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中庭の囁き ―エレン―

ソフィーの母親が身ごもったと思われる年。


それは前妃殿下が体調を崩し、必死の治療の甲斐なく暮れに身罷った年でもあった。その年、王宮は非常に混沌としていた。大切な妃殿下のために、あちらこちらから医師が呼び集められ、怪しい祈祷師やらまでもが始終出入りしていたほどに。


そのような状況ではあっても、あの指輪は容易く盗み出せるようなものではない。


贈られたと考えるのが妥当だろう。


だとするならあの指輪を渡したと推測されるのは、


「陛下か、王弟殿下のどちらかというわけね」


年齢的に当時10にも満たない王太子殿下は無理であろうから、その2人しかいない。


そしてその意味など言うまでもなく。


見るものが見れば王家の品だとわかるのだけれども、指輪に刻まれているのは正式な紋章ではないから、ソフィーが気づかないのも無理はない。あたくしだって、叔母が王族に加わっていなければ、あの模様が意味することなど知らなかっただろう。


でも、レイモンドにはわかったのだ。


ソフィーは母親にそっくりだと聞いている。ならば、夫人もまた異性の目を惹く愛らしく可憐な見目だったに違いない。


レイモンドが何を考えているのか、どうして姉弟を手放さないのかもようやく理解した。


「おやおや、これはお懐かしい。もう僕のことなど忘れられているのかと思ったよ」


「……お目にかかることができ光栄でございます、王太子殿下 、王妃殿下」


父の妹、つまり叔母が前王妃亡きあと国王陛下からの求婚を受け入れて輿入りをしたのはあたくしが11歳の時だった。


そのときから、あたくしは王族とは姻戚という関係に当たり、血は繋がらずとも王太子殿下とは従兄妹になった。とはいえ、陛下や殿下に流石に簡単に拝謁することなどできない。簡略な手続きで可能なのは叔母までだ。それも叔母が王宮の気難しい官僚たちを説き伏せたからだった。


叔母は前王妃の親友でもあり、ソフィーの母親が王宮に出入りしていた当時の事情を知る数少ない人物である。是が非でもアンナ夫人と繋がりを持っていたのは誰か聞かなければならない。


だからといって、叔母に全てを話すことは避けた方がいい。


叔母は現実的な人間だ。もし王族の醜聞ともなれば彼女がもみ消そうとすることだってありうる。


権力と金さえあればどうとでもなる世界。かつて玉座が後継者争いで血に染まったこともあった。


慎重に動かなければならない。


目の前の彼だって、今でこそ安穏とはしているものの、もし王族の血を継ぐ者が自分以外にもいると分かれば、どう出るか分からない。のんびりとしていられるのは、今のところ叔母に子を成す様子が見られないからだ。


王弟殿下も独身のままオーガスタ様の後を追うように臥し、この世を去った。


今、この国は王族の血をなによりも欲している。


――たとえ、それが不義の子であったとしても。


「王妃殿下は、生前の王弟殿下をご存じですの?」


「急にどうしたのかしら――……朗らかな方だったわよ。機知に富んでらして、私の恰好もいつも褒めてくださった」


え、と思わず口をついて出そうになったのをかろうじて堪えた。


家にいたときの叔母はいつもあたくしの父、つまり自分の兄の後を追い、剣ばかり振り回していた。参内するときですら、今のようなドレスではなく軍服じみた独特の格好でいて、こちらが気をもんだほどだ。


叔母を妃に迎えたいと申し入れがあった時にも驚いたけれど、王弟殿下も叔母を好意的に受け止められるとは、王族は余程寛容な方たちなのだと思う。


だから妃の親友を迎え入れるということをやってのけたのだろうか。


面と向かって言う者はいないけれど、一部の人たちからは叔母は親友を裏切った女だと陰で言われていた。親友に会いに行くとは名ばかりで、王宮に通ったのも陛下に色目を使っていただけではないのかと。当時は相当の反発があったのだと後から知った。叔母はそう言ったものを一笑に付し、気にも留めていないようだけれど。


「オーガスタも彼と仲が良くて、お互い頻繁に会っていたわ。仮装してお茶会だなんてやったりもしたわ。オーガスタは王弟殿下の衣装を譲っていただいて、それを――」


叔母は懐かしそうに目を細め、思い出を語りだす。


叔母は知っているのだろうか。王弟殿下が結婚をしなかったのは、オーガスタ様を慕っていたからだという噂が社交界にあることを。


王弟殿下がオーガスタ様亡きあと、憔悴して急激にやせ衰えていったのもその噂に拍車をかけた。


もし、噂が事実だとしたら夫人の相手は陛下であり、陛下はオーガスタ様を大切にする一方で、アンナ夫人にも手を出していたことになる。最悪の展開であるならば、同時に叔母とも。


……どろどろの宮廷恋愛など想像したくもないわ。


内心の嫌悪は顔に出さないように気を付けて、さらに質問を重ねる。


「王弟殿下にはオーガスタ様以外に親しくなさっていた女性はいらっしゃいませんの? お世継ぎの問題などもございましたでしょう?」


そう告げると、叔母はひどく顔をしかめた。


「呆れた。久しぶりに顔を見せたと思ったら、そんなことを言いに来たの? それとも旧臣の誰かにそう言うよう唆されたの?」


「旧臣? いえ、あたくしは自分の――」


あたくしを遮り、彼女は唾棄するように言葉を吐く。


「お黙り。この話はもうおしまい。不愉快よ、下がりなさい」


叔母の合図とともに侍女に囲まれ、羊が番犬に追い立てられるようにあたくしは部屋を退出させられる。


「妃殿下!」


扉はしっかりと締められてしまい、呼びかけても応えることはない。


想定外だ。


まさかこれほどまでに早く話を打ち切られるとは思ってもいなかった。ほとんどなにも聞けていない。

しかも叔母のあの様子では、ほとぼりが冷めるまでしばらく会ってもらえそうにない。


「おいで、エレン。少し僕と散歩をしよう」


茫然となるあたくしを、自らの意思で一緒に部屋を出た殿下が中庭に誘う。


宝石のような色を放つ敷石の上を殿下と行く。


庭のあちこちで咲き始めの花々が芳しい香りを放ち、絡み合う蔦が柵を緑に彩っている。後方の株の上に長く茎を延ばして咲く満開の花は互いにこぼれんばかりの頭を寄り添うようにして支え合い、身近な足元では宿根草が波打って生い茂る。この庭に存在しない色は無いのではないかと言うほどに眩く、土と草と花の混じるふくよかなにおいが庭の美しさにいっそう魅力を添えていた。


東屋まで来ると殿下はあたくしに着席するよう促し、向かいに彼も腰掛ける。絵画を眺めるように一帯を見渡し、


「綺麗な庭だろう、義母上が手入れされているんだ」


「ええ。美しいですわ。ですが、驚きです。叔母が、実家で庭を気にしている姿など見たことがありませんでしたのに」


叔母がよく言っていた、“斬って駄目ならこぶしで潰せ”というこの花園とは到底結びつかない言葉を口にすると殿下は声をあげて笑い、


「それはそうだろう。彼女は花などこれっぽっちも興味がないのだから。ただ、守っているに過ぎないのだよ」


「守る? 何をですか?」


「約束を、だよ。当の本人にそのつもりはなく、何気なく口にしただけであってもね」


「どなたのことを仰ってらっしゃるのですか?」


彼はおっとりと微笑む。特権階級特有の、笑み一つで一切の質問も反論も封じ込めてしまう、あの笑顔で。


「父上はね、僕の母上を心から愛しているんだ。今もね。だから、子を作ることはなく、僕ものんびりとしていられる」


突然の話に理解が追い付かないが、とりあえず合わせた方がいいのだろうと考え、言葉を返す。


「しかし、後継者が一人しかいないなどと、大変恐縮ですが有事の際にはどうお考えなのです。臣下が今の状況を受け入れるとは思えないのですが」


「ああ、許さないよ。事実、叔父上が亡くなられてから、父上には第2子、第3子を望む声が強く上がった。だから、君の叔母上が次の王妃として選ばれたんだ」


非常に健康で丈夫だから、何人も生めそうだと思われたということだろうか。だとすると、今のところその目論見は達成されたとは言い難い。


「義母上は、あの軍神とも称される大将軍の妹だ。この国で相当の力を持っている。父上には必要だったんだ。妻としては向いていなくとも為政者には向いており、非常に賢い、君の叔母上のような人がね。彼女は、たとえ子を産まないことで責められようとも、第2の王妃を狙う他の者たちの妨害に負けない、引きずり降ろされない程度の知恵と気概と後ろ盾がある」


「仰る意味が……」


「義母上はその能力を買われて王妃となった。知っての通り、前の妃と非常に仲が良く、親友だった。常々母上から僕のことを頼まれていたそうで、よく話して聞かせてくれたよ。それもあって父上からの求婚を受けた。子をなさないことを条件にしており、他の臣下からせっつかれても一切をはねのけている。互いに、大切な女性の遺した僕が立派な王になるのを見届けるためにね」


「他の世継ぎを作らせないために、結婚したというのですか!?」


確かに権力争いによって暗黒の時代を迎えたこともあった。玉座を望む者たちにより暗殺が横行し、わずかでも王族の血が混じっている者は次々に謎の死を遂げた歴史もある。


今の陛下と王弟殿下のときにも派閥ができ、当事者の意思とは無関係に権力争いがあったとは聞いている。


とは言え、それとこれとは別問題であり、血を遺すことは王族の最大の義務である。


彼は非難めいたあたくしの言葉にも気を悪くすることなく声をあげて笑う。


「もっと単純なことだよ。父上は母上を大切にしている。そして義母上も親友を大切に想っている。愚かだとは思う。王族として間違っているともね。でも、君なら叔母上の気持ちが分かるのではないかな。エレン、君にだって親友がいるのだから」


彼は微笑み、手近な花を一本手折ってあたくしの髪に挿し、


「王族とて所詮は人間だ。愚かなのだよ。僕もそうだ。諦めなければならないと分かっているのに、諦めきれずにいる」


そう言って去っていく。


想定もしていなかった話を聞かされた。


王家の、それも国王と王妃の契約結婚の条件など聞かされることになろうとは。


けれど、これで一つ分かったことがある。


それほどまでに愛しているのだから、夫人の密通の相手は陛下ではない。


相手は王弟殿下で決まりだろう。噂は噂でしかなかったということだ。


「だとしたら、余計にややこしくなるわね」


相手は故人だ。最悪、陛下ならば否定するよう叔母から現王妃としての圧力を頼むこともできたかもしれない。


しかし、亡くなったとなれば証言もひき出せない。助けになってくれたかもしれない物は屋敷と一緒に焼け落ちてしまっており、残っているものはあの指輪の存在しかない。


しかも、それを手にしているのはレイモンドなのだ。


「いいえ、よく考えるのよ。証言がないのはあちらも同じなのだから」


だとするなら、それを逆手に取ることはできないだろうか。


今ある手札で勝負をかけるしかないのなら、組み合わせを慎重に考えなければならない。好機を見逃してはならず、札を切る折も見極める必要がある。


以前から考えていたことがある。


何度も考えた。そして、これ以上の策は思いつかなかった。


現状を引き延ばせば、ソフィーの身に危険が及ぶ可能性が高い。


「やはり裁判を起こすしかないようね」

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