ベビーモニターの雑音
息子が生まれて三か月。
夜泣きがひどく、
私は少しでも眠るためにベビーモニターを使っていた。
寝室と、隣の子ども部屋。
モニター越しなら、
泣いた瞬間に気づける。
その夜、最初に聞こえたのは、
**ザー……**という小さな雑音だった。
「電波、悪いのかな」
よくあることだ。
古いアパートだし、
無線機器も多い。
私は気にせず、目を閉じた。
しばらくして、
モニターから音が混じる。
――ザー……コツ……
何かが、
床に触れるような音。
寝返りだろう。
赤ん坊の動きは不規則だ。
次に聞こえたのは、
呼吸音。
――すー……はー……
少し、低い。
「……?」
一瞬、違和感がよぎったけれど、
疲労のせいだと思った。
夜中は、感覚が過敏になる。
午前二時。
モニターの雑音が、
はっきりと変わった。
――ザー……ザー……
その奥で、
声のようなものが聞こえる。
「……あー……」
赤ちゃんの声、
ではない。
喉の奥で鳴る、
大人の声。
私は、ベッドから起き上がった。
「誰……?」
モニター越しに、
子ども部屋を覗く。
暗い部屋。
ベビーベッド。
息子は、寝ている。
その横で、
何かが動いた気がした。
――コツ……
床が鳴る。
私は、廊下に出た。
子ども部屋のドアは、閉まっている。
鍵は、
かけていない。
心臓の音がうるさい。
もう一度、モニター。
雑音の中に、
はっきりと混じる音。
――「……ねてる?」
声が、
息子に話しかけている。
全身が、凍りついた。
私は、ドアノブに手をかけた。
その瞬間。
モニターの音が、
急に静かになる。
――……しー……
誰かが、
静かにするように言った。
私は、ドアを開けた。
子ども部屋には、
誰もいない。
息子は、
ベビーベッドの中で、
穏やかに眠っている。
部屋をくまなく確認した。
クローゼット。
カーテンの裏。
ベッドの下。
異常なし。
「……聞き間違い」
自分に言い聞かせ、
私は寝室に戻った。
モニターを手に取る。
その瞬間、
背中が冷たくなった。
モニターから聞こえる音が、
今いる寝室の音だった。
――私の呼吸
――服が擦れる音
――心臓の鼓動
そして、
子ども部屋からの音は、
一切しない。
ザー……という雑音の向こうで、
はっきりと声がする。
――「あっちは、静かだよ」
――「今は、こっち」
私は、
ゆっくり振り返った。
背後には、
何もいない。
でも、
ベビーモニターのカメラは、
寝室を映していた。
暗闇の中、
ベッドに座る私。
そのすぐ後ろ。
息子を抱いた、私自身が映っている。
顔が、
少し違う。
笑っていないのに、
口角だけが上がっている。
理解した。
最初から、
雑音じゃなかった。
二つの部屋の音が、
入れ替わっていた。
子ども部屋にいたのは、
誰でもない。
もう一人の私だった。
モニターの向こうで、
その私は、
息子に囁く。
――「ママ、ちゃんと寝なきゃね」
私は、
声が出なかった。
次の朝、
私は一人で目を覚ました。
ベビーベッドは、空だった。
モニターは、
電源が切れている。
でも、
スピーカーの奥から、
今もかすかに聞こえる。
――ザー……
――すー……はー……
それは、
赤ちゃんの呼吸じゃない。
私のものでもない。




