(2)
香月と灯陽は、隣り合って立地している。
同系列という訳ではないが、それぞれの創設者が知己の仲であったらしく、校舎を隣接させ、名前も対の太陽と月に因んで付けられたのだそうだ。
度々両校は、親睦を目的に合同の企画を催すことがあり――その中に、年に一度開催される、香月と灯陽の生徒の人気投票があった。
各々、上位二十名までの選出だ。
上位数名はしばしば生徒会に選ばれることもあるし、そうでなくとも功績を認められたのだから奨励賞を貰ったり、何らかの特典を得たりする。
故に、生徒達には中々重要なイベントなのであった。
人気投票のトップに立つ者は、容姿や性格は勿論、あらゆることにおいて最上である者が選ばれる。
特に香月のトップは、名実共に才色兼備な女子でなくてはならない。
そしてその頂点に立った女子生徒は、『月姫』と呼ばれるのだ。
――宮城浹は、史上初の、二年連続『月姫』となった十七歳の少女である。
清楚で秀麗な容姿に加え、性格も申し分なく、万人に平等に接し、人を惹きつけるリーダーシップを併せ持つ。
その彼女が、隣校の灯陽にまで知られている、噂の有名な美少女である。
後輩だけでなく先輩からの信頼も篤く、女子生徒しかいない香月でも、彼女は絶大なる人気を誇っていた。
――それこそ、親衛隊なる存在まである程に。
熱狂的なファンも多い。
その全てを、浹は穏やかな微笑みで許容して過ごしている。
……くどいようだが繰り返しておく。
香月は――女子校である。
玄関の扉を開いた瞬間、声が降ってきた。
「お帰り」
視線を上げれば、壁に寄り掛かって腕を組む、一人の少年が居た。
短い黒髪は艶やかで、長い睫毛に縁取られた切れ長の双眸もまた漆黒。
少しはだけたシャツの開襟から覗く鎖骨が、妙な色香を放っている。
人を惑わす芳香を漂わせる華のような容貌は、十人が十人認める程、美しかった。
年の頃は十六、七といった所か、身長は百七十と少し位で平均的だが、成長期なのだからそのうちまだ伸びるだろう。
口端を釣り上げて笑むその少年を、険のある眼差しで睨み付けた。
「…よくもまあ、そう愉しげに仰ることができますね…?」
その声は、目の前の少年とよく似通っていた。
掛けていた度の入っていない眼鏡を外して相手に半ば投げるように押しつける。
長めの前髪を掻き上げたかと思うと、そのまま髪を引っ張り――するりと、外した。
ウィッグの下から流れ落ちたのは、長く美しい黒髪。
露にされた顔は、突き合わせている少年のものと瓜二つ――。
「…貴方のお友達は、私が貴方ではないと薄々気付いていたようでしたよ?」
台詞の中にちりばめられた刺を耳にしても、少年は艶然と微笑みを浮かべるだけ。
「…聞いていますか、昴?」
灯陽の学制服に身を包んだ側が、多少苛立たしげに、私服の少年にそう呼び掛けた。
それはつい先程まで、自分が呼ばれていた名前だとわかっていながら。
「大丈夫だ。あいつは肝心な所で鈍いから」
受け取った眼鏡を手の中で弄びながら、少年は笑う。
「誰にもばれちゃいないさ。今日の『俺』が、実は本人じゃなくて双子の妹――それも、香月の『月姫』だったってことにはな」
「………」
無言のまま不機嫌に歪められた顔を見て、少年は声を上げる。
「こら、浹。眉間に皺を寄せるんじゃない。美人が台無しになるだろ」
「…自分と同じ顔を誉めるのって、遠回しに自分を誉めてますよね」
じっと見られて、少年――昴はつと視線をそらし、何事も無かったかのように奥に引っ込んだ。
兄に呆れながら、妹は万感の想いを込めたため息をつくのであった。
後を追って入った居間のソファで、完全に寛いでいる自分と同じ顔の少年。
「…そういえば、昴?貴方、体調が優れなかったのではありませんでしたか?」
剣呑な雰囲気の妹に、兄は神経を逆撫でするほどさわやかに微笑んでみせた。
「ああ、風邪な。もう治ったみたいだ」
「それはそれは…随分と都合のいい風邪ですね?」
にこやかに浹は言った。
流石に妹の背後に渦巻く暗雲を無視できなくなったのか、昴は身を起こして頭を掻く。
「…まあそう怒るな、浹。誰か良い男はいなかったか?」
愉悦を顔に浮かべての言葉に、下世話なことを言うなと冷たい答えが返ってくると思いきや、
「え…」
意外や意外、浹は瞠目し、視線を泳がせた。
「い、いませんよ…そんな人」
躊躇いは時間にして一、二秒だったが、昴にわからないはずがない。
ぴーんときた兄は、何か面白いネタが転がっているとわくわくした。
表面上では内心の期待を押し殺し、平静を保つ。
「そうか…悪かったな」
「え…?」
「いや。いくら体調不良で単位を取っておかないといけなかった授業があったとはいえ、代わりに女のお前を男子校に行かせたりして。…嫌な思いばかりしただろ?」
「い、いいえ、あの…その…」
動揺していた浹は気付かなかった。
自分の兄が、普通、そう簡単に謝ったりしないことに――すまなそうな顔の裏で、ほくそ笑んでいることに。
「粗野で乱暴でむさ苦しい奴ばかりだったろ」
「え…でも…」
「――ああ、でも一人違うのがいるよな」
「…っ」
今思い出した、というように呟きながら、横目でちらりと盗み見ると、浹の目は再び彷徨っていた。
「…俺の一番の仲良し君、和葉は、そんなに欝陶しくないよなー」
その名を出した瞬間、浹の首筋がほんの少し、赤くなった。
――ビンゴ、と昴は密かににやついた。
妙に鋭いくせに結局鈍感な、少女のような外見の親しい友人……都築和葉が、キーポイントだ。
「…浹。かーわいかったろ?か・ず・は」
「……っ!?」
耳元で意味深に囁かれ、慌てて目を合わせると――昴は、にやりと悪戯を思いついた子どものように笑っていた。
ここにきてやっと、明晰なはずの頭脳が、はめられたとの結論を叩きだした。
思わず呆然とする前で、昴は笑いながら言う。
「まさかお前の好みがアレとはねー…相当な面食いだな」
「…っすば、」
「――それで、お兄様に何か聞きたいことはないかい、浹ちゃん?」
さわやかに胡散臭く微笑む兄の背に、悪魔の羽が見えた気がした。
――容姿端麗、頭脳明晰……完璧に思える宮城浹の唯一苦手な存在。
それは、本性は天上天下唯我独尊を地でいく、血を分けた実の双子の兄――宮城昴なのだった。