ある夜会での奇妙な出来事 ―エレン―
なぜ、急に昔のことを思い出したのだろう。
やはり、少しあたくしも寂しいのかもしれない。
出会って以来、2度目の人生を歩むことになるまで、頻繁とは言い難いものの、定期的に彼女と会っていたからこれほど顔を合わせないのは初めてだった。正確には、あたくしが一方的に彼女を誘っていたのだけれど。
彼女たちは従兄のレイモンドに面倒を見てもらっているから、そちらに招いてもらうことは躊躇われた。だから、会うのは基本的にあたくしの部屋で、馬車もこちらが用意していた。
お茶会に誘われた時もあたくしが必ず迎えに行った。
身分差など関係なく、何時間もおしゃべりに興じ、笑い合い、共に過ごした。ソフィーは年の割に物静かで慎み深いけれど、あたくしの冗談には屈託なく笑ってくれた。
あたくしだけには彼女は他の人には見せない親しみを見せてくれた。
そしてあたくしもそのようなソフィーを本当に気に入っていたのだ。
「……でも、その関係を壊したのはあたくしだったのよね」
いいえ、と頭を振って考えを振り払う。
たとえ切っ掛けはあたくしだったとしても、殺すと言う時点で彼女はなしだわ。
それに、あたくしがもしソフィーに男をとられたのなら、彼女になら、あたくしは許すもの。
むしろソフィーよりもあたくしという女がありながらよそ見をした男のほうに腹が立つ。あたくしの親友と付き合いたいというのなら、あたくしの目を盗むのではなくあたくしとやり合う覚悟くらいもってもらわないと。
ああ、もう! 気持ちを切り替えるために出かけたというのに、ソフィーのことばかり考えてどうするの。
彼女のことは忘れるのよ。
そう自分に言い聞かせていると、すっ、と目の前にグラスが掲げられた。
「やぁ、また会えましたね、エレン」
「まぁ、レイモンド! ええ、本当に、驚きだわ」
そして最悪だわ、と心の中でつぶやく。
今、この顔は見たくなかった。
「実は少し前に、君がいることに気が付いていたんです。もう体調は宜しいようですね」
私の空になったグラスを見て彼は子どものように笑う。
「僕の一杯もいかがですか?」
「いただくわ」
「では」
飲んで即帰る。
そう決めてグラスを交わす。中身を口に運ぼうとしたその時、レイモンド、と遠くから彼を呼ぶ声がした。
声の主を認めると彼は顔をかすかにしかめ、
「あいつか……すみません、友人なんです。無視するとしつこいので、少し席を外します」
「ええ、またあとでお話ししましょう」
その前にあたくしは消えるけれど。
彼の後姿が人ごみにまぎれて見えなくなったのを確認し、帰るために踵を返した途端、目の前の女性にぶつかってしまう。彼女が持っていた飲み物がこぼれ、あたくしのドレスに染みをつける。
「ご、ごめんなさい、ウィル――彼を探していて、よそ見を……」
「構わなくてよ。もう帰るところだったから――こちら、口をつけていないの。もしよろしければ、どうぞ」
「ありがとう。さっきから歩き回ってのどがカラカラなの。私、オリエ・ランタンよ。今日、初めて婚約者にエスコートしてもらって夜会に来たの。今まではずっと兄か父しか許されてなくって。なのに、私ったら彼とはぐれてしまって……」
うかれている、その言葉の通り、初対面のあたくしに対して彼女は聞かれてもいないことを淀みなくしゃべり始める。話すたびに頭の生花がぴょこぴょこと揺れるのが印象的だった。
オリエはあたくしが誰なのか知らないらしい。
むしろ、この場所でこちらを知っている者のほうが少ないのだろう。
地主貴族や有産階級が混じるような夜会にあたくしのような名家の者が出席することはまずない。そういうこともあって、逆に顔を出したのだけれど。
「婚約者が見つかるといいわね。楽しんで」
早く出て行かないとまたレイモンドが戻ってくるかもしれない。
あたくしはまだ話そうとする彼女の言葉を遮り、とりあえず露台に出る。広間を横切るより、庭を回って玄関に向かう方がいいかもしれないと思ったから。あの男ともう一度顔を合わす危険より、土に靴と裾を浸すほうがまだましだった。
夜風が火照った肌に気持ちがいい。
新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、念のため、レイモンドに見つかっていないかと室内を振り返ったあたくしの目に個室の休憩所に向かう男女が映る。先ほどのご令嬢だ。確か、名をオリエといった。彼女は甘えるように男の首元に顔を寄せ、完全に相手にしなだれかかっていた。
「まぁ!」
その手のことには疎い、無垢な少女に見えたのにとあたくしは驚く。
「ソフィーのことといい、結局あたくしには人を見る目がないってことね」
自嘲していると、慌てたように同じ露台に飛び込んできた男性と目が合った。
「オリエ……失礼、間違えました。あの、この辺りで若い女性を見ませんでしたか。薄紫の花を髪に飾った――」
「ええ、先ほど、あちらに――」
問われるまま垂れ布の向こうを指さしてから、はたと気づいた。
「お名前を伺ってよろしくて?」
「ウィリアムです。ウィリアム・フェロー」
尋ねたのは、彼女の父親や兄弟なら告げるのはまずかったのではないかと思ったから。
けれど、明かされた名でようやく己の勘違いに気が付いた。
「もしかして、貴方が婚約者の方なの?! 大変だわ! 彼女、男性に運ばれてこの先に行ったのよ!」
もちろん、夜会で一晩の情熱を楽しむひとたちはいるし、個人の趣味を非難するつもりはない。
だが、先ほどの少女はそういう性格にはみえなかった。
しなだれかかっていたのも演技ではなく本当に酔っていたのだとしたら。
急いで向かった先、垂れ幕で覆われた入り口から奥へと延びる廊下の左右にはいくつもの扉が並んでいる。
ほとんどの扉はまだ空いているが、1つだけ、閉じられているものがあった。
彼が扉の握りに飛びつこうとするのを待機していた使用人が制する。
「申し訳ございませんが、こちらの休憩室は現在使用中でして他をご利用――」
「中にいるのは僕の婚約者なんだ!!」
「申し訳ございません」
騒々しい彼を止めようとさらに数人の使用人たちが出てくる。
まるで騒ぐ彼の方が悪人であるとでも言うようにウィリアムを羽交い絞めにし、この場から引きずり出そうとさえする。
どうやら、中にいる不埒な男はこの集いの中ではそこそこの地位を持つ人間らしい。
とは言え、おそらく今日この場で最も上位にいるのはあたくしであろう。そして大抵の場であたくしは最上段にいた。それは両親と叔母のおかげなのだけれど。
あたくしの出番ね。
注目を集めるように2度手を叩き、背筋を伸ばして少しだけ顔を上に傾ける。この角度があたくしが一番きれいに見えるはずだから。
「あたくしの顔を知らないようだから名乗るわ。あたくしはエレンディール・キングストン。あたくしは将軍閣下の娘であり、現妃殿下の姪よ。お前たち、理解できたらさっさと扉をお開け!!」
あたくしの名を耳にした途端、使用人たちが青ざめ、慌てて鍵束を取り出す。
開かれて飛び込んだ部屋の中は不釣り合いなほど豪奢な寝椅子が中央に据えられており、その上で仰向けに転がされたオリエに覆いかぶさってはだけた胸に顔をうずめていた男が、弾かれたようにこちらを向き呆けた顔をさらした。
「貴様っ!!」
ウィリアムが男につかみかかり、そのまま椅子の向こう側へなぎ倒す。
不埒な男は彼に任せ、あたくしは彼女に駆け寄り介抱に専念する。
入口で呆然とたたずむ使用人に水を持ってくるよう指示を出し、オリエの頬を叩く。意識がもうろうとしているのか、何か言葉にならないものを呟きながら彼女はひたすらくすくすと笑い続けている。
おかしい。
グラス1杯でここまで酔えるものだろうか。
呼吸のことを考え、だらしなくない程度に胸元のリボンを結び直し体裁を整えている内に水差しを抱えて使用人が戻ってきた。
「あ、あの、お医者様も呼んできました」
こういった会場には大抵医師も控えている。羽目を外し池に飛び込んだり、飲みすぎて昏倒する愚か者が必ず出るからだ。
医師が来たのならもう大丈夫だろう。
向こうの男性陣もウィリアムの拳で勝負がついたようだった。
あたくしは部屋を出て診察が終わるのを待つ。
広間からはこちらの静けさとは無縁の、音楽と人の笑い声が響いてきていた。あたくしが廊下に仁王立ちしているのを見て、何組かの男女が入口でおり返して戻っていく。
やがて、彼女は酩酊状態ではあるものの、それ以外に問題はないとの判断で落ち着いたウィリアムが、こちらにやってきた。
彼は深々と頭を下げ、
「あの、閣下のご令嬢とは知らず大変ご無礼を――」
「かまわなくてよ。完全にとは言い難いけれど、彼女がご無事で何よりだわ」
「本当にありがとうございます。まさか、目を離したすきにあそこまで酔っぱらうとは……僕たちの騒動に巻き込んでしまい申し訳ありません」
何度も頭を下げながら彼女に寄り添う彼の後姿を見て、思う。
あたくしは巻き込まれただけの無関係な人間――本当にそう言えるのだろうか。
疑問がずっと渦巻いている。
あたくしと会うまで彼女は普通だった。直後に中身をこぼし、あたくしが自分の持っていたものを彼女に譲った。
それから時間を置かずして、彼女は男により部屋に運ばれている。
「おかしいわよね。一瞬でお酒があそこまで回るものかしら」
葡萄酒一杯程度で人は昏倒するものなのだろうか。お酒に弱ければそうなるのかもしれないが、そこまでならばそもそも口にしようとしないだろう。
しかも婚約者と2人きりの初めての夜会なのだ。失態をおかしたくないと少女ならば誰でも普段以上に気を遣うはず。
だとするなら、答えは1つだ。
「あの飲み物に何かが仕込まれていた、ということよね」
そして、あのグラスはレイモンドから渡されたものだった。
レイモンドは薬が混入されているのを知っていて、あたくしにあれを渡したのだろうか。
もし考えている通りなら、あの令嬢はあたくしのせいであたくしの代わりにつらい目に遭ったのかもしれない。
「そう言えば――」
以前のソフィーの言動を思い出す。
彼女は、レイモンドから渡されたあたくしのお酒を欲しがった。
当時は、恋人の前で背伸びをしたかったのだろうと思っていたけれど、今考えると、彼女はあのときあたくしの杯に何かが入れられているのを察して交換しようとしたのではないだろうか。
ソフィーは何を知っているのだろう。
レイモンドが何かしているとしたら、彼女はどこまで関係しているのだろう。
「……調べた方が良さそうね」
それらを知ってからでも彼女と距離をとるのは遅くないはずだ。




