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三角関係 ―エレン―

「お嬢さま、先ほどから何度も首に触れてらっしゃいますが、なにかご不満がございますか?」


「……いいえ、何でもないわ」


目覚めると朝だった。何事もなかったかのような爽やかな朝。


いつもと同じく侍女が起こしにきて、入浴の準備をする。


今宵の夜会に備えて、侍女たちは入念に肌を磨いていく。


名だたるキングストン家の娘として手抜きは許されないからだ。


「ソフィー様とお会いするのですから、お衣装はやわ――」


「“柔らかな生地のあの春色のドレス”は、やめるわ」


「え?」


「そう言いたかったのでしょう? 濃い青にして頂戴」


「し、承知いたしました」


衣装係に変更を伝えようと慌てて出ていく侍女の、その姿をぼやけた湯気の中に見ながら思う。


最初はおかしな夢をみたのかと疑った。


でも、喉に絡みついた手も、あたくしの顔にかかった彼女の髪の感触までも覚えている。


そして何より、頬に落ちた涙の熱さが、決して幻などではないと訴えていた。


何度考えても同じだった。


やはり、1年前に戻っている。


よりにもよって、彼女と取り合った男と初めて顔を合わせた日に。


「いいえ。まだなのだから、合わせる日に、とすべきよね」


レイモンド・ダンブリッジ。あたくしの親友ソフィーの婚約者。


はちみつ色のさらさらの髪に、爽やかな新緑の瞳。


年上の男性らしく、落ち着き払った態度に洗練された完璧な身のこなし。


どこか陰のあるソフィーとは正反対の華やかな青年だった。


整った顔は微笑むと少しだけ幼くなり、それが逆に異性を惹きつける魅力を醸し出す。


でも美しい男は見慣れていたし、そもそも父のおかげで軍人のほうが馴染みがあったせいか、あたくしは大柄な筋骨隆々とした男の方が好みだった。


だから、本当に2人を祝福するつもりだった。


それなのにグラスを返そうと彼に触れた瞬間、雷に打たれたかのように指先が痺れた。


体の奥が熱くなって呼吸が乱れ、目が潤んで、急に喉が渇いてきた。


彼にもう一度触れてもらいたいと強烈に願った。


あたくしの様子を勘違いした彼が笑い、もう一杯持ってきてくれて――あたくしはまたそうして今夜、彼に恋してしまうのだろうか。


親友を裏切り、周囲の忠言に耳を貸さず、彼に溺れていくのだろうか。泥沼に沈んでいくように。


夜会の会場では、記憶と同じ場所で2人があたくしを待っていた。


彼らに知られぬよう深く息を吸い、呼吸を整える。


ソフィーの紹介を受けてレイモンドが一歩前に出る。


「初めまして。レイモンド・ダンブリッジです。ソフィーからお噂はかねがね。ようやくお会いできました」


「エレンディール・キングストンです。こちらこそ、お会いできて何よりですわ」


彼がそっと手に触れる。この手がどのようにあたくしの肌の上を滑るか知っている。


挨拶の唇が落ち、緊張で心臓が跳ねた。


――けれど、それだけだった。神託を受けたかのようなあの痺れも恍惚感もない。


我ながら驚くほどに心は平静だった。


すべてを知っているからかもしれない。


彼の何気ない癖もしどけない寝姿も何もかもを。


それよりも前回は気づかなかったソフィーの様子が気にかかる。


顔色がわずかに悪い。それを化粧で隠している。


婚約者を披露するために無理を押してきたのかしら。


辛口の親友に彼を会わせる緊張からかと思っていたけれど、いつも以上におどおどとしていて、改めてこうして見てみると緊張とは何か異なる理由がありそうだった。


飲み物をとってくるよ、と彼が離れた拍子にほっとした顔で、


「エレン、会えて嬉しいわ」


ソフィーがすっと近づいて私の腕をとる。


ぞっとした。


レースの手袋に包まれた、この人形のように華奢で細い手があたくしの首に絡みついたのだ。


振り払いたくなるのを無理矢理こらえて微笑む。


「親友にようやく婚約者を紹介してもらえるのですもの。来るに決まっているじゃない」


「ええ、でも……でも……」


「ソフィー?」


「いいえ、なんでもないの」


何かを言いかけて口ごもる彼女。その続きを待つまでもなく、レイモンドが戻ってきて飲み物をあたくしたちに配る。


彼女にはジュースを、あたくしと彼にはお酒を。


「では、僕たちの出会いに――」


彼がグラスを掲げた瞬間、


「わ、私もお酒が飲みたいわ……!」


ソフィーがおかしなことを言い出す。


「およしなさい。貴女はまだ未成年でしょう」


「ソフィー、我が儘を言わないでくれ。あと1年の辛抱だろう?」


彼とあたくしがたしなめる。


でも、とまだ未練がましくあたくしのグラスに視線を注ぐのをなだめるように、彼はぐっと彼女の腰を引き寄せ自分に向かせた。


「君が親友を大好きなことは分かっているけれど、今日は僕といるのだから僕のことを見てほしいな」


「ご、ごめんなさい」


恥ずかしそうにうつむく彼女の腰に手を回したまま、じっと笑顔で見つめている。


何もかもが前と同じで嫌になる。


「まぁ、お熱いこと。あたくし、お邪魔ではないかしら?」


「いえいえ、そんなことはありませんよ。では、改めて。僕たちの出会いに、そして君たちの友情に」


「乾杯」


グラスを掲げ、口をつけ飲むふりをするにとどめておく。


お酒には強い方だけれど、万が一ということもありうる。


酔って失態を犯し、再びソフィーに殺されるのはごめんだった。


恐れていた一目ぼれもなかったし、このままつつがなく1日を終わらせたい。


改めて彼とのなれそめを聞き――とは言っても彼女は彼の家にお世話になっているのだから、出会いも何もないのだけれど――新婚夫婦のような惚気の話にも相槌を打ち、あたくしのことも間に少し挟み、やがて頃合いを見て暇を告げる。


「もう帰ってしまうのかな。せっかく会えたのに」


「あたくしもお名残り惜しいのですけれど、明日の予定がございますの。ソフィーの婚約者ですもの、またこれからいつでも会えますわ。なにせ、あたくしと彼女は親友ですから」


その友情も今日で終わりだけれど。と心の中で吐き捨てる。


親友の男をうばったあたくしが悪いことは重々理解しているけれど、だからといって首を絞めて殺しにくるような女を友人に持って安心できるわけがない。たとえ男を奪わなくとも、ふとしたきっかけで逆上した彼女に再び襲われる可能性だってある。


今日を限りに徐々に距離をとって、最終的には関係を絶つつもりだった。


「ソフィー、またね」


「ええ、エレン、また」


彼と2人になれて嬉しいのだろう。彼女に笑顔が戻ったのを心の中で冷ややかに笑い、あたくしは会場を後にした。

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