裏切られた勇者は、お望み通り魔王になる事にした
人々はいつも魔王によって脅かされ、しかしどこからともなく現れる勇者によって救われた。それはこの世界で幾度も繰り返されてきた歴史で、もはや予定調和のようなものだ。
そのため人々はいかなる窮地にあっても、決して希望を捨てなかった。
これからもきっと勇者による救いがもたらされることを信じて。
そして今回もまた人々の期待していたとおり、魔王が倒された。
久しぶりに目の前に広がった明るく輝く空は、かの者の不在を何より証明していた。瘴気の漂っていた時がうそのように清浄な空気に人々は喜び、それを叶えてくれた勇者に感謝するのであった。
「勇者様、バンザイ!」
「魔王を倒してくれてありがとう!」
魔王の討伐後、勇者はこれまで歩んだ道を逆にたどる形で、仲間とともに最後の旅路を楽しんだ。
旅の途中で立ち寄った村や町はどこも活気に満ちており、商売っ気の強い者はいち早く勇者関連グッズを作って売り出した。
民衆に特に人気が高かったのは『勇者様の絵姿』と『勇者様まんじゅう』で、なんと勇者本人よりも早く王都に凱旋したというから驚きだ。
そうして何度も途中で引き止められ、別れを惜しまれながらも、ついに勇者ご一行は王都まで凱旋することになったのである。
王都の人々もまた、このめでたい出来事に喜び、勇者の姿を一目でも見ようと沿道に詰めかけた。
勇者が集まった人々に手を振ると、人々はさらに熱狂した。
そうして人々は口々にうわさするのだった。
「勇者様、本当に赤髪なんだ!めずらしい」
「倒した魔物の血で染まったって…ほんとかな?」
「絵姿そっくり!イケメンね〜。」
「私、手を振ってもらっちゃった!」
「アンタじゃないわよ、私によ~!」
「今回の褒美は何になるのかしら?」
「前々回の勇者様は、爵位をもらったんだよな?」
「ボールドウィン辺境伯だっけ?ほら、あの例の事件の…」
「勇者様とお姫様が結婚っていうのも夢がある!」
「シーッ!だめだだめだ。今代の姫はとんだワガママ娘って話だ」
「お前こそ、そんなこと言ったら首が飛ぶぞ!」
「いや~おっかねえや!」
人々は笑い合い、互いの手を取って踊った。
子供たちの誰かが口ずさみ始め、広場には歌が広がった。
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勇者の命は 神のもの
魔王を倒す その日まで
勇者の才は 魔王の才
決して渡すな 魔の物に
勇者が転じた その日には
世界は闇に 落ちるだろう
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それはこの世界では誰もが知っている、わらべ歌だ。その昔、ある巫女が尊い方に教えていただいたという『神の伝令』が元になっているらしい。
なんでも神より魔王討伐の使命を与えられた勇者は、神の力に守られているため、それが成されるまでは死ぬことがなく何度でも蘇るらしい。
実際、使命を果たす前に亡くなった勇者は、これまでいなかった。
では使命を果たした後は?というと、どうやら老衰で亡くなる者がいたのだとか。勇者は活動的な者も多かったのか、魔王討伐後の足跡についてはあまり記録が残されていない。
ただわかることもあった。
勇者でも魔王討伐後は普通の人間と同じ運命を辿るのだ。
神のご加護から外れるからだろう。
真に永遠の命を持つのは神だけ、それがこの世界の定説であった。
これからの生活への期待に胸を弾ませる彼らは知らなかった。誰もが歓喜したこの祝賀の裏で、密かに一つの策謀が動き始めていようとは。
***
勇者の凱旋パレードが王都の大通りの中ほどに差し掛かった時、城のバルコニーでその光景を見ていた国王は苦々しい様子でため息をついた。
「なにが勇者か…」
魔王は勇者によって倒される。
たしかに間違いなく尊い存在だ。
しかしながら勇者の人気の高さは、いつの時代も王族の悩みの種であったと、王家秘蔵の書物には残っている。
歴代の統治者によって受け継がれてきたそれは、どの世代でも子孫のみが閲覧できるという前提のためか非常に赤裸々な内容が記されていた。
これまでの王家は使命を果たした勇者に対して、希望者には貴族の地位を与え、その者が望む褒美を出したりと、たいへん丁重に扱っていた。
それは感謝の気持ちももちろんあっただろうが、包み隠さずに言うならわらべ歌にあるように勇者に人間を裏切ってもらっては困るからだ。
過去には国政に対して口を出すような不届き者もいたという。
勇者といえども、たかが平民出身の門外漢だ。
そんなことは許されるはずがないというのに、一体どんな勘違いをしたのやら。
その時は勇者派と国王派で支持が分かれ、なんと反乱一歩手前の状態にまでなったそうだ。当時の国王はしぶしぶ勇者に貴族位を授け、王家の姫を降嫁させることでなんとか事態を収めたらしい。
姫の降嫁だと?勇者などにやるには勿体ない限りだ。いくらでも有用な嫁ぎ先は考えられたであろうに。
通常であれば、今回もまた褒美を出すところだろう。
国王は勇者任命の儀式の際に会った、あの軽薄とも言える態度の若者を思い出していた。もともとは教会によって勇者の印が確認され、田舎の村から王都へと連れて来られたという平民だ。
やつにとっては急な事態であったにも関わらず、一国の王である自分に対して物怖じもせずに話す様子には、これが勇者という者かと驚かされた。
『あ~ハイ!誓います。魔王を倒せば良いんですよね?』
厳かな雰囲気の儀式の会場にて、やけに響いたやつの気の抜けた言葉といったら。今思えば何も考えていなかっただけかもしれぬ。
そんなやつのことだ。今回は一体何を褒美として要求されるやら分かったものではない。かつての勇者のように、愚かな貴族に担がれる神輿にされるのも避けなくてはならなかった。
そこで国王は考えた。
魔王は倒されたのだ。
ということは勇者はもう用済みである。
どんな褒美を出さなければいけないか頭を悩ませるのも、裏切られる可能性を心配するのも、勇者が生きているからだ。
勇者を亡き者にしたなら、何も心配することはないではないか。
これは名案に思えた。
魔王が地上を支配し、勇者が現れるまでの期間で国は疲弊し、国庫からも物資を拠出し、王家といえどぜいたくは許されぬ…そんな苦難の時期が続いたのだ。
その上、さらに勇者に褒美を与えるなど。
しかし、勇者は魔王を下した存在だ。単純な戦闘能力では誰にも勝ち目はない。
そもそも腕利きを見繕うというのも、勇者に対しては現実的ではなかった。
ただでさえ国民人気の高い勇者を、亡き者にしようなどという計画が外部に漏れたら…?その時は今度こそ、反乱では済まない。王家が取って代わられるような事態になるだろう。
誰かに依頼することは出来ない。あくまで内々で済ませたい計画なのだ。
ではどうすべきかと考えたところ、王家に伝わる秘毒がいいのではないかと思い至った。秘毒は王族がいざという時に、必ず命を絶つことができるように作られた代物だ。
使命を果たしたことで神のご加護から外れ、勇者とてただの人の子。今の勇者なら決定打となりえるはずであった。
「勇者様をプライベートの食事会に招待しろ。王族からもお礼の気持ちを示さねばならんからな。最高級の食材を惜しみなく使え。厨房もそのつもりで手配するように」
これが勇者にとっての最後の晩餐だ。せいぜい歓待してやることにしよう。平民では決して口に出来ぬような豪華な食事に浮かれあがったその時が命の終わりとも知らずに…。そう心の中でほくそ笑みながら、急ぎ立ち去る侍従の背を見送った。
ただ同席する王妃や子供たちなどには、先にこのたくらみについて伝えておく必要があるだろう。
毒についても用意しておかなければ。
これで面倒事が片付く。
王はどこかウキウキとした様子で居住スペースに向かって行った。
そうして王家の陰謀は、魔王討伐に浮かれる街の騒がしさに紛れ、密やかにそれでも確かに遂行されたのであった。
***
その日、王の謁見室は物々しい雰囲気に包まれていた。あの日の食事会に参加した王族がすべて、ある手紙によって呼び出されていたからだ。
手紙は何のつもりか貴族らしい様式に則っていたが、簡潔にまとめるとこう書かれていた。
『食事会の借りを返しに行きます。勇者より』
国王は内心で思案する。
あの食事会の事を知る者は非常に少ない。
手紙が届いてからの間に該当の人物に聞き取り調査を行ったが、誰も彼もそんなイタズラをするなど畏れ多いことだと否定した。
当たり前だ。王族を謀り、更には亡くなったはずの勇者を騙るなど…並みの精神の者にはできまい。王家を脅迫する目的の可能性は限りなく低い。
ではあの時に殺したはずの勇者が、実は生きていたとでもいうのか?
勇者の身に起こった『悲劇』についてはすでに適当なストーリーを作り、容疑者についてもでっち上げ、牢に収監したというのに。
国は悲しみに沈んでいる。国民の嘆きの声はいかほどか。誰も彼も自主的に喪に伏している状況だ。
そこで王家が盛大な国葬を執り行い、感慨深い様子でこう演説してやるのだ。
『勇者様は我々のためにその身を犠牲にして働いてくれた。悲しんでばかりもおれぬ。我が国民達よ…どうか、かの方の働きを無駄にしないためにも、共に前を向こうではないか』
涙でも見せてやればなおよい。国民に寄り添う王家のイメージが出来上がり、支持率も上がるという訳だ。
勇者暗殺はそんな一石二鳥とも言える計画だった。
王家としてはどちらにせよ、この手紙を書いた者を見逃す訳にはいけなかった。
そして手紙に書かれていた時間になった時、謁見室が一瞬のうちに黒いモヤに包まれたかと思うと、中央に人影が現れた。
「こんにちは!皆さん、今日はお集まりいただきありがとう」
現れた人影は恭しく挨拶をして見せた。最初に声を上げたのは、勇者が真横に現れたことで思わず腰を抜かした王子だった。
「ヒッ!!!嘘だろ!お前!!殺したはずだ!」
「それがさ、死んでなかったみたいなんだよね。ごめんね」
大丈夫?と言いながら手を王子に手を差し出す。この軽率さ…たしかにあの勇者だ。服装は当てつけのつもりか、あの食事会の時と全く同じものであった。間違いようもない。
ドアを開くでもなく突然現れたその様は、まるで魔族のようだ。ということは…国王はごくりと生唾を飲みこむ。
「っ私は!本当は反対だったの!お父様が言い出した事よ!…私はあなたと結婚してもいいわ!」
「そうだったんだ。ありがとう、嬉しいよ。でももっとちゃんと反対してくれたらよかったのに。ただまあ…命を狙うような王女様はごめんかな」
だから命は助けてと言い募る王女に、勇者は白々しく困り顔を浮かべる。
「勇者は魔王を倒した後は、生き返らなくなるのではなかったのか…」
「デマだったみたいだよ、それ。現に俺は今でも生きてるし」
もしかしたら老衰じゃなきゃ死なないのかもね?などと相変わらず軽薄な様子で告げる勇者に、サァ…とその場に居た者の顔が青ざめる。
そんな…それでは我々のしたこととは…などと、思わず脳裏に様々な考えが過ぎるがすべては後の祭り。
考えうる中で最悪の事態だ。新たな魔王が誕生したのだ。しかもその者が勇者であったから、人間への助けは当分来ない事が予想された。
「質問したいことは終わりかな?…それで、君たちはどうしたい?」
元勇者の魔王は、あくまで親し気な様子を崩さずに微笑む。瞳に悪意を宿して。
「あ、その前にまずはみんな、謝ってもらえるかな?」
***
決死の土下座謝罪のおかげで、王族たちはなんとか命乞いに成功した。しかも道中で知り合った国民が皆善良だったという理由で、人間は滅ぼさないでくれるという。
「対外的には魔王が復活してないと思われた方が都合が良いんだよね」
ほら、軍とか送り込んでこようとするかもしれないしね、などと魔王はそう言ったが、余りにもこちらにとって虫が良すぎないか?と思った国王の懸念は正しかった。
まず王家は今回の慰謝料として、王族各々の個人資産から約5割が徴収されることになった。
大変高額な出費である。一部の王族からは発狂ともいえる叫び声が聞こえたが、勇者もとい魔王のひと睨みで黙殺された。
その代わり、王族が勇者を殺したことで魔王に転じた此度の大失態については国民に秘密にしておいてくれるらしい。なんと慈悲深いことか。虫唾が走るような気持ちだ。
また表向きの魔王討伐の報酬としては、勇者が王として独立して国を持つ事があげられた。
新たな国は元々魔王の住み家、最終ダンジョンがあった土地に設立する予定だそうで、領土の割譲こそないものの、それでも破格の褒美である。
さらに国民が希望する場合は、その新しい国に移住する許可も出す事を約束させられた。
国民には当然、勇者生存の報を伝えなければならない。国王は頭が痛くなる思いがした。全てにおいて前代未聞の事態で王家の威信失墜は避けられないが、なんとかするしかないだろう。
隣国に鎮座することになった魔王の存在は、今後あらゆることに影響するはずだ。
いやしかし…老衰では死ぬ可能性があるのだから、魔王が現在18歳ということは、たった70年ほどの辛抱だ…いや70年って結構長いな…少なくとも私の在位中は最悪だが。
次代に期待することにしよう。
勇者暗殺の発案者として家族一同からの冷たい視線を受けながら、こんな事なら素直に勇者へ褒賞を出してやるのだった…と国王は後悔するのであった。
***
その後はといえば、魔王はまず貧民街の者たちを老いも若きも問わず拾い上げ、最初の国民とした。隣国の王はなぜ貧民街の者を?と疑問の表情を浮かべつつも、良い厄介払いが出来たと喜んで彼らを手放した。
マオルディア王国の始まりである。
なんせこれまでさんざん貯め込んでいた王家の財産を5割ほどぶんどったおかげで金は腐るほどあったし、未開発とはいえ土地もある。
国の体制を整える過程であっても、彼らを食わすくらいは大したことではなかった。
貧民は金銭的に厳しい暮らしをしていたが、無才の者ではない。
魔王が現れてから日毎に悪化する環境に、生活を立て直すことが難しかっただけだ。
平民出身の農夫や鍛冶屋・大工の他に、王の意思に沿わない事で没落した元貴族や先進的な考えを持っていたがために追放された学者など、彼らの出自や経歴もまた様々であった。
マオルディア王国は、出来たばかりの新しい国だ。
仕事は山ほどあったので、彼ら1人1人に適職を見つけてやるのは難しいことではなかった。
勇者暗殺事件にて冤罪を着せられた者は、なんと腕利きの冒険者であったからスカウトして国を守護する任務に就いてもらうことになった。
彼はいま、仕事の傍ら自分の身に起きた出来事を冒険者たちに広め、こちらの国を拠点にしないかと持ちかけているようだ。
彼らは引き立てられたその恩に報いるように懸命に働き、それに伴いマオルディア王国もまた順調に発展していった。
***
例の事件から10年ほど経った時、魔王は部下たちと一緒に不老不死の薬の開発に成功したといって、人間の王が住む城まで挨拶にやってきた。
「末永くよろしくね!人間の皆さん!」
すでに代替わりして、勇者を害した当時の王子が王となっていたが、魔王のその発言を聞いてふらふらとよろめいていたのは愉快だった。
前王の様子を尋ねると、どうやらあの例の騒動の後になぜか急激に元気を失くして最近になって引退したのだという。せっかくだからお見舞いに行ってあげようと魔王は決意した。
もちろん嫌がらせだ。
***
前王のお見舞いに行った魔王は、自分の国の執務室で一息ついてからその時のことを思い出していた。
この国で開発された最新の薬や栄養剤を見舞いの品として置いてきたが、果たして前王は飲むのだろうか?いや、毒殺の仕返しだと疑うだろうなと思わずにやける。
そんな魔王を冷ややかな顔で侍女が諌める。
「マオー様、いささか趣味が悪いのではないですか?一体いつまで続けられるおつもりで?」
「だって俺は魔王だからさ。人間に嫌がらせくらいするよ!向こうのご希望通り、ちゃんと魔王を演じてあげてるんだから逆に感謝して欲しいくらいだ」
そう、実は勇者は魔王になったわけではない。あの事件で殺された訳でもなかった。全てはハッタリだ。
「でもまさか、わらべ歌を信じているとはね〜!よりにもよって王族がだよ?」
***
毒を盛られたあの日、王都での凱旋パレードの後に直接王城に向かった勇者は、毒耐性のブレスレットを身に着けたままにしていた。
そのブレスレットは旅の終盤になってからダンジョンの宝箱から手に入れた珍しい品だ。パーティー内の誰が身に着けるかという話になった時、前に出ることが多い勇者が適当だろうということで、たまたま勇者の装備の1つに加えられた。
装飾品といっても差支えない見た目のそれは、王族と対面する際に身に着けていても失礼には当たらないだろうと思われた。
何も直感が働いたなどといったことではなく、完全なる偶然だった。しかしおかげで危うく命拾いすることになったのだった。
それでもブレスレットだけで毒を完全に無効化できたわけではない。
その効果で即死こそしなかったものの、勇者は床に倒れ込む羽目になったし、今までの人生で一番豪華なディナーはすべて吐いた。
体が吐瀉物で汚れていることで触りたくないと思われたのか、直接的にとどめを刺されることがなかったのは幸いだった。
毒を盛った張本人である彼らが笑い声とともに漏らした『不潔だわ』という侮蔑の声とこちらを嘲る眼差しは、決して忘れることはないだろう。
そしてボロボロの勇者は、王の指示を受けたであろう騎士たちに貧民街近くに打ち捨てられたのだ。
その日は王都の大通りにて魔王討伐のお祭りが開催されていた関係もあり、貧民街など誰も立ち寄るような場所ではなかった。
大きな祭りでは通常、貧民も腹を満たすことができるほどの料理が無料で振る舞われるのが慣例だ。そのため貧民である彼らもほとんど出払っていたはずだった。
ただ少しだけ残っていた貧民たちが救助してくれたから。
勇者自身も初歩的なヒールが使えたから。
滞在していた宿屋を教えると、急ぎ仲間を連れて来てくれたから。
仲間の解毒が間に合ったから。
なんでも彼らは偶然、例の関連グッズで勇者の顔を知っていたらしい。
勇者の赤い髪は、この国ではなかなか見ない珍しい色だというのも大きいだろう。
そんな様々な要因が組み合わさって勇者は助かった。
死ななかったのは、ただ運が良かっただけだ。それに尽きる。
「あの時は俺に使命を与えたっていう神様の慈悲を感じたよね」
***
建国の経緯は国民に大変人気のある公然の秘密だ。
初めてそれを聞いた彼らの反応は様々だった。
戦争を仕掛けようと言い出す者、ハゲにする呪文を探し出す者、地理的に上流に位置するこの国なら川をせき止めてしまえば効果的だと言い出す者など…
魔王がもうちょっと平和的な方法でと窘めたところ、意見を出し合い、隣国の王族にのみ有効かもしれないちょっとした嫌がらせを考えついたのだった。
彼らは国名の『マオルディア王国』と『王』を組み合わせて自国の王を『マオー様』と呼んだ。そして自らも思い思いの魔族らしい服を着て、角や牙などのアクセサリーを身に着け、それらしく見えるよう化粧を施した。
それは最初の国民だった彼らのちょっとした思い付きで始まったことだったが、以降マオルディア王国に移住してきた人々の中でも面白がって真似するものが現れ、次第に文化として定着した。
どこの国でも見ない珍しいそれらの装束は、マオルディア王国の観光資源としても重要な役割を担うことになり、観光大国としても更に発展していくための礎となるのであった。
***
── ここ数週間、俺は4年ほど前に興ったというマオルディア王国を目指していた。
辺りの景色は和やかな雰囲気の村や畑などはとうの昔に過ぎ去り、どこか神秘的な針葉樹の森が広がっていた。
道案内のように舗装された石の道は森の奥深くへと続いている。少しでも道を外れてしまえば、きっと目的の国に辿り着くことは難しいだろう。この森は天然の要塞として、国を護る役割を果たしているのだと直感した。
季節は初秋。北の冷気が肌を刺し、冬には一面が雪に覆われることが想像できる。
それもそのはず、マオルディア王国はこの国の北をさらに先に行ったところ。各国が持て余していた空白地帯…かつては魔王の住処があったという場所に位置していた。
マオルディアについての噂は実に多様だった。勇者が魔王討伐の褒賞で得た国だ、いや、魔王そのものが築いた国だ。あるいは流れ者やはぐれ者ばかりを集めた烏合の衆の国、いやいや慈悲深く誰もが居場所を得られる理想郷なのだ ──
どんな国なのか、確かなことは分からない。だがもはやここしか頼れそうな場所はなかった。流れ者が居るのも結構だ。俺も似たようなものだと心の中で自嘲した。
そんな事を考えているうちに森を抜けたようだ。思わず息を呑んだ。
見上げるほど高い城壁が連なり、堅牢な門が聳えている。その規模は俺が想像していたよりはるかに大きい。四年前にできた国とは思えない。
そして、その門の前に門番らしき男も立っていた。すこし身構える。一縷の望みに賭けてこの国に来てみたはいいものの、入国が許可される自信はなかった。男が気付いたようで目が合った。
「やあ!こんにちは、お兄さん。マオルディア王国へようこそ!」
ここ遠かったでしょ〜!よく来たね!そう久しぶりに笑顔で話しかけられ、その男の妙に気安い様子に、俺はなぜか安堵してしまい、フッと体から力が抜けるのが分かった。視界がぼやけ……俺はそこで意識を手放した。
***
目を覚ますと、木の匂いが漂う暖かな空間にいた。俺は長椅子の上に横たえられており、顔を覗き込む子供たちが目を丸くしている。
「ねー!ママー!おじさん起きたよー!」
おじさん、か。心の中で苦笑する。
そこへ、先ほどの男と笑顔の女性が近づいてきた。ここは街の食堂らしい。台所からは香ばしい匂いが漂い、空腹を思い出させる。
「いきなり倒れるからさ、ビックリしたよ。腹減ってるだろ?好きなの頼んでいいよ」
持ち合わせがないと告げると、男は愉快そうに笑った。
「いいっていいって! ここじゃ腹を満たすことが先決さ」
差し出された献立の中から「野菜たっぷりスープ」を選ぶと、子供たちがこっそり耳打ちしてきた。
「これね、お母さんがいちばん喜ぶメニューだよ!仕入れた食材のざいこしょぶんスープなんだって」
「バカ!言っちゃダメよ!でもお母さんが作るとすっごく美味しいから!」
ね?これで正解よ!と女の子が器用にウィンクをする。なるほど、商売上手だ。子供達と少し話していると、さっきの男がスープを2つ持って現れた。
「ハイ、スープ!俺も食べよ〜っと!」
運ばれてきた器からは湯気が立ち昇り、色とりどりの野菜が顔を出していた。まずは一口、口に含む。
「……美味い」
思わず言葉が零れた。久しく忘れていた温かさが、胃から全身に染みわたっていった。
「だろ?この店は街で一番人気なんだ」
男は得意げに笑った。
***
食事を終え、誘われるまま街を歩く。
子どもたちが外まで出てきて『また来てねー!』と手を振ってくる。子どもたちとスープの温かさに癒され、今度はきっと自分の稼いだ金で来ようと決意した。
石畳の通りには露店が立ち並び、南方から運ばれたであろう香辛料の匂いが鼻をくすぐる。芸人が火吹きを披露し、子供が歓声を上げる。建物は赤茶色の屋根瓦が連なり、冬の寒さに備えてか、家の脇にはもうすでに薪が積まれていた。
事前に抱いていた『荒くれ者の集まり』という印象は、次第に薄れていく。
確かに服装や言葉遣いこそ雑多だが、人々の顔は明るい。余所者の上にボサボサ髪の俺にも笑みを向けてくる。追放者や流れ者であっても、新しい居場所を得た安堵がこの国全体に満ちているのだ。
なぜか黒い服と個性的なアクセサリーを身に着けているものがその中でも多く見受けられるが、そういった文化なのだろうか。
「改めて…ようこそ!マオルディア王国へ!この国は裏切られた者が作った国。何らかの事情がある者こそ歓迎するよ!」
「歓迎か…受け入れてもらえると良いのだが。まずは行政による手続きなどが必要か?それとも国王陛下に挨拶に行った方がいいだろうか?もしくは…」
「ははっお兄さん、真面目なんだね!うーんとそうだね。それじゃあ、案内するよ」
連れられて来たのは街の中央。王城というには街の規模に対してややこじんまりとしているようにも見えた。貴族邸といってもおかしくないようなサイズだ。
どうやら国民に開放されているらしく、自由に入ることができた。
中に入ると空の玉座が見える。どうやら王はいらっしゃらないらしい。
「残念だが、またの機会に…」
そう男に言いかけると、すぐ隣にいた男はニヤッと笑ってから、ごくごく自然な素振りで玉座に座った。真っ直ぐに俺を見据える。
「初めまして、この国の王をやってるよ。みんなはマオー様って呼ぶ。君は?いったい何があってここに来たのかな?どんな仕事がしたい?君の事を教えてくれ」
―― 王。
やられた!胸の奥で驚きと納得が同時に湧き上がった。気さくで、どこか子供じみた振る舞いすら見せる男。だが、それを一瞬で理解させるだけの説得力がある男だ。立ち方も体の運び方も強者のそれだということには気付いていたが…
ならば、俺も腹を括るべきだろう。背筋が伸びる思いがした。
「俺は…」
***
「信じてくれるのか?」
「もちろん!信じない理由はないよ。でも裏切ったその時は、俺が直々に仕返しに行くかもね?」
「…確かに恐ろしいマオー様だ」
「はは!それが嫌だったら、せいぜいこの国で楽しく暮らしてよ」