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戦いのドラム ―エレン―

ぱしゃん


顔から水が滴った。ぱらぱらと花がテーブルに散る。


「オリエ!!」


ウィリアムが慌ててテーブルの向こうで彼女の腕を抑える。


「ふざけないで!! あなたのお話の通りなら、私があんな目に遭ったのはあなたのせいなのに、私に証言しろですって!? 大勢の前で、再び、私に恥辱を味わえというの!?」


「落ち着いてくれ、オリエ。エレンディール様、彼女のしたことには謝罪いたします。しかし、俺も彼女と同じ気持ちです。これ以上、彼女に傷ついてほしくないんです。どうか、お帰りください」


扉を出たところで、グラスゴーが恭しく、しっかりと糊のきいたハンカチを差し出す。


あたくしはそれを受け取って髪を拭いた。


「だから、難しいと申し上げたのです」


彼は諭すように首を振る。


サロンを探った時に、沢山の被害者がいることを知った。もちろんレイモンドの被害者もだ。


あたくしたちは、これからその人たちに会って証言をお願いするつもりだった。


だが、最初の一軒目でこの状態なのだから、あとは推して知るべしと彼は言いたいのだろう。


「貴方の言いたいことは理解していてよ。でも、気づいた? 彼女、花瓶の水をかけたの。あたくしが彼女なら遠くに手なんて延ばさず目の前の熱いお茶をかけてやったわ。ちゃんと分かっているのよ。ソフィーが哀れだってことを。ただ、どうしてもあたくしが許せなかっただけ。気にしないわ。次に行きましょう」


「おそらくですが、他の方も同じでしょう。証言は難しいかと。言われた通り古い使用人の証言書も集めましたが、役に立つとは言い難い。それでも、本当に裁判をなさるおつもりですか」


「ええ、するわ。だから弁護士の貴方を雇ったのよ」


「申し訳ありませんが、何故ですか? はっきりと申しまして、将軍の、お家の力を使い、ソフィー嬢に近づかないよう命じれば事足りるのでは?」


「でもそれでは、彼女への奇異の眼は続いてしまうでしょう。今後平穏無事に暮らすためにもあの子には振り払わなければならないものがあるのよ。もうこれ以上、この世界であの子から奪わせてはいけないの」


あの子は被害者なのに、なぜあの子が逃げるように去らなくてはいけないの。


グラスゴーを責めたつもりはなかったのだけれど、あたくしの言葉に、彼は恥じ入るように目を伏せる。


「それに父からも必ず勝てと言われているわ」


「閣下が?」


「ええ。何処から聞きつけてきたのか、手紙が届いたのよ」


「何とありましたか?」


「“勝利を確信した瞬間こそ最も隙ができる。とどめを刺すまでは絶対に油断するな”」


「閣下らしい……」


父を思い出したのだろう。彼が苦笑する。


グラスゴーは父の友人から紹介された弁護士だった。30代半ばくらいだと思う。彼はもともと父の下にいたそうで、けれど戦いのさなかに怪我を負い退役せざるを得なかったのだとか。たしか、こういう人を傷痍軍人と呼ぶはず。


その後、違う方法で社会に貢献したいと一から勉強を始めて弁護士になった努力の人だ。


退役した今も鍛錬は続けているのだろう。髭は綺麗に剃ってあり、髪は短く刈り揃えられ、がっしりとしたとまではいかないものの、歩くときにやや左足を引きずっているのさえなければ、今でも軍人として通用するほどには体が引き締まっている。


そういうところも含めて好感が持てた。やはり顔ではなく筋肉だとあたくしは確信している。


「では、負けるわけにはまいりませんね。依頼人の利益のために最大の努力を――弁護士の鉄則です」


「大丈夫よ、あたくしも法廷に立つわ」


あたくしの言葉に彼はとんでもない秘密を打ち明けられたかのように目を丸くして固まった。


「お、恐れ入りますが、エレンディール様は弁護士の資格を?」


「いいえ。でも、買うから大丈夫よ」


「は?」


「すでに話はつけてあるの。寄付をしたいと申し出たら、受け入れてくれる弁護士会も見つかったわ」


「失礼ですが、弁護士会の名前を伺っても?」


告げた名前に彼は通りの向こうにまで響き渡るほどの声を上げた。


「悪名高い、あの弁護士会ですか?!」


「悪名だろうと何だろうと弁護士会は弁護士会よ。国に認められているわ。それとも、弁護士が国が定めた法を否定するつもり?」


「そういうわけではないのですが」


「安心してちょうだい。あたくしは貴方の補佐として参加するだけだから。何度も父に連れられて軍法会議を傍聴しているし、おおよその流れもわかっているわ。邪魔にはならないはずよ」


この国で弁護士となるには2つの方法がある。1つは、彼のように試験に合格して資格を得ること。2つ目は、あたくしが述べたように弁護士会に認められ所属すること。


王城の臣下や法廷などにかかわるいつくかの重要な役職には、騎士のように家名と名誉称号が与えられる。つまり職に就いた時点で爵位のない1代限りの貴族となることができるのだ。


故に身分欲しさに弁護士を目指すものは多い。その手段の一つとして、あたくしのとった方法がある。


弁護士会に入るには弁護士の資格保有を条件とするところが一般的であるものの、ありていに言えば賄賂という力業が通用するところもわずかばかりある。もちろん、相当の金を積まなければならず、それを払えるほどの資産があるのなら売りに出ている小さな爵位付きの土地を買ったほうが余程手っ取り早い。実際、市場ではそういうものが需要により高値で取引されている。


ゆえに、結局のところまず力業が行使されることはない。行われるとすれば、不名誉であまり公にはできない理由で、となることが大半だった。たとえば、ぼんくらで何のとりえもない令息にせめて箔をつけようとするとき、など。


そういう意味で、あたくしの所属する弁護士会は有名だった。彼が非難したのはそれが理由であろう。


驚くことにレイモンドも弁護士の資格を持っていた。ただし、彼の場合はちゃんと正規の方法で合格している。


法の番人が暴力を振るい隠ぺいするなど、笑わせてくれる。でも、だからこそ彼は今まで誰からも証拠を握られることなく生きてこられたのだろう。


真っ当な方法であの男が裁判に臨むわけがないことは、あたくしにも分かる。油断はできない。


こちらが正しいからこそ、レイモンドはどのような汚い手をつかってでもソフィーを引きずり降ろそうとしてくるはずだ。


裁判の行方を完全に他人に任せることはできない。


グラスゴーを信用していないからではない。ソフィーの弟の血の問題もあるからだ。


あたくしはそれに備えなくてはならない。

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