5話 多数派に紛れて生きていく僕たち
村瀬裕也
「課長。実はお話が。」
課長とミーティングルームで話す事に。
「村瀬君。昨日は助かったよ。あれから妻と話してね。撮影者は女性だと分かったよ。息子も協力していたらしい。どうやら懐中時計で懐柔された様でね。」
課長が下手なダジャレを言った。これは、笑った方が良いのかどうなのか。いや、ダジャレでは無かった場合馬鹿にされたように感じるかも知れない。
「そうですか。それは良かったです。それで、非常に申し上げにくいのですが実は。」
僕は正直に、自分がユメカのファンであり、以前からユメカの解説ブログをやっている事を話した。日付を見れば課長と出会う前であり、僕がユメカの動画に関わってはいない事を理解してくれると思う。
「ああ。そんな事か。大丈夫だよ。君を疑ったりはしない。もし関係者なら、自分から動画を見せてきたりはしないだろう。」
いや、する人も居ると思いますよ?
世の中には家族ぐるみの交流に持ち込んで涼しい顔で堂々と友達や家族を裏切る人間がいます。
「君が考えている事は分かるよ。だが君はそういうリスクは犯さなさそうだ。」
「し、信頼してくださっていて嬉しいです。」
課長ってこんな人だっただろうか。もっと冷静に状況分析ができる人だった様な気がするのだが。まさか課長までポンコツ化が進んでいるというのか。まずい。まずいぞ。僕の穢れは触れずとも人を馬鹿にする効果があるかも知れない。
二週後の日曜である。
僕らはシーバス釣りに行くも、釣果は芳しくなかった。
課長はカサゴを釣ったがこれをリリース。その後エソを釣ったがそれだけであった。
「課長、エソは小骨が多く捌くのが難しいんですが、奥様ができなかった場合ママさんならいけますかね。」
「そうだね、お義母さんなら大抵いけると思うよ。」
それよりも気になったのは課長の態度だ。
どうも釣りに身が入らない様で、話しかけても上の空なのだ。
ん?
見覚えのある人が歩いていた。
ええ?!
僕は二度見した。
「はっ!!か、課長。」
「え?どうしたんだい?」
「さ、佐竹さんが居ます…。」
僕は小声で言った。
「ま、まさか。佐竹君は君のストーカーなのか…!こ、これは上に報告をした方がいいか。君は開発部が希望だったね。他に行きたい部はあるかい?」
え!偶然釣り場で会っただけで僕を異動させるんですか!
「どうしましょう。このまま釣りを続けるなら、声を掛けますか?無視しますか?」
「いや、今日はもう切り上げよう。先の事を話したい。」
「そそそそうですね。ととっとりあえずモーニングにでも行きませんか?」
僕は課長にいよいよ捨てられるらしい。
喫茶店に着くまで車で何度も深呼吸して心を落ち着ける。
案内された席に座るとモーニングセットを二つ注文し、僕から話を切り出す。
「僕は営業部に戻りますよ。もうそろそろ営業部を抑えるの難しいって佐竹さんに聞きました。営業部ならば僕に執着する人も居ないし、移動の時間も多く、他の社員と関わる時間は今より減ります。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
ところが課長は言った。
「君を手放す気はないよ。君ほど優秀な人間は居ない。異動させるのは彼女だ。開発部以外の場所にやろうと思ってね。」
なんだって?!正気の沙汰とは思えない。
「そんな。外で偶然会っただけですよ?僕はいつ営業に戻るか分からないので事を荒立てたくは無いです。」
佐竹さんは今の知財部に絶対必要な人材だ。彼女を飛ばしたらその皺寄せで他の社員の不満が噴出する。そして、その矛先は確実に僕に向く。
「そうかい。すまない。君が社内でとてつもなくモテているというのは後で聞いたんだよ。知っていれば君には佐竹君ではなく前田君をつけたのに。」
課長は申し訳なさそうに言う。
最近知った事に、課長は人の容姿にあまり興味がないらしいのだ。人の評価に容姿の情報を考慮しない。興味が無くても客観的に理解していなければ人の配置を間違う事がある。それを課長は自分の欠点だと捉えていた。
「やはりダメだね。僕は。色恋には疎い。僕は女性の気持ちなど分からないのだよ。」
「先日から様子がおかしい様ですが、何かありましたか?」
「ああ。ちょっとね。」
課長は曖昧に濁した。
「もしも、体調が優れない様でしたら、僕に気を遣わず直前キャンセルして下さっても大丈夫だったんです…」
「いや、僕が気晴らししたかったんだよ。そんなに顔に出てたかね。」
「ええ。課長らしくないというか何といいますか…。」
「僕らしくない?どういった所が…」
しまった。距離感を間違えた。
僕が取り繕おうとすると、課長は言った。
「僕に意見を言ってくれる人は少ないんだ。教えてくれるかい?」
「な、何といいますか…は、判断に、情を挟む様になったと言いますか。」
課長は目を見開いた。
「あっ、もも、申し訳ありません。ささ、差し出口を。」
「いや、それは本当かね。というか君は、僕の内面を見抜いていたのかね。」
「あの、あの、決して課長が冷淡だとかそういう意味ではなく、私情を抜きに客観的に判断を下す人というイメージがあったので、その。ささ最近、何だか僕、贔屓されている様な気がしまして。あの、自惚れとかではなくて、そそそ、その、社内で、その、噂が。」
「なんだって!客観的に見える程に!?」
「そそその、だから僕ではなく佐竹さんを異動させると言った事が信じられなくて。」
「いやそれは客観的に考えてだよ。彼女は他でもトラブルを起こしている。恋愛トラブルに僕は疎い。いくら優秀でもその兆しを僕が分からなければ僕では彼女を使いこなせない。これから新しい社員が入る度にやきもきするのは嫌なんだ。」
いや、それは僕も全く同じ条件だと思うのですが。
「ですがその。そうした場合、他の社員の不満が僕に向きます…。彼女の請け負っている仕事が多すぎるんです。」
「ああ…確かにそうか。これは、重症だな。」
そこへモーニングが来た。
僕らは黙って食べる。最近の課長は何だかおかしいのだ。
「も、もしかして、奥様と何かありましたか?ウッドデッキの事で。」
「い、いや、ウッドデッキの事ではないし、それは君に相談する事では…。」
「僕、これでも女性不信になる前は恋愛経験豊富だったんです。女性の気持ちは分かるつもりですよ。」
課長は少し迷ってから話し始めた。
子供が大きくなったから、新しい趣味を始めないかと課長からユメカを誘ったらしい。だが課長だけが釣りを楽しんでいる状況に、ユメカが不満を溜めているのだという。
「浮気を疑われている訳ではないですよね?」
「いや、彼女はあまり嫉妬はしない人なんだ。」
僕は今まで課長から聞いた話を頭に思い浮かべる。
ユメカは趣味に没頭する人で、今まで20年、子供が成人するまで主婦を完璧にこなそうと頑張ってきた。課長はボーリングがやたらに上手い。それはユメカと二人でさんざんハマったかららしい。なるほど。
「もしかしたら、課長と新しい趣味を一から始めるのが楽しみだったのでは。若いころの様に戻りたいのかも知れませんよ。」
課長は驚愕の顔をした。
「ま、まさか、彼女にそんな女性らしい感情があるとは。」
え、ちょっと意味が分らない。課長の中でユメカの認識どうなってるの?
「あの、思ったより女性らしい方だと思いますよ?課長の完璧主義に合わせて自分も完璧主婦になろうだなんて。」
「いや、それは違う。彼女自身が脅迫的に完璧主義なんだ。僕以上のね。」
「それは、課長に合わせているのではなく?」
「違う。彼女は出会った頃から完璧主義だ。それを徹底的に隠していかに迫害されずに世の中を上手く生き抜くかに拘っていた。だから意気投合したんだ。」
そう言って、少数派が肩身の狭い思いをする世の中の理不尽さに愚痴を言い合った過去を話してくれた。彼女は全てが平均でなくてはつまはじきにされる世の中のせいで、突出した能力を持つ人間が力を発揮できないのが理不尽だというのだ。
「それは確かにそうですね。僕は、自分以下の人間に取るに足らない事で下に見られ虐げられるのが大嫌いなんですよ。だから誰にも負けない様に完璧を目指すし、徹底的に普通を装います。多数派の好む行動と一般常識さえ完璧に頭に入れておけば多数派に紛れる事は可能ですから。」
僕は子供の頃の嫌な事を思い出しつい余計な事を言ってしまった。
「君も同志だったか。」
「す、すみません。調子に乗りました。でも、彼女も少数派なんですね。では僕の分析は間違えている可能性があります。一度きちんと奥様と話し合ってみては。」
「いや、ありがとう。そう考えると今までの言動に納得いったよ。君に相談して本当に良かった。これからも僕の分からない分野に関して助言をくれるかい?」
「い、いえそんな。僕なんかが。」
僕は恐縮する。
「本心だよ。僕に対して壁を作るのはやめなさい。」
まっすぐ見つめる課長の目から僕に対しての強い感情。
期待。
僕は期待されているのだ。
初めて、初めて道具ではなく、人間として認められた。
容姿など関係なく、
あんな事をしなくてもだ。
涙が出そうになって、僕は慌ててハンカチで拭いた。
「申し訳ありません。みっともないところを。」
「そこまで感動してくれるとは、上司としての冥利に尽きるよ。」
「僕、人に能力で認められたのが初めてで。」
初めて期待されているのだ。
僕は、応えなくてはいけない。
「ありがとう。参考になったよ。だけど、自分の事は分からないものなのだね。唯芽も、君も、こちら側の人間だよ。」
課長は初めて、僕にユメカの名前を明かした。