第7話「タスク」
片桐の放った言葉に、佐久間はあたふたしている。
「えっ……これが遠坂亮馬……!? ちょ、遠坂亮馬ってフツーの高校生のはずじゃ……!?」
二人の目の前で野獣は暴れ倒している。
机の化け物を噛みちぎり、イスの化け物をモグラ叩きの様に次々と踏み付けている。
化け物は耳をつんざく様な断末魔を上げながら、絶命していく。
とうとう、化け物の残党すべてを、殲滅してしまった。
片桐は冷静に状況を判断した。
メチャクチャになった教室、バキバキに壊れた備品、意識を失い倒れている生徒たち……。
かなり危機的状況だ。
佐久間はこれからの自分の身を案じ、ガタガタと震えている。
そんな佐久間に対し、片桐は
「おい! これから俺達でアイツを取り押さえる」
と言った。
衝撃の一言に、佐久間は耳を疑った。
「ハッ!? ウソでしょ? あんな化けモンどうやって取り押さえるんですか!? めっちゃ食いちぎってますけど」
佐久間の目線の先には、化け物の片腕をくわえた野獣がいる。
片桐はそんなことを気にする素振りもなく、話を続けた。
「いいか、まず、俺がアイツを引きつける。その間にお前の“能力”で動きを止めろ。動きを封じれば、興奮状態はおさまるはずだ。感情が静まれば、能力も弱まる。遠坂は捜査対象だ。傷付けない様に注意しろ」
片桐は指示を出すと、佐久間の返事も聞かず
「佐久間、行くぞ」
と言って、走って行ってしまった。
「えぇっ!? ちょっと! マジかよ……怖くねーのか、あのパイセン。危険センサー、完全バグってるな……」
佐久間はブツブツ言いながら、片桐の後に続いた。
興奮状態の野獣は、化け物達を倒しただけでは飽き足らず、力がみなぎっている。
「おい! ワンコ! こっちだ」
片桐は恐れることなく、話しかけた。
(ワンコ……? あれ、ワンコ? トイプーと一緒の部類? この人、感覚ヤバッ)
佐久間の顔は引きつっている。
片桐の声に反応した野獣は、すぐさま襲いかかってきた。狙いを定めて飛び付いてくる。
「ガァルルル!」
「そうだ。こっちだ」
そう呟くと、片桐は涼しい顔で、野獣を引きつける様に廊下を走って行く。
野獣との、世界一危険な追いかけっこ。
野獣は二足から四足走行に切り替え、猛然と片桐を追いかける。
その目は、完全に獲物を狙うハンターの目だ。
追走中も攻撃の手を緩めない。
爪で切り裂こうとしたり、噛み付こうとしたり、あらゆる攻撃を仕掛けてくる。
片桐は軽い身のこなしでヒョイヒョイと攻撃を避けた。振り返る余裕まで見せている。四足獣相手に信じられない走りだ。
「やっぱりあの人、ヤバイわ……」
佐久間は追いかけっこ中の片桐と野獣を見つめていた。が、すぐにハッとした。
片桐が野獣の気を引いているうちに、動きを止めなければ。
佐久間は意識を集中させた。
「行くぞ……俺……」
呼吸を整え、息を深く吸い込む。
「よしっ! “リングショット”!!」
そう叫ぶと、佐久間は手元で“リング”を作り上げ、両手を突き出し、勢い良く飛ばした。紫色の光線が輪を作り、リングとなっている。
佐久間の手から生み出されたリングは、フリスビーの様に飛んでいった。
標的は、もちろん野獣。
リングはグングン加速していった……と思いきや、どんどん勢いが弱まっていく。
「あれ?」
佐久間はキョトンとした。
減速してヘロヘロなリングは、片桐を追いかけていた野獣の後頭部に、力無くコツンと当たり、消えた。明らかにダメージゼロだ。
コツン攻撃を受けた野獣は、ピタッと止まり、静かに振り返った。
「ガルルル……」
殺意に溢れた目で佐久間を睨んでいる。
「ヤベッ……ミスった……」
佐久間の顔は、冷や汗でびっしょりだ。
片桐に目をやると、呆れと侮蔑を込めた苦い表情で、佐久間を見ている。
「アハッ、アハハハハハ……」
佐久間はもう、笑うしかない。
「グラァアオオォォォー!!」
野獣は怒号を飛ばし、問答無用で佐久間に襲いかかった。手足を広げ、鋭い爪や牙をむき出しにして、飛びかかってくる。
「ヒャッ! ヒエェー!」
佐久間はアワアワしている。
片桐は「チッ」と舌打ちしつつも、佐久間の前にもの凄いスピードで回り込み
「“ファイヤーウォール”」
と言って、自分達の前に炎の壁を作り上げた。
赤くメラメラと燃え上がる業火の壁は、二人と野獣を遮る様にそびえ立つ。
飛び上がっていた野獣は炎の壁を前に、危険を感じ、とっさに防御姿勢を取った。が、壁に近づき、火の粉が降りかかると、熱さに顔をゆがめ、体勢を崩して着地した。
「ガウゥ……ガウゥ……」
体に付いた火の粉を必死に振り払っている。
「ひぇ~~、助かったぁ……マジ、ありがとうございます……」
佐久間は「ハァ~~」と深い息を吐くと、バクバクと心臓が脈打っていた胸をおさえた。
片桐は
「ったく……お前、よくそんなのでやってこれたな」
と、ため息まじりに言った。
「アハッ、そうッスよね……スイマセン……」
佐久間は申し訳なさそうに下を向き、頭をかいた。
「謝ってるヒマがあったら聞け。作戦変更だ。これから、俺の能力でアイツの体力を削る。アイツが隙を見せたら、お前はそこを確実に叩け。隙を狙えば、お前も出来んだろ」
炎の壁を維持しつつ、片桐は指示を出した。
「はい! 頑張ります!」
佐久間は背筋をピンとさせた。
炎の壁の向こうでは、野獣が二人を見つめている。すぐにでも襲いかかりたいが、炎の壁には近づけない。野獣は焦らされてイライラを募らせている。
「ガルルル……」と喉を鳴らしながら、壁の前を左右にうろつく野獣の姿は、檻の中でエサを待つライオンの様だ。
佐久間は完全に野獣にビビり倒していたが、勇猛果敢すぎる先輩の指示には逆らえない。
ましてや、こんな危機に陥ってしまったのは、自分がポカをしたからだ。
佐久間は覚悟を決めた。
「もう失敗は出来ない。いいな……佐久間」
片桐は横目に佐久間を見た。
「はい!」
佐久間がそう言うと、片桐は炎の壁を消し、野獣と対峙した。
野獣は壁が消えたのと同時に片桐に襲いかかったが、片桐は野獣の動きを予測して、目くらましの炎を出した。
直接的なダメージは無いが、鮮やかな赤い炎は、野獣の視界を奪う。
片桐は間髪入れず、野獣の周りに炎を出した。
空中や野獣の足元など、あらゆる所から炎を出現させる。
野獣は神出鬼没の炎にたじろぎ、完全に翻弄されている。
足元の炎はユラユラと燃え盛り、空中の炎は花火の様にはじける。
野獣は懸命に炎に抗おうと、暴れ回った。
無謀にも炎を爪で切り裂こうとしたり、噛み付こうとしている。その姿はまるで、片桐の手の平で踊らされる操り人形である。
片桐の戦いぶりは圧倒的だった。
流れるような身のこなし、変幻自在の炎、戦況を見極める観察眼。すべてが優れていた。
野獣の動きを炎で翻弄し、確実に体力を削っていく。
それでいて、直接的なダメージは与えないよう、炎の位置や出すタイミングを完璧にコントロールしている。
さらに、倒れている生徒達に被害が及ばないよう、生徒達の位置など、フィールドの状況を考慮し、計算した上で、野獣を意のままに動かしていた。
力任せに暴走する野獣を、能力と経験値、知略で上回った片桐の見事なバトル。
佐久間は先輩の戦いぶりを目の当たりにし、思った。
(スゲェ……。あの化けモン相手にあの戦い……。パイセン、やっぱカッケェ~。それなのに、俺は何やってんだ! リング一個飛ばすのに手こずって……。ダサすぎんだろ! 俺も続かねぇと……!)
佐久間は冷静に野獣の動きを見た。
野獣は片桐とのバトルで疲弊し始めている。
炎と素早く動き回る片桐に惑わされ、体力を消耗し、肩で息をしていた。かなり呼吸が荒い。
“今だ!”
佐久間は颯爽と走り出すと、野獣の死角に狙いを定め、叫んだ。
「“リングショット”」
先程とは見違えるスピードで、飛んでいくリング。
しかし当たる寸前で野獣が気付き、爪でリングを切り裂いた。斬撃を受けたリングは、紫色の光線を飛び散らせ、消え去った。
「マジッ!? アレも切り裂けんの? クソ……まだまだぁ~」
佐久間は諦めずに、リングを打ち続けた。
今度は何発も連射する。
先輩が危険をおかして作ったチャンスだ。
無駄にする訳にはいかない。
自分に与えられた“仕事”を全うしなければ。
絶え間なく連射されるリングは、野獣の動きを捉えるが、野獣は爪で切り裂き、すべて振り払った。
リングは無残にも散っていく。
「あぁ~~! 良いトコいってんのに! チクショー! こんなことなら、小さい時にもっと輪投げやっとくんだった!」
佐久間は徐々に焦り始めた。
リングはどんどん見当違いの方向に飛んでいく。
リングがそれ始めたことで、野獣の動きに余裕が生まれた。野獣は佐久間にターゲットを定め、襲おうとしている。
片桐はそれを察知し、自身に注意を向けるため、野獣の行く先に炎を出し、誘導した。
邪魔をされた野獣は怒り、片桐に襲いかかる。
高く手を振り上げ、爪で切り裂く。
片桐は炎の盾を出し、攻撃を防いだ。
そして、焦っている佐久間を見かね、檄を飛ばした。
「落ち着け! 佐久間! 集中だ。集中してリングの強度を上げろ。 それ以外のことは、何も考えるな! 意識を内側に向け、深く深く、沈み込め!」
「は……はい!」
佐久間は片桐の言葉を聞き、自分を落ち着かせた。
息を深く吸い、吐く。
目をつぶり、意識を内側に向ける。
内側に溜め込んだ意識は、体中を駆け巡り、そして、リングに込められた。
「“リングショット!!”」
佐久間から放たれた渾身のリングは、今までで一番早いスピードで飛んでいく。
シュインッ!!
(ヨシっ! 俺史上、イチバンじゃね? 行け、行ってくれ……! あれ以上のリングは出せねぇ。疲れ切った野獣VS俺の最高傑作! これ、勝たなきゃ虚しすぎんだろ。頼む……!)
佐久間の切実な願いを乗せ、加速するリング。
あまりの早さに、野獣の胴体視力も追いつけない。
シュッ!! シュビッ!!
リングは真っ直ぐ飛ぶと、野獣の頭上で止まった。
そして、フリスビー程の大きさだったリングは、野獣の体以上に大きくなり、野獣の体にスッポリとハマった。
「ガアァッ! ガウゥ……」
野獣は縄で縛られたように動きを封じられた。
体にハマっているリングを壊そうとするが、リングの強度は凄まじく、壊せない。
「ヨッシャ!」
佐久間はガッツポーズをきめ、嬉しそうだ。
そんな佐久間を制するように片桐は
「油断するな~」
とクールに言った。
「ハイ! 分かってます!」
勢いづいた佐久間は、リングを連発した。
リングは次々と野獣にハマり、動きを封じた。
野獣は筒にスッポリとハマったような姿になり、バランスを崩し、倒れ込んだ。
佐久間は片手をキュッと振り上げ、投げ縄を締め上げるような動作をした。
すると、それに共鳴するように、野獣の体のリングがキツく締め上がった。「ガァウ……ガァウ……」野獣は苦しそうに声を上げている。
「これで、さすがにコイツも動けないでしょう。やりましたね! 片桐さん!」
佐久間は明るい声で片桐に話しかけた。
ひと仕事終えたという、爽やかな表情をしている。
「そうだな……。ずいぶん、お前には足を引っ張られたがな」
片桐は冷たく佐久間を見た。
「えぇっ!? それはないでしょ、片桐さ~ん。確かに……ちょっと引っ張ったけど……。でもそれ、今、言います~?」
佐久間は片桐の顔をのぞき込んだ。
「ちょっとじゃない、かなりな」
片桐はそう言うと、少し笑った。
二人に捕らえられた野獣は、床に倒れたまま「ガウゥ……」とうなり声を上げ、足掻いている。
片桐が近づくと、必死に顔だけでも伸ばし、噛み付こうとした。しかし、筒にスッポリとハマった状態では、無力である。
片桐は野獣を見つめ
「それにしても、コイツが能力を使いこなす前で良かったな。俺達は運が良かった」
と言った。
「え、これで使いこなせてないの? ヤバいッスね……」
佐久間はギョッとした。
本気の野獣を相手にしていたら……。
考えただけで恐ろしい。
佐久間は頭の中の想像をすぐに消した。
野獣は無駄な抵抗を続けていたが、その内に大人しくなった。すると、野獣の体が見る見るうちに小さくなり、一人の少年が現れた。
リングに拘束されたまま、意識なく倒れているその少年は、片桐も佐久間も、見覚えがある顔だった。
倒れている少年に近づき、片桐は
「さぁ~て、コイツをどうするか……」
と、静かに呟いた。