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―第一章 丁寧なひと―

「卯木さん、ですね」


卯木椿、23歳。駆け出しのライターと言えば夢のある話だが、「植物雑誌の」ライターとなれば何となく地味さを感じ得ない。

その地味さを払拭するような、真っ直ぐなボブの髪に大きな猫目の容姿を持つ彼女は、名刺に沿って呼びかけられていることに今気付いた。


「あ…す、すいません」

少しボブの髪を直して、向かい合う。

「今日はよろしくお願いします、町井先生」

町井直季は32歳と若いながら、植物研究、特に食用栽培において研究者たちの中で一目置かれた人物だ。


今日は彼の栽培室で、雑穀の種子の仕組みだか何だかを聞くことが出来るらしい


…らしい、というのは企画書が曖昧なままに取材日になってしまったというのが原因だ。

話は二日前に遡る。


椿の上司がやたらと丁寧に電話をしていたのが印象深い。

電話が終わると、その上司は椿をじろり、と見た。完全に目があってしまった以上、目も身体も動かせない。

企画書を片手に「この取材頼む、先生さんが日程変更してきた、しかもご丁寧に早い時間のご指定と来たもんだ」

話によると、町井直季という植物学で今話題の先生がいる。その先生にようやく時間を取ってもらうことが出来た。

しかしたった今、日程の変更を頼まれた。三日後の午後からだったものが二日後の朝10時になってしまったのだ。

生憎この上司と来たら明日から泊まりの接待ゴルフだと言う。

その企画書にはまだ「雑穀特集4ページ」「話題 町井先生」としかなかった。

…そもそもゴルフ帰りで取材をしようという上司に悪態さえ付きたかったが、今は先ず、二日で付け焼き刃レベルの知識を身につけつつ、煩雑でもレイアウトを作り、いわゆる中途半端のままで取材に赴かなければならなかった。

せめて、レイアウトくらい作って寄越せばいいものを…。


「すみません、俺の都合で日程を早めてしまって」

「いえ、構いません。寧ろ、町井先生のお話を予定より早く聞けるなんて光栄です」

椿は内心、焦っていた。

勉強不足で折角の先生の話を理解できるか、大変に、大変に不安だった。

「じゃご案内しますね、卯木さん」

2人は施設の敷地を歩き、温室と温室の合間を縫う。

「ここが雑穀種子の施設です」

同じ温室が続いていたので、入り口に書かれた「雑穀」のメモ紙がなければ迷子になりそうな場所だった。

中は栽培用ポット、シャーレ、ジョウロ、それに机まであり、1日研究に没頭出来そうだ。

「触らなければ写真は自由にどうぞ。あ、早速でよければ内容を説明しながら回りますか」

「あっはい、お願いします」

椿は慌ててノートとデジカメを用意した。


―三十分後。


「現在の研究を拝見できて大変光栄です」

町井の話は分かりやすく、またはきはきとしていたので、付け焼き刃の知識で充分に理解できた。

「光栄だなんて、そんなたいそうな言葉は俺にはまだまだですよ」

「いえ、大変分かりやすくて…その、お話、とても上手いんですね」

どこを褒めている、椿。ライターのクセに、自分はまだまだコミュニケーション能力が足りないな、と痛感する。

「そう言って貰えたのは初めてです、ありがとうございます」

にこにこと微笑まれると、何だか少年のようだ。

今まで取材してきたふんぞり返ったオヤジ先生方は何だったんだろうとさえ思う。

「ちょっとお茶でも飲みながら、一旦休みましょう。次は将来展望の部分があるので、幾らか難しい話も混ざっちゃうので」

町井は言いながら缶のお茶と、一口大のクッキーを机に出す。

「すみません…ありがとうございます」

一度ノート類をバッグに戻し、お茶を手に取る。

「卯木さん、ってこの辺の苗字じゃないよね。どこか出身違うんですか?」

「あ、はい。D県出身です」

「そうなの!?俺もD県出身なんだよーなんか嬉しいなー!」

町井は高揚した気分を惜しげなく見せてくれた。

「先生もなんですね、ビックリしました!私東側の出身なんですけど、先生は…?」

「あぁ、俺は西側なんだ。でもよく部活とかで東側に行ったなぁ」

町井はお茶を一口飲んだ。

「あー懐かしい、以外だなー」

どこか郷愁を感じる瞳に、親近感を覚える。同時に、話しやすい先生というのが緊張を緩めてくれた。

「先生は何故こちらに?」

「あ、奥さんがこっちの人で、籍は町井なんだけどこっちに住むって事で、そんな感じかな」

「そうでしたか」

既婚だったとは知らなかった。研究者とかいう先生は、若いうちは下っ端で、偉くなって晩婚なんだろうと勝手に考えてしまっていた。

指輪もなかったし、そもそも取材ということで全く人間的な面は考えていなかったが。

「あ、お菓子どーぞ」

「すいません、頂きます」

椿はクッキーに手を伸ばした。

まさか取材でお菓子まで頂くとは、思っていなかった。それこそ、人間的な面を考えていなかった取材だった訳だから。

「今度は向こうの友達に頼んで煎餅でも取り寄せておくよ」

「えっ!?あ、あの、すいません、ありがとうございます」

突然の次回アポイント(らしき発言)に、椿は慌てて頭を下げた。

町井先生はなかなかアポイントが取れなかったと上司が嘆いていたのを、頭の片隅で思い出した。何て偶然でラッキーなんだろう。上司のテカッた顔が感動するであろうというのは想像に容易い。

―その後、地元の話をしながら取材は楽しく、かつ分かりやすい取材が出来た。

そうしているうちに、町井のデジタル腕時計が、ピッピッと短く鳴った。

「もうお昼!いやーすいません、こんな話で大丈夫でした?」

「も、もちろんです!寧ろ有意義な取材になりました、ありがとうございます!」

楽しさの勢いのままに頭を下げる。

「今回の記事は編集と校正が出来次第、メールで一度お送りしますので」

「はい、よろしくお願いします」

「こちらこそ、宜しくお願いします。何かありましたら、名刺の番号までご連絡下さい」

「分かりました、煎餅が届いたらご連絡しますね」

「え…煎餅?」

微笑む町井の笑顔に、椿はきょとんとする。


「一緒に食べましょう」


「はい、そうですね」


くすくすと2人は笑った。


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