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第6章 未評価のものは、なぜ危険か

未評価遺物との接触は、管理局にとって常に「例外処理」だった。


 評価不能領域が拡張する兆候を見せた場合、通常は是正プロトコルが即座に発動される。だが今回は違った。複数のログが、同一地点で同時に不整合を起こしていたからだ。物理法則、エネルギー収支、行動予測――どれもが、数値として成立しない。


 アルトは、管理中枢代理Λ02からの指示を受けていた。


 未評価遺物群への直接確認。

 現地判断権限:限定付与。


 限定、という言葉が、これほど重く感じられたことはない。判断してよい範囲が与えられたということは、同時に、判断の責任がこちらに移ったという意味でもあった。


 通信回線を開くと、映像は即座に乱れた。視界の端が歪み、焦点が定まらない。管理局の補正フィルターが、機能していない。


 「……こちら、管理局評価管制。応答を要請する」


 返答は、音ではなくノイズとして届いた。次いで、映像の中央に人影が浮かび上がる。


 粗い画質の中で、若い女が立っていた。装備は統一されていない。遺物としか言いようのない機械部品が、無秩序に身体へと接続されている。


 「応答した。遅いね」


 声音は軽い。だが、その目だけが、異様なほど落ち着いていた。


 「あなたが……無登録回収者、シヴ?」


 「評価上は、そうなるらしい」


 彼女は肩をすくめる。背後では、未知の装置が低く唸り、周期的に光を放っている。管理局のデータベースには存在しない構造だ。


 「その装置は危険だ。起動ログが存在しない」


 アルトの言葉に、シヴは楽しそうに笑った。


 「ログが無いから、危険?」


 「評価できないものは、事故を引き起こす確率が高い」


 「逆だよ」


 即答だった。


 「評価できないから、まだ事故を起こしてない」


 アルトは言葉に詰まった。理屈としては成立しない。だが、ここに存在している事実は否定できない。


 「それは……管理の視点では通用しない」


 「管理の外で、生きてるからね」


 シヴは装置に手を置いた。瞬間、数値モニターが一斉に警告色へ変わる。だが、爆発も崩壊も起こらない。ただ、エネルギー波形が予測不能な軌跡を描くだけだ。


 「これは道具だよ。正しいかどうかは、使った後に決まる」


 その言葉は、かつて評価不能領域のログに残されていた、ある人物の行動記録と重なった。名前は無い。ただ、選択だけが残っている。


 「……管理されないものは、世界を壊す可能性がある」


 アルトは、自分に言い聞かせるように言った。


 「うん。壊すよ」


 シヴは、否定しなかった。


 「でもさ、管理されたものは、世界を守ってきた?」


 映像の向こうで、装置が再び光る。その光は、どこか不安定で、同時に美しかった。


 アルトは、評価表を開いた。数値を入力しようとして、手が止まる。項目が無い。分類できない。危険度も、安定度も、入力欄が存在しない。


 「……未評価、か」


 その言葉を口にした瞬間、彼は理解した。


 管理局が恐れているのは、危険ではない。

 定義できないことそのものだ。


 定義できないものは、管理できない。管理できないものは、責任を持てない。責任を持てないものは、存在してはならない。


 ――だが。


 アルトは、画面の中のシヴを見つめた。彼女は、管理されていない。評価もされていない。それでも、確かに「生きている」。


 「次は、何を確認すればいい?」


 シヴが、あっさりと聞いてきた。


 アルトは、しばらく沈黙した。そして、初めてプロトコルに無い言葉を選ぶ。


 「……あなたは、それを使って、誰を救った?」


 管理局の警告音が、背後で静かに鳴り始めていた。


警告音は、管理局においては単なる環境音に近い。常にどこかで鳴り、誰かが処理し、そして消える。アルトにとっても、それは長らく「判断の補助」にすぎなかった。


 だが今は違う。


 端末の隅で点滅する警告表示が、やけに大きく見えた。

 未評価遺物との接触継続は推奨されません。

 是正プロトコルを準備してください。


 アルトは、指を動かさなかった。


 画面の向こうで、シヴは少しだけ首を傾げた。


 「切らないの?」


 その問いには、挑発も恐れも含まれていない。ただの事実確認だ。


 「……確認が終わっていない」


 アルトはそう答えた。自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


 「さっきの質問の続き」


 「誰を救ったか、って?」


 シヴは一度だけ視線を外した。背景に映る瓦礫と機械の混在した空間。その奥で、誰かが工具を落とす音がした。


 「救った、って言い方はしないよ」


 「でも、生き延びた人間がいる」


 「うん。それはいる」


 あっさりとした肯定だった。


 「遺物が落ちてきたとき、起動しなきゃ全滅だった。起動したら、何人か死ぬ可能性もあった。だから――」


 シヴは言葉を切り、アルトをまっすぐに見た。


 「誰が死ぬか、決めなかった」


 アルトの胸に、鈍い衝撃が走る。


 「決めなかった?」


 「そう。決めなかった。動ける人間が動いて、助けられる人間を引っ張って、結果的に残った」


 それは、管理局の理念から見れば最悪の判断だ。選別を拒否し、責任を曖昧にし、結果に委ねる。合理性の欠片もない。


 「それは……無責任だ」


 口にした瞬間、アルトは気づいた。これはシヴに向けた言葉ではない。自分自身への反論だ。


 「かもね」


 シヴは否定しなかった。


 「でもさ、誰かを数字で切るよりは、マシだと思ってる」


 通信が一瞬、乱れる。未評価遺物が発するエネルギー波形が、管制システムに干渉している。管理局側の自動補正が、強制終了を要求してきた。


 是正執行を推奨。

 対象区域:排除可能。


 アルトの視界に、是正プロトコルの実行ボタンが浮かび上がる。それを押せば、未評価遺物は無力化され、区域は「安全」に戻る。シヴたちは、ログ上では消失するだろう。


 正しい判断だ。

 管理局として、模範的な対応だ。


 「ねえ」


 シヴが、少しだけ声を落とした。


 「管理局の人ってさ、失敗したことある?」


 アルトは、答えられなかった。


 失敗は、常に「誤差」として処理される。個人の失敗は記録されず、修正された数値だけが残る。失敗した人間は、評価表の外へと追いやられる。


 「……ない」


 そう答えたとき、自分が嘘をついていることが、はっきりと分かった。


 「じゃあ、これが初めてでいい」


 シヴは、まるで軽い賭けを持ちかけるように言った。


 「今、見逃す。何も是正しない。評価もしない。ただ……残す」


 アルトは、端末を見つめた。是正ボタンと、通信維持の選択肢。そのどちらも、彼の指の届く位置にある。


 管理は、世界を救うためにある。

 だが、救いは常に、管理の内側にあるとは限らない。


 アルトは、ゆっくりと呼吸を整え、是正プロトコルの準備を解除した。


 操作は推奨されません。


 警告が、もう一度表示される。


 「記録は?」


 シヴが聞いた。


 「……残さない」


 アルトは答えた。


 正確には、残せない。評価できない。だからこそ、残らない。


 通信が安定する。警告音が止み、端末の表示が通常画面へ戻った。


 「じゃあ、またどこかで」


 シヴは軽く手を振った。


 「管理されない場所で」


 回線が切れる。管制室には、再び無機質な静けさが戻った。


 アルトは、しばらくその場に立ち尽くしていた。是正しなかった。排除しなかった。ただ、見逃した。


 それは管理者としての失敗かもしれない。

 だが同時に、彼が初めて選んだ「自分の判断」でもあった。


 端末に、内部ログが一件だけ残っている。

 未評価領域:維持。理由:記録不能。


 アルトは、その一文を削除せずに保存した。


 管理は、まだ彼の手の中にある。

 だが、その輪郭は、確実に揺らぎ始めていた。

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