(2)
賭けをしないか?そう、友人の宮城昴に言われて、突然何を言う、と驚いたが、
「……別にいいけど?」
と、よく考えもせず頷いてしまった。
こんな結果になるのだったら、頷かなければよかったと、都築和葉は今思う。
賭けの内容は簡単。
昴が賭けを持ち出した翌日に行われた小テストで、より点数が良かった方が勝ち、というものだった。
難しいと評判のものだったが、和葉はその教科――数学が割と得意。
対する昴は、いつも平均点を少し上回る程度しか取っていなかった為に、和葉は、自分の敗けはないだろうと高をくくっていた。
その結果……都築和葉、九十七点。宮城昴――百点……つまり、満点。
そんな結果になるとは全く予想していなかった和葉は、愕然とした。
そして、言い渡された罰は――。
屋上のフェンスに寄り掛かり、浹は空を仰いでいた。
青い空を眺めながら、物思いに耽る。
この頃、心配そうに声を掛けてくる人間が頓に多い。
心配をかけていることを申し訳なく感じるが、浹の心は一向に安らがなかった。
HRの始まる前のこの時間、教室にいるのも息が詰まる気がして、こうして屋上に出てきてしまったのだ。
予想通り、他に人はいなかった。
白いフェンスに身体を預け、考えるのは、一人の少年のこと。
何故こんなにも気になるのだろう、とあれから何度も考えた。
あんなに真っ直ぐな目をした人は初めてだったかもしれない、というのが一番大きい。
だがやはり、よくわからなかった。
「……もう一度、会えたら…」
再び顔を合わせたら、この感情の理由がわかるだろうか。
そうして一人、悩んでいた時だった。
封鎖されているはずの外階段から、人が現れたのは――。
さらりと流れる艶やかな黒髪に、涼やかな漆黒の瞳。
今まで見てきた人間の中で、一番美しいと断言できる美貌の少女だった。
ふと、誰かに似ているような気がしたが、こんな美人の知り合いはいない。
昴にこの時間帯なら誰もいないと言われたからこそ、無造作に屋上へ入ってきたのだ。
故に、人がいたことに驚いて硬直してしまったが、同時に相手に見惚れてもいた。
じっ、と綺麗な黒瞳に見られていることに気付き、我に返る。
「あっ、あの、えーっと…」
外階段からやって来たこと、あの粗野な開け方をどう誤魔化せばよいのかわからない。
何もかも宮城昴のせいだと、内心で悪態をついた。
賭けの罰則は、『女装をして香月の屋上へ行き、灯陽側に面したフェンスに、校章入りのハンカチを結び付けてくること』――。
つまりその時、宮城浹と対面した「少女」は、浹の兄である昴の親友……都築和葉なのであった。
そうと知らなければどう見ても、完璧な美少女である。
人がいたとしても、冷静に対処できればよいのだが、生憎彼にはそういった能力が欠如していた。
しどろもどろに相手が口を開いた瞬間、浹は相手が誰であるかを察した。
長い髪の下にある顔も、その声も、間違いなく――『彼』のもの。
もう一度、会いたいと思っていた相手のものだった。
思わず見入ってしまったが、すぐに違和感に気付く。
相手の出で立ちが、明らかにおかしい。
非常に可愛らしいし、異常な程に似合ってはいるが、それは香月の制服――すなわち、『女子』の制服だ。
……目の前にいる人は、『男』のはず。
それに何故、隣の灯陽ではなく、香月にいるのか。
疑問は尽きなかったが、顔が怪訝そうになるのを自制して、浹は相手に……都築和葉に声を掛けた。
無意識に、微笑みを浮かべて。
「――こんにちは」
「あ、こ、こんにちは!」
浹の挨拶に、反射的に和葉は大きな返事を返してきた。
直後に、失敗した、とでもいうような顔をする。
声が大きすぎたとでも思っているのだろう。
あまりにわかりやすい態度に、浹はつい、くすりと笑ってしまったのだった。