第1話「ヒーロー」
夜の東京。
黒いスーツに身を包み、疾風のごとく街中を駆け抜ける片桐東吾は、目の前の男を追っていた。
目前の男は様子を伺うように度々振り返りつつ、片桐の追跡を振り切ろうと猛然と走り続ける。
片桐は少しイライラしながら黙々と男を追った。
ネズミの様に逃げ惑っていた男を、片桐はビルの狭間に追い詰めた。もう、逃げ場は無い。
片桐は男に銃口を向けた。
「もう諦めろ。佐藤」
片桐のクールな声が、夜の街に静かに響く。
「フ~、やっぱスゲぇなぁ。お前には敵わねぇわ。さすがだなぁ。でもよぉ、もったいねぇと思わねぇか? 俺達、本当は仲間じゃねえか」
佐藤は追い詰められているのにも関わらず、不敵な笑みを浮かべ、息を整え、話を続けた。
「俺達は選ばれし“能力者”だぜ。特別な力を持ってんだ。少しくらい良い気になったっていいだろう? 一般人の世界は窮屈なんだよ」
「お前の言い訳は終わったか? 大人しくこっちに来い」
片桐は佐藤の言葉を切り捨てるように言った。
「釣れないねぇ。それじゃ宝の持ち腐れだぜ。さあ、俺と遊ぼうや。まさか大人しくなんて本気で言ってないだろう?」
佐藤はそう言うと、ケラケラと笑い出し、身体を変形させた。
佐藤の両手は凶暴な蛇となり、瞬く間に片桐に襲いかかってきた。
片桐は驚きもせず、軽い身のこなしで攻撃を避けた。
「やるねぇー。さあさあ俺とバトルだ!」
佐藤は両手の蛇達と共に、狂気的な笑みを浮かべている。
「やるか、そんなもん」
片桐は再び佐藤の言葉を切り捨て、銃口を向けた。
「戦えよ! ビビってんのか? こんなんだから俺達はいつまで経っても日陰で生きる存在なんだよ!」
佐藤は激高し、近くの壁を蹴って、高く舞い上がり、空中攻撃を仕掛けた。
蛇と化した両手が牙を剥き、片桐に襲いかかる。
「さあ、解放しろ! 力を! 燃やせよ! 俺を“燃やせ!”」
佐藤は叫んだ。
片桐はチッと舌打ちし、とっさに塀へ飛びのり、蛇をかわした。
佐藤は渾身の攻撃を空振りし、その間に生まれた隙を片桐は見逃さず、両手の蛇を銃で撃った。
銃撃された佐藤の両手は徐々に普通に戻り、佐藤はその場に座り込んだ。
「ちくしょう……お前に負けるのは分かっていた。能力で負けるのは悔しくねぇ。だけどなぁ、なぜ能力を使わねぇ! こんなの俺達のバトルじゃねえだろ! 臆病者!」
佐藤の両手からは血が流れ続けている。
片桐は塀からヒョイと飛び降り、佐藤の止血をして、身柄を拘束した。
そして、彼を見下ろし、こう言った。
「お前燃したらキレイな火花でも出るのか? お前みたいな半端な燃えカスは、燃やし甲斐がねぇんだよ」
ウーウー 車のサイレンが鳴り響く。
片桐は身につけていた無線機を手に「こちら片桐。被疑者、確保しました。このまま本部に戻ります」と連絡した。
「ん。ご苦労だった」
連絡先と繋がった無線機から音声が流れる。
片桐は無線を切ると「フゥ~」と大きなため息をついた。
★ーーー★ーーー★
都内にある月丘高等学校。
その体育館裏で、数人の不良が一人の男子生徒を囲んでいる。
不良達は、腰が抜けた様に地べたに座り込む男子生徒を、殴ったり、蹴ったりしている。
明らかにイジメだ。
「オラオラ、もっと金あんだろ? 真面目くん。俺達、遊ぶ金が欲しいだけだぞ」
「もう、やめてくれよ……」
こんな悲惨な光景を、月丘高等学校・一年生の遠坂亮馬は影から見ていた。
「うわ……」
見てはいけないものを見てしまった様に、声が漏れる。
この時、亮馬の心の中で、天使と悪魔が戦っていた。
「さあ! 勇気を持って! 今すぐあの子を助けるのよ!」と天使。「オイやめとけ。お前は“弱い”んだ。行っても無駄だよ」とささやく悪魔。
心の声バトルを繰り広げる天使と悪魔だが、この決着は意外にあっさりついた。
亮馬は意を決した様に、力強い足取りで不良達のもとへ行った。
「オイ! 君達、こんなことやめろよ」
「あぁ? うるせーな。お前に関係ねぇだろ。どっか行ってろ」
不良は構わず、男子生徒をまた殴ろうとした。
すると、その手を亮馬が止めた。
「関係なくないね。君達がやめるまで、僕は一歩もここからどかない」
亮馬の目は真剣だ。
イジメられていた男子生徒は期待の眼差しで亮馬を見ている。
「あーそうかい。じゃ、お前も道連れだ」
不良は亮馬に掴まれていた腕を振りほどき、間髪入れず亮馬に殴りかかった。
ボゴッ! 不良のパンチはクリーンヒットし、亮馬は鼻血を吹いて倒れた。
「ヘッ?」
男子生徒はちょっと期待外れといった感じで亮馬を見つめた。
「コイツ、めっちゃ弱いじゃん! あんなチャチャ入れてきたわりにはよー」
「これであんなヒーロー気取りで登場したわけ? 笑かしてくれるわー」
「ヒャッヒャッヒャッ!」「キャッキャッキャ!」
不良達の不快な笑い声が響く。
「そんじゃ楽しませてもらうか……」
ボゴッ! ドガッ! ズゴッ!
数分後……
「そんじゃなー」
不良達は散々暴れ、満足げに帰って行った。
亮馬はボロボロになりながら、フェンスにもたれかかっている。
「あの……大丈夫ですか?」
男子生徒が駆け寄る。
「ん……? あぁ、大丈夫、大丈夫。大した事ないから」
亮馬がそう言うと、男子生徒は心配そうにハンカチを差し出した。
「おっ! サンキュー」
亮馬はハンカチを受け取り、顔を拭った。
「あ、あの……本当にありがとうございました。あなたのおかげで、僕……何というか……いつもより無事です。助かりました」
男子生徒は声を振り絞る様に言った。
「いいの、いいの。僕が勝手にやった事だし。それより君、いつも、もっとひどいことされてるわけ? それさ、ちゃんと相談した方がいいよ。親とか先生とか……ああいうヤツは、ちゃんと騒ぎ立てる人には弱いから。あとさ、僕、一年生だから敬語じゃなくていいよ。あっ! 逆に君、先輩とかじゃないよね?」
亮馬は少し焦った表情で聞いた。
「いえいえ、僕も一年生です。成田肇といいます。あなたは?」
「僕? 僕は遠坂亮馬っていいます! よろしく」
亮馬は爽やかに笑った。
その顔には細かな傷やアザが残っている。
「でも、何で僕を助けてくれたんですか? あんまり……強くないのに……」
肇は不思議そうに尋ねた。
「はっきり言うなぁ。まあ事実、ボコボコにされてるしね。分かんないけど、体が勝手に動いたんだわ。理屈とか抜きで。漫画みたいに颯爽と助けようと思ったけど無理だった。ゴメンね。弱すぎたわ」
亮馬は申し訳なさそうに少し笑いながら頭をかいた。
「そうですね。確かに“弱かった”!」
「ホントにはっきり言うなぁ!! 礼儀正しいんだか、失礼なんだか……」
「でも、僕は確かに助かりました! 本当に“ありがとう”。あなたの勇気をもらって、僕も何だか変われた気がします。今まで周囲にどう思われるか不安で、人に言えなかったけど、イジメのこと周りに相談してみます!」
肇の目はキラキラと輝き、真っ直ぐに亮馬を見ている。
「おお……そうか……というか、敬語じゃなくていいから」
「あっ! そうでした!……じゃなくて、そうだね! えっ! もうこんな時間……今回のお礼はいつか必ず!! またね!」
そう言うと、肇は慌てて走り出した。
「お礼とか気にしなくていいよー」
亮馬がそう声をかけると、肇は振り返り、こう言った。
「遠坂君は“弱いけど”、確かに頼もしい僕の“ヒーロー”だったよ。本当に、本当に“ありがとう”」
肇の明るく、どこか清々しい声は、大きく響き渡った。
「フッ、弱いけどは余計だよ」
段々小さくなる肇の姿を見つめながら、亮馬は照れくさそうに笑った。