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(3)


……これは一体、何の冗談だろうか。

硬直している少年の背に、マイク越しの声が届いた。


『おおっと、一位を独走していた我が校のアイドルの足が止まったー! 一体何を引き当てたのか!?』

「誰がアイドルだ!!」


昼休憩を挟んで、午後の最初の種目だった。

これが終われば、後は物凄く気が乗らない種目に出て、彼の出番は終わりのはずだった。

ご褒美だと渡された封筒の中に、たおやかに微笑む黒髪の美少女を見た途端、動悸が激しくなって、相手にそれを押し返して逃げた昼前。

水道の水を頭に被り、必死で気持ちを落ち着けたはずだったのに――何故世の中にはこれ程までに、心を乱すことが多いのか。

実は放送部員でもあり、午後からの実況を担当している佐原祐の言葉に怒鳴り返し、和葉は手にした紙片を握り潰しながら肩を落とす。

スタートの合図が鳴ってから、平均台を楽々渡り、網を素早く潜り抜け、人工の山を飛び降りて此処まで来た。

所謂障害物競争というその種目の最難関、係員が持っている数本の白と青のスズランテープの中から、青い一本を選び取り、引っ張った先には袋に入ったアンパンが括りつけられていた。

アンパンは割と好きなので喜んで一気に食すと、係員が持っていたテープの反対側を渡された。そこにはホッチキスで折りたたまれた紙片が留めてあって、その中にとある指令が書かれているのだ。

この障害物競争の最後にして最大の目玉、それはくじによるパン食い競争後の仮装レースだった。

本人の運が試される中、和葉が引いたのは、何と。


「嘘だろ…!?」

「姫ー! 早くしないと追い抜かれるぞ!」


すぐ側に設えられた簡易な試着室。その中に、和葉の次に来た人物は顔を引き攣らせながらも飛び込んで行った。このままでは出遅れる。

既に迫りつつある他の選手の気配を察知して、和葉は心底嫌そうな顔をしながら、試着室へと入って行った。

数分後、その中から現れたのは――。


『皆の衆! 見よ、美少女アリスのお出ましだー!!』

「美少女って言うなーっ!!」


怒りの声は、大衆の雄たけびに似た歓声に掻き消された。

恥辱に顔を真っ赤にしながら、ジャージの上から簡素な造りの青いワンピースに白いエプロンを被った金髪の「アリス」は、何故か持たされた白い兎のぬいぐるみを振り回しながら、ゴールへ向かって突き進む。

その死に物狂いの様子、前に出た奴は呪い殺すと言わんばかりの恐ろしい雰囲気に、選手達は気圧され、結局金髪アリスが一位を飾った。

ゴールテープを切った瞬間、脱兎の如く試着室へ駆け戻り、衣装を全て投げ捨てた和葉は、たいそうお怒りだった。


「いや、お前って本当、人の期待を裏切らないな」

「…ああ!?」


応援席へ戻り、不機嫌そうにどかっと腰を下ろした和葉は、くくっと笑った昴へドスの効いた声を返すが、軽く肩を竦められただけ。


「まあまあ、他にも色モノはたくさんあるんだ、マシな方だっただろ」


見れば、和葉の次走者には、明らかに体育会系、といった男子がセーラー服を着ていたり、よくわからない重そうな緑色の物体のきぐるみを着て必死に歩いている姿が見られた。


「……まあ…」

「あの緑の、キュウリだと思うな。ちなみに裏情報だと総重量二十キロの明太子きぐるみもあるとか。…そっちがよかったか?」

「………イヤだ…」


誰がどこから調達してくるのやら。ちなみに和葉が着たアリスは実行委員の手縫いだとか。何やってるんだ。


「なあ、和葉。浹の写真はお気に召さなかったか?」

「ばっ…ぐ、げほげほっ!」


蒼牙祭実行委員に呆れながら、常備してあるスポーツドリンクに口をつけた瞬間、忘れかけていた問題をむしかえされて、和葉は咳込んだ。


「馬鹿! なんつー時に…!」

「悪い、狙って言った」


口元をタオルで拭いながら呼吸を整えた和葉に、しれっと言う昴。


「………殴っていいか?」

「いやいや和葉くん、目がマジだよ、軽いジョークだって」


胸倉を掴まれようと昴はにやにや笑っている。

呆れて手を放し、夏だろうと変わらないその長い前髪を、鬱陶しそうに和葉は見た。


「お前、よく暑くないなその髪。蒸れそうだ」

「慣れれば平気だって。……ま、面倒な理由があって伸ばしてるんだけどな」


気が向いたら切るよ、とさらりと流し、再び昴はあの封筒を取り出した。


「で、本当にいらないのか? 本人に了承なく、とかいうのは一応問題ないことになってるから気にするな。浹の隠し撮りは公式にも売られてるしなー」

「…そんなのあるのか? お前、止めなくていいのかよ」

「ん? ああ、大丈夫大丈夫。ちゃーんと、教育的指導は済ませてあるさ」


そう言って笑った昴から何か恐ろしいものを感じて、和葉は一歩引く。


「で、これは俺が撮ったもので、許可も一応取っているようなもんだから、気兼ねなく受け取れるぞ。ほらほら、いらないのかー?」

「も、問題なくても、何で俺が浹さんの写真を受け取らなきゃいけないんだよ」

「なんでって…」


じ、と視線を感じる。昴は顔はあまり見えなくても、やけに視線が鋭いことは周知の事実だった。


「な、なんだよ…」

「……いや、なんでも? はー、どうしたらそこまで鈍くなれるのかね」


後半の台詞は小さく呟かれ、和葉の耳には入らない。

前途は思ったより多難か? と内心苦笑した。あれほど気にしていながら、自分がどんな思いを抱いているのかわからないなんて、鈍すぎるにも程がある。


「理由なんてどーでもいいよ、お前は、これが、欲しいか欲しくないか!」

「……」

「断ったら佐原にでもや、」

「いる!!」


最初からそう言えよ、とにやにや笑いを浮かべて、その封筒は和葉の元へ渡った。

浹さんごめんなさい、と謝り、これは出さずに大事に保存しておこうと和葉は思った。

その時だ。香月の方から、爆発的な歓声が上がったのは。


「な、何だ…?」


多くの人々が驚いたようにそちらを見遣る中、昴はふっと笑い、和葉の腕を引いてどこかへ連れ出す。

始まったか、と言って、そのまま走りだした。


「は? ちょ、昴っ!」


その脚力たるや、和葉は目を見張った。

勉強も運動も、昴はいつでも中庸だった。それがどうだろう。足の速さには少し自信がある和葉と同等の力があることが、これでわかった。

この間から、薄々感づいてはいたが、どうやら彼は普段から、余計に目立たぬようにさりげなく自分を集団の中に紛れ込ませようとしている。そう言ったことが故意にできるのは、優れた能力を持つからではないのか。

そう感じながら足を動かしていると、人だかりから外れた、香月と灯陽の運動場を隔てる小さな森のようなものの前に来た。

林と呼んでも良い程の小さな木々の地帯だが、そこはかなりたくさんの木々が密集していて、まるで向こう側が見えないようになっている。

建築の仕様的に外壁が作れなかったのだろうかと思うのだが、流石に女子校と男子校の垣根なので、そこからは互いの領域への行き来が著しく困難になっていた。

何しろ体が通る程の隙間もない程に木々が生えている上、互いに監視カメラが設置されており、どちらかにどちらかが侵入した姿を捉えた場合、警報音が鳴り響く仕組みになっているのだ。その辺りは金持ち学校ならではというか、そのシステムを設計した天才が昔香月に在籍していたかららしいのだが。

その仕組みが出来るまでは定期的に警備員が立っていたそうだ。

今でも一日に数回は警備の巡回がある。

そこへまっしぐらに向かっていく昴には躊躇いが全くない。和葉は慌てた。


「おい! 昴! 何するつもりだよ、そっちは香月の――」


振り向いた昴の口元は悪戯っぽい少年のように歪められており、長い人差し指が立てられ、「しー」と言いたげな動作をしていた。


「大丈夫、捕まる心配はない」


そう言うと、彼は周りに見ている人間がいないかさっと確認すると、林の中へ和葉を追いやった。

押しやるようにして追い立てられては、そのまま進むしかない。

ある木の幹を登れと言われた時は流石に異議を唱えようとしたが、有無を言わさぬ雰囲気に気圧されて、しぶしぶと枝に手を掛けて登って行った。

木登りなんて、何年ぶりだろうか。

ある程度の高さまで登ると、ぐいっと服の裾が引かれて、バランスを崩しかけた。


「危なっ…! おい、何だ――」

「止まれ、そのまま向こうを見ろ」

「はあ?」


木にがっちりしがみ付き、腹を立てながらも、横から伸びた手が指し示す方向を見て――和葉は、動きを止めた。

香月の全校生徒がテントの中から、じっと彼らと同じ方角を見つめている。

先程までの歓声は嘘のように静まり、誰もが口を閉ざしていた。

木の上ということもあり、運動場が一望できた。

その中心に、数人の生徒が立っている。

遠くてもわかった。その中でも先頭に立つ少女は、宮城浹だ。

「月姫」と謳われる少女の兄は隣から、どこから取り出したのか、双眼鏡を押しつけてきた。

二つ持っていたようで、昴は既に双眼鏡を構えている。

そして、小さな丸い穴から覗いた先で、和葉は今までに見たことが無い程に洗練された「美」を見ることとなる。

上衣は、小袖のような淡い薄紅色の混じった白い合わせ着に、下は深い紅の袴。神道の巫女の千早とは違うようだが、それにどこか似た衣装を見事に着こなし、背に見事な黒髪を結わずに垂らした少女の姿は、凛とした静謐な美しさを誇っていた。

浹が、長い裾を纏めて優雅に一礼すると、着物の袖に留められた大振りの金色の鈴が、ちりーんと鳴る。

その場を清めるような綺麗な音だった。


そうしてゆっくりと開かれた扇には、舞い散る桜と月が描かれていた。

背後に並んだ少女達が、横笛に口をつける。

すうっと横に流された扇を合図に――世にも美しい舞いが始まった。

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