第4話「悪夢」
休日の夕方、亮馬は学校の教室にいた。
いつもなら休みの日の今頃は、誰にも縛られない自由な時間を過ごしているが、今日はそうはいかない。
ダメダメ文化祭委員・健太のおかげで遅れに遅れているクラス企画の準備を、何とか終わらせなければならない。
休日を返上し集まったクラスの面々は、黙々と作業している。
カァーカァーカァー……
静まり返っていた教室に、カラスの鳴き声が響く。
すると突然、床であぐらをかいて作業をしていた健太が、顔を上げ、ポツリと言った。
「ダメだ……全然“終わらねぇ”」
健太が発した“禁断の一言”に、クラスには激震が走った。
言ってしまった……皆が分かっていても口に出さなかった禁断の一言を……ついに……あろうことか、一番言ってはいけない立場のコイツが……
健太の禁断発言は、皆の心をポキッと折った。
クラスの皆は作業の手を止め、遠い目をした。
どこにも焦点が合ってない、遠い目。
人間はちょっとした絶望を味わった時、こうなる。
クラスの悲壮感漂う空気を見かねた大助が、健太に言った。
「健太……ここに来てそんなこと言うなよ。皆そんなの分かってて頑張ってたのに、心ボキッと折れちまったじゃんか。少なくとも、お前が言うな」
諭す大助に、健太はキョトンとした顔で
「え? 俺、何かマズい事言った? だったらワリぃ、ワリぃ。いや~だってさぁ、もう三時間くらい経ってるのに、全然ゴールが見えないしよぉ。段々、窓の外も暗くなってきたし……」
と言った。
三時間……ゴール見えない……外、暗い……
健太の止まらぬ禁断発言に、クラスの皆の心は再びボキボキッと折れた。
さすがにキレた大助は、もう一言、健太に物申してやろうと思った。が、大助より先に、美代里が口を開いた。
「まあまあ、健太君。そんな事言わずに~。もう少しだけ頑張ろ? 準備、結構進んでるじゃん! ゴールまであとちょっとだと思うけどなー。それにさ、時間をかけた分、きっと楽しい文化祭になるよ! 皆、こんなに頑張ったんだもん。最高の思い出にしようよ」
美代里の前向きな発言は、皆の心に消えかかっていた希望の火を、再び灯した。
美代里はいつもクラスを和ませる。そんな存在だった。
教室に流れていた重い空気は一掃され、皆、気を取り直し、止まっていた手を動かし始めた。
“良い文化祭にする”その気持ちを一致させ、怒濤の勢いで準備を進め、何とか最終段階まで来た。
最後は健太の提案で、ナゾナーノ男爵を登場させてのリハーサルを行うことになった。
リハーサルの仕込み中、健太が「あっ!」と声を発した。
「ナゾナーノの衣装、一階の更衣室に置きっぱなしだ……ゴメン。誰か取りに行って」
「ハァ? まったく……俺、今、手離せないぞ」
大助が呆れた顔で健太を見る。
「俺も……」「僕も……」「私も……」
皆が嫌がる中、「フゥ~」とトイレから帰って来た亮馬が、教室に入って来た。
クラス皆の視線が亮馬に向けられる。
「悪いな、亮馬。更衣室に衣装取りに行ってくれ。置きっぱなしなんだ」
健太がニヤつきながら言う。
「えぇ……あぁ~、分かった」
亮馬は皆の圧に押され、教室を出て行った。
階段を下り、一階の更衣室へ。
男子更衣室のロッカーの上には、ナゾナーノ男爵のシルクハットが飛び出た段ボール箱が置かれていた。
「これか……」
亮馬は段ボール箱を持ち、教室へ向かった。
段ボール箱の中には、ハテナマークの付いたマントや付け髭、古めかしい蝶ネクタイなど、お世辞にもセンスが良いとは言えない衣装が詰め込まれている。
亮馬は段ボール箱の中を見て(何でアイツはこんなものにノリノリなんだろう……)と、健太の顔を思い浮かべた。
そんなことを思いつつ、階段を上っていると、教室の方から、ドサッ! ガシャッ! ガッシャーン!! と大きな音が聞こえてきた。
よく聞くと「キャー!!」「ギャー!!」と悲鳴も混じっている。クラスメイトの声だ。
亮馬が焦って階段を駆け上ると、廊下に数人のクラスメイトが倒れている。
亮馬は何があったのかとクラスメイトの元へ駆け寄った。
クラスメイト達に意識は無い。
「おい! 大丈夫か!? 何があった!?」
倒れたクラスメイトを抱きかかえる亮馬に、大きな影が覆い被さった。
押し潰される様な空気と異様な圧迫感……
亮馬は恐る恐る顔を上げた。
目の前にいたのは、異形の化け物。
理性の無い不気味な目。異常な方向に伸びている手足。牙の生えた大きな口。
そしてなぜか、体は掃除道具用のロッカーだった。
ロッカーの化け物は、そこら辺にあるホウキやモップ、文化祭用の飾りを大きな口でむさぼり、噛み砕いている。
(何なんだコレは……現実か……?)
亮馬は恐怖のあまり、腰を抜かし、後ずさった。
すると「遠坂くーん」と呼ぶ声が、教室の方から聞こえた。
亮馬が教室の方へ目をやると、さっきまで一緒にいたクラスメイト達が全員倒れている。
皆、意識は無く、中には血を流している者もいる。
教室の中では、異形の化け物達が所狭しと暴れていた。
イスの化け物、机の化け物など、それぞれ容姿は異なるが、一様に醜悪でとても不気味だ。
目の前に広がる悪夢のような光景に、おののく亮馬。
そんな亮馬に「遠坂くんだよね?」と、問いかける声が聞こえた。先程と同じ声だ。
声の方に視線を向けると、教室の窓際に三人の男が立っていた。
その内の一人が、亮馬に近づいてきた。
ド派手なパンクファッションに身を包んだその男は、座り込んでいる亮馬を見下ろし、こう言った。
「やぁ。君が遠坂亮馬くんだね? 俺達は君と同じ能力者、“インフィニター”だ。君を迎えに来た」
パンク男は陰険な笑みを浮かべていた。
★ーーー★ーーー★
この日、片桐は本や資料に囲まれた部屋で、パソコンとにらめっこをしていた。
片桐が何か考え込んでいると、ガチャッとドアを開ける音が鳴り、ホスト風の男が部屋に入って来た。
「あ、片桐さん。お疲れ様でーす。片桐さんが資料室にいるなんて、珍しいッスね」
ホスト風男は片手に資料を持っている。
「おお。佐久間。ちょっと調べたい事があってな。お前は何の用だ?」
「オレっすか? オレは皆に雑用言いつけられちゃって。資料片付けて来いとか、新しいの持って来いとか。本当、オレをパシりみたいに使いやがって。困るッスよ」
佐久間は不満をタラタラ漏らしながら、資料を片付ける棚を探している。
「お前も色々あるんだな」
片桐はパソコンを見つめたまま言った。
「ホントッスよー」
佐久間はそう言うと、ふと、片桐のパソコンを見た。
画面には、一人の男子学生の写真が映し出されている。
「誰ッスか? それ。好青年風な爽やかイケメンって感じですけど。トーサカリョーマ……?」
佐久間が尋ねてきた。
片桐は
「彼は、最近捕まえた被疑者達が探していた人物だ。彼が何者か調べていた」
と答えた。
「へぇ~。ヤバイ能力者達が探してたってことは、その子も異能を持った“インフィニター”ってことですか?」
佐久間は資料を棚に戻しながら言った。
「いや、それはまだ分からない。彼が能力を使ったという記録は無い。データ上は普通の学生といった所だ」
片桐はまだパソコンをいじっている。
「えー、その子、高校生くらいっスよね? その年齢で能力、一度も使ったことないってあります? 能力者ならもうとっくに自分の能力に目覚めてますよ。きっとその子は非能力者ッスね。でも、何で非能力者をヤバイ連中が探してるんだ……?」
佐久間は資料を戻し終え、近くにあった古びたソファにドカッと座った。
「非能力者を追っているとするなら、彼が被害に遭わないよう、保護しなければならない。だが、万が一、彼が能力者だった場合、もっとマズいことになるかもしれない……」
片桐は真剣な表情で呟いた。
「えっ? どういうことッスか……?」
佐久間は息をのんだ。
「ヤツらが、普通の能力者をあんな血眼になって探すか? わざわざ目立つ様なことをしてまで。事件や騒ぎを起こしてまで、彼のことが欲しいんだ。遠坂亮馬のことを……だとすれば、彼は恐らく、普通の能力者じゃない。俺達の想像を超えた異能の持ち主。“未知なるインフィニター”」
「未知なる……インフィニター?」
佐久間は片桐の言葉を繰り返し、それ以上の言葉が出なかった。
「とにかく、どちらにせよ、彼の身に危険が迫っているのは事実だ」
片桐はそう言うと、パソコンを閉じた。
佐久間はハッとして
「そうっスね」
と言った。
二人の間には、少しの沈黙が流れた。
そして、片桐がイスから立ち上がり「じゃあな」と資料室から出て行こうとしたその時、二人の無線が鳴った。
「至急、至急。都内にある月丘高校で、能力者数名の能力暴走を感知。現場に急行せよ」
無線機から聞こえた声に片桐の顔つきが変わった。
「月丘高校だと……? そこは遠坂亮馬が通っている学校だ」
「えっ!? マジっスか!?」
「佐久間。急ぐぞ」
「はいっ!!」
二人は駆け足で資料室を出て行った。