第六楽章
青く晴れた空にはいくつか白い雲が漂うものの、十分に快晴と言えるもの。
雨雲の気配はなく、眩しい太陽の下に、たくさんの真新しいテントが並んでいた。
多くの人が高揚した心地で、一心に一つの場所を見つめる。
広い校庭の一画に置かれた木製の壇上に、一人の人物が立つ。
すでに設置されていたマイクへ向けて、凛とした声が発せられた。
「皆さん、一月の間練習に励んで来られた様子をずっと拝見してきました。その成果を十二分に発揮され、互いに尊重し合いながら、全力を持って競技に臨まれますことを期待しています。……この晴れた佳き日に、伝統ある行事を無事開催できる歓びと共に――ここに、香月女子高等学校体育祭、第四十八回緋桜祭の開始を宣言致します」
沸き上がる歓声。
それは、決して聞き苦しいものではなかったが、香月では珍しい程に熱に満ちたものだった。
時を同じくして、隣校からも大きな歓声が上がる。
蒼牙祭が始まったのだ。
――香月と灯陽、両校の一大行事たる体育祭は、こうして始まった。
†月と太陽の狂騒曲†
~The sixth movement~
「…暑い…」
真夏ではないだけマシなのだろうが、やはりじんわりと熱が染みてくるような暑さだ。
思わずそう呟いた和葉は、いきなり頭に重力が掛かって、驚きの声を上げた。
「うわっ!」
「かーずはちゃーん。開始早々暑さに負けてんなよ?お前たくさん出場するんだからさ」
「……勝手に俺に色んな競技押しつけたのはお前らだろうが!」
「聞いてないお前が悪い。俺はちゃんと何度も確認したぜ? 推薦されてるけどいいのかって。返事がなかったから決まったんだよ」
涼しい顔で笑う相手は、和葉のクラスの学級委員だ。
澄んだ焦茶色の瞳は細い黒縁眼鏡の向こう側で笑っている。仄かな茶色の混じった髪色は襟足が少し長く、暑いのか結んであった。切れと何度も言っているが散髪に行くのが面倒だとかなんとか……飄々とした所が少し昴と通じるものがあると思いつつ、こちらはもっと人懐っこい。
「それにこーんな可憐な外見なのに、運動神経いいんだもんなあ、和葉姫。そりゃ皆から期待されるわ」
「可憐とか姫って言うな!! っていうか重い! どけよ!!」
精一杯不機嫌そうに怒鳴り、のし掛かっていた身体を払いのけた和葉だが、どうも迫力が足りず、傍目には子犬が唸っているようなものとして映り、微笑ましい視線をもらっているとは本人は知る由もない。
香月と灯陽は、若干色調が違うものの、同じ型の運動服を使用している。伸縮性や通気性などに優れたそれなりに有名なブランドものらしいのだけれど、白を基調にしたそれと黒を基調にしたそれはぱっと見、普通のジャージのようで、他校と大差はない。
夏の間、上衣は半袖のトレーニングシャツを使用するために、制服程に一線を画した雰囲気を感じさせないように認識される格好だった。
「…佐原。和葉も、次はお前ら出番だろ?」
ふと声が掛かって、不機嫌そうにしていた和葉ははっと振り向いた。
「やべ、もう始まる時間か! サンキュー昴!」
「おー、姫に構ってて忘れる所だったぜ、ありがとさん」
姫じゃねえ! と再び和葉は唸りながらも、それを宥めつつ生温い笑みを浮かべる学級委員――佐原祐を連れて控えのテントを離れた。
やれやれと言いたげに肩を竦めて、昴は二人を見送る。そして、やや視線をずらし、隣校へ何やら思慮深げな表情を向けたがそれもすぐに終わり、クラスメイト達との歓談に入って行ったのだった。
和葉が出場する最初の種目は、ポピュラーな二百メートル競走。同時走者には運動部のそうそうたるメンバーが居並んでいるが、灯陽ではハンデなんてものはない。
生徒が出場する種目を選ぶのだから、全員が全力で頑張れ、という訳である。
第三組の少年達の中でもやや背丈が低く少女のように愛らしい和葉は、見た目からすれば不利極まりない様子だったが、彼の姿が見えた途端、あちこちから歓声が上がった。
「姫ー!!」
「和葉ファイトー!」
「おい誰だ今姫って言った奴!!」
思わずがう、と生徒の集団に噛み付くが、笑いが起こるだけで気圧される人間なんていやしない。
不満そうにややぶすくれつつ、和葉はスタートラインに着いた。
スターター係がピストルを掛け声と共にピストルを構える。
クラウチングスタートの体勢で合図を待つ人々。
――やがて甲高い音が鳴った時、少年達は一斉に走り始めた。