第二幕
その日、学園は朝から異様な雰囲気に包まれていた。学生達は浮ついており、講義中も教師の話を聞いているものは少ない。教師も浮つく学生達が騒ぎ出さないよう目を光らせてた。
理由は明白である。昨日庭園の一角“蜃気楼”で起こった婚約破棄劇である。
友人との一時を楽しんでいた美しい令嬢の元に訪れた婚約者。そして共に現れた可愛らしい令嬢。彼は美しい令嬢に突然婚約破棄を申し渡す。「君との婚約は破棄させてもらう。私は彼女と新たに婚約することにした」美しい令嬢は婚約者に縋る「どうして?私の何がいけないの?」と。婚約者の口から出たのは理不尽な言葉の数々。位の低い美しい令嬢では上位貴族である婚約者に逆らえない。悲しみに包まれる美しい令嬢に可愛らしい令嬢がさらに追い打ちをかける。「愛される努力もしない貴女が愛されようなんて傲慢でしかありません」絶望に落ちる美しい令嬢。しかし、そこに現れた一人の男性が婚約者達に立ち向かう。
舞台のような出来事が実際に起こった。話題にならないわけがない。多くの学生はその出来事に立ち会った友人から話を聞きたくて仕方がなかったし、運良く目の当たりにした者も友人に話したくて仕方がない状況であった。しかし学園は貴族教育の場。教師の監視の目があるところで、その話で盛り上がることはできない。故に学生達は早く講義が終わらないかとだけ考え一日を過ごしていた。
とは言え、現実は甘く悲しい恋物語とは全く違っていた。
話題の中心の場“蜃気楼”。一人の令嬢がテーブルに辿り着く。今朝学園について早々、目の前の人からお誘いがあった。理由は学園中を騒がしている昨日の件であることは明らかだった。偶然その場に居合わせたことから詳しい話を聞きたいのだろう。理由はわかる。しかし彼女は何故それが自分なのかがわからなかった。お誘いがあったのは初めてで、これまで二人に接点はない。しかし以前より気になっていた人である。これを機に友好の縁をつくることができればとお誘いを受けることにした。
「ミルフィーユ様ご機嫌よう。本日はお誘いいただきありがとうございます」
ホストであるミルフィーユが微笑みながら彼女の来訪を歓迎する。
「ティラミス様ご機嫌よう。私の誘いを受けてくださってありがとうございます。どうぞおかけください」
二人は席に着き、ミルフィーユの侍従がお茶を差し出す。ホストであるミルフィーユがお茶を一口飲み話しかける。
「実は今日、私のお誘いを受けてくださるか少々不安でした。ですので、ティラミス様が受けていただき私本当に嬉しくて」
突然の告白にティラミスは驚くが、わずかに顔を赤らめながら恥ずかしそうに話されるミルフィーユは、ティラミスを歓迎していることが見て取れた。
「ミルフィーユ様。私も嬉しく思っています」
ミルフィーユはティラミスの言葉を受けお菓子を勧める。お互い上位貴族であり、良い者を食べ慣れている、それなりの物を出しているか否かで歓迎の度合いが大きく変わる。ミルフィーユに勧められた物はティラミスを満足させる味であった。しかもそれは日持ちする物ではない。今朝お誘いがあったことから、わずかな時間で急遽用意されたものであることが見てとれた。ティラミスはこの会合をミルフィーユがどれほど大切に考えてくれているか嬉しくもあったが、疑問も感じていた。
「ミルフィーユ様、こちらのお菓子ですが、もしかしてこの場のためにご用意くださったのでしょうか?」
「はい。ティラミス様が誘いを受けてくださったので、是非一緒に楽しみたいと思いまして」
ミルフィーユの返答にティラミスの疑問は大きくなっていった。貴族らしく探っていくのも良いが、ミルフィーユの姿は心から歓迎してることが見て取れた。そこでティラミスは直接尋ねることにする。
「ミルフィーユ様。率直にお伺いしたい事がございます」
ミルフィーユがわずかに緊張したことが見て取れた。
「お誘いいただいた理由が、昨日この“蜃気楼”で起こった出来事をお聞きしたいことと推察致します。ただ何故私なのでしょうか?これまでお互い交流することはなかった筈ですが」
ティラミスの問いにミルフィーユは緊張を解き、安心させるよう微笑みながら答える。
「仰るとおり、昨日のことをお伺いしたくてお誘い致しました。あの場にティラミス様がいらっしゃったとお聞きしまして。実は私、以前よりティラミス様とお近づきになりたいと」
ティラミスはミルフィーユへの警戒心を解く。心の内を話すことで、ミルフィーユはこの会合に含む意図はないことを示している。それならとティラミスもこの会合を心から楽しもうとミルフィーユに向き合う。
「そういうことでしたら、喜んで昨日のことをお話し致しましょう」
ティラミスはお茶で口を潤わせ語り出す。
「私が昨日友人と語り合っていた時です。あちらの席にいらっしゃったカラメリゼ様とストロベリーの元にストロベリーの婚約者であるチョコレート様が近づいて行かれました。あら、今日もカラメリゼ様がいらっしゃいますね」
「ええ。私も驚いてしまいました。ただ今日は別の方とご一緒のようです」
「ストロベリーは今日学園をお休みされているようですね。彼女は中位貴族ですから。婚約者、ではないですね。元婚約者であるチョコレート様達は上位貴族ですから。逆恨みされることを危惧してらっしゃるのでしょう」
「それが賢明でしょう。それでチョコレート様が近づかれてどうなったのですか?」
「はい。そうですね。あら、ミルフィーユ様あちらをご覧ください。あの男性がカラメリゼ様に近づかれるようにチョコレート様がストロベリー様の元に」
ティラミスが昨日と同じような光景を見ながら語っていた時、誰もが予想だにしない事が起こる。
「カラメリゼ様。貴女との婚約を破棄させていただく」
その場にいた誰もが自分の耳を疑った。昨日の出来事が目の前で再び起こっている。特に昨日も居合わせたティラミスは、より混乱していた。相手もよりによってカラメリゼである。昨日渦中にいた人がまた。いや、今度は当事者としてである。そして本人は誰よりも混乱しているのだろう。見ると、自らの手をつねっている。夢か現実かわからなくなっているのかもしれない。
「聞いているのか?」
続く言葉で止まっていた時が戻る。
「ティラミス様。これって夢ではないですよね?」
「はい。いえ、おそらく現実かと。あっ、ミルフィーユ様ご覧ください。あちらの男性、ザッハトルテ様です。昨日チョコレート様と一緒にいらっしゃいました」
「そうなんですか?今日はザッハトルテ様の番ということでしょうか?」
「申し訳ありませんミルフィーユ様、仰っていることがわかりません」
「そうですね。混乱してしまいました。申し訳ございません。あら、カラメリゼ様が立たれました。どうなさるのでしょう?」
「何やら理由を問われているようです」
「そのようですね。それでティラミス様。昨日もこのような感じだったのでしょうか?」
「そうですね。昨日はチョコレート様の方にはミント様もザッハトルテ様達もいらっしゃいましたし。ストロベリーにはカラメリゼ様がおられたので、見栄えは昨日の方がよろしいですね」
「そうなんですね。確かに二人だけというのはこの広い舞台では寂しい物がございますね」
「それにですね、チョコレート様とミント様が上位貴族ですので、中位貴族のストロベリーは反論できませんでした。婚約破棄を受け入れざるを得ないという展開が悲愴感を強く出していました」
「その様ですわね。ザッハトルテ様はあまり高圧的な雰囲気を作り出せておりませんね」
「それでもカラメリゼ様の方は見事に悲愴感を出されていらっしゃいますよ。まるで昨日のストロベリーを見ているようです」
「そうなのですか。あぁ、愛しても報われない悲愴感が素晴らしいですわ」
「えぇ、何回見ても切なくて心が痛みます。あら、ザッハトルテ様に高圧感が出てきましたね。おそらくカラメリゼ様の姿に調子が出てきたのでしょう。それでもチョコレート様には及ばないですね」
「あぁ、何で私は昨日教授のところに行ってしまったのでしょう。悔やんでも悔やみきれません」
「ミルフィーユ様お悔やみ申し上げます。それでも今回は立ち会えたのですから」
「そうですわね。こうして立ち会えたわけですし。時の神マッチャラテ、立ち会えたことに感謝を」
「時の神マッチャラテ、立ち会えたことに感謝を」
「それにしてもザッハトルテ様の言い分は酷いですわね。悪役としては小物感が」
「昨日のチョコレート様は上位貴族らしく独善的な姿で素晴らしかったですよ。そうなりますと、今回は脚本が悪いということでしょうか」
「二人の身分が同じというのも悲愴感を出すには少し弱いですわね」
「カラメリゼ様の演技が素晴らしい分、ザッハトルテ様の演技や脚本の粗が目立ってしまうのでしょう」
「そろそろクライマックスのようですわ。愛する男性の身勝手さに報われず取り残されてしまうカラメリゼ様、悲しくとも素晴らしいですわね」
「本当です。昨日と比べるとどうしても演技や脚本で見劣りしてしまう所がありましたけど、カラメリゼ様の演技は素晴らしいです。むしろお一人であそこまで魅せられるなんて」
「私、カラメリゼ様のファンになってしまいそうですわ。お近づきになることができないでしょうか」
「そうですね。私もミルフィーユ様もカラメリゼ様とは派閥が違いますから」
「もどかしいですわ」
「ミルフィーユ様、終わられたようです。カラメリゼ様が立ち上がられましたよ」
「そうですわね。今日は本当に楽しい一時を過ごすことができましたわ。私ティラミス様をお誘いして良かったですわ。昨日のことを色々教えていただきながら楽しめたのですから」
「私もミルフィーユ様にお誘いいただいたおかげで、楽しい時間を過ごすことができました。それと素晴らしい物を見せていただいたカラメリゼ様に感謝ですね」
「えぇ、そうですわね。まぁ、カラメリゼ様が手を振られていますわ」
「ミルフィーユ様、思い切って振り返してみてはいかがでしょう」
「よろしいのでしょうか?でもせっかくですので」
「ティラミス様、ご覧になって。カラメリゼ様が振り返して微笑んでくださいました」
「はい見ておりましたよ」
「はぁ。どういたしましょう。胸が早鐘のように打っておりますわ」
「ミルフィーユ様?」
「なんでしょう?なにやら頭がポーッとしますわ。私どうしたのでしょう?」
「ミルフィーユ様?ミルフィーユ様っ」