第一幕 舞台裏
いつもより早く日が沈む前に帰宅したアマナツは屋敷へと飛び込む。通りかかったメイドに妻のフランボワーズと娘のストロベリーを居場所を問いただす。勢いに押され、最初は狼狽えていたメイドも主人が慌てて帰宅した理由を知っており、すぐに平静を取り戻すと二人がストロベリーの部屋にいることを伝える。居場所を聞いたアマナツは2階へと駆け上がり、娘の部屋へと急ぎ歩く。途中すれ違ったメイドに帰宅の挨拶と共にお祝いの言葉をかけられたことで、長年の夢が叶った期待に心が躍っていく。勢いのまま娘の部屋の扉を開けると、二人は満面の笑みで迎えてくれた。
いつもより早く帰宅したお父様が私の部屋に飛び込んで来られました。娘のために仕事を切り上げてくれたことに、さらに喜びがあふれてきます。お父様が期待にあふれた顔で、夢が叶ったことが事実であるかを尋ねてきました。そんなお父様の姿が嬉しくもおかしくてお母様と笑い合います。私は立ち上がるとお父様の前まで進み、事実であることをお伝えしました。
「はい、お父様。今日、学園の庭園でチョコレート様から婚約破棄を言い渡されました」
私の言葉を聞いたお父様は安堵の息をつかれます。私からの言葉でようやく夢が叶ったことに安心したのでしょう。しかし、まだやるべきあることを思い出し真面目な顔になられました。
「すぐに手続きのための書類を作成する。二人とも付いてきなさい」と私達を書斎まで誘い部屋を後にしました。
書斎に着くとお父様は執務席に座り、引き出しを開け書類を取り出しています。その間に私とお母様は、部屋の中央にあるソファーにテーブルを挟み向き合うように腰を下ろしました。私達が座ると同じタイミングでメイドがお茶運んできます。メイドが退室するとお茶を飲む間もなくお父様が詳しい事情を尋ねられました。お父様の姿がおかしくて、笑ってしまいそうになりましたが重要なことです。気持ちを正して言い忘れのないよう、間違いのないよう起こったことをお父様にお伝えしなければなりません。
ティータイムにカラメリゼ様といる時に、チョコレート様が突然現れ婚約破棄を言われたこと。ミント様と婚約されること。ご友人の四人のお名前。以前より私との婚約は望んでいなかったこと。ミント様とは私に隠れて逢瀬を重ねており、扱いに差をつけていたこと。チョコレート様とミント様から侮蔑されたこと。そして友人のカラメリゼ様が協力して支えてくださったこと。義弟のパンプキンがチョコレート様の前に立ちはだかったこと。その場には多くの学園生がおり、私達のことを見ていらっしゃったこと。その中には知り合いが数人いらっしゃったことなど。
全てを聞き終えたお父様は満面の笑みを浮かべ私を労ってくださいました。
「チョコレート様とミント様の言い分や、ストロベリーが侮蔑されたことは腹立たしいが、このように予定通り事が進むとは。ストロベリーご苦労だったな」
「ありがとうございます、お父様。ただ、全てはバニラ姫様のお考えくださったことですから、バニラ姫様にはお父様からも感謝の言葉をお伝えください」
「わかった。次にストロベリーがお仕えのため登城する際に手紙を持たすので、バニラ姫様に渡しておくれ」
お父様は筆を取ると書類に何やら書き出しました。ここからは見えませんが、おそらくチョコレート様とミント様の行いに対しての訴状なのでしょう。お父様は今日中に書類をしたため訴えることで、チョコレート様との縁を切ってくださる筈です。しかしチョコレート様達とは別にお伝えしなけれなならない大切なことが残っています。
「お父様。実は問題が一つございます」
お父様が険しいこと顔を私に向けます。お母様もカップを持つ手が止まり私を見つめていらっしゃることが目の端に見えます。私は二人が注目する中、当家の失態をお伝えしました。
「義弟のパンプキンですが、チョコレート様達が去られた後に私に愛の言葉を捧げました」
あまりのことにお父様もお母様も表情が張り付き止まってしまわれました。ペンやカップを落としてしまうのではと危惧していましたが、持ちこたえているのを見て「お二人とも貴族としての仕草が身についてらっしゃるのですね。さすがです」と妙な感心をしてしまいます。
夢の世界から戻られたお父様が私に問いかけました。
「それを聞いてストロベリーはどうした?周りの者もパンプキンの言葉を聞いたのか?」
私はお父様を安心させるよう微笑みお答えします。
「私もパンプキンの突然の言葉に驚きました。おそらくカラメリゼ様も驚かれたことでしょう。ただチョコレート様達とのやり取りにおいては、私とカラメリゼ様は舞台役者のように演じていることにしていましたので、パンプキンもその演者の一人としました。パンプキンの告白は熱を帯びておりましたので演技と言い張ればよろしいかと。最後には拍手をいただきましたので、皆様そのように取っていただけると思います」
お父様の難しい顔はまだ戻られません。正直私も皆が騙されてくれたとは思っていません。ただ、こちらが言い張れば、他者が疑おうとも証明できません。先ほどまでの喜びに満ちた空間が嘘のように沈んだものになってしまいました。主人としてどのように対処なさるのだろうとお父様を見ていると、向かいのお母様が口を開きました。
「パンプキンには元いた所に戻ってもらいましょう」
お母様の言葉に難しい顔が晴れないままお父様が返されます。
「問題はいつ戻すかだ。すぐにでも戻したいが、それでは下位貴族のパンプキンが、中位貴族で義姉のストロベリーに愛の言葉を捧げたことを認めてしまうことになる。火種をつくる必要はあるまい。一月ほど様子を見て戻すことにしよう。パンプキンへの説明は二人に任せても良いか?」
お父様の判断により、一月後パンプキンが去ることが決定しました。お父様はこれから訴状をしたため登城しなければなりません。これ以上お手を煩わせてはいけません。
お母様が「わかりました」と返事をするとテーブルの上にあるベルを鳴らします。部屋の外で控えていた執事を呼ぶと、10分後パンプキンを応接室に来させるようにとお茶を二人分すぐに手配させることをお母様が命じました。執事が去ると私達は立ち上がり1階の応接室に向かいます。途中お母様から、パンプキンへの説明は私がするようにと言われました。私が貴族として、上位者として対応できるか確認するおつもりなのでしょう。急に緊張してきました。
パンプキンが来るまでお茶を飲みながら、言うべきことを頭の中で繰り返し考えます。
義弟としての立場。格の違う者が結婚する問題。貴族としての振るまい。
初めてのことで上手く説明できるか不安です。さらにお母様の目もあります。お茶を飲んでも緊張がほぐれません。おそらく今この時も私の態度が相応しいか見てらっしゃるのでしょう。わずかに背を正すとパンプキンの入室の許可を求める声が聞こえました。お母様を見るとかすかに頷きます。私は一呼吸取りパンプキンに許可の声をかけます。何故呼び出されたか理解していない顔を浮かべながらパンプキンは向かいのソファーまで歩いてきました。
「フランボワーズ様、ストロベリー様、お呼びと聞き参りました」
パンプキンがお母様の顔を見ながら話しかけます。普通でしたら立場が上のお母様が指示を出しますので、パンプキンの視線がお母様に向くのは当然です。しかし今回は違います。
「パンプキン。本日学園の庭園でのあなたの言動に問題がありましたので処分を下します。すでに屋敷の主人であるアマナツ様もご了承です。あなたの言い分もありますでしょうが、まずはこちらからの決定を聞きなさい」
私が場を仕切りだしたことにパンプキンが驚きの表情を浮かべ「わかりました」と答えました。感情や表情が取り繕えない義弟を見て、お父様とお母様がパンプキンの処分を早々に決めた理由を察しました。能力が高くても貴族としての振るまいができないようでしたら致命的です。遅かれ早かれ問題を起こしたでしょう。火薬を放り出しておくわけにはいけません。パンプキンには元の場所に戻ってもらうのがお互いにとって良いことでしょう。
「あなたには貴族として問題があると判断し、一月後に元の場所に戻すことが決まりました。問題点を申します。一つ、我が家に引き取ってから貴族としての意識と振る舞いが十分に身についていません。一つ、上位貴族であるチョコレート様達に対して下位貴族のあなたが許されないかねない行動を取りました。一つ、上位者であり、義姉である私に大勢の前で愛の言葉を捧げました。以上の問題行為は当家にとって不利益をもたらすと判断しました」
驚きのあまりパンプキンは口を開けた状態で固まってしまいました。そのような態度が問題でありますのに。
「一月後、当家が引き取る前にいた場所にあなたを戻します。それまでに準備を整えなさい。ただしこの事は決して他言しないように。わかりましたか?」
「わかり ました。いえ、それでも納得できません」
パンプキンが声を荒げました。貴族としての意識が低い彼にどのように説明し説得するか。難問ですが、貴族として成長するために良い教材を得たと思いパンプキンに向き合います。
「それでは説明します。意識と振る舞いですが、貴族は表情を崩さず思惑を悟られないよう振る舞うことが求められます。声を荒げたり驚いたり感情を見せてはいけません」
パンプキンは慌てて両手で顔を覆いました。言った側から過ちを繰り返しています。数年かかっても身につかないわけです。
「続いてチョコレート様への振る舞いですが、上位者につけいる隙を作ってはいけません。こちらに非があれば、上位者の言うことに逆らうことができないからです。先ほどはチョコレート様の機嫌が良かったので見逃してもらえたようなものです」
パンプキンが歯を食い縛り、拳を握りしめながらこちらを睨む。どうやら自身の非に納得できていないようです。彼の言い分を聞くべく発言を許しました。
「私はストロベリー様を傷つけたチョコレート様がどうしても許せませんでした。こちらに引き取られた時、ストロベリー様は私にとても優しく接してくださいました。そして今日まで実の弟のように可愛がってくださった。突然の環境の変化が怖かった私にとって、ストロベリー様は太陽のように温かく照らし癒やしてくれる女神のような存在でした。だからこそ私は貴女のために生涯を捧げたいと思っていたのです。貴族とはそのような想いも行為も許されないのですか?」
パンプキンは思いの丈を込めて、必死に私に語りかけてきました。
「それではお聞きします。あなたはチョコレート様に何をするつもりだったのです」
パンプキンは「それは」と反論しようとしましたが、次の言葉が出てきません。自分自身でも何も考えていなかったことが理解できたのでしょう。俯いたまま顔を上げようとしません。
「最後に私に愛の言葉を捧げたことですが、位の違う者同士が結婚した際は下の位に合わせられます。つまりあなたは私に下位貴族になって欲しいと願ったわけです」
私の言葉にパンプキンは焦り「違います。私はそのようなつもりで愛を捧げたわけではありません」と否定の言葉を口にしました。
「あなたの意思がどうあれ、あなたの言葉はそのように捉えることができるのです。それに、あなたは私の夢を知っている筈です。それは下位貴族になっては決して叶えることができません。あなたは自分の愛のために、私に夢を諦めるよう願ったのです」
私の説明に、自分の言葉と望みが愛を捧げた人をどれだけ無視していたか理解できたようです。愕然とした表情で立ち尽くしてしまいました。
「理解できたようですね。当家があなたに望んでいたのは忠誠です。恋慕の情は求めていません。
念のため申しますが、今回のことはチョコレート様との婚約を破棄するため仕掛けたものです。愛の言葉は私があなたに指示したもの、台本通りと誰かに尋ねられたら答えなさい。それ以外のことは一切口にしないこと。できますね」
私の言葉にパンプキンは震えた声で「はい」とだけ答えて俯いています。これ以上は何を言っても仕方ないと判断しました。お母様を見るとわずかに頷かれ、私の対応に合格点を出していただきました。でも最後まで気を抜いてはいけません。
「それでは1ヶ月の間に荷物をまとめておくように。それと元の場所に戻ることは誰にも言わないように。用件は以上です。退室して結構」
パンプキンが項垂れたまま退室します。扉が閉まるのを見ると私はお茶を飲み気持ちを落ち着けました。カップを戻し膝の上で両手を組んでいますと、隣に座るお母様の手がそっと添えられ私を労ってくださいました。
「ストロベリー、結構です。娘が立派に成長しているようで安心しました」
お母様のお褒めの言葉に、嬉しさのあまり涙が出そうになってしまいました。
そんな私にお母様は愛慕の感情あふれる眼差しを向けられました。
「今日は疲れたでしょう。夕飯は少し後にしますので、それまで部屋でお休みなさい」
お母様の気遣いに感謝して私は部屋へと戻りました。そして人生最良の一日を与えてくださった主神マッチャマカデミア、協力していただいたバニラ姫様とカラメリゼ様、私を愛してくださっているお父様とお母様に感謝の祈りを捧げました。