裁判初日 ―エレン―
いよいよ裁判が始まった。
吹き抜けの法廷は床も壁も作り付けの机も椅子も木でできており、その全てが古めかしく、歴史を誇るかの如く輝いている。
入口から見て左が原告側、右が被告側になり、手前に証言台、正面奥に法壇、つまり1段高い判事席がある。判事の前に備え付けられた小さな机は裁判書記官のもので、判事を中心に陪席裁判官席が1列にのびた軍法裁判所とは異なり、陪審員席が判事と被告側席の間に箱型に作られている。傍聴席は法廷の2方、原告側と被告側の背後に段状に大きく設けられていた。
ただし、グラスゴーによると傍聴席が最上段まで人で埋まることはまずないらしい。確かに、あのキングストンが関わるということで話題になった割には、今日も満席には程遠かった。
時刻になり、原告と被告が揃い、互いの代弁者が顔を合わせる。
法官長による開廷の宣言と共にまず最初に訴状と答弁書が読み上げられる。
それぞれが証言者を呼び、互いの人間性がどのようなものであったか証明していく。これに関してはソフィーが不利だった。彼女はレイモンドから周囲との接触を断たれていたから。そしてあたくしは、彼女の弁護士であるために、彼女の証言者として立つことはできない。
名誉、業績、経営している紡績業による社会への貢献、レイモンド側は次々に召喚して、彼がどれほど立派な人間であったかを数字と人の口によって示す。
屋敷のなじみの使用人たちもソフィーが屋敷の主に虐げられている場面など見たこともないと告げる。そしてレイモンドがどれだけ素晴らしい人間であるか口をそろえて言うのだ。
あたくしたちより10歳以上年上だったとしても、まだ十分に若く整ったレイモンドの容姿がその証言に一段と説得力を持たせる。
ようやく茶番が終わり、いよいよ告発の内容へと話が移る。
「――原告は、長い間被告により虐待を受けて来たのです。その証拠をお見せします」
法廷がざわめく。驚きと非難の声とが入り混じる。
人々の好奇の視線の中をソフィーはゆっくりと歩いてくる。うつむくことなく。
彼女は肌をわずかばかりの布で隠しているだけ。
天井のガラスを通して差し込む光が磨き抜かれた床板とそこに立つ彼女の白い肌を照らし、いっそう体に浮かぶ挫傷を際立たせる。
彼女は法廷の中央に立つと、ゆっくりと回った。その体中に刻まれたあざと傷が裁判長と陪審員、傍聴人にしっかり見えるように。
医師が呼ばれ、証言台に立つ。
「彼女の身体を調べましたところ、相当古い傷から新しい傷までいくつもの創傷が見られました。中には年月の異なる似たような傷もあり、断言はできませんが同一人物により何年にもわたり何かしらの加虐が与えられていたものと見受けられます」
グラスゴーが箱の中から幾つか道具を取り出し、掲げる。
証拠を隠滅される前にソフィーに頼んでこっそりレイモンドの屋敷から持ち出してもらったものだ。
「こちらが、被告の家にあった道具です。ああ、疑問に思うのならば、今すぐお屋敷に警備隊を派遣していただいても構いません。それぞれがどこにあったか証言できますし、幾つかについては壁の跡からこの証言が嘘ではないと証明できるでしょう。また幾つかについては彼の署名が入った伝票もあります。いかがですか――あったことに対しては否定なさらないのですね。では、医師、この中で、彼女の身体の痕と一致するものはありますか?」
「いくつかなら、あると答えられるでしょうな。特徴的な欠けが傷痕と一致するものがありますから」
おお、と傍聴席に声が満ちる。
被告側弁護士が立ち上がった。
「異議あり。レイモンド氏の屋敷から持ち出したものに怪我の痕が合うよう細工しただけとは考えられませんか?」
グラスゴーは冷静に反論する。
「裁判長、次の証言でそれは証明いたします」
「わかりました。異議は却下します」
次に呼んだのは鍛冶屋だ。グラスゴーは彼に道具を見せて質問する。
「この道具の傷をどう思われますか? つまり、わたしが傷をつけて偽装することができますか?」
「いえ、この跡から考えて、摩耗でできたもんでしょう。手でやろうと思ってもこうなることはありませんよ」
欠け方の特徴やそれができる工程について、彼は職業的知見でもって詳しく語っていく。
グラスゴーはにっこりと笑う。
「ありがとうございました」
そうやって一つ一つ小さな証拠と証言を積み重ねる。
矛盾の指摘と反論が行き交い、やがて互いの手は出し切り、1日目の裁判が終了する。
とは言っても、今日はまだほんの小手調べ。本格的な裁判は明日から始まるのだ。
何を持ってくるのかは分からないが、あちらもとっておきはまだ見せてもいないはず。
こちらとしては小さくとも一つずつ着実に、相手を削っていくしかない。
今日の反省と明日への準備のために、あたくしたちは屋敷に戻る。
英気を養うために、料理人たちはあたくしたちの好物ばかりを用意して待ってくれていた。
「グラスゴー様、エレン、今日はありがとう」
「ソフィーもよく頑張ったわ。つらかったでしょう。ごめんなさいね」
「ううん、平気。本当に平気よ。毎日鞭で打たれたことを考えたら、このくらいどうってことないわ」
彼女は顔を真っ直ぐにこちらを見つめる。
少しずつ強くなってきている。これが本当の彼女なのだ。
こうやって、翼が整っていくのを見守られていくべきだった。その羽をきりおとしたのがあの男どもだった。けれどもまた彼女も負けなかった。まだ本当に飛び立てるのは先だったとしても、その練習はできている。
ソフィー。貴女ならできる。あたくしは信じてるわ。
そこへ、侍女が客人の知らせを持ってきた。
このような時間に、しかも代理とは言え法廷で争っている真っ最中の我が家を訪れるものがいるとは思えない。嫌な沈黙が食堂を支配する。
「どなたなの?」
使用人が答えた。
「ランタン様でございます」
この物語の「告発」は裁判用語における刑事事件の「告発」ではなく、一般用語の悪事を明らかにするという意味の「告発」です。