第2章 追放された避難民
その区域は、地図上では灰色に塗られていた。
正式な居住区ではなく、管理対象からも外れている。かつてはIRON HAVENの外縁部だったが、資源効率と防衛コストの再計算によって切り離された場所だ。
管理局では、そこをこう呼ぶ。
「壁外」。
アルトは、その壁外区域に関するログを確認していた。
例の評価不能領域と重なっている。避難民の移動、非公式な医療行為、未承認の防衛設備。どれも、管理の網をすり抜けた活動だった。
「再配置の影響、か……」
元は管理下にあった人々だ。
だが、再配置の結果、そこに残された。正確には、残るしかなかった。
ミリアが隣に立ち、淡々と告げる。
「当該区域は、再配置時点で“維持対象外”と判断されています。現行規定では、介入不要です」
「……被害は?」
「数値上、致命的ではありません」
その言葉に、アルトは頷く。
致命的でなければ、是正の対象ではない。管理局の判断基準は、常にそこにある。
だが今回は、少し違った。
ヴェルナーから直接、指示が下りたのだ。
「現地確認」。
「珍しいですね」
アルトがそう言うと、ヴェルナーは短く答えた。
「記録外行動が続いている。数値だけでは判断しきれん場合もある」
それは、管理局としては異例の判断だった。
だがアルトは、そこに疑問を挟まない。上位判断は、正しい。
現地接続は、仮想視界を通して行われた。
荒れた地面、補修の跡が目立つ簡易構造物、統一されていない電力供給。だが、人はいる。生活がある。
「ようやく来たか」
低く、落ち着いた声が響いた。
壁外指導者・グレイ。管理ログにも名前が残っている人物だ。
「こちらは管理局、評価管制オペレーターのアルトです」
形式的な名乗り。
だが、グレイはそれを鼻で笑った。
「評価、か。ここはもう評価される場所じゃない」
「あなた方の区域は、再配置の結果として――」
「知ってる。効率が悪い。守る価値がない。そう判断された」
遮るように言われ、アルトは一瞬言葉を失う。
だが、すぐに立て直した。
「それでも、生存率は想定範囲内です。致命的な問題は――」
「数字の話はいい」
グレイの視線が、鋭くなる。
「聞きたいのは一つだ。あんたは、ここを“正しい判断”の結果だと思ってるか?」
アルトは、即答できなかった。
規定上は正しい。数値も示している。だが、それをこの場でそのまま口にすることに、わずかな抵抗を覚える。
「……最適な再配置でした」
結局、そう答える。
グレイはしばらく黙り込み、それから静かに言った。
「そうか。なら、あんたは間違ってない」
皮肉ではなかった。
むしろ、諦めに近い声だった。
「俺たちは、間違ってる場所に置かれただけだ」
その言葉は、アルトの胸に、奇妙な重さを残す。
誰も責めていない。だが、誰も救われていない。
「ここでは、管理は続いている」
グレイは続ける。
「配給も、医療も、防衛も。全部、俺たちで決めてる。正しいかどうかは知らない。ただ、生きてる」
アルトは、その言葉をログに残すべきか、一瞬迷った。
だが、端末は自動的に音声を記録していない。
記録されない会話。
評価されない現実。
「……支援要請は?」
「ない」
即答だった。
「どうせ、条件付きだろ。従えないなら、切られる」
アルトは否定できなかった。
それは、規定だからだ。
現地接続が終了する。
仮想視界が閉じ、管理局の均一な照明が戻ってくる。
「どうだった?」
ミリアが問いかける。
「……問題は、確認できませんでした」
アルトはそう答えた。
それは、事実でもあり、逃避でもあった。
だが、端末の片隅に、新たな通知が灯る。
《記録外行動:継続》。
壁外で、人が動いている。
管理されないまま、判断されないまま。
アルトはまだ、この違和感に名前を付けられない。
ただ、確実に何かが、彼の中でずれ始めていた。
壁外区域のログを閉じても、アルトの視界からあの場所は消えなかった。
灰色の地図。維持対象外。再配置完了。どれも見慣れた表示だ。だが、そこに「人が生きている」という事実は、どの数値にも含まれていなかった。
「報告、まとめますか?」
ミリアの声が、現実に引き戻す。
「……少し待ってください」
アルトは、通常なら不要な操作を行った。
壁外区域の個別データを、詳細表示に切り替える。医療ログ、防衛被害、食料消費。断片的な記録が、継ぎ接ぎのように残っている。
その中に、ひとつ気になる数値があった。
「この死亡率……」
「基準内です」
ミリアは即答する。
「急性増加ではありません。慢性的低下による自然減です」
自然減。
管理局では、そう呼ぶ。
「自然、ですか」
アルトは、思わず言葉を反復していた。
「管理が介入しない以上、避けられません」
それも、正しい。
だがアルトの脳裏には、グレイの言葉が浮かぶ。
――俺たちは、間違ってる場所に置かれただけだ。
「アルト」
今度はヴェルナーが声をかけてきた。
視線は端末ではなく、彼本人に向けられている。
「君の所感を聞かせてほしい」
所感。
評価管制オペレーターにとって、最も使われない言葉だった。
「……規定上、是正は不要です」
アルトはそう答えた。
だが、ヴェルナーは続ける。
「それは“結論”だ。所感ではない」
一瞬の沈黙。
アルトは、自分が何を言うべきか分からなくなった。
「……彼らは、管理を拒否しているわけではありません」
慎重に、言葉を選ぶ。
「ただ、管理の対象から外された結果として、自分たちで判断せざるを得なくなっています」
「つまり?」
「管理が届いていない、というだけです」
ヴェルナーは、ゆっくりと頷いた。
「届いていないものは、管理できない。管理できないものは、責任外だ」
それが、管理局の論理だ。
「だが」
ヴェルナーは言葉を切り、アルトを見る。
「届いていないこと自体が、判断の結果である場合はどうなる?」
アルトは、答えられなかった。
その日の終わり、アルトは一人でログを見返していた。
壁外医療員・サラ。追放整備士・ミオ。瓦礫防衛兵・ダグ。名前だけが残る人々。
彼らは、管理の失敗例ではない。
成功例でもない。
ただ、そこにいる。
そのとき、新たな内部通知が届いた。
《是正執行官・ラザル:出動準備》
理由は簡潔だった。
壁外区域での「非公式防衛設備」が、周辺管理区画に影響を及ぼす可能性がある。
「……排除ですか」
ミリアが呟く。
「是正です」
ヴェルナーは訂正する。
アルトは、端末に映るラザルのデータを見る。
躊躇は、被害を拡大させる――彼のメッセージが、冷たく光っている。
その瞬間、アルトの中で、何かが決定的に噛み合わなくなった。
排除すれば、数値は安定する。
管理は正しさを取り戻す。
だが、グレイたちはどうなる?
彼らは、再び「自然減」の中に戻されるだけだ。
「アルト」
ミリアが静かに言う。
「あなたは、何を迷っているんですか?」
アルトは、即答できなかった。
正しさか。
救いか。
どちらかを選べと言われているわけではない。
ただ、選ばれないものが、確実に存在している。
端末の片隅で、ひとつの表示が点灯する。
《評価不能領域:拡張》。
誰かが、また管理の外で動いた。
名前も、記録も残らない行動。
アルトは、その表示から目を離せなかった。
正しさは、まだ揺らいでいない。
だが、正しさだけでは、説明できない世界が、確かにそこにあった。
そして彼は初めて思う。
――管理できないものを、切り捨て続けていいのか。
その問いは、まだ言葉にならない。
だが、確実に彼の内部で、芽吹き始めていた。




