よし、大学行くか。無理だよ、無理
11月22日。さて、大学に行くか。どんな顔して?無理無理無理。でも、行くって言っちゃったし。頑張ろう。今日は産業心理学の授業があるからちゃんとノート書かなくちゃ。たまに眠たくなっちゃうから気を付けないと。
今日はばっちりメイクしている。朝は7時起き。生活の乱れがちな大学生にしては早起きだ。服を選ぶのに2時間アイシャドウも眉毛も、チークもする。メイクと髪のセットに1時間。今日の髪型は三つ編み。初めてだから時間がかかった。気付いたら10時。急いで抹茶パンを食べて、大学に向かう。あ、筆箱が可愛くないかもしれない。ま、いいか。
結局選んだ服は、男だった時よく着ていた青の無地シャツと紺のT-シャツ、そして初めて今日はデニム地のスカートをはいている。全部青いな。イメージカラーだから仕方ないよね。もちろん黒いタイツは履いている。
下着も昨日凄くこだわった。両方水色にした。どうしよう。透けないよね?ブラ紐透けてしまいそう。何とかナーレ。
自転車に跨ってみる。普段と変わらず自転車に乗れることが分かった。いや、いつもより足が長い。普段乗っていない方の自転車をメンテナンスして乗ることにした。
私は黒の26インチタイヤの自転車と緑色の16インチの小径自転車の2台持ちだった。今日は、緑の16インチの自転車に乗ることにした。ホイールベースが割とあるため、走りがよく小回りも利く。ただ、ハンドリングが不安ではある。
というのも、タイヤの大きさのわりに重心が高く、曲がるときに急になりそうで不安になる。黒の方は、高い視点とちょうどよいハンドリングが癖になる。
田んぼの横を抜け、青い空に追いかけられながら、そよ風の中を駆ける。
「私は生きているぞ。今日から私だ」
そんな事を言っている私。俺は今の私が好き。
風が私に言った。
「思うように生きるのです」
「なんだ?今のは?」
驚きが音となって溢れ出る。そして青い空に吸い込まれるようにフワッと消えていく。
冬の寒さに負けて大学の近くにあるコンビニで温かいココアを買って教室に向かう。
「はぁぁ。寒い。あっちゅ」
独り言が出てしまった。なんかぶりっ子しすぎているから気を付けよう。「あっちゅ」というのは推しのVtuberの真似である。
教室に入る。なんか、すごく視線を感じる。ひそひそ言われている気もするし。どうしよう。取りあえず中津浦君に挨拶しようかな。
「おはよう」
可愛くできたかな?
「おはよう。えっと、誰?」
「夜桜輝奈子」
ここで声の大きさを下げて、中津浦君にだけ聞こえるように「もとは魔沙斗だよ」といった。
「アニキ、マジで女になったの?」
それは驚くよね?でも声が大きいよ。周りの視線が痛い。
「声が大きいよ。どうしよう。先生に言った方がいいよね?」
「そう思う。一緒に行くか?」
彼の声が好き。どうしよう。ドキドキして声が裏返りそう。
「う、うん。お願い。あちゅ。お昼休みに行こうかな。教授もいるだろうし」
さっきから持っているココアがめっちゃ熱い。「あちゅ」って言ったのはぶりっ子したかもしれない。
「そうだな。熱いのか?持つ?」
どうしよう。彼が持ったココアを持つのは手と手の間接キッスができるからすごくうれしいけど。どうしよう。もっと熱くなっちゃうよ。
「あ、あ、あ」
緊張しすぎて変になっちゃった。
「どうした?」
彼の声が好きすぎる。彼女になりたいよ。男の感覚も知っているし、彼のことは私が一番知っているんだけど。どうしよう。
「だ、大丈夫。今日は寒いね」
なんでこの話題になるんだろう。初対面の人みたいになっているけど。
「そうだな。えっと」
彼がどうしてこうなっているかもわかるんだけどどうしよう。あちらからすると初対面ではあるけど中身はよく知っている人だからこうなっているんだとは思うけどどうしたらいい?
そんなこと言いながら学生証をリーダーにかざし、授業を受ける。もちろん中津浦君の横で。リスクマネジメントや不安全行動について扱った。確かに従業員の不安全行動によってけがなどのリスクがあるためマニュアルをしっかり読み込んで行動するべきだと思った。思ったでは弱いけど効率重視の中でもマニュアルは大事である。
授業が終わり、昼休み。そそくさと帰ろうとする中津浦君の袖を、キュっと掴み声を掛ける。
「誰先生に言うべきかな?やっぱりチューターの伊佐先生かな?」
気まずいよ。ラブストーリーしすぎているよ。やめてよ。心がぐちゃぐちゃになっちゃうよ。
「だろうな」
どうしたらいいんだろう。何かこう食いつきそうな話題がほしい。えっと彼はVtuberが
好きだからその話をしよう。
「そういえば、あの切り抜き見た?みっちーのマグマ切りぬき」
「だいぶ古いやつだけど、面白いよな」
良かった。ちょっと弾みだした。これ傍から見たら新米カップルに見えそう。違うけど。イチャイチャしてないし。
「ほうなんよ。面白いんよ。あと加湿器の切り抜きもめっちゃ好きなんよ」
イメチェン的な感じで阿波弁使ってみたけど逆効果だったらどうしよう。
「そうか。しゃべり方変えた?」
「ちょっとイメチェン?やっと処理できた?」
やっと処理追いついたかな?私は3秒で受け入れたけど。で、手続きめんどくさいと思ったのがハイライト。
「いや、まだ半信半疑」
まあそうだよね。受け入れるのに時間かかるよね。わかる。
「そっか。ゆっくりでいいよ。ゆっくりでいいから慣れてほしいな」
心の中で虎球団を思い描いてしまったが言わなくてよかった。褒めてほしい。すぐ出ちゃうんだもの。
そんなこと言っている間に伊佐先生の研究室に着いた。
「失礼します」
「どちら様ですか?」
「夜桜魔沙斗です。名前変わりまして。夜桜輝奈子です」
「夜桜君?本当に?学生証ありますか?」
「はい」
そういって私は、教授に学生証を示す。そこにはもちろんまだ夜桜魔沙斗の名前が書かれている。明日にならないと書類ができないのだ。
明日からアルバイトも始まるし、心の不安はすごい。ベルトが閉まらない可能性を感じてすごく悩んでしまった。まぁ、何とかなるだろう。
「事情はわかりました。学生支援課に本人確認書類を持って行って下さい」
「明日本人確認用の新しい戸籍ができるので、戸籍抄本を持って保険の手続きをしてからになると思います。なので、1週間ほどお時間をいただくかもしれません。ご了承いただけますか?」
「もちろんです。内定先への連絡はしておりますか?」
「それも書類ができてからになります。性的マイノリティーに配慮するために作られたのが改名法だと思いますが、肉体が突然何も前兆なく変わるのは前例のないことの為、手続きも大変なのです」
「わかりました。私から学科の先生方には伝えておきます」
「よろしくお願いします」
何とか手続きは終わった。緊張した。終わって研究室時から出ようとして足がもつれた。
格好としては中津浦君にもたれかかってしまう感じになった。
「おい、大丈夫?」
いきなり抱き着かれて動揺しているはずなのに私の心配してくれるなんて優しい。大好き。
「ごめん。緊張が解けたからかな。うまく立てない。昼ご飯買いに行かないと」
「買ってこようか?」
「1人にしないで。怖いから」
「わかった。肩貸すよ」
「ありがとう」
何とか彼のおかげで立てた。彼の肩を借りながら頑張って歩く。コンビニでジャスミン茶と梅のおにぎりを1つ買った。
「ごめんね。昼ご飯逃してない?」
「俺はうちに飯あるから」
だと思った。いつも大体そそくさと帰るもんね。
「でも、授業あるし。次も対面で受けるでしょ?」
なんとなく対面で受けようと1回言ってみる。私は彼が遠隔で受けようとすることを知っている。
「いや、遠隔で受けようかと思っている。青山先生の授業は遠隔で受けられるから」
ほらやっぱり。計画通り。私も遠隔で受けようと思っている。だってさっきから視線感じるし。
「ねぇ。私も一緒に遠隔で受けていい?」
「どうして?」
確かに疑問に思うよね。でも単純に中津浦君の部屋に遊びに行きたいだけである。
「視線をすごく感じるの。主に胸に。なんか足も見られている気がする」
「そうか。アニキなら知っていると思うが部屋汚いんだけど」
「いいよ。なんかあなたらしいし」
好き好きビームしてしまっている。
「あ、もしかして視線の原因ブラ紐透けてるとかじゃないよね?」
「そのまさかだと思う。アニキ、ブラ紐透けてる。肩から胸にかけて」
うそでしょ?そんなに透けないはず。後ろ見てないから知らないけど。あ、紐厚かった?切れないためにワイヤー強めにされていたのかな。
「上着ているからまだましだよね?どうしよう。恥ずかしい」
私の顔が赤く染まる。茜空にはまだ早いのに。
「アニキ、女になったとたんに可愛くなったな」
「そう?それはいいから、私を隠して。恥ずかしいから」
「はいよ。おんぶするか?」
もう、悪戯やめてよ。「輝奈子として好きになってくれてもいいんだよ」なんて言えるはずはない。本当に心から好きになってくれないかな。
「それはいいかな。私を好きになってくれてもいいんだよ」
なんか口に出ちゃったよ。悪戯返しだもんね。覚悟しろ。ガォー。
「いいなら是非よろしくとか言いたくなるんだが。今までの人生いいことなかったが、今最高」
「私と出会ったことはよかったことじゃないの?」
「アニキと出会ったことと輝奈子さんに出会えたのは最高のことだから、いい事なんて安いものじゃない」
彼の言葉に私の頭がしゅわーっボンってなった。顔が真っ赤に染まっていくのがわかる。空までも赤く染められそうだ。
「よ、よかった。ありがとう。私も優斗と出会えてよかった」
恥ずかしいこと言っているかもしれない。どうしよう。頭がぐるぐるしている。
そんなことを話しながら彼の家に向かう。冬に向かう寒空が私たちを凍えさせようとしている。でも、私たちの熱は誰にも冷ませない。
「さっきからイルカみたいな声出してるけどどうした?」
え、そんな声出ていたの?
「え、そんな声出てた?昔の癖かな?」
私の発言に優斗は怪訝な顔をしている。
「やっぱり、アニキだったのか?でも明らかに女の子しすぎだしな」
「元からでしょ?」
「それにしてもだいぶぶりっ子してない?」
「そんなつもりはないよ。ただ、好きな人がいるの。知らないうちに恋してた」
「そいつの知らない男の部屋に上がり込んで大丈夫なのか?」
どうしよう。「あなたなんですけど」なんて言えない。どう誤魔化そう。
「優斗は出会ってすぐの女の子に乱暴するようには思えないから」
本当は「あなたのことが好きだから」と言ってしまいたい。でも、そうすると混乱することを知っているから言えない。だって私は、もともと男で急に女になったと言われるだけでも混乱するのに、その上で私と付き合ってなんて身勝手すぎてまだ言えない。
気付くともう優斗の家の近くの公園まで来ていた。見慣れた景色も背の高さ変わると違って見えるわ。なんてテンプレではいうのだろうか。私の場合全然違わない同じ景色だ。だって身長変わっていないから。
それでも、少し違って見えるのは冬の澄んだ空気と太陽のせいかしら。
それとも、恋?
木枯らしや、空に届けてこの思い、私の心の俳句。アイラブユーなんて言えやしない。いっそのことアイへイチューなんて言えたら楽なのに。嫌いと思えたらこんな痛みを味わうこともないのに。それでもこの痛みが心地よいのはなぜだろう。
「ずっと黙っているけどどうした?悪いものでも食った?」
相変わらず変わらないのね。きっと今、彼は初対面の女の子輝奈子としての私ではなく、彼の友人だった魔沙斗としての私と思って接しているのだろう。この接し方の方が距離は近くていいけど、少し胸が痛い。
「悪いものは食べてないよ。ただ考え事してただけ」
言えるはずないよ、あなたのことが好きなんて。いつかは伝えよう。この痛みは抱えたまんま生きるには重たすぎるし、痛い。
「悩みなら聞くぞ。アニキは抱え込みやすいからな」
多くの男子ならこれは所謂ワンチャンを期待していうことだと思うが、彼は違う。下心ではなく、額面通り悩みを聞こうとしている。こういうところが誤解されて彼女ができなかったのかもしれない。
「あ、うん。そうだなぁ。もし、内定取り消されちゃったら面倒見てくれたりする?お料理はできるし片付けも掃除も頑張るよ」
本当に悩んでいることではある。ただ本音は優斗と話したいだけなんて言えやしない。ましてや彼女になろうとしているなんてまだ言えない。
「いや、取り消されることはないんじゃないか?」
ちっげぇよ。気付けバカ野郎。そういうことじゃなくて仮定の話なんだけどなぁ。
「そうかもね。でも、可能性はゼロじゃないから。ちょっと不安」
「まあ、アニキが困っているときは全力で助けてやる。今までも助けてもらってきたしな」
やっぱり優斗は優しいな。優斗だけに。なんちゃって。あ、そういえば今日はいい夫婦の日だなぁ。彼と夫婦になれたらそれだけで幸せだろうなぁ。頑張るぞい。
早くいかないと授業が始まってしまうよ。でも、授業なんて頭に入らないかもしれない。だって彼が大好きだから。こっそり手を差し出してみる。でも、彼は気づかない。伸ばした手を引っ込めて走って彼に追いつく。
「待ってよ。いつも歩くの早いよ」
こけそうになりながら走る。彼の家に着く頃には少し息が上がっていた。赤く染まった顔を見て優斗が言った。「大丈夫か?取りあえず入るか。授業始まるしな」
「そうだね」
「恋したみたいな顔だね」とでも茶化してほしかったと思った。こんなにわかりやすい顔ないと思うよ。授業が終わった。
「この後どうする?」
「カラオケでもいく?」
「それもいいけど、ゆっくりしたい。映画とか見る?」
「いいね。お腹空いたからおにぎり食べるね」
おにぎりを両手で持って、小さな口でハムハムしている私は相当可愛いことだろう。少し上目遣いで優斗の顔を見ながら食べている。いつもよりお米に甘みを感じるのはラブストーリーのせいかしら。
「あざとかわいい食べ方するなよ。アニキ」
「かわいいでしょ?」
「かわいいのは認める。ドギマギするからやめろよ。アニキを襲ってしまいそうになるから」
私としてはその覚悟もあったんだけどね。でも、友達だと思っているからこうなるのだろうと友人の魔沙斗としては理解できるわけで。
「そうか。飯食ったけど。そっち飯あった?ないんだったら一緒に買いに行こうよ」
普段の魔沙斗と同じ会話の仕方をしてみる。だって優斗はまだ私を異性の子というよりもアニキと慕う魔沙斗が急に変わってしまうというトラブルに巻き込まれたと思っているはずだから。
「飯あるけど映画見るときポップコーンあるといいなと思うから買いに行こうか」
「うん。もちろん一緒に行くよ。飲み物も買っておきたいし」
まだ、手を繋ぐには早そうだなっと思った。私は、男だった時優斗と手の大きさを比べた時を思い出していた。あの時も彼の手は大きかったなぁと思い出しては私の手の小ささを可愛らしくて愛しいと感じていた。
「ホラーでも見る?」
「怖いんだけど。今日はやめとこうよ」
優斗は私がホラー苦手なのを知っている。だって、話したし。男だったころにだけど。彼はしぶしぶ理解してくれる。ごめんね。私、頑張るよ。
「わかった」
そうして、サスペンス映画を見る。銃撃戦をしたり、日本の有名メーカーの車があったりして「演出凄いね」と話すと、「そうだな」と優斗が話すそんな距離感がうれしくて。この感情を表せそうなのはコーヒーとラズベリーのケーキというところだろうか。
甘くてすっぱくてほろ苦い。少し大人な味だなぁ。まだ大人の橋はわたっていないけど。成人的な意味では超えてしまっているけど。あっという間に時間が過ぎて8時ぐらいになっている。
今日は帰らないとは言っていないから早く帰らないと。女の子になってしまったし。
「今日はありがとう。夜ご飯だけ一緒に食べて帰ろうかな」
「送ろうか?」
「でも遠いよ?いいの?」
「仕方ないしな」
彼のこういう不器用な優しさがとてもかわいい。愛でたいものである。かわいい。
「なら、お願いしようかな。ありがとう」
微笑みながらそういって、有名なバーガーショップで食べて、帰りなれた道を帰る。帰りなれた道を2人で歩くとなんだか世界が輝いているようで幸せだった。