第7章 奪う者たちの論理
夜の連合との接触は、管理局にとって「交渉」ではなく「抑止」の対象だった。
彼らは組織として存在していない。統一された指揮系統も、固定された拠点もない。ただ、夜に溶け込み、物資と情報を循環させながら生き延びている集団――それが、管理局の定義する夜の連合だ。
アルトに与えられた任務は単純だった。
影響度の測定。危険度の再評価。必要に応じた是正。
通信は音声のみ。映像は意図的に遮断されている。相手の位置情報を悟らせないため、という名目だが、実際には「顔を見せない文化」への配慮でもあった。
「こちら、夜盟。聞こえてる」
低く、落ち着いた声だった。年齢も性別も判別しにくい。だが、その背後に複数の気配が重なっているのが分かる。
「評価管制オペレーター、アルトだ」
名乗った瞬間、自分の名が、この場では重荷になると感じた。
「管理局の人間が、こんな時間に何の用だ」
「確認だ。最近、物資流通に異常が出ている」
「異常?」
声が、わずかに笑いを含んだ。
「それ、そっちの配分が止まっただけだろ」
アルトは即答しなかった。事実だったからだ。管理局の最適化により、夜間流通は意図的に抑制されている。効率の悪い経路は切り捨てられた。
「奪取行動は、管理の安定を損なう」
定型文を口にしながら、アルトは自分の声が乾いているのを感じていた。
「奪ってると思ってる?」
夜盟の声は、静かだった。
「俺たちは、拾ってるだけだ。落ちてる物をな」
アルトは、評価ログを確認する。夜の連合による物資取得は、確かに被害として計上されている。だが、その大半は「未配分物資」「流通停止資源」だった。
「配分されなかった物資は、管理局の所有だ」
「配られなかった時点で、もう管理されてない」
短い沈黙。
「聞くが、アルト」
相手は、初めて彼の名を呼んだ。
「管理局は、奪う理由を持たない人間を、どうする」
「評価に基づき、再配置か隔離を――」
「じゃあ、奪う理由を持った人間は?」
アルトは、言葉を探した。評価表には、そんな項目はない。
「理由があるなら、理解できる。理解できるなら、交渉できる。交渉できるなら、管理できる」
夜盟の声が、少しだけ低くなる。
「俺たちは、管理されたくないわけじゃない。ただ、理由を消されるのが嫌なだけだ」
理由。
生きる理由。
奪う理由。
アルトの脳裏に、壁外居住区のグレイの言葉がよぎる。置いていけなかったから、外に出た。決して、反抗のためではなかった。
「……君たちは、何を求めている」
「選択肢だ」
即答だった。
「奪うか、死ぬか、じゃない選択肢。夜が終わった後に、朝を選べる余地」
その言葉は、管理局の理念と真っ向から衝突していた。選択肢が多いほど、予測は困難になり、管理は不安定になる。
だが同時に、アルトは気づいていた。
管理局が安定を保ってきたのは、選択肢を削り続けた結果だ。
「……交渉の余地はある」
そう言った瞬間、管制システムが反応した。
未承認発言。評価権限を超過しています。
アルトは、警告を無視した。
「奪取行動の抑制と引き換えに、非公式流通の一部を黙認する」
それは、管理局のマニュアルには存在しない提案だった。
通信の向こうで、微かなざわめきが走る。
「面白いこと言うな、管理屋」
夜盟の声が、少しだけ柔らいだ。
「それ、君の判断か?」
アルトは、一瞬だけ迷い、それから答えた。
「……今は」
その一言に、彼自身の立場が、確実に揺らいだのを感じた。
管理する者と、管理される者。その境界線が、夜の闇の中で、静かに溶け始めていた。
通信が切れた直後、アルトの端末に警告が重なって表示された。
非公式交渉ログ検出。
評価権限逸脱。
内部監査プロセスが起動します。
予測はしていた。それでも、表示された文字列は想像以上に冷たかった。管理局において、警告は叱責ではない。単なる「状態通知」だ。感情も、余白もない。
アルトは深く息を吸い、ログを保存した。改ざんはしない。ただ、削除もしない。消せば、即座に検出される。残せば、解釈の余地が生まれる。
その“余地”に賭けた。
翌日、彼は監査官ヴェルナーの呼び出しを受けた。区域監査官の執務室は、無駄がなく、音が吸い込まれるように静かだった。
「夜の連合と接触したそうだな」
事実確認ではない。評価の開始だ。
「定義上の調査だ。接触は不可避だった」
「不可避、という言葉は便利だ」
ヴェルナーは視線を上げない。机上に投影されたログだけを見ている。
「君は“選択肢”という語を使った。管理局の文書では、危険語彙に分類されている」
アルトは否定しなかった。
「削るべきものを、削り続けた結果だ」
「結果は安定だ」
「……安定は、目的じゃない」
その言葉が口を離れた瞬間、アルト自身が一番驚いていた。これまで、彼は目的と手段を混同したことがなかった。安定は、常に最優先項目だった。
「管理は、人を救うためにある」
ヴェルナーの声は淡々としている。
「だが、救えない者もいる。そこに感情を挟めば、全体が崩れる」
「救えないと“評価した”者がいるだけだ」
沈黙が落ちた。室内の空気が、わずかに重くなる。
「君は、前作の件――評価不能領域の発生源を知っているな」
アルトは、初めて明確にユウの存在を意識した。名前は出ない。ただ、管理局内部では“原因ログ”として共有されている。
「彼は、管理の外側に出た」
「外側ではなく、“外れた”」
ヴェルナーは訂正する。
「想定外は、再発する。だから監視する。だから抑制する」
「……抑制できなかった」
アルトは、夜の連合の声を思い出していた。奪う理由。消された理由。朝を選べる余地。
「抑制できなかったから、次は切り捨てるのか」
「それが最適解だ」
アルトは、そこで初めて理解した。管理局が恐れているのは、反抗でも混乱でもない。“選択が連鎖すること”だ。一つの例外が、別の例外を正当化する。
「君は優秀だ、アルト」
ヴェルナーが言う。
「だが優秀なオペレーターほど、自分を評価対象に含めてしまう」
端末が振動した。倫理監査ユニット・Θ07からの自動通知だ。
評価対象:アルト。暫定監視段階へ移行。
アルトは、画面を閉じた。
その夜、彼は再び通信を開いた。夜の連合の周波数に、短い信号を流す。
返答は、すぐに来た。
「まだ、夜は終わってない」
相手の声は、以前より近く感じられた。
「管理局に戻れなくなったか?」
「戻れる。たぶん」
「たぶん、か」
アルトは、わずかに笑った。
「評価不能になっただけだ」
通信の向こうで、誰かが小さく息を呑む気配がした。
「ようこそ、って言えばいいのか?」
「まだだ」
アルトは答える。
「奪う理由と、守る理由。その両方を、もう一度測る」
夜の連合は、すぐには返事をしなかった。だが、その沈黙は拒絶ではない。
管理される側と、管理する側。その間に生まれた、細い橋。
アルトはその上に立ち、初めて“選ぶ”という行為を、自分のものとして感じていた。




