第3章 未評価遺物
軌道残骸域は、いつも音が遅れて届く。
真空を抜け、薄い大気を擦り、ようやく耳に届く衝撃音は、すでに結果だけを告げていた。
「落下確認。座標、ズレなし」
無登録回収者・シヴは、空を見上げたまま呟いた。
崩れた人工衛星の破片が、大地に突き刺さり、鈍い振動を周囲に伝えている。
「評価、入ってる?」
背後で、フェルが応じる。
彼女の腕には、遺物共鳴体特有の淡い発光が走っていた。
「ない。完全に未評価だ」
シヴは、通信端末を切る。
管理局の警告は届いていない。つまり、この遺物は――自由だ。
「またか」
フェルは、苦笑に近い表情を浮かべた。
「最近、多いね。未評価領域」
「……誰かが、穴を広げてる」
その言葉を、シヴ自身がどういう意味で使ったのかは分からない。
ただ、確実に管理局の網は、以前ほど世界を覆っていなかった。
遺物の外殻を剥がすと、中から奇妙な制御核が現れる。
見たことのない構造。
見たことのない信号。
「使える?」
「使えるかどうかは、後だ」
シヴは言った。
「これは、“定義されてない”」
その瞬間、遠隔通信が割り込む。
《警告:未評価起動を検知》
フェルが舌打ちする。
「遅い」
だが、その警告は続かなかった。
すぐに、別の表示が重なったからだ。
《評価不能領域:拡張》
シヴは、目を細める。
「……誰か、内部で動いてるな」
同じ頃、管理局中枢。
アルトは、端末に映る警告ログを見つめていた。
《未評価起動》。
《未評価領域》。
それらは、本来、即時是正対象だ。
だが、同時に別のフラグが立っていた。
――内部監査中。
「……また、遅延?」
ミリアが眉をひそめる。
「監査が優先されています。是正判断が凍結中です」
凍結。
判断されないまま、世界が動いている。
アルトは、ログのタイムスタンプを追った。
壁外区域。軌道残骸域。夜間街区。
場所は違う。だが、共通点がある。
どれも、「評価が届いていない」。
「これは……偶然じゃない」
アルトは、無意識に呟いていた。
「評価不能領域は、自然発生しません」
エイリクが言う。
「必ず、原因があります。人為的か、構造的か」
「構造的、ですか」
アルトは、その言葉を噛みしめる。
「管理そのものの?」
エイリクは、少し間を置いてから答えた。
「……可能性は、あります」
その瞬間、アルトの端末に、新しいログが届く。
《記録外行動検知》
理由欄は空白。
関与者不明。
影響範囲、拡大中。
アルトは、胸の奥が冷えるのを感じた。
誰かが、管理を壊そうとしているわけではない。
ただ、管理が「届かない場所」が、増えている。
それは、ユウが残した痕跡に、よく似ていた。
直接の名はない。
だが、判断不能な揺らぎだけが、連鎖している。
「……これは、是正じゃ止まらない」
アルトは、そう理解し始めていた。
正しく管理するほど、
管理できないものが、浮かび上がってしまう。
その矛盾の中で、彼はまだ知らない。
この未評価遺物が、後にどれほど多くの選択を狂わせるのかを。
最初に異常が現れたのは、夜間街区の外縁だった。
数値は穏やかだった。
エネルギー消費、人口変動、衝突確率。どれも基準値の範囲内。
だが、ひとつだけ想定外のログが混じっていた。
《局地的構造崩壊:原因不明》
アルトは、表示を拡大する。
「……原因、不明?」
「該当区域に、未登録遺物反応があります」
エイリクの声は淡々としていた。
「起動ログは存在しません。評価前に使用された可能性が高い」
使用された。
誰かが、定義されていない力を使った。
「被害は?」
「死者三名。負傷者十七。インフラ一部損壊」
数値としては、小さい。
管理局が扱うには、あまりにも些細な事故だ。
「是正対象外ですね」
ミリアが確認する。
「はい。現時点では」
アルトは、端末から目を離さなかった。
その被害区域は、先ほど見た未評価領域の拡張線上にあった。
偶然ではない。
「……この事故」
アルトは、ゆっくり言葉を選ぶ。
「管理が介入していれば、防げましたか?」
一瞬、空気が止まる。
「仮定の質問です」
ヴェルナーが答える。
「管理は、起きた事象に対応する。起きなかった事象には、責任を持たない」
正論だった。
だが、その正しさが、妙に空虚に感じられた。
同時刻。
軌道残骸域。
フェルは、腕の発光を押さえながら地面に膝をついていた。
「……出力、上げすぎた」
「警告、出てなかったろ」
シヴは、遺物の制御核を見つめる。
「そもそも、警告自体が来ないんだ」
遠くで、夜間街区の灯りが揺れている。
さっきの起動が、どこまで影響したのかは分からない。
「……誰か、死んだかな」
フェルが、小さく言った。
シヴは、答えなかった。
答えられなかった。
彼らは、管理を壊そうとしているわけではない。
ただ、生きるために使っただけだ。
その結果が、誰かを傷つけたとしても。
「管理が、先に教えてくれれば」
フェルは、そう呟いた。
「これは危ない、使うなって」
「管理は、遅い」
シヴは言う。
「評価される前に、世界は落ちてくる」
管理局に戻ったアルトは、その言葉を知る由もない。
だが、彼の前には、似た意味の数値が並んでいた。
《未評価起動:3件》
《評価不能領域:拡張》
《是正遅延:内部監査優先》
「……止められない」
アルトは、初めてそう口にした。
「是正を?」
ミリアが尋ねる。
「いえ。流れを」
管理は、後追いになっている。
しかも、正しく。
正しく後追いすればするほど、
管理されない選択が、先に進んでしまう。
「アルト」
ヴェルナーが、静かに言う。
「君は、管理局の人間だ。救えないものに、責任を感じる必要はない」
「でも」
アルトは、言葉を止めた。
その“でも”を、まだ説明できない。
端末に、新たな通知が灯る。
《評価不能領域:追加》
その表示は、ユウの痕跡と同じだった。
直接の行動ではない。
誰かの判断を狂わせ、選択肢を増やし、結果だけを残す。
アルトは、はっきりと理解する。
――管理は、正しすぎる。
正しさは、遅れを生む。
遅れは、未評価を生む。
未評価は、人に選ばせてしまう。
そして選ばれた結果は、もう管理できない。
「……評価不能領域を、消すべきか」
アルトは、独り言のように呟いた。
「それとも」
端末の光が、彼の顔を照らす。
「……理解すべきなのか」
第3章の終わりに、アルトの中でひとつの前提が崩れた。
管理は、万能ではない。
だが、不要でもない。
ならば、どこに立てばいい?
その答えは、まだ数値にならない。
だが確かに、彼の内部で形を持ち始めていた。




