裁判中日 ―エレン―
「――昨日の出来事は我々にとっても衝撃でした。レイモンド氏も彼女の姿に打ちのめされたひとりです。彼は自分を責めました。今まで気が付けなかったことにです。そして昨日、家の者たちを問い詰め、ある男が白状しました。彼の家の使用人です。ソフィー嬢のことをずっと虐待していたと。原告にも黙っているよう脅したそうです。でなければ、もっとひどい目に遭わせるぞ、と」
弁護士の言葉に合わせ、レイモンドはさもつらそうに首を振る。
「レイモンド氏は申し訳なく思っています。その使用人を雇ったのはレイモンド氏であり、ソフィー嬢の婚約者であるのに、男の蛮行にずっと気が付けなかったのですから。気づかない、確かに、これもまた罪といえるのかもしれません。しかし、その為に原告がレイモンド氏を恨み、何もかもを着せるのは間違っているのではないでしょうか」
「虫唾が走るわ……」
思わず乱暴な言葉が漏れた。
まさか、人柱を用意するだなんて。よくやるものだ。
どのような条件であの男はレイモンドの罪を引き受けることにしたのか。正しくは、いくらで引き受けたのかといった方がいいのだろう。
呼び出された青年は、震え、青ざめながら罪の告白をする。
自分がどのようにソフィーに傷を負わせ、彼女の身体を好きにしていたかを語り始める。
事細かな証言に法廷がざわめき出した。
真に迫っているのはそれが事実だからだろう。
案の定、「あれほどに詳しく語れるのは、あの男が犯人だからなのでは?」「やはり、あのような所業、紳士がするとは思えませんわ」などの言葉が飛び交う。
殺意すらわいてくる。この期に及んで、罪から逃れるためすべてを暴露しまだ彼女を辱めようとするなど。
できることなら、今すぐ青年に駆け寄ってその横っ面を2度と口がきけなくなるまでひっぱたき、レイモンドは街中を引きずり回した上に思う存分踏みつけてから細切れにして獣の前にばらまいてやりたい。なんなら馬ではなくあたくし自ら引きまわしてもかまわない。
あたくしの怒りを感じ取ったのだろう。青年がこちらを向き、怯えたように顔を伏せる。それでも、話すことをやめようとはしない。
グラスゴーが諫めるようにそっと腕を叩いてきた。
わかっているわ。あたくしは彼に頷き返す。
腹が立つことこの上ないが、ある程度の傷はこちらも覚悟の上だ。ソフィーも承服してくれた。
それに、こちらとてただ黙って手をこまねいていたわけではない。
青年の話が終わり、尋問に移る。応訴を決めてから相当の問答を重ねてきたのだろう。ひとつの矛盾もなく、男はグラスゴーの質疑に答えてみせた。
「ありがとうございます。よくわかりました。しかし、わたし共の主張には一切変わりがありません」
向こうの弁護士が口をはさむ。
「先ほどの青年は無罪だと?」
「いいえ、彼がしたというのならしたのでしょう。こちらとしては、被告以外にも加害者がいたという事に驚いただけです。いたとしても、被告が原告に危害を加えていたという事実には変わりありません」
「真の犯人の証言があるのにですか?」
「証言者なら、こちらにもいるからですよ。裁判長、原告側の証人に入廷の許可をお願いします」
出てきた人物にレイモンドが目を見開く。
証人に見覚えがあったのだろう。
「証人は名前と所属を述べるように」
宣誓の後にそう促され、彼女が答える。
「エマと申します。4か月前より、レイモンド・ダンブリッジ様のお屋敷にて奉公をしております」
「では、貴殿が見たものを、嘘偽りの一切なく真実のみを述べてください」
彼女は、はいと短く答え、雇われてからの生活を克明に述べ始める。
「それで、どうしましたか?」
「レイモンド様はお嬢様の頭を踏みつけると、わたしに黙っているように仰り、手に宝石を押し付けてきました――これが、その全てでございます」
彼女はハンカチを開き、中を見せる。
そのたびに渡された、カフスやヘアピンが包まれていた。
「嘘だ! それは、彼女の家族が困っているから可哀そうにと渡しただけだ。私は、貴族の義務を果たしただけだ!」
レイモンドが叫びだす。思ってもいなかった証言が飛び出し焦っているようだ。
その焦り、分かるわ。
彼女の母親は病気で実家には莫大な借金があり、お金が必要だから喋るだなんて想定もしていなかったのでしょう?
「私が支払っている以上の金で、嘘の証言をするよう、彼らが買収したに決まっている!」
「では、わたしどもが買収したという証拠をお見せください」
冷静なグラスゴーの言葉にぐっとレイモンドが詰まる。
自分がいつもやっていることだから、相手もしていると当然のように口をついて出たのだろう。
だが、証拠などあるはずがない。
実際にあたくしは彼女に屋敷の出来事を話すようお金を握らせてはいないのだから。
お金をばらまいたのはそれよりも前、街での騒動でのことだ。あの一帯を借り切り、王都中の荷役人を雇ってもめ事を起こさせ、帰宅中のダンブリッジ家の使用人たちを巻き込むよう指示した。ただそれだけである。
そして、たまたま知り合いの使用人の娘たちが仕事を求めていて、たまたまダンブリッジ家が募集をかけていたのを思い出して教えた。彼女らを雇うと決めたのもレイモンドだ。あたくしではない。病に伏した親を持つ娘や身重の妻がいる、というお金に困っていて操り易そうな設定は考えたにしても。
そして、屋敷で見聞きしたことはできるだけ覚えておくよう、仕事上の助言をしたことは認めるけれど、それだって使用人として主人の癖や行動を覚えておくのは別におかしなことではなく咎められる理由はない。
「その時、わたしは2人1組で仕事を回っておりました。彼女にもお聞きください」
レイモンドが青ざめる。
あら、分かっているようね。そうよ、そのもう一人も証言してくれるわ。他にも貴方の罪を証言してくれる者たちはまだいるのだから。
そして、それは使用人たちだけではないのだ。
「――今でも外では食事ができないし、男の人が近づくと怖くてたまりません」
オリエが涙をこぼしながら、証言を終える。
衆人環視の中で、あの時のことを話すのにどれ程の勇気を必要としたことだろう。
胸が痛い。
あたくしのせいでもある。それなのに、彼女は退廷するときにあたくしの顔を見て小さく頷いてくれた。
感謝の想いをこめ、頭を下げて見送る。そして次の証人を呼び寄せた。
次は恰幅のいい中年の男性だ。
「――“彼いい人でね。お金を貸してくれるそうよ” 娘はそう言ってわたしたちに報告しました。その後、約束通りに金は振り出され商会は不渡りを出すことなく乗り切れました。しかし、会社が軌道に乗ったのを見届けた直後、娘は命を絶ったのです」
彼はこぶしを振り上げ、証言台にたたきつける。目はレイモンドからそらさないまま。
「お前のしたことは絶対に忘れん! だが、このことは口外しないつもりだった。お前のためでも金のためでもない、娘の名誉を守るためだ!! しかし、昨日の少女の身体を見て気が変わった。転んだと言っていたが、娘の身体にもいくつか似たような傷があったからだ。お前、うちの娘にも同じようなことをしていたのか!! ふざけるな!! お前を告発するためなら商会がつぶれても構わん。妻も同じ考えだ! 覚えておけ、わたしたちは絶対にお前のことを許すつもりはない!!」
その言葉に何処からかすすり泣きの声が続く。おそらく、夫人なのだろう。喪失はまだ彼らをさいなんでいて、その証とも言える抑えようとして抑えきれずに零れる嗚咽が聞いていて余計につらい。
激高する男性をなだめるように静かに声が響く。
「裁判長、こちらの証言と共に証人のお嬢さんの日記を証拠として提出いたします。本件とは異なるゆえ、お嬢さんの事件に関しては何も申すことはございません。ただ、被告の人となりを表すその一つであるとわたしは断言いたします」
危険な賭けではあったが、ソフィーの裸での登場は思っていた以上に人々の興味と何より同情をひいた。彼女の姿に心を動かされ、昨晩、我が家を訪れたのは一人や二人ではなかったのだ。
もしものために、レイモンドの屋敷の古参の使用人たちの生活を一つ一つ確かめ、彼らが何を買い、どのような生活をしているのかつぶさに調べ上げていた。それをつきつけ、賄賂の存在をにおわせる手段も考えていたが、陪審員たちの顔を見るにもうその必要はなさそうだった。
その後もこちらの証言者は次々と続き、先日検挙され世間をにぎわせていたあの悪名高いサロンの関係者が出廷し、レイモンドもまた常連であったと証言をしたときには法廷中がどよめいた。
今日この時のために、彼らには警備隊にもレイモンドとの関係を口外しないよう言い含めていた。レイモンドは終わったものと気を抜いて、この件に対しては対策を練ってこなかったはず。弁護士にも打ち明けられたはずがない。
外面が良く、金と権力で味方を作り上げてきた彼のことだ。サロンに出入りしていた話くらいでは容易に握りつぶされると分かっていた。
だが、これほどの証言が出た後ならどうだろう。
周囲の、この男を見る目が変わるはず。
事実、潮目が変わったのを感じてレイモンドは狼狽していた。
「待ってください、裁判長!」
「待って何かが変わるのですか? これは裁判です。異なる事実があると言うのなら、証拠と証言で証明することです」
「いいえ、これは――これは何かの間違いです。私は、ただ王家の血筋を守る忠実な家臣でしかありません!」
法廷中がざわめく。
「な、何を言ってるんだ……?」
グラスゴーの困惑のつぶやきが聞こえてくる。
……やはり出してきたわね。
「裁判長、今までの発言を撤回させてください。真実をお話しいたします。私がなぜ口をつぐんできたか、その全てを話します!」
判事が突然の被告の発言にけげんな表情を見せる。
「被告側に改めて問います。それが今回の告発内容とかかわりが?」
「大いにあります!」
どうするべきか、と判事が壇上からこちらに目で問う。
「かまいませんわ。こちらに関係があると仰るのなら、ぜひ聞かせていただきたいわ」
グラスゴーがこちらを振り返り、あたくしは微笑んで見せる。彼は一瞬だけ苦笑すると、何も言わず場を譲ってくれた。
一方、レイモンド側の弁護士は聞かされていない情報を前に、たいして驚くことのないあたくしと必死なレイモンドの顔を交互に見つめ、動揺していた。
あたくしは前に出て、法廷を見回す。
ソフィーの戦いは終わったのだ。
あたくしは誰にも聞こえないよう自分に発破をかける。
「さぁ、覚悟はよくって――ここからは、あたくしの戦いよ」