おまけ 佐竹ミカと出会った日のこと
村瀬裕也C
時は過去にさかのぼる。2024年お盆明けのお話。
僕らは盆明けに営業部から知財部に異動してきた。
データを読むことができるからだ。
本当は開発部を希望していたのだが営業に回され、何度かけあっても業績トップだった僕らの異動は認められなかった。営業部長が会長の親戚で人事部に圧力をかけていたらしいのだ。
だがうまい具合に知財部の欠員が出て僕が行ける事になった。
何度もかけあった営業からの異動が認められたのだ。
本来僕の経歴は営業に居る様なものではない。
この異動は他の部署でもやれると見せる為。
その為のワンクッションなのだという。
僕にとっては営業の方が楽だけど本体であるBには接触嫌悪があり、人付き合いにストレスを溜める性格なのだ。あいつは僕だけを働かせる事に引け目を感じている。学生時代は勉学担当であったからな。会社も自分の担当だと思っているのだろう。
ふと、自分の思考に違和感を覚えたがすぐに霧散する。
さて、知財部に来て驚いたのは周囲の人間の能力の高さと効率の良さ。
一見それぞれが自分の仕事をやっているのに、慣れない僕にさりげないフォローまでしてくれる完璧さ。
僕が書類を見て処理に迷いマニュアルと照らし合わせていると、黙々とパソコンを叩いていた久我課長が伸びをして体をそらせ僕をチラリと見て仕事に戻る。
向かいに座る佐竹さんは課長を見てから僕の元に歩み寄った。僕は自然にキャスターを転がし横に来た佐竹さんとほんの少し距離を取る。
僕は大丈夫なのだがBが出社した時、万が一触れられる事があってはいけないから僕はBの距離感を徹底する。
「村瀬さん、来たばかりなんですから分からない事があれば自分で調べるより聞いた方が早いです。知財部は効率重視。自分で何とかしようとして時間を浪費する方が良くないです。」
「分かりました。ここなんですけど。」
この人は仕事に厳しいらしい。課長がそういう風に彼女を育てたのだろうという事は理解できた。彼女の説明は実に分かりやすく、確かに自分で調べるよりも効率が良い。
「村瀬さんで分からない事なら私か前田君に聞くと良いと思います。」
この人は僕の能力を評価していて僕の態度で女性を警戒していると見抜き、男性社員の名前も出してくれた。
なる程、彼女は信用できる。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は佐竹さんに笑顔を向けた。
「いいえ!分からない事はいつでも聞いてくださいね!」
佐竹さんは弾む足取りで自分の席に戻った。
感謝を表情に出すのはコミュニケーションには必要だろう。常に仏頂面でいるわけにもいかない。
僕自身が人に溺れさえしなければ、僕の魅力は武器になる。僕の教育係はそう言ったのだ。営業部でだって距離を徹底管理しここへ来てから女性トラブルは一度も起こしてはいない。相手が勝手に勘違いして告白して来ても、ただ断れば良いだけだ。
それから数日。
「前田さん、良いですか?」
僕は前田さんに声を掛ける。
「あ、ああ。今手が離せないから佐竹さんに聞いてくれる?」
前田さんがそっけない。
何故か前田さんが僕と目を合わせようとしない。そして視界の外からひしひしと断れという圧の様なものが前田さんに向かっている様に感じるのだ。
それと同時に、他の社員から、哀れみの様な感情が僕に向けられている。
僕は幼少期の厳しい訓練の成果で、目を見れば人の感情を漠然と察する事ができる。だがこんな風に視界の外から感情を感じたのは、大阪の会社で僕の良くない噂が立った時以来だった。これは、悪い事が起こる前兆かも知れない。
その時僕は意識が遠のくのを感じた。
村瀬裕也
またかという気持ちで僕はCを乗っ取る。
本体である僕はCから主導権を容易に奪う事ができるのだ。
僕は何も言う前から僕の席で待ち構えていた佐竹ミカに目を向けた。
この女には絶対笑いかけてはいけない。
「佐竹さん、ここなんですけど。」
僕はあえて難しい顔で佐竹ミカに質問した。
彼女がマウスを持つ僕の手に触れようとしたので大袈裟に手を引っ込めた。
「なる程、理解しました。ありがとうございます。」
僕は無表情のまま目を合わせずに頭を下げる。
この女は察しが良い。警戒しているぞと態度に出せば嫌われない為に自重する……と良いなあ……。
もう。Cはこういうの釣ってくるのやめてほしいよ。ほんとやなんだけど。
課長は一瞬僕を見てまた仕事を始めた。
佐竹がこんな女だと知ってたなら最初から僕にけしかけないで欲しかったんだけど?
昼休憩、社食に行かずコーヒーを飲んで一息付く。
Cが理解できる様今日佐竹ミカに質問した部分と分かりづらかった処理をマニュアルを速読しながらメモして頭へ入れていく。
こうしておかないとCは映像記憶からマニュアルの欲しいページを思い起こす事ができない。
全く、僕は勉強担当では無いのだがな。
まあ仕方がない。
同じスペックを持っているのだから僕がやるしかない。
Cは考えて理解し行動に移すまでの処理速度が僕より遅い。
あいつも一般社員よりはできる方だが何もかも一人でできる程でもない。
能力を活用するのが下手なのだ。ここは効率化して情報を使いやすい状態までもっていってやれば仕事効率も上がるに違いない。
「村瀬君、珍しいね。」
「ええ、今日は食欲が無くて。」
課長が来たので手を止めて返事をする。
「君は努力家だね。」
「いえ、そうではないのですが、僕は耳よりも目で見た方が理解しやすいタイプなのです。」
実際に僕やCもそうなのだが、仕事中マニュアルを出そうとすると佐竹ミカが席にやってきてお節介を焼くのだ。
「そうだったのか。だがメモと共にマニュアルページまで書いているのだね。これだとノートを見てからマニュアルと2段階必要ではないかい?」
「大丈夫です。僕は映像記憶があるので。ですが日によって映像記憶へのアクセスに手間取る事があり、その為にページをメモしています。これを記憶すれば他の人の手を止めず自分で全て処理できます。」
「なる程。分かった。自分のやり方でやると良い。お節介をしてすまなかったね。」
「いえ。なるべくマニュアルを手に取らず仕事を進められる様にしますので、長い目で見ていただけたらと思います。」
という会話をして向かいの席で弁当を食べている佐竹ミカを牽制した。




