閑話1 隣人の日常
僕は潟見響大学を卒業して就職するも、一か月目のGW明けに退職してニートになった。
だが親の仕送りが止められ、この全四部屋の小さな安アパートの二階に越してきて、何とか工場の検品と箱詰めの仕事を始めた。
このアパートは賃料は安いのだけど木造で隣の音が筒抜けだ。
一階は大家さんが物置に使っていて僕とお隣さんの他には誰も住んでいない。
僕は職場から帰るとポストに届いていたアペリオの封筒に飛び上がって喜んだ。
「やった!当たったんだけど!!けどまさか普通郵便で来るとは思わなかったww取られなくて良かった〜。」
僕は家に入ってとりあえずキッチンのテーブルの上に封筒を置いた。
僕には、一度置いたものは景色になって認識できなくなってしまうという謎の特徴があった。
早朝、携帯が鳴って電話に出ると職場の人だった。
「潟見君、川裾だけど。今日体調悪くて、仕事代わってくれない?」
「あ、いいですよ。」
「ありがとね。埋め合わせするから。」
「いえ、お大事にしてください。」
埋め合わせとか要らない。食事奢るって言われたけど僕の事下に見てる女に借りとか作りたくない。
僕は陰で便利マンと呼ばれている。
給料が安いから誰のヘルプも断らず受ける事でシフトを増やしていた。
そしたら、そういう役回りと認識され、どんどんヘルプが入る様になってしまったのだ。
僕は友達も彼女も居ないからそれでいいのだけど、こうやって早朝にいきなり電話がかかってくる事も多くなった。
うちの職場は押しの強い女性が多いんだ。
さっきかかってきた相手、川裾さんは結構可愛いけど性格は悪そう。
職場でめっちゃ話しかけてきて、僕を便利に使うんだ。
用意をして家を出ようとするとお隣の村瀬さんが階段を下りていく所だった。
「ちっ。」
隣に住む村瀬さんはまるでCGかと思う程のアメイジングイケメンでそいつを見るとキラキラオーラによって僕は存在が溶ける様な圧を感じる。
正に陽キャを絵に描いた様な爽やか男で、僕とは住む世界が違うのだ。
ぶつぶつ独り言を言ってたり、時々叫んだりして結構騒々しい奴で、僕が壁を叩くと静かになる。
僕があのアメイジングイケメンをビビらせてるのかと思うと嬉しくて壁を叩くのが日課になった。
翌日はお詫びと言って川裾さんが交代してくれたので昼まで寝た。
起きて万年床の上でラーメンを食べてたらうっかりこぼしてしまい、ベランダに布団を干して部屋に戻ろうとしたとき、隣の男がベランダに出てきた。
ふと、物干し竿にピンチハンガーを釣ろうと手を伸ばしたのが見えた。
え……。
あいつの両腕には無数の切り傷があったんだ。
ちょっと一回やってみたとかじゃない。内側にも外側にも無数にあった。
僕は見てはいけないものを見た気持ちになり、急いで部屋に入った。
動悸が止まらない。
あんな陽キャイケメンが、一体何があったのだろうと気になった。
それまでも時々夜中にうめいてる事があって救急車呼ぶか迷った事はあったけど、どうしても初対面の人の家のドアを叩く気にはなれず放置していた。
僕は激しい罪悪感に苛まれた。助ける事ができたかも知れないのだ。
「この、この顔のせいで!!うああ。うあああ。」
ある日隣の部屋から叫び声が聞こえてきた。
僕は震えながら耳をふさぎ、部屋で息をひそめる。
イケメンにはイケメンの悩みがあるのだとその日初めて知った。
もしかしたら女に執着されて大変なのかも知れない。彼女がストーカーに危害でも加えられたのだろうか。
だがどうしても関わる気にはなれないのだ。
罪悪感も迷いもある。だけどもしも異常な人だったら、僕は巻き込まれたくはない。
苦しい。怖い。
でも僕だって自分の事でいっぱいなんだ。
ところが、その日から、男の様子は一変した。
ゲームをしているらしく、看破!とか叫びながらゲラゲラ笑うのだ。
「んだよ。元気じゃないか。」
僕は心配したのが馬鹿らしくなって壁をドンと叩いた。
そしたらシンと静かになって、またしばらくしたらゲラゲラ笑い始め、かと思ったら文具のセールスの練習をし始めたりするのだ。
やつは大川文具の社員であるらしいというのは分かった。
奴のハイテンションはエスカレートした。
ついに頭がおかしくなったのか。
夜中にうおおおとか叫んで雄たけびをあげたり、僕は天才だ!とか叫んだりするのだ。
「僕は一生賢者モードを実現した!!」
それを聞いた瞬間僕は壁を叩いた。
なんでだよ!!お前その顔で一生賢者モードとか必要ないだろうが!!
いやでも、もしかしたら超モテ過ぎてやりすぎて大変なのかも。うんざりなのかも。
いや、あの腕の傷がやばすぎてやりたくてもやれないのかも。
僕はもうお隣さんに何が起ったのか知りたくて知りたくて仕方がなかった。
ある日のこと。村瀬さんの独り言がやばかった。
猛烈なズーズー弁?を喋っていたかと思うと、夜中に関西弁で叫んだりするのだ。
「ユメカたん!手ぇ触らして下さい!!これしかない!」
いや意味が分らない。何でユメカwww
その日は何度壁を叩いても全く静かにならず、色んな方言が混ざったみたいな嘘っぽい関西弁でどったんばったんしながら変態的決め台詞を吐きまくっていた。
僕は睡眠不足のあまり朝から川裾さんに電話をかけた。
「すみません、川裾さん、体調悪くて欠勤したいので変わってくれませんか?」
「え、珍しいね。分かった。ゆっくり休みな。明日は来れる?」
「はい。明日は行くつもりです。」
「分かった。どうしてもな時は連絡して、明日私も出勤だけど、他の子にヘルプ頼んでみるよ。いつも無理させてごめんね。」
「迷惑かけてごめんなさい。」
「持ちつ持たれつだよ。おだいじにね。」
川裾さんは思ったよりいい人だった。
ちょっとだけ村瀬さんに感謝して寝ようとすると、また爆笑が聞こえてきた。
「めっちゃ滾る!Cと初めての共同作業!」
それからしばらくモーレツなガチ地元弁が炸裂したと思ったら、関西弁の決めセリフが。
「出たな腹黒ユメカ!お前には絶対に負けやんからな!!」
いや意味が分らないww
変態ファンかと思ったらライバルキャラになってるしww
そうか、もしかしたらユメカに対抗して配信を始める気なんだ。
でもユメカって休んでなかったっけ。もしかして、アペリオ関係者か。ユメカが引退して新しい配信者を雇ったのか?
僕はめっちゃ気になった。
知らないうちに眠っていた。
インターホンで目が覚める。
「はい。」
誰だろう。村瀬さんだったりして。
ドアを開けると、そこには川裾さんが居た。
「電話、繋がらなかったから心配して。上がって良い?ご飯食べた?」
「え、僕夢見てる?」
「重症じゃん。上がるよ。」
「え、ちょ、散らかってるって。」
「大丈夫大丈夫。」
川裾さんが部屋を見渡して苦笑した。
「これは、酷いね。体調も崩すよ。」
「ごめん。」
「いいって。私が勝手に来たの。とにかくこれ、食べて。」
ショッピングバックを渡された。
中を見ると、おにぎりとプリンだった。
「あの、レシートください。」
「いいって。お見舞い。潟見君が仕事休むとか心配した。ほんと皆で仕事押し付けてごめん。」
「いえ、僕も給料増えて助かってたんで。」
「タメ口でいーんで。さっきみたいに普通に喋ってよ。」
川裾さんはなんとキッチンの引き出しを勝手に開け始めた。
「あ、ちょ。」
「あったあった。」
彼女はゴミ袋を広げて分別しながらぽいぽい捨て始める。
捨ててるのはゴミだけで、区別できないものは捨ててなくてホッとする。
女は自分に価値のないものは分からなくても勝手に捨てたりするけど、川裾さんは違うみたいだ。
僕はテーブルの上に置きっぱだったアペリオの封筒を急いでテレビラックの引き出しに入れてキッチンに戻る。
「悪いですって。明日自分でやりますんで。」
「いーのいーの。」
「人に物捨てられるの好きじゃなくて。」
「分かった。じゃあ洗い物するよ。」
川裾さんは腕捲りをして振り返り笑った。
「早く治ってくれないと交代要員居なくて困るの。君便利マンだから。」
「ぷっwそれ面と向かって言う?」
「皆心配してたよ?全員で日替わりで見舞いに来るかって話になってんだけど。だって君なんも食べてなさそうだし。」
「いやさすがに食べてるよ。もう大丈夫。」
川裾さんはおもむろに冷蔵庫を開けた。
「空だしww」
二人で笑っていると、隣人が帰宅した様だ。
「ごめ、ここ壁薄くて。」
「ん。わかった。静かにするね。」
彼女は大量の洗い物を終えてかけてあるタオルじゃなく自分のハンカチで手を拭いた。
「しんどいのに掃除させてごめん。明日も来るわ。」
「いやいやw明日は出勤しますって。」
「だって今から掃除機も洗濯も無理でしょ。」
時計を見るともう8時だ。
「洗濯も掃除機も自分でやります。ほんと今日はご迷惑おかけしました。」
「気にしないの。便利に使ってごめんな。」
川裾さんは申し訳なさそうにそう言ったけど、うちに来るのは断った。
川裾さん、顔は可愛いけど、お節介焼いてくる女は苦手なんだ。やりたくないタイミングで掃除とかさせられる。僕はそんな事頼んでないのに。
そして、僕はユメカの謝罪配信を見て驚愕する。
若い大学生ぐらいの男が、コテコテの地元弁で軽快なトークをして隣にいるユメカをドン引きさせているのだ。
僕は村瀬さんが谷やんのキャラクターを作った人だと確信した。
「まじか!!まじか!!!」
村瀬さんとお近付きになれば、谷やんやユメカと知り合えるかも知れない!
だけど、時々叫んだり爆笑したりする情緒不安定さ、そしてあの腕、どうしても勇気が出ない。もし変な人だったら、っていうか、確実に変な人なのだ。
関わって刺されたりするのは怖い。
「けど……あれが作られたキャラクターだって僕だけが知ってる。」
僕は優越感に浸る。人気配信者の裏側を見て、僕はにんまり笑った。




