露出している。その爪は落葉で覆われた地面を駆いて滑らず、樹木を平地を走るかのごとく駈け登ることができるのだ。

 追われていることには気付いている。周囲にせわしなく視線をおくるのは、追われるものの習性か。表情には怯えがわずかにあり、同時に、遺跡という迷宮で逃げおおせる期待もある。右手には血のあとが残る短剣。左手には宝石をあしらった華美な首飾りをつかむ。これが追跡者たちが言う「奴」の蔵から盗み出したものだろうか。

 突然足元に矢がささる。それにとられて転倒するかと思いきや、倒れるまぎわ曲芸師のごとく空中で身をひるがえし、両足で着地するやすぐさま走り出るところだった。

 周囲を取り囲まれていなければ。


「殺すつもりはないよ。傷付けるつもりさえ」

 真正面に立つ赤毛の男は、おだやかに言った。この声はごく普通の、平凡な響きである。

「抵抗さえしてくれなければ、不測の怪我もなくてすむ。お互い、その方が良いではないか」

「なにもんだてめえら、死にてえのか、この剣を見やがれ」

 短剣を振り回し、せいいっぱいであろう脅しを叫ぶ。だがゴブリンの甲高い声では、弓をかまえたアウィリアスの失笑を呼ぶ程度の効果であった。

「できるなら戦いたいつもりもない。ただ、それで納得できないならしかたないとも思う。しかし戦わずにすむなら、君にもそれが良いことだとも思うね」

 ゴブリンの右手に立つキジャナンムは焦れてきた。キジャナンムはシドウサスラを最大限に尊敬するが、シドウサスラののんびりとして迫力のない話し振りに、いつも焦れてしまう。

「勝ち目が無えのはわかるだろ。殺さねえってんだからさっさと降参しろい」

 草木をもふるわすようなキジャナンムの大喝に、ゴブリンは腰をぬかしたようにへたり込んだ。表情は虚ろであり、目はせわしく左右に動いて定まらない。

「私たちとしては、宝物をとりかえして依頼を果したなら、君を引き渡すつもりはないのさ」

 シドウサスラは歩を進めて落ち着いた声で話す。

「というのは、私たちは君を仲間として迎えたい。盗賊としての君の技量に期待しているし、さきほどアウィリアスの矢に足をとられながらの身軽な動きは、十分以上に応えてくれると思う」

 シドウサスラが近付いたことで、ゴブリンは正気づいたらしい。

「て」

 息を飲み込む。歯が上手くあわない。

「てめえらぶっ殺す」

 短剣をシドウサスラに向けて振る。けっして素人の振りではない。それなりに刃筋が立ち、当れば骨まで切り裂いたであろう。

 シドウサスラはせまり来る斬撃に、ゆるやかに見える動きで右拳を側方から刀身にあわせた。扉を静かにノックするかのごとき。衝撃に短剣はゴブリンの手を離れた。あらぬ方向に短剣が飛んでいったのではない。シドウサスラの一撃を受けた刀身は空中で砕けたのだ。

 うなりをあげてシドウサスラとキジャナンムの間を飛び抜けた破片は、多くの樹木を撃ち抜きゆるがせ、ついには地面に埋め込まれた。

 シドウサスラの力量を見た回数は十や二十ではないのだが、そのたび必ず新たな驚きがある。キジャナンムもアウィリアスも、唖然として声を出せない。

 エウンギダ=ドゥは途切れることなくつぶやき続ける。


 途端にゴブリンは跪き、首飾りを両手でかざして泣き叫びだした。

「おゆるしくだせえ、おゆるしくだせえ、できごころでやした」

「ゆるすゆるさないは無いよ。お互い怪我なくすみそうで、喜ばしいことだ」

 シドウサスラはしゃがみ込んで、ささげられている首飾りに手をそえようとする。

「むしろ私の方こそ君を仲間にすることを認めてほしい」

 対応することができるのは、四人のうちシドウサスラだけであっただろう。

 本来ならば。

 だがその瞬間だけは、シドウサスラは心も姿勢も戦う状態に無かった。シドウサスラですら経験の無い一撃、あるはずのない一撃に対応する状態には。それでも、シドウサスラは十分に起きたことを認識している。しかし反応したときには、すでに首は半ばまで切断されていた。

 ゴブリンの右手にいなければ、キジャナンムにはいくばくか対応する時間が生まれたかもしれない。生き残る可能性もあったかもしれない。

 シドウサスラの首を右から左に薙いだゴブリンの右手刀は、当然己が中心線の内側から外側に繰り出されていた。左手には首飾りが握られている。そのまま右手刀は右方にある獲物に向い、貫手に変ずる。魔物の左にいれば、左手が使えない以上、振り出された右腕を一端引き、態を整え、さらに攻撃に転ずる分、三拍子余計にかかることになる。キジャナンムに対応する間が生まれただろう。

 だがキジャナンムは己の運命を知る間もなく、体ごと鑓のごとく繰り出された貫手に首を撃ち抜かれていた。シドウサスラの首より吹き出す鮮血が、大地に届くよりも先に。

 魔物は倒れる前にキジャナンムの身体を台として蹴り飛び、右貫手を引き抜きざまエウンギダ=ドゥの頭部を軽い蹴りで弾く。

 魔導師というものは厄介なもので、たとえ首が切り離されても、顔に刻まれた方陣によって術を現わすことがある。それはたちまちのうちに肉体を修復するかもしれない。あるいは襲撃者を焼き尽すかもしれない。どちらにしろ嬉しいことではなく、まずはこのように頭を揺らして意識を飛ばすのが最善であろう。

 地を蹴った本来の蹴りならば、頭は一撃で砕けた。が、今はおさえて、残る一人に対応する。ゆれているエウンギダ=ドゥの身体をゴブリンがまるで介護するかのようによりそっているため、アウィリアスが放つ矢の方向は限定されてしまった。

 常人に倍する動態視力をもつアウィリアスだが、もしその視力がシドウサスラに等しいものであれば、ゴブリンの右手が易々と飛来する矢を掴み取るところを見ただろう。

 むしろそうでないのが幸運であった。

 さもなくば、奪われた矢が自分の眼球を貫通し、脳を撃ち抜くところをたっぷり目撃することになる。

 ゴブリンは意識が揺れている魔導師の頭部を蹴り砕いて始末をつけた。星辰よりの預りから来たこの結末を、エウンギダ=ドゥに意識があればどう思っただろう。仲間に引き入れられれば吉、さもなくば大凶に終った預りを。余人には理解しがたい魔導師の思考だから、なにがしかの満足を得ていたのかもしれない。

 エウンギダ=ドゥの命が滅びるとき、その肉体にため込まれた膨大な魔力は意思の統制をはなれ、爆発的に解き放たれた。それは現世において草一本ゆらすわけでもなく、魔道の素質を持たないゴブリンが知ることでもない。

 しかしあるいはここに生まれた魔の次元での歪みは、将来において何事かを引き起こすことがあるかもしれない。

 誰にも喜ばれることのない怖るべき何事かを。


「冒険者なんて稼業は」

 溜息とともに膝をつく。一瞬の殺戮ではあったが、全身全霊を尽した攻防でもあったのだ。

「ろくなもんではないこんな手練を相手にしなきゃならんのだから」

 疲れきってはいたが、四人の手練に追われていたときにつくっていた、あの卑屈な表情は消えている。声の調子は自信に満ち、その表情には尊大ささえある。ゴブリンの表情としては、少々以上滑稽にも見えるのだが。

「おまけにこれほどの手練どもも、死ぬときゃあっさりだ」

 地に手をついたゴブリンは、左手を見てようやく自分が手の平に食い込むほど首飾りを握り締めていたことに気がついた。握り込んで固まった指を引きはがすのに、右手の力も借りるほどに。

 左の手の平から大きな宝飾がすべり落ちる。すかさず「左の」手で受け止める。ゴブリンの美意識から見て異常で奇怪な造形だ。人間の美意識からでも正常ではあるまい。

「糞喰らえだ。こいつを作った奴等は。受け継いできた奴等も、くたばれ」

 そして付け加える。

「オレ以外はな」

 ゴブリンの冒険者。なんの冗談だと誰でも思うだろう。しかし、自称でもなく彼は冒険を行わざるを得ない状況に陥り、そして冒険を行っている。すべては、

「この首飾りが始まりだったな」そして終らせる鍵もこの首飾りなのだ。

「こいつとオレの関係は、人間どもとオレの関係に近しい。こいつはオレに与えて奪い、奪って与える。人間どもはオレから奪い与え、そして奪いさらに与える」

 うんざりしながら首飾りをポケットにしまい込む。

「おかげでこの有様か」

 立ち上がり膝をはらい、

「この先の遺跡が話の通りなら、こいつもどうにかなるだろう。ならなきゃ冒険とやらが続くだけか」と期待薄げにつぶやく。


 そして当面の仕事として四つの死体をあさる。とにかく砕かれた短剣の替えがいるのだ。ゴブリンの手足を怖れなくとも、短剣を怖れるものは多い。だからこそ短剣は、油断をさそう道具として役に立つ。微塵に砕かれるなんて事態は初めてだが、それでも役には立った。

 荷物をあさりながらつぶやく。

「殺すつもりはないと言ってたな。だがオレはお前たちを殺すつもりだった。それだけのことさ」

 結局短剣はなく、大剣はもちろん細身の剣も弓も防具も、大きすぎて使い物にならない。しかたないのでいくらかの硬貨をもらっていく。この中で最も高価なものは魔導師の皮膚だが、ゴブリンには使い道がなく、剥いでなめすのも道具と時間がない。

 魔力の紅玉も、すでに光は失われていた。

 大した収穫もなく、あとは目指す遺跡へ進むだけだ。鎧に覆われているところ以外は、獣たちへの分け前となろう。

 キジャナンムとアウィリアスにとっては十年前後の、エウンギダ=ドゥにとっては二百年を越した、そしてシドウサスラにあっては幾多の王国と興亡を共にした七百年におよんだ、冒険の旅はここにこのような終りをむかえた。

 一人として望むものを得ることなく、それは冒険者のほとんどが迎える最後であろう。

「それだけのことさ」と魔物はふたたび静かに走り出した。

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