光差す場所 ―ソフィー―
いよいよ明日から、裁判が始まる。
この家で暮らしていることにはいまだに慣れることができない。
前はエレンに会うと夢から醒めたように思えたのに、今はこの場所でこうしてエレンと生活を共にし、朝最初に彼女の顔を見て、1日の終わりに彼女と言葉を交わし、現実を乗り越えるために思い浮かべる必要もなく目の前に彼女がいることが夢みたいに感じる。
ここのところ、エレンはグラスゴー様と遅くまで話し合いをして、ついさっき、部屋に戻ってきて倒れ込むように眠りについた。毎日夜遅くまで集めた資料を読み込んで、裁判の模擬練習の相手も務めてくれた。
今日だって朝から私の母のお墓参りに付き合ってくれた。
レイモンドから許されていなかったから、お葬式以降、訪れたのは初めてだった。
誰にも手入れされることなく墓石は苔むして、辺りには雑草が生い茂り、苦々しい草の匂いに満ちていた。
それを丁寧に取り除く。
爪と指が土にまみれ、高価な服の裾が草の汁に染まるのも気にせず、エレンも手伝ってくれた。
帰ってから薔薇水で洗ってあげたけれど、彼女の爪の間には今朝の作業の名残がまだわずかばかり存在している。
額に垂れる黒い房がまつげにかかっているのを起こさないようにそっとかきあげる。
彼女の美しかった顔の目の下にはうっすらとクマができ、少しやせたように思える。
「エレン……」
私が黙っていれば、被害が広がるのは分かっていた。
そのことに対して全く何も思わなかったわけではないけれど、でも、抱いたのはほんの少しの罪悪感だけだった。
エレンのことだって巻き込みたくないと思いながら、自分から積極的にレイモンドをとめるようなことはせず、結局彼の望む通りに動いた。
それはもしかしたら、彼女にも堕ちて欲しかったのかもしれないと今になって思う。
私はこんなにも汚れてしまっているから。彼女はあまりにもきらきらしていて、私には眩しすぎるから。
けれどきっと、本当にそうなったら、私は今度は彼女のことを壊さずにはいられなくなる。そんな彼女は見たくなくて。
世界に見捨てられるのは気にならない。でも、エレンに見捨てられたら心が死んでしまうから。
矛盾したことを言っているのは自分でも分かってる。
裁判を起こすことに応じたのだって、正義感からではない。
「レイモンドを告発するわ」
エレンにそう言われたとき、私は混乱して
「でも、あの人が弟に何かしたら?!」
そう叫んでしまった。
エレンはレイモンドが弟に手を出すことはない理由を丁寧に私に説明してくれた。
それは到底信じられないことで、でも結局彼女に一切を任せたのはただこの色褪せた世界でのよすがが欲しかったから。
それさえあれば生きていられる、この後の人生に希望がなかったとしても、美しい慰めとして心の中に大切にしまっておけるものが欲しかった。
私は、彼女を試したのかもしれない。本当に私のために武器を持ち、戦ってくれる人なのかどうかを。
私の騎士を、私の王子様を。
本当に私はどこまで愚かなのだろう。
彼女はその言葉の通りに、私の痛みを慰め、立ち向かってくれている。
彼女が私のためにしてくれた行動の一つ一つを思い浮かべながら、彼女に触れた。
すべらかな肌の感触。
土と草の色を残すその指先に唇をほんの一瞬押し当てて、そっと離れる。
「エレン、大好きよ。あなたのことが、本当に大好きよ」
私は生涯この感触を、温もりを、忘れることはない。私が本当の意味で唇を捧げたのはこの人だけ。
まだ彼に縛られてはいるけれど、心は今までになく自由だった。
涙が止まらなかった。
あふれてあふれて、止まらなかった。