そしてエレンの選択 ―エレン―
「ソフィーから、こちらはお返しいたしますと預かってまいりました。レイモンドの罰に関しても一任いたしますとのことです。――けれど、あたくしとのお約束も、忘れないでくださいましね」
美しい庭園の東屋で、件の指輪をあたくしは差し出された盆の上に置く。
対になった指輪を見て、叔母と従兄が絶句した。
もう一つのほうは、ソフィーの母君のお墓で見つけたものだった。
裁判の前、苔と雑草に覆われていたのをソフィーと2人で清めた。
その時、墓石のすぐ下、おそらく前日の雨で表面の塵が洗われたのだろう、草を払うと鈍色の何かがわずかに土の中から顔を出し、陽の光を反射しているのに気がついた。
掘り返してみたところ、大きさは違えど、ソフィーの母君が持っていた物と同じ物が出て来たのだ。
天鵞絨の台座に乗せられ、憚るように布をかぶされ恭しく運ばれていくのを見て、あたくしは安堵する。
これでもう、あの指輪によって姉弟が振り回されることはない。
たとえ、真実がどこにあったとしても。
――夫人の帰宅が遅れた日、あの傷はおそらくダンブリッジ卿がつけたものだとあたくしは思っている。普段から夫人は、夫に暴力を振るわれていたに違いない。そしてあの時はたまたま、本当に城の事情があったとしても、普段から疑わしい何かがあったのだ、とも。
日々、夫の暴力と暴言におびえている女性が包容力のある男性を心のよりどころとするのは考えられないことではない。王弟殿下はオーガスタ様にではなく、アンナ夫人目当てで妃殿下のところに足しげく通っていたのだ。やがて2人は身も心も通じ合う。約束の証として指輪が渡される。妃殿下が病に倒れることがなかったら、夫人は夫と別れ、2人はもっと早くに再婚していたのだろう。
反対に、ダンブリッジ卿はあの指輪を見て、いよいよ夫人の相手が誰だか分かったのだ。自分には到底抗えない相手だということが。彼女がいずれ自分のもとを去るつもりなのだということも。それが許せなかった。彼なりに愛していたから。ひどく歪んではいたけれども。
だから、自分の手中から消える前に壊した。
そして、使用人たちを閉じ込めたのは、火を消されないようにというよりは赤ん坊を連れ出されないようにではないだろうか。ソフィーを閉じ込めたのも、多分ここにきて、娘すら自分の子ではないのやもと疑いを持った可能性が高い。
ゆえに、自分の一切を引き継いでいないと思った姉弟の血も顔もすべて灰にして、なかったことにしようとした。
対して王弟殿下も、おそらく左手がなかったことで自分の贈ったものが最愛の女性の命が奪われる原因になったと考え、懊悩の末に衰弱してこの世を去った。そして亡くなる前に人目を忍んで夫人の墓を訪れたことがあったのだろう。そのとき心の代わりに、せめてもと自分の指輪を埋めていった。
それが、あたくしが出した答えだった。
ねえ、レイモンド、握りつぶすのが得意なのは、貴方だけではないのよ。
あたくしの笑みを勘違いしたのか、向かいに座っている叔母が遠回しに確認する。
「オーガスタは夢見がちで、細かなことに気が付く子ではなかったわ」
「あら、思い出は往々にして美化されるものですもの」
語っていないことが多すぎるだけで嘘は言っていない。憶測だとも言った。
法廷の規則も手順も何ら逸脱していない。その上で、あたくしはただ、母を信じたいと言った親友の願いに全力で応えたまで。
弁護士の基本、依頼人の利益の追求だ。
それに実際にもし、レイモンドが過去に一度でも墓参りを許していたら、あの指輪はソフィーによって発見されレイモンドの手に渡っていただろう。対の指輪となると、さすがにあたくしの説では無理がありすぎて通じない。
結局のところ、なによりもあの男の狭量さがあの男自身を追い詰める結果となっただけなのだから。
こちらの返しに確信を得た叔母はこめかみに手をあて、ため息をつき、
「やはりお前にも剣を習わせておくべきだった。本当に口ばかり達者になってしまって……」
「爪が折れてしまいますもの。お断りですわ」
叔母は茶器に添えたあたくしの手を見て、それから少しだけ寂しそうな目をし、自分の手を眺める。美しく研がれ、整えられた指先を。
怪我を防止するためギリギリまで爪が短く切られ、傷だらけだったあの手はもうない。
彼女は親友を選び、結果いくつもの大切なものを手放した。
謀略渦巻く政治の場を父は厭い、戦場の舞台から出ることはない。母もそのような父を尊重し、中央政治からは距離を置いた活動をしている。叔母も初めはそうだった。
今後、ソフィーの弟が、ソフィーと同じように成長するのなら何の心配もいらない。けれど、もし、わずかでも王家の血の影を見せるのであれば、今回のことを思い出し擁立しようとする者が出る可能性がある。もしくは、それを逆手に取り、反発心を抱いている者たちをあぶりだすために利用せんとする者たちが。
そのとき、またあたくしの新たな戦いが始まるのだ。
今度は法廷ではなく、政治と金と権力の中枢という戦場で。
社交界のエレンはもう終わらなければならない。
結局のところ、叔母とあたくしはよく似ているのかもしれない。もしかしたら、剣を習えば意外な才能が開花するかも。
今のところその予定はないけれど、と心の中でひとりごちてお茶を飲む。
「あの子たちは決して王族に絡む権力闘争には立ち向かえませんわ。薄紙のように簡単に引っ張られてはちぎれ飛んでしまうでしょう。あたくしは親友とその家族を守ることができ、叔母様も王室の名誉とまた親友の遺志を守ることがお出来になる。殿下とて、安穏とした生活を捨て玉座を争うご覚悟がおありになって?」
「君が手に入るのならありかな」
「ご冗談を。それよりも1日でも早くご結婚なさってくださいませ。そして、憂う必要のないほどお世継ぎをもうけてくださいませ」
「残念だな。君が僕のお妃候補なら喜んで迎え入れたのに」
「またですの? 謹んで辞退いたしますわ」
「できることなら、義母上には父上と離縁して欲しいくらいだ」
「無理ですわね」
「見限ってくれるよう訴えてみようかなぁ」
ぶつぶつと言い続ける彼は放っておいて、
「それでは、あたくしは御前を失礼いたします。これからグラスゴー様に師事に参りますの」
「本格的に弁護士を目指すつもりなの?」
「いいえ、知識として知っておきたいだけですわ。この度、勝てたのは、あたくしがひとえにレイモンドのことをよく知っていたからにすぎませんもの」
出会ってそう間もないはずだと2人は首をかしげるが、説明はできないのでそのまま辞去する。
いつか戻ることになるかもしれない主戦場をあとに、あたくしは約束の場所へ向かう。
グラスゴーにはソフィーと一緒に学ぶことになっているから。
門を出たところで彼女があたくしを見つけ、顔を輝かせ、大きく手を振って自分の存在を主張する。その横には、ソフィーによく似た顔でまだ少し恥ずかしそうに笑顔を見せる小さな姿があった。
あたくしも手を挙げて彼らに応える。
この笑顔が守れるのなら、失うものなどたいしたことではない。
真実はただ一つ。
彼女はソフィー・ダンブリッジで、エレンディール・キングストンは彼女の親友だということ。
後悔などない。
これが、あたくしの選択なのだから。
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