第三楽章
美貌と優しさ、知性――何もかもを兼ね備えた、彼女達の『姫』は、この所具合がよろしくないらしい。
いつもどこか上の空の『月姫』に対し、彼女を崇拝する少女達からは、心配する声が多く上がっていた。
香月の生徒の中から選ばれた『月姫』には、彼女を護り、慕い、支えようとする、親衛隊なるものが存在する。
その名を『女神の天秤』といい、一般生徒からは略称として『リブラス』と呼ばれている。
香月女子高等学校の全校生徒の半数は、リブラスの構成員となることを望んでいるが、その成員の数は限られており、栄誉に満ちたリブラスを名乗ることが出来るのは、十二名の限られた生徒のみであった。
リブラスの役目は、主人たる『月姫』を護り、支え、その裁きの秤となること。
『月姫』は、別称として『正義の女神』とも言われることから、親衛隊はその秤とされるのだ。
そんなリブラスが、現『月姫』の少女、宮城浹の様子がおかしいとなれば、その原因を探らないはずがない。
彼女達は特殊な情報網を持っているため、すぐに問題は解決するはずだった――が、何故か今回は、一向に状況が好転しない。……情報が掴めないのだ。
悩んだ末、事態を重く見たリブラスの隊員達は、気の進まない選択を取った。
すなわち、浹の親友――霧崎礼芽に、接触を図ったのである。
†月と太陽の狂騒曲†
~The third movement~
「賭けをしないか?」
唐突に、親友と呼んで差し支えのない程に仲の良い相手からそう言われ、どうせ大したことではないだろうと、気軽に受けてしまった。
――後に、それを大いに後悔するとも知らず。
香月女子高等学校の制服は、白が基調とされている。
浹が双子の兄、昴と入れ替わって隣の灯陽高校に行ったのは、五月に入ってすぐのことであった為に、その時は冬服であった。
既に一月が経過し、今は六月。
衣替えが行われ、生徒達が身に纏うのは、白いワンピース型の制服である。
袖口とスカートの裾に銀糸で細やかな刺繍が施されたそのワンピースの胸元には、小さな三日月と、筆記体の『K』――香月の頭文字だ――が組み合わされた校章が、鮮やかな金糸で縫い取られており、清楚で可憐なイメージを与えることから、近隣の女子学生には人気の高い制服となっていた。
「…………」
『月姫』の元気が無いために、この所困惑した生徒が続出する香月の校門を、怒ったようなむっとした表情でくぐる少女が一人。
デザインが多少凝っているために、香月の夏服を完全に着こなせる人間はあまりいない。
一般の生徒もそれなりに可愛らしく着てはいるが、やはり若干は服に着られている感じが否めないのだ。
違和感の欠片も無く着ることが出来ているのは、それこそ『月姫』たる浹やその友人の礼芽、他数名と限られているのだった。
しかし、たった今門を通過した人物は、驚く程に香月の制服をうまく着こなしていた。
上品な制服が、すらりと伸びた小柄な肢体の魅力を十二分に引き出している。
肩を過ぎる程度の焦げ茶色の髪が白に映え、密集した長い睫毛の下の同色の瞳もまた、人目を引いた。
可愛らしい、という形容詞のよく似合う容姿の少女である。
今は朝の登校時間。
生徒達がそれぞれ学校へやって来ている為に、校門付近は制服の白がまばらに散っていた。
「……まあ、あれは誰?」
「素敵な人……」
「あんな人いたかしら?」
生徒達は囁き合う。
不満げな顔をしてずかずかと校舎へ向かう少女は、彼女達の『月姫』に匹敵する程の容姿を持っていたのだ。
ざわめく人々を残し、渦中の人物は校舎へと消えていく。
ぼうっとしていた少女達は、慌ててその背中を追ったが、その姿はとうに見当たらなかった――。
「くそ、昴め、覚えてろよ……!」
焦げ茶色の髪の美少女はその時、憎々しげに小さくそう吐き捨てて、人気の無い階段を足早に駆け上がっていたのだが……誰も、それに気付く者はいなかった。
東校舎の外側に取り付けられた非常階段は、入り口が施錠されていることもあり、普段滅多に使われることが無い。
そこを、制服のワンピースで、裾が捲れることも構わずに全力で駆け上がる人物の姿は、異様なものがあった。
「帰ったら首絞めてやる……!」
呪詛のように荒い息の下でそう叫びつつ、足を動かす。鉄柵で覆われた螺旋階段は、足を滑らせたとしても外に転がり落ちる心配は無いが、やはり疲れる。
香月と灯陽の校舎は、似た造りをしていた。
……否、構造的には全く同じだ。その配置が、真逆なだけで。
灯陽の校舎は東側に外階段が設置されているのだ。
ここまで拘り抜かれるともう、天晴れとしか言い様が無いが、方角的に香月は西に、灯陽は東にある。
地図上で考えると、灯陽の東階段を登って灯陽の屋上から香月の屋上を通り、たった今少女が駆け上がっている香月の西階段を下るように辿る形は、東から昇って西に沈むのを暗示しているかの如く、太陽と月の軌道に沿っているのだ。
対称ということを考えれば、どちらの生徒も互いの校舎の位置を把握するのは簡単で、双子のような校舎は時折生徒達の話題となる。
「くそったれ!」
外見にそぐわぬ粗暴な台詞を吐いた瞬間、少女の足は屋上に到達した。
張り巡らされたフェンスの一部は外階段と繋がっており、開くようになっている。
当然、ここにも施錠が為されていたが、何故かダイヤル式のそれの番号は、ある男により教えられていたので、簡単に開錠出来た。
「…昴って、何者…」
思えば階段の入り口にある扉には鍵が必要だったが、合鍵を手渡された為に侵入が可能だった。
女子校の階段の鍵だなんて物を所有している男の不可解さに思わず怒りを忘れて呆れたが、自分の格好を思い返して怒りが再燃した。
「くっそー!」
苛立ちに任せて、フェンスを蹴り開ける。
ガシャン、と音を立てて開いたフェンスの向こう側に立った瞬間、少女は固まった。
何故なら、顔を上げた先に、一人の女生徒が佇んでいたのだ――。
向こうも、突然の闖入者に瞬きを繰り返している。
二人は、お互いに固まってしまったのだった……。