足元の悪い舞踏会 ―エレン―
どれほどつらい目に遭ったのか。
久々に会ったソフィーは随分とやつれていた。前の人生でもここまでひどい彼女は見たことがなかった。
虐待の話をしたのだとレイモンドに気づかれたら、何をされるか分からない。弟という人質もいる。
彼女のことを思って強硬な連絡手段はとらないようにしていたのだけれど、このようなことになっていただなんて。
人目を気にするあの男のことだ、あからさまなことはしないと予想していたのに甘かった。
やはりサロンに殴り込みをかけたあと、取って返しレイモンドの屋敷を襲うべきだった。悔やまれる。
それなのに、ソフィーは連絡を控えたあたくしをなじることもなく、健気にも微笑んでいる。その笑みが余計に胸に響く。
「メリー!」
あたくしは侍女を呼ぶ。
「舞踏用の靴を持ってきて頂戴。彼女の分もよ。ああ、それから」
一番大事なことを伝え忘れていたことに気がついて彼女を呼び止める。
「一番かかとの高いものをお願いね――今宵はこの男どもの上で踊り明かすから」
* * * * *
「うふふっ……ふふっ!」
彼女は寝椅子の上でうつぶせになりながら、何度も吹き出していた。
「いつまで笑っているつもりなの」
「だって、まさか本当にあの人たちの上で踊るだなんて思ってもいなかったから!」
「あたくしは言ったことはやるのよ」
「ええ。知っているわ。それでも、本当にそうするとは思っていなかったの……ふふっ、私、人の上で踊ったの初めてよ」
失礼な。まるであたくしは何度も人の上で踊り狂ったことがあるような言い草だ。
「あたくしの不満といえば、貴女が情けを加えて低い踵で踏んだことだわ」
「同情じゃなくて、あんな靴じゃ踊れなかっただけよ。エレンはあの高さでよく不安定な場所で踊れたわね」
「あたくしは踊りはどのような場所であっても完璧にこなせるわ」
「ええ、そうね。その所為で……苦しんでたわっ……ふふっ」
また思い出したのかうつぶせになって、懸命に笑いをこらえている。
あの男どもはもう警備隊に引き渡した。
サロンの場所もすでに教えてある。あそこで警備隊はたくさんの証拠を見つけるだろう。
馬鹿で低俗な子息が多かったおかげで、もぐりこむのは簡単だった。
良いカモになるためには正体を知られてはならない。
目立つ髪色のおかげで、逆にかつらをつけ、化粧を変えれば気づくものはいなかった。
薬に操られ恋に盲目になった愚かな娘を演じるのは容易い。
すでに一度体験しているのだから。どのように感じ、どのようになったか、体は知らずとも記憶に刻まれている。
設定はこうだ。
田舎から出て来たばかりで世間を知らず、管理する親の眼もなく、気にしなくてはいけない身分もない商家の娘。けれど、お金だけはたんまりあって、そこそこの器量。
どう? あたくし、魅力的でしょう?
遊ぶにはとっておきでしょう?
さぁ、いらっしゃい。地獄に叩き落としてくれる。
飲んだふりをしてお金を湯水のごとく貢と、男は簡単に騙され、あたくしを信用し――多分、薬の効果を信用しているのだろうけれど――サロンにも連れて行ってくれた。
金貨をちらつかせれば、簡単に流通経路も喋った。ねだれば、出入りしている、関わっている者たちのことも教えてくれた。
そこまで把握できればもう十分だった。これ以上馬鹿どもを肥やす必要はない。
信用のおける、父の昔からの友人たちの手を借り、強襲した。
将軍の娘に手を出したと知られればどうなるか分かっているでしょう? だから、あたくしのことは黙っていなさい。
男たちは我が身可愛さに口を閉ざすだろう。
これで、あたくしがサロンに関わっていることをレイモンドに知られることはない。
彼は今頃誰が密告したか疑心暗鬼にとらわれていることだろう。
でも、安堵もしているはずだ。
レイモンドは捕まっていない。彼は用心深かったから。
サロンを探っても、彼の痕跡は残っていなかった。
むしろ、それでいい。この男だけは、このようなちんけな罪で終わらせるわけにはいかないのだから。
「あの男どもは警備隊に引き渡したわ。サロンのことはもうこれ以上は忘れなさい」
「ええ、でも簡単に忘れることはできないのよ……」
彼女は顔を曇らせる。もちろん、この子の気持ちも分からなくはない。だとしても、
「考えない努力はなさい。あたくしだって、2度もあたくしの貴重な人生をあのような男どものために使いたくないの」
「2度?」
首をかしげる彼女に何でもないのだと言い添える。
ソフィーは思いをはせるようにしばらくの間遠くを見やり、やがてあたくしの手を握った。
「ねぇ、エレン、まずはお礼を言わせて。エレンが、私のためを思って行動してくれたことは分かってる。でも、もうこれ以上は何もしないでほしいの。私のせいでエレンに危ない目に遭ってほしくないのよ。お願いよ」
「そのお願いは聞けないわ。あたくしに、貴女のために戦わせて頂戴」
「だめよ。言ったでしょう。エレンを巻き込むわけにはいかないって」
「貴女が知らないだけで、もう巻き込まれたのよ。信じられないくらいね。その借りを返さなくちゃ」
「彼にはたくさんの味方がいるの」
「その一つはあたくしが潰したわ」
「他にもいるのよ。前にも言ったでしょう? お屋敷の人たちは絶対に証言しないわ」
知っている。
虐待を知ってすぐ、レイモンドに気づかれないよう、ひそかに彼の周囲を探ったけれど、皆、口は堅かった。
だとしても、ソフィーに行われていることを知って、今更なかったことにはできない。
あたくしがどれ程過去を後悔しているかを。貴女の苦しみに気づけなかった、貴女を嗤ってしまった自分自身を憎んでいるか。
彼女には説明できないけれど。
「あたくしの方こそ、まず貴女に謝罪をさせてほしいの」
「謝るだなんて、なんのこと?」
「あたくしは貴女の親友だというのに、貴女のつらさも苦しみも何一つ理解していなかった。ごめんなさい。傍にいたのに」
「何を言っているの!? エレンが謝る必要はないわ。エレンはまったく悪くないじゃないの」
「いいえ、あたくしは確かに自分を優先してしまったの。だからこそ、もう間違えないわ」
どうして、と言うあの悲壮な響き。あの時の彼女の想い。
決して忘れてはならない。
「良く聞いて頂戴。たとえ、世界中の人間がレイモンドに味方しようとも関係ないわ 」
あたくしは彼女に向き直る。こけた頬に手を添え、赤い瞳に自分を映し、かつて受け取った、彼女の奥底にある本当の望みに届くようにしっかりと告げる。今度こそという言葉は胸にしまって。
「ソフィー、約束するわ。あたくしはね――あたくしだけは、何があろうと貴女を選ぶわ」
彼女は何も言わない。
ただ、あの日と同じ涙が頬を伝っておちた。