裁判最終日 前編 ―エレン―
3日目。
流石に昨日そのまま続行するには時間がなさすぎるということで、審理は次の日に持ち越された。
今日、おそらくすべてが決まる。
「本当のことを――真実をお話しいたします」
閉廷間際の彼の発言が噂となって伝わり、傍聴席は満席となっていた。人々の好奇の視線が熱気となって法廷に降ってくる。
昨日とは一転した落ち着きを見せ、レイモンドが証言台で優雅に一礼する。
法廷に被告側弁護士は姿を見せず、彼一人だった。もはや手に負えないと見捨てられたのか、数々の申告の矛盾ゆえに契約が反故になったのか、レイモンドから切ったのかは不明だ。
いようといまいと役には立たないのだから、どちらでも構わない。
むしろ、あたくしにとってもこの方が都合がいい。
一度目の人生、レイモンドの裏の顔は見抜けなかったが、表の顔なら閨の中まで知っているからだ。裏があると分かった以上、少なくともあの男がどのように取り繕うかなら、分かる。
「――私は戦慄しました。母親の腕を切り落とした少女に。しかも、彼女はこれを王家に突き付けると言いました。自分たちにはあの城に住む権利がある、と。私は事あるごとに彼女を諫めました。いつかは通じると信じて。時には、強い言葉になってしまったかもしれません。それを見た使用人たちが勘違いしてしまったとしても責められません。もしかすると、王族に名を連ねた暁には見返りを渡すと言われたのやも――失礼。証拠もないのに口走ってしまった、撤回します」
こちらが抗議をあげる前に彼は言い切って、自分の発言をなかったものとした。撤回され記録には残らずとも、記憶には残る。それを狙ったのだろう。意識の奥底に彼女への疑いの種を植え付けるために。
それが撒かれたのを確認して彼は続ける。
「彼女が私を告発したのはただ一つ、私から指輪と弟を取り戻したいだけなのです。王家に加わるために」
法廷がざわめく。みな、ソフィーに同情していただけに、暴力を受け続けたただのか弱い被害者と思っていた少女が母親の手を切り落とした話は衝撃だったのだ。
レイモンドは周囲の感情が変化したのを感じて語気を強める。
「亡き方を悪く言うのは忍びありませんが、この際、致し方ないでしょう。伯父は散々申しておりました。妻が王城の誰かと通じている、と! 決して生まれるはずのない子が生まれたと!」
法廷は静まり返り、誰もがレイモンドの次の言葉を待っていた。
「アンナ夫人は、その証を持っていたのです! 私はその証左を示すことが出来ます! ――これが、先ほどから申し上げていた、その指輪です!!」
指輪を前に、法廷に満ちる大波のようなどよめきを裁判長が諫める。
「静粛に!」
木槌で打撃台を叩き、落ち着くよう促す。
レイモンドは十分に時間を置き、全ての注目が指輪から再び自分に戻ってくるのを確認してから、
「私は目を疑いました。こちらの意匠に見覚えがあったからです。そして夫人が伯父からこれを隠していた理由も、伯父が夫人に真実を話してほしいと願った理由も、やっとわかったのです」
そう締めくくった。
針が落ちても分かるのではないかと言うほどの静けさの中、レイモンドへの反対尋問が始まる。
あたくしは彼の斜め前、判事や陪審員らから彼の顔がしっかりと見えるような位置に立つ。
グラスゴーは心配していたけれど、注目を浴びることはこの場にいる誰よりも慣れているから、あたくしには恐れも緊張もなかった。
「被告に伺います。貴方は原告が最初からこれが王家のものであると知っていたと主張しました。おかしいと思いませんか? 分かっているのなら、最初から王城に駆け込めばよいだけのことをなぜわざわざ貴方の屋敷にいったのでしょう」
「しいて言うならば、私を頼り、王城に連れて行ってもらいたかったのでは。子どもには城はとてつもないものに思えるでしょうから」
「彼女が実際に貴方に連れていくよう頼みましたか? 先ほどの説明では語られませんでしたが」
「……もちろんありましたよ。大騒ぎでした。ただ、他のことを話そうと急くあまり失念していました」
「王家に連なるとわかっているのなら、そのまま連れて行き保護を求めればよかったのに、なぜ貴方は待ったのですか?」
「最初は、彼女の言っていることを信用していませんでした。ですから、いろいろと調べ、その結果少なくとも王家のものであるとの確証は出来ました。同時に彼女が、弟を自分のものにして操ろうとしていると思い、彼女から引き離し、まず正しいことを教えるべきだと考えました」
「弟君がお屋敷に来た時はまだ1歳だったはず。操るも教えるも無いのでは?」
レイモンドは黙りこくる。
「城の門番の証言を読み上げます。“10年来この場所の守りを預かっておりますが、銀色の髪の少女が訪れ、門前で騒ぎ立てたことはただの一度もありません”。屋敷で被告に向かって騒ぐ程なのですから、城で騒ぎを起こしていてもおかしくないのに、そう言った事件は一切起こっておりません。なぜなのか? 答えは簡単です。彼女は証言の通り指輪の意味を知らなかったし、レイモンド氏に軟禁されており、自由に動くことが許されなかったからです。質問は以上です」
ぎりっと歯噛みする音が背後から聞こえる。ここにいる人たちは今の彼の顔を見逃さなかったと願いたい。
話は指輪の証明に移る。
レイモンドが呼んだのはオーガスタ様の乳母であり、彼女が輿入れする際、共に城に上がって侍女頭となった人物だ。
前妃殿下の逝去と同時に引退し、今は城にいない。
今、王城で働いている者がおいそれと召喚に応じ、城の内情を詳しく話すわけがない。呼ばれるなら彼女であろうことはあたくしも分かっていた。
彼女が現王妃と対立する前王妃派の人間である事は言わずもがな。あたくしを通じ、少しでも叔母に瑕疵を負わせたい彼女なら、この場に呼ぶには最適な人物だろう。
「この指輪に、もしくは装飾に見覚えは?」
「ええ、あります」
彼女はつんと顎を上げ答える。
「王室でよく使われる意匠の1つです。特にこの台座の横にある打刻は王弟殿下の物であることを示しております」
レイモンドが満足そうに口角をあげる。
「この指輪の持ち主を尋ねられたら、貴女は何と答えますか?」
「王弟殿下です。王弟殿下が個人的に差し上げたものかと」
「異議あり。今の証言では元の持ち主が判明しただけです。夫人が持っていた理由までは分かりません。たとえば、下賜されたとは考えられないでしょうか」
レイモンドは鼻で笑う。
「これ程のものを侍女に与える理由がない。アンナ夫人は貴族で家の資産もある。私が貧しい使用人たちの相談に乗って分け与えたのとは意味が違う」
このような時ですらさりげなく相談に乗ったという嘘まで付け加えることを忘れないとは、何処までも己の主張を虚偽で固めようするその姿勢、いっそ拍手を送りたい。
「もし夫人がこれに値する多大な貢献をしたというのなら、まず与えられるのは勲章でしょう。ですが、そのような記録はありません。女性が特定の個人を示すような指輪を持っているとしたら、その意味はひとつしかない。アンナ夫人が盗んだと主張するのなら話はまた別でしょうが――以上です」
レイモンドは反論できるのならばしてみろと言わんばかりに口端に笑みをたたえ、被告席に戻る。
あたくしは前に出て、証人と目を合わせる。彼女は受けて立ち、決して視線をそらそうとはしなかった。
オーガスタ様と叔母は仲が良かったというのに、前王妃派と現王妃の溝は深い。結婚後に分断を憂いた叔母が、わざわざ自らお茶会を開いて彼女たちを招待し、埋めようとしたほどに。
結局その努力は実らなかったのだけれど、おかげであたくしはソフィーと会えたのだし、こうして人間関係も把握でき、今利用できているのだから決して無駄ではなかった。
「証人に質問する前に確認を。証人が生前のオーガスタ妃殿下に一番近く、オーガスタ妃殿下も証人を信頼なさっていらしたと、そう思って間違いありませんか?」
「ええ、わたくしはそう自負しております」
彼女のこちらを見る目は冷たいものの、誇らしげに胸を張って答える。
「オーガスタ妃殿下は慈悲深い方であると、皆が口をそろえます」
そこで一呼吸おいて、証人をみやる。
彼女は込み上げてくるものを抑えるように一瞬息をつめつつ、
「ええ、そうですとも! オーガスタ様は素晴らしいお方でございました!」
「もし目の前に怯えた、様子のおかしな侍女がいたとしたら、オーガスタ様は見て見ぬフリをなさいましたか?」
「いいえ!!」
彼女は言い切る。それがのちのちどのような意味を持つかは考えることもなく。ただ、前王妃への思慕のみで証人は返事をした。
思った通りだわ。
レイモンドは敵対者を連れてきたつもりなのかもしれないが、オーガスタ様を想うがゆえに証人が何を考えどう答えるかなど簡単に予測がつく。
それに、あたくしにとってもオーガスタ様の身近な人物というのは都合がよいのだ。
敵性証人に対しては、相手の信用性の弾劾、つまり証言の信用を失わせるのが定石だけれど、不慣れなあたくしならば策を弄するより目の前に並べられたものを使う方がいい。
彼女に向かって笑いかける。
「あたくしには叔母がおります。貴女もご存じの現妃殿下です。彼女は、結婚前、家にいるときも奇特な恰好をしておりました。その格好でよくオーガスタ様に会いに行っていたと記憶しております」
まさかこの場にお忍びで来ているとは思えないけれど、覚えてらっしゃいという呟きがきこえたような気がした。
質問の意図が分からないからだろう。証人は一瞬確認するようにレイモンドに目をやってから、慎重に言葉を選び、答える。
「ええ、その通りです。現妃殿下は、個性的なお召し物でよくお見えになりました」
「オーガスタ様はそのような彼女をどう扱いましたか? 無碍になさいましたか?」
「まさか!! オーガスタ様の元に現妃殿下がお見えになった際、将軍閣下のような恰好をしていらっしゃることがございました。お心の広いオーガスタ様はそれをお気にされることもなく、わたくし共もお付き合いし、時々、自らも紳士の恰好を――」
「たしか、オーガスタ様は衣装を王弟殿下にお借りになり、その際、幾つかを譲っていただいたことがあると伺っておりますが、本当ですか?」
「ええ。陛下は背が高くていらっしゃいますから、お借りするにも寸法があわなかったのです」
「では、その譲っていただいた物の中に、この指輪が含まれていた記憶はありますか?」
「いいえ」
即答だった。狙いは分かっているとでも言うように冷ややかに。
レイモンドがあたくしの質問に一瞬息を呑み、元侍女長の答えに安堵の息をついたのが見えた。
それでかまわない。
そもそも服は直しができるが、装身具はできないのだから、譲ってもらったところで意味がないことはこちらも分かっている。
ただ、あたくしは明確な否定が欲しかったのだ。彼女かはっきりとした意思を示す女だと知らしめるために。
あたくしにとっては、次の答えこそが重要なのだから。
「では、質問を変えます――お2人は大変仲が良ろしく、お互いに好みの物を贈り合われることが頻繁にあったそうですが、前妃殿下のお持ちの品の中にこのような物は含まれていなかったと断言できますか」
「でき――」
「もちろん調べることは可能ですが、貴女のようにオーガスタ様の身近な証言者というのはこちらにとっても重要ですので、しっかりと考えてお答えいただければと思います」
あたくしは証人に尋ねる。
他人からはあなたを信用していると聞こえるように、そして目の前の人物にはさりげない脅しでもって。
彼女はぐっとつまり、
「……絶対にないとは言えません。王弟殿下もオーガスタ様が好んでおられた意匠のものをお持ちのはずです。オーガスタ様のお品に関しましては、目録は副葬品と一緒に埋葬しておりますゆえ残っておらず、確かめようがありません」
「“断言はできない”、ありがとうございます」
ええ。貴女は親友を裏切った叔母に前妃殿下の品を使われたくなくて、陛下に涙ながらに訴えたのよね。お陰で代々伝わる貴重品を除き、死後の世界でも豊かに暮らせるよう、その一切は妃殿下が眠る廟にあとからすべて納められた。だから今更何を持っていて何を持っていなかったかなんてわからない。
でも、断言すれば、確かめようとあたくしが大切な前妃殿下の墓を暴くと言う不届きなことをやってのけるかもしれない。周囲から反対が上がったにもかかわらず強行して結婚するほど現王妃を愛しているのなら、あたくしを哀れに思う叔母の願いに陛下は耳を貸す可能性がある、と彼女は危惧した。
証人には通じたのだ。調べることは可能、つまり“あたくしはやるわよ”。
だから、曖昧な証言に変えた。
あたくしに協力はしたくないけれど、大切な第2の娘とも言える前王妃の眠る場所に土足で踏み入らせないように。
肯定などしてもらわずとも、それだけで十分だった。
さきほど、あれほどまでにはっきりと「いいえ」と答えた人物が明確な回答を避けたとしたら、人はどう感じるか。言えないのは、存在する可能性が高いからと思うはずだ。
ただ断言できないというだけの答えが、あたくしにとって有利な方向に導かれる。
それに、レイモンドに続いてあたくしも彼女が重要人物なのだと念を押したのだから、今の証言は強く陪審員の中に残ったはず。
「先ほど証言いただいたように、前妃殿下は現妃殿下とのお茶の際に、ときどき紳士の仮装という趣向で臨まれました。王弟殿下にお借りして、あるいは譲っていただいて。同時に、侍女たちにもその趣向に合わせて同じように装うことをお求めにもなられました。ここで一つ検証をしたいと思います」
あたくしの合図でエマが入ってくる。城で一般的に支給されている男性使用人の服を着用し、お茶一式を台車に乗せた廷吏を連れて。
彼女に見本となってもらったのは、あたくしでは背が高すぎて、ソフィーでは小柄すぎるからだった。
「彼女はアンナ夫人と同じ一般的な女性の体形をしております。彼女にお茶を淹れてもらいます。確か、アンナ夫人はお茶を淹れるのがお上手であったとか」
あたくしの質問に証人がうなずく。
エマはお茶を淹れようとして、ぶかぶかの袖をあちこちに引っ掛けてもたつく。あまつさえ、裾をお茶に浸すことまでやってしまった。
証言台から、なんてみっともないと小さく毒づく声が聞こえた。
「証人にお聞きします。王城でのお茶会では、どのようにしてこういった事態を避けていましたか?」
「みな、紐や釦で留めておりました――ええ、そのようにです」
エマが色の変わってしまった裾を折り返したり、たくして留めたりするのを見て頷く。
「ちなみに、彼女の腕の内側にはある数字をインクで記しております。証人、もしよろしければ、大きな声で読んでいただけますか?」
「……28!」
証人は首をかしげながら、それでも言われたとおりに告げる。彼女の声は大きく、法廷に響き渡った。
「ありがとうございます。今ご覧いただいたように、読んでいただいたように、ドレスでは隠せていたものが紳士服では見えてしまったとしたら、どうでしょうか。王弟殿下は紳士であらせられます。ゆえに女性の素肌は目に入れないようにされたことでしょう。しかし、オーガスタ様がそれに目を留められたとしたら? たとえば、そこに目を覆いたくなるような傷があったとしたら?」
被告側席のレイモンドと目が合う。
あたくしの言いたいことが何となくつかめてきたのだろう、顔色を変え、彼から余裕の態度が消えた。
彼に笑いかけ、心の中で語りかける。
あら、今更気が付いても遅いのよ。貴方が積み上げてきたもの、すべて使わせていただくわ。