太陽が昇らない朝
ヒロインは琴葉のモデルになった女学生です。
今回は琴葉ではなく実在した女学生自身という設定でいきますが話の内容はフィクションです。
「There are many beautiful roses, but I see no roses,but you.この文は美しい薔薇はあまたあれど我は汝のみを見つめる。つまりあまたの美しい薔薇よりもあなたに虜って意味ですよね?和子様。」
「そうだね、琴ちゃん。琴ちゃんはセンスがいいね。」
昭和16年福岡。
和子様と呼ばれた男袴に打掛の男装の麗人川島芳子は長い黒髪にセーラー服の少女琴ちゃんこと琴音に目を向ける。
芳子はかつては軍に所属し諜報活動に携わっていた。全ては大陸に新しい国を作るため。日本軍は大陸にアジア民族が共存する国満州国を作ろうとしていた。芳子は自分が産まれ今はなき王朝清王朝を復活を条件に協力した。
満州国は建国され芳子の従兄弟溥儀が皇帝に即位した。清王朝は復活したかのように思えた。しかし実態は日本軍がアジア民族を虐げるだけの偶像国家であった。
日本軍に抗議したが芳子の話は聞き入れてもらえずそれどころか芳子が邪魔になった日本軍は暗殺を企てた。
命がらがら日本に逃げて来たが芳子は人間不信になり福岡のホテルで引き籠る生活を続けていた。
ある日話し相手が欲しくなった芳子は秘書に頼んで誰か連れて来てもらった。それが琴音だ。
琴音の両親が秘書と知り合いで女学生なら男装の麗人に興味があるんじゃないかと琴音に話が舞い込んで来た。
「宝塚のすたぁのような人。」
それが芳子に抱いた第1印象だった。芳子の方も最初は警戒していたが琴音から真っ直ぐ憧れや尊敬の目を向けられすぐに心を許してしまった。
「琴ちゃん、次はここ訳してみようか?」
琴音は頬を赤く染め芳子の横顔を見つめている。
「琴ちゃん」
「はい!!」
名前を呼ばれ琴音は我に返る。
「琴ちゃん、僕の顔に何かついてる?」
「いえ、ついてません。」
「あまり見つめられると僕の顔に穴が空くだろ?」
「嫌です、和子様の美しいお顔に穴が空くなんて。」
「だったら次訳す。」
芳子は英語の本の文章を指先す。
琴音が訪れるようになってから2年。最初のうちは芳子の子供時代の話や琴音の家族の話などたわいもない話ばかりしていた。だが昨年敵性語排除令により琴音が3年生に進級したのと同時に外国語の授業はなくなった英語だけでなくフランス語も。
そこで学校の授業の代わりに芳子から英語とドイツ語を習っている。
芳子は日本語、中国語、英語、モンゴル語、ドイツ語と5ヵ国語話す才女だ。そんなところにも琴音は惹かれている。
「琴ちゃん、もうこんな時間だ。」
まだ時刻は17:00前だと言うのに12月だからか外は真っ暗だ。
「琴ちゃん、うちまで送っていくよ。」
しかし琴音は浮かない顔をしている。
「どうしたんだい?」
「私今日家に帰っても1人なんです。」
琴音は父、母、兄それから弟と5人家族だ。芳子は琴音からいつも賑やかな家族の話を聞いて羨ましく思ってた。
「琴ちゃんは家に帰れば家族がいるだろ?」
「今日は誰もいないんです。」
両親は親戚のお通夜に行き、大学生の兄はゼミ仲間と旅行、小学生の弟は学校のスキー教室で泊まりに行っている。今夜は家には琴音だけだ。
「そうか、だったら僕の部屋に泊まっていかないか?」
「いいんですか?」
「勿論。誰だって1人は寂しいだろ。」
「嬉しいです。」
琴音は満面の笑みで芳子に抱き付く。
「琴ちゃん、良かったら今夜は」
芳子は何か言いかけたが途中でやめる。
「今夜はどうしたのですか?」
「いや、何でもない。」
「言って下さい。気になります。」
芳子は一呼吸置いて告げる。
「琴ちゃん、今夜は僕と一緒に寝ないか?」
唐突にこんな提案して気持ち悪がられないか?拒絶されてまた孤独にならないか?芳子はそんな想像を脳内に巡らせる。しかし
「いいですよ。」
琴音から返ってきたのは思いもよらぬ答えだった。
その後二人はホテルのレストランで夕食を取り大浴場へと向かう。部屋に戻って来た時には布団が1枚敷かれていた。芳子が頼んだのだ。
「和子様!!」
桃地に紫の紫陽花模様の浴衣の琴音が布団に横たわり芳子に手招きする。
「琴ちゃんたら気が早いな。」
芳子は琴音の隣に横たわる。
「琴ちゃん、怖くないのか?」
「怖い?どうしてですか?私ずっと羨ましかたんです。」
「羨ましい?」
琴音の不可解な答えに芳子は聞き返してしまう。
「私男兄弟の真ん中じゃないですか。同じ級に4姉妹の二番目の娘がいるんですけどお姉様や妹と4人で2つの布団でくっついて寝るそうなんです。」
お姉様が本や詩を読んでくれたり、妹が小学校で聞いた怪談話を聞いて悲鳴をあげながら抱き合ったりと和気藹々としながら過ごしいつの間にか皆眠りに着くそうだ。
「だから嬉しかったんです。和子様が一緒に寝ようって言ってくれた時は。」
「そういう事だったのか。」
芳子は少し安堵する。1歩間違えれば琴音に自分と同じ傷を負わせるところだったのだから。
「それで今夜は何するんだ?」
「確かその娘は昨日は4人でトランプしたって言ってました。」
「じゃあ今からしようか?」
芳子は起きあがると机の引き出しからトランプの札を取り出し再び布団に戻ってくる。
芳子がカードをきってくれ二人でばば抜きを始める。その後は大富豪、神経衰弱と一通りの遊びはやった。
「私、母に連れられて兵庫まで少女歌劇を観に行った事があるんです。」
トランプが終わると琴音は横になり幼い頃に母と観た宝塚の話をする。
「真ん中扇を広げて舞う主演の男役さんがいたんですけど」
琴音はその男役が初恋だと言う。
「和子様と初めて出会った時その方が私の前に現れたのかと思いました。」
「僕は琴ちゃんの初恋の人の生き写しって訳か。」
「はい、でも和子様はそれ以上の方です。美しいだけでなく知性があって優しい方です。」
「ありがとう。でもちょっと嫉妬するな。さの男役のすたぁってやつに。」
芳子は傍らの言葉の方を見る。目を閉じて寝息を立てながら眠りについた。遊び疲れたのだろう。
「琴ちゃん」
芳子は琴音の寝顔をいとおしそうに眺める。
「一緒に寝るってこういう事じゃないんだよ。」
琴音の唇に顔を近づけるがそっと離し頬に口づけをする。
「だけど君にはまだ早かったみたいだね。」
芳子も横たわると目を閉じる。
翌朝。芳子は目を覚ますと扉に挟まれた朝刊を手にする。それがいつもの日課だ。
座布団に腰掛けテーブルの上に新聞紙を広げる。
「昭和16年12月8日 日本軍の艦隊アメリカの真珠湾を攻撃」
芳子が広げた新聞には日本がアメリカに戦争を仕掛けた事が大きく書かれていた。
「日本軍!! 中国大陸だけでは飽きたらずアメリカまで侵略するとは。調子に乗りすぎだろ!!」
芳子はおもいっきりテーブルを叩き新聞紙を破る。
「和子様?」
襖を開け寝室から琴音が現れる。
「琴ちゃん、起きてきたのか?おはよう。」
芳子は破れた新聞紙をテーブルの下に隠す。
「和子様、大声なんか出してどうされたのですか?」
「何でもないよ、そうだラジオ聞くか?」
芳子は何事もなかったようにラジオの電源を入れる。
「臨時ニュースをお伝えします。」
ラジオから男性の声が響く。
「今日未明日本軍の艦隊はアメリカ真珠湾に向かった模様。アメリカ軍艦隊と交戦中。」
ラジオから流れてきたのは芳子が破いた新聞に載ってたニュースだ。
「和子様、アメリカ軍は日本にやって来るのでしょうか?和子様は軍の任務で再び戦うのですか?」
琴音は涙を流し震えた声で尋ねる。
「琴ちゃんおいで。」
芳子はラジオの電源を切ると琴音を自分の膝に座らせ背後から抱き締める。
「大丈夫、何者心配しなくていいよ。」
「和子様の手震えてます。」
優しい言葉をかけてくれるが内心は芳子も怖いのだろう。
「和子様、なぜ日本は他国を敵に回すような真似をするのですか?私日本軍の考える事分からなくなりました。」
「そうだね、人間はいずれ死んで骸骨なのになんで撃ったり撃たれたりするんだろうね?」
FIN
琴音ちゃんは芳子様が30代の頃福岡にいた時にできた当時女学生の友達です。「和子」は芳子様が俳句を書く時のペンネームで琴葉ちゃんにそう呼んでほしいとお願いしたそうです。
ミュージカル李香蘭の一幕ラストで芳子様センターで全キャストがそれぞれの場所で太平洋戦争開戦のニュースを聞くシーンがありますが、実際の芳子様は琴音ちゃんとこのニュースを聞いてたのかなと思い書いてみました。
タイトルは芳子様が劇中で歌うナンバーの歌詞の一部、最後のセリフは琴音ちゃんに宛てた手紙の一部をそれぞれアレンジしました。