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―第四章 つぎはいっしょのひと―

事務所に帰ってから、椿は放心状態だった。

校了まで時間はあるが、あるからこそ放心状態だった。

雲の上の人と、友達になったような感覚というべきか。

でもドキドキした、それは絶対いけないと分かっているのに。


気のせい!気のせいだ!!


椿は頬をパシンと叩くと、校正と写真入れ、加工、提出、叱責、校正、加工、提出、叱責…とひたすらに仕事に打ち込んだ。

夢だったと思って忘れてしまえば、すっきりと作業が出来た。…写真を見ると、ちょっと思い出したりはしたのだけど。


「卯木」

「…はいっ!?」

集中し過ぎて、上司が近くまで来た事に気がつかなかった。

「これでいい、先生さんに一報入れておけよ」

「…はい、ありがとうございます」

記事を改めて見直す。

先生への不意打ちの一枚が大きく載せられ、

『今話題の若き研究者 町井直季先生に伺う~雑穀編~』

という見出しで始まり、現在日本で育成されている雑穀や生育条件、育てやすい雑穀やこれから期待される雑穀の働きなど、育てる事と今後の研究テーマについて書かれている。

「卯木にしては専門的な出来だな」

「ありがとうございます。先生のお話が丁寧だったのもありますし、何より4ページも任せて頂きましたから」

「たまには任されるのも気分がいいもんだろう」

「そうですね」

乾いた返事で上司をあしらって、データの整理を始める。

「おい卯木、これ『編』って付いてるからには次もあるんだな?」

「はい、大麦の研究について拝見できる事になっています」

「いつだ!?俺も連れて行け!」

「それが…施設の都合と町井先生の都合が合う日が決まり次第連絡を頂くことになっておりまして」

「…ほう、それで1カ月以上も先だった、なんてオチはいくら上司でも責任は取らないからな」

「うっ……分かってます」

「じゃ決まれば俺にも日程をよこせ、いいな」

「…はい」

面倒だ。こんなゴルフ上司(と勝手に呼んでいる)と一緒に町井先生の取材に行くなんて面倒だ。

でも報告しない訳にもいかないな、と溜息を付いて、今回の記事のデータを整理する。


それから一週間はひたすら別の記事を担当していた。

雑誌の後ろのページ作りだ。

医食同源のコーナーは前任者から受け取ったばかりだが、メールで届いているものを校正し掲載するだけだったのでさほど時間はかからなかった。

それから、取材中に見つけた可愛い植物の写真をコーナーにする。…今回はめぼしい写真データがなかったので、先輩社員の撮った「子供の朝顔観察日記の写真」から記事を作る。

後はクロスワードのテンプレートデータを加工して、プレゼントページを作る。

女性層狙いだからお前がやれ、と言われて何とも腑に落ちない気持ちもあるのだが、読者アンケートでしっかり女性の心を掴んでいるのは把握しているので(これも彼女の仕事)悪い気はしていない。


それから椿は3日ほど、まとめて休暇を取った。

仕事に集中し過ぎて、休みを取るのを忘れていたのだ。

一日は良く寝て、二日目は洋服を買いに行って、三日目は友人と遊ぶつもりが急過ぎて誰もつかまらない。仕方がないので、図書館でひたすら雑穀と大麦の勉強をした。

ああ、我ながら何てワーカホリックなんだろう。と嘆きながら。


図書館から出た所で椿の携帯が鳴った。相手も携帯の様だが、登録外のようで番号しか表示されない。

「はい」

『卯木さんですか』

「はい…」

『町井です』

「えぇっ!はい!!」

誰が見ているわけでもないが、背筋が伸びる。慌てて周囲を見回し、ちょうどあった木陰のベンチに腰掛ける。

『連絡遅れてごめんね。急なんだけど明後日に丸一日時間が取れる事になって、大麦の施設のアレ』

「ああはい!明後日ですね!!」

慌ててメモ帳を取りだし急いだ字で記入する。

「あの、取材なんですけど上司も一緒というのは可能ですか?是非同行して先生のお話を聞きたいと…」

『ね、敬語だよ』

「あー……そうです…ね、すいません」

『ま、そこはあせらないで良いけどね』

「スイマセン」

『面白いなぁもう。で、同行はちょっとダメなんだ』

「あ、あー…そ、そうなんだ」

椿はもうオーバーヒートしそうな頭をどうにか回して、タメ語で話す。

『もう、ぎこちないなぁ』

「だって難しい…」

です、と言いかけてどうにか口をつぐんだ。

『でね、取材は卯木さんだけなんだ、残念ながら』

「はぁ…」

『あっちの施設は誰がいつどんな目的で来るか、一週間前から申請しておかないと外部の人間は入れないんだ』

「そうで…そ、そうなんだ」

慌てて言い方を直しながら、上司への説明が面倒だと同時に思って頭が痛い。

『ごめんね、上司さんによろしくいっといて』

「はい…じゃなくて、うん、ですね」

電話の向こうでは町井が物凄く笑っているが、もう椿は精一杯頑張っている状態なのでどうしようもできない。

『で、駐車場が所員分しかないから、一回いつもの研究所に来てね。そこから俺の車で移動するから』

「はい」

『時間なんだけど、できれば一日取れない?』

「えっ?」

『施設に行って、戻るのちょっと大変だし、次のネタにも出来るんじゃないかと思うし、どう?』

更に次のアポイントまで話に盛り込まれている。椿にはもう飛びつくしかない内容だった。

「オッケーです」

『良かったー助かるよ!じゃ、明後日朝9時でいい?』

「はい!!」

『じゃ、また明後日。よろしくね』

「はい、よろしくお願いします」

『敬語』

「あっ」

『まいっか、ね。じゃまた』

「ありがとうございました」

電話を切って、このもやもやとした気持ちのやりどころに困っていた。

上司に一人で丸一日の取材になることを言う。

これが恋か恋じゃないか誰かに意見を聞きたい。

そもそも先生はどう思っているんだろうか?からかっているだけかもしれないし。

いや、そもそものそもそもは社交辞令だ。そう、社交辞令。


とりあえず、上司にだけは一報入れておこうと思った。

このために接待ゴルフでも入れていようものなら、大変だからと思って。



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