おまけのエレン
勝利から数週間が過ぎた。
周囲も少し落ち着いて、顔を合わせる度に裁判のことを訊かれなくなったころ、キングストンの屋敷であたくしはソフィーと弟君、グラスゴーの4人で改めて小さな慰労会を行うことにした。
料理長が腕を振るい、こぢんまりとしたテーブルの上には各人の好物がところせましと並んでいる。
豚の丸焼き、照り輝いた雉に木苺のソースがかけられた合鴨、そら豆のスープ、素揚げした芋と木の実を香辛料であえたもの、岩塩とバターを添えて蒸し焼きにした川魚、ふわふわのたまごとチーズの包み焼き、芳しい香草のサラダ、肉汁したたるパイ、ソースに浸して食べるための平たい味のないパンにはちみつを練り込んだパン、季節の果物などなど。
あたくしの乾杯の音頭にグラスが掲げられる。小さな少年も皆に倣って両手でコップを抱えている。
一口喉をしめらせたあと、まずグラスゴーがわざわざ席を立って頭をさげた。
「エレンディール様、先日は、孤児院への寄付金ありがとうございました」
「あら、なんのことかしら?」
グラスゴーが受け取らなかったから匿名で払ったというのに、施設で会った子どもの誰かが言ったに違いない。
あたくしはため息をつく。
これだから、美人て困るのよね。どうしても人の目を惹いてしまう。
「黒髪の美しい女性だったそうです。子どもたちとも気軽に遊んでくれて、ててなし子と虐められた子にはやり返せと説いたとか。手堅く仕留められる急所の詳しい解説を受けた、と」
「まぁ、それはエレンしかいないわね」
くすくすと笑い、ソフィーが言わなくてもいいことを言う。
「……貴方が受け取らないからよ」
「標準よりも多い着手金と成功報酬でした。これ以上は受け取れません。それに、勝ったのはエレンディール様の一押しがあったからです」
彼が首を横に振る。
真面目すぎるわ……。
あたくしは呆れるしかない。
グラスゴーはみなしごだったそうだ。
施設で育ち、生まれつき体格の良かった彼はそれを活かし、手っ取り早くお金を稼ぐには軍人になるのがいいと考え、16になると同時に軍に入隊した。厳しい訓練の後、配属されたのは父の隊で、当時はいわゆるやんちゃだったらしいが、隊員たちを家族のように扱う父と過ごすうちに考え方が変わっていったらしい。
足を負傷し――それも父が庇ったからであり、父がいなければ今頃生きてはいなかったそうだ――、もう尊敬する将軍と共に戦場に立つことができない彼が改めて己の人生に思いを巡らせた時、恩返しの方法として第2の人生に選んだのが弁護士となることだった。
父や同じ隊の仲間たちの支えもあり、彼は法曹学校を首席で卒業する。
そして、自分と同じような境遇で育った子や貧しい人たちの力となるべく、弁護士事務所を開く。
彼が相手にしているのは裕福ではない人がほとんどで、おまけに尽力しても依頼料を踏み倒されることもしばしばらしい。
それなのに、彼は少ない儲けの中から自分を育ててくれた孤児院に毎月、相当額の仕送りをしているのだ。
だから、あたくしは報奨をはずんだというのに、彼は当初の契約金以上は頑として受け取らなかった。
ゆえに浮いた分を孤児院に全額突っ込んできた、ただそれだけのことだ。
「私からもお2人にあらためてお礼を言わせてほしいの」
今度はソフィーがグラスゴーとあたくしに向かって頭を下げた。分からないまま、横でぺこりと小さく姉に倣う姿が見える。
「本当に本当に、私と弟が今幸せなのはお2人のお陰です。裁判以外でも、グラスゴー様、ありがとうございます。紹介してくださった商業関係に強い事務弁護士様のおかげで、手続きも滞りなくすすめられました。エレンも会計士様のご紹介、本当にありがとう」
獄中のレイモンドからの事業譲渡は順調らしい。
彼女の礼にグラスゴーが良かったと破顔し、あたくしもソフィーに笑いかける。
「あたくしの力が必要なら、いつでも声をかけて頂戴。そういえば、お屋敷の方はどうなったのかしら?」
「……まだ、慣れていないから少し大変なの。でも、なんとか頑張っているわ」
彼女は笑顔のままだけれど、苦労しているのが見て取れた。
どうせ古参の使用人たちのことだろう。彼らはソフィーに頭を下げて、解雇はしないでほしいと縋ったそうだが、そう簡単に人の性根が入れ替わるわけがない。
ソフィーは同情して雇用を継続したようだけれど、使用人ならキングストンからいくらでも出せるのだから、古い奴らなど全員放逐してしまえばよかったのに。
そういうと彼女は「私だって同じだから」と言った。
ソフィーが言うには、見て見ぬふりをしていたのは彼女も同じで、でも彼女にはあたくしがいたから立ち上がることができたのだ、と。だから、あたくしがいない代替として機会を与えたいとのことだった。
まったくもって優しすぎる。
まぁ、そういうところも含めてあたくしはソフィーが大好きなのだけれど。
それに、彼女の言うことも一理ある。あたくしだってやり直す機会が与えられたのだ。自分だけ恩恵を受けておきながら、他者は許さないでは筋が通らないだろう。
だから、彼女の意思をあたくしは尊重し、見守ることに決めた。けれど、一言、口を挟まずにはいられなかった。
「よければ、あたくしが踏んで踏んで悲鳴が出なくなるまで踏みつくして、貴女の代わりに身の程というものを教えて差し上げるわよ?」
「……エレンは、本当に人を踏むのが好きなのね」
一瞬の沈黙ののち、ソフィーがふふっと笑い、グラスゴーがほっとしたように遅れて続く。
近頃、少しずつこうやって彼女は軽口もたたけるようになった。それが嬉しくてたまらない。
だから、調子に乗ってあたくしも冗談を口にしてみる。
「ええ、そうなの。特に最近、やはりあたくしは父の子だと実感しているのよ」
「戦うのが好きだということですか?」
納得したように頷くグラスゴーにグラスを振って答える。透明な杯の中で赤紫の液体が美しく揺れた。
「いいえ。父は相手の骨をへし折るのが好きで、あたくしは相手の心をへし折るのが好きなのだということよ」
2人が再び沈黙する。最初の沈黙よりも無駄に長い。
「あの、……冗談よ?」
どこまでが、というのを口にしない自分を賢明だと思う。
2人が今度こそ本当に絶句してしまうのが分かったから。
この度のことであたくしだってたくさん学んでいる。
いつだって明かす事実は選んだほうがいいのだ――裁判においても、人生においても。




