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海の青  作者: 凪理恵子
7/21

無駄遣いする夏休み


夏休み二日目にして、僕たちは歌を作ることに決まった。


でも、僕たち(僕とさっちゃんと青)は、歌なんてどうやって作ったらいいのかわからないし、そもそも歌うなんてできるのか? という話になった。


「歌ってさ、まず歌詞から書くんじゃねえの?」

青はいう。


さっちゃんのお父さんは歌を作ったら? なんて無責任にいって、僕たちはすっかり盛り上がってしまった。

「じゃあ、僕はこれからサスペンスを見る時間だから」

と、さっちゃんのお父さんはリビングに引き返してしまった。人数分の、すっかり空になったコップを盆に乗せて。


「歌詞ならたくさんあるわよ」

さっちゃんがそういったので、僕と青はおお! と思わず歓声を上げた。

「いいね! 歌詞があるなら、結構サクサク進むかな?」

僕のその言葉を訊いて、さっちゃんはニンマリした。そして机の引き出しの奥からノートを一冊取り出して、床に広げた。確かにいろんなポエムのような言葉が並んでいた。


「死ね・・・・・・」

青はノートに書かれた「死ね」というタイトルのポエムを絶望的な目で見ている。そしてため息を漏らした。


「死ねよカス。死ね。お前なんか死んじまえ」青はノートのそれを復唱する。「これって、歌詞にできるのか・・・・・・?」

青が僕に、どう思う? という目線をチラチラ送ってくる。薄いブラウンの瞳。もしも綺麗な瞳の色がどんな色なのかと訊かれることがあったら、僕はこの少年の、この瞳しかないと答えてしまうだろう。


「うーん・・・・・・。まあ、なにかを伝えたいっていう気持ちを込めたらいいのかなあ」

腕組みをして宙を仰いだ。さっちゃんが自信満々に僕たちに見せているこのポエムーーといっていいのかわからないがーーを、どうやって歌詞にすればいいのだろう。


「死ねっていうのは、どうしてそう思ったの?」

僕はさっちゃんに訊いた。

「インドに住んでたときに、隣に住んでた男の子にジュースを取られたから」

「・・・・・・・」

さっちゃんの返答に、ますます歌詞なんて出来そうになくて、黙り込んだ。

「ムカついて、死ね! ってノートに書いたの」

「そのときは、いまみたいに相手に思ったこと言うタイプじゃなかったのか?」

青はあぐらをかいて、少し眠そうに話している。

「そいつ、身体が大きかったからなにも言えなかったの。ぶたれたら、死んじゃいそうなくらい町ではケンカも強かったし。まあ後で、そいつの靴を川にぶん投げたけどね」

さっちゃんの言葉に、ぷっと吹き出して、青は腹を抱えて笑い始めた。さっきまでの眠そうな表情が嘘のように、笑いはどんどん大きくなっていって、それを見ていた僕もいつの間にか腹を抱えて笑っていた。

2人してゲラゲラ笑っていると、さっちゃんは、

「あなたたちって、2人でいるとき、いつも笑ってるわね」

と、ニヤニヤしていた。

「楽しそう。いいわね」

さっちゃんは、少し大きめのパジャマの袖をマスク代わりにして、軽く咳をしながらいう。


確かにいわれてみると、青と仲良くなってから、僕は毎日が楽しくなった。

青と仲良くなる前だって、毎日がつまらないわけではなかったけれど、楽しさの量が増えたという感じだ。誰かとなにかを共有すると、楽しさと喜びは倍増することを知った。

青は、周りにいる人を笑顔にする。彼が楽しそうにしていると、気づけばみんな、笑顔になっている。

彼には、そういう、彼にしかないものや、出来ないことをたくさん持っている。

僕は思わずうっとりとそんなことを考えていた。


「ジューズを取られてムカついたのは、どうして?」

僕はさっちゃんに訊いた。

「人のものだって知りながら奪うなんて最低じゃない」

さっちゃんのその言葉に僕は頷きながら、ノートに「人のものを奪うなんて最低だ」と書きこむ。それを見ていた青が、なにしてるの? と訊いてきた。

「死ねって歌うのは、安直過ぎるから、具体性があるといいかもと思って。名詞を増やしたり? 歌って、たくさんの言葉を使ってる印象があるから。僕もよくわからないけどさ」

たとえば・・・・・・と、独り言のように呟きながら、僕はノートにさらに言葉を連ねる。


『どうしてわかっているのに あなたはやめないの?

人のもの獲るなんて最低ね 自分のしたことわかってるの?』


「ジュース取っただけなのに、こうしてみるとなんか変わるな」

僕が書いた一文を読んだ青が目を見開いた。

「いや、なんかそれっぽく書いてみただけだよ」

「死ねって言葉は、やっぱりあんまり使わない方がいいのかしら?」

「いいとは思うんだけど、死ねを連続で言うよりも、最後にひとつ持ってくるとかすると、怒りの感情が強く出るかも?」

僕たち3人は、それからしばらく、ノートを覗き込みながら、ああでもないこうでもないと歌詞を書きあぐねた。


ーー夏休みだけで、歌を作れるのかな?


いつの間にか夕焼けが差し込む部屋のなかで、夢中になって時間を忘れていた。受験生だということも、将来のことも、男だということも。確かにここに生きているということを、すっかり全部忘れてしまっていた。


***


僕たちの夏休みは、歌づくりに注力した。


集まるのは、たいていさっちゃんの家だった。そして、さっちゃんの家には、いつもさっちゃんのお父さんがいて、快く招き入れてくれた。

さっちゃんのお父さんは、いつもリビングで、犬と戯れているか、腹ばいになって新聞や本を読んでいた。

スピーカーからは、ジャンルを問わない陽気な音楽が大きなボリュームで流れていた。


8月上旬。1年のなかで暑さがピークになるころ。ようやく形になった歌詞カードに、僕たちは手こずっていた。

次はいよいよそれに音をつけなければいけなかったが、なんせ音楽に対してなにもかも初心者の僕たちは、どうしたらいいのか、わからなかった。


「ねえ、こういうのってさ、やっぱりギターとかいるの?」

キラキラと目を輝かせた青は、ギターを弾いてみたいといつからかいっていた。最近はよく、音楽番組を録画しては繰り返してみているらしい。そして、バンドでミュージシャンとして生活することに憧れを抱き始めているという。


「楽器はあった方がいいでしょうね。ところで私たちのこのバンド? って何系なのかしら?」

とりあえず形になった歌詞が記載されているノートを見つめながら、さっちゃんはそのノートの端っこを何の気なしにペラペラと指でいじっている。


「確かに、僕たちのこの歌って何系なんだろう・・・・・・」

3人組。男2人。女1人。そして、ヘンテコな歌詞。歌詞の題名は3人で吟味した結果「アローン」になった。そして、肝心の歌詞は誰かに対しての強い怒りをメッセージしている。


「俺、スピッツとかそういう感じをイメージしてたんだけどな」

青がそういったので、僕は驚いた。青はむしろ、もっとロックな感じを好んでいると思っていたから。

「ええ? ほんと?」

「意外だわ」

「ところでさ」青はいう。「誰がボーカルやるの?」

輪になって床に座ったまま、僕たちは黙り込む。


「ちょっと、1人ずつ歌ってみなよ」

と、ドアをノックすると同時に、さっちゃんのお父さんが声をかけてきた。白い歯を覗かせ、引き締まった太い腕に、人数分のウェルカムドリンクを盆に乗せて。


「歌うって、なにを?」

青はいい、ついさっきまで猫背でダラダラしていたのに、急に背筋をピンと伸ばした。さっちゃんのお父さんから両手で飲み物を受け取りながら、軽く頭を上げている。

「なんでもいいよ。好きな歌を」

と、さっちゃんのお父さんは僕たちに飲み物を渡し終わると、そこにあぐらをかいた。今日は、オレンジが派手なひまわりのシャツを着ている。

「よし。じゃあ歌います。こういうの、勢いが大切だから!」

言い終えるなり、青はその場でスピッツのロビンソンのサビの部分を歌い上げた。唖然とした。あまりにも音痴だったからだ。


「どうだった!?」

青は目を輝かせている。きっと、褒められると思っているのだろう。

「私は安心したわよ」

さっちゃんは、いつものごとくメガネをクイっと上に持ち上げた。僕は、一瞬、え? まさか、下手だと思ったのは自分だけだったのか? と、さっちゃんの言葉にドキドキしていた。


「あお・・・・・・。残念ながら歌はあんまりうまくないわ。やっぱり神様はいるわね。これで歌まで完璧だったら、人間じゃなくなるもん」

「えー!? 昨日の夜とか隣人から苦情が来るくらい練習したのに!」

「うん。あお。正直いって、歌はイマイチだ。やっぱり人間だったんだな。安心したよ」

僕がいうと、お前ら揃いも揃ってなんなんだよ! その言い方は! と、青は憤っている。

1人ずつ歌ってみなよ、と提案者であるさっちゃんのお父さんはというと、なにも言わずにじっとしている。いつもの陽気さはなく、どこか真剣なまなざしをしている。


「そんなにいうんなら、さっちゃんとヒーロー、次歌ってみろよ!」

そう青が促すので、まずはさっちゃんがーー自称天使の歌声の持ち主らしいーー歌い出した。曲はホイットニーヒューストンの「I have nothing」だった。

サビの部分を歌い終えたさっちゃんが、僕と青に向かってどう? と満足そうに笑っている。分厚いメガネには眩しい日差しが反射する。

「ヘタクソだな」

青がいった。

「全くなってない!」

青の感想に、さっちゃんは少しムッとした顔をして、僕にどうだった? と感想を求めてきた。

「う〜ん。まあ、うん・・・・・・。あんまり、うまくないかも・・・・・・」

「ヒーロー! 俺のことは厳しく評価したくせに、さっちゃんには曖昧な感想だな!」

「さっちゃんも青も、歌はダメだ!」

思い切って威勢よくそう言い放つと、青とさっちゃんの2人から、ぎゅっと詰め寄られた。ふと、視線をさっちゃんのお父さんの方にやる。あぐらをかいて腕組みをしながら、どこを見るわけでもなく、いつもより厳しい顔つきをしている。

「そんなにいうなら、ヒーロー! 歌ってみろ!」

「楽しみだわ〜。私より美声なのかしら?」


僕はやけになり、マイケミカルロマンスの「Welcome to the black parade」を歌った。

人前で歌うという行為が恥ずかしすぎて、僕は目をぎゅっとつぶった。だから、僕の歌を聴いて、みんながどんな表情をしているのかわからなかった。


サビまで歌い終わって、目を開けると、青とさっちゃんがすごく驚いた顔をしていたのだ。その驚きが、残念な方ではなかったので、ホッとした。

すぐに感想を言ってくれるのかと思ってドキドキした。しかし、僕が目を見開いてソワソワしていても、2人はずっと顔を見合わせているだけだった。


「あの・・・・・・、どうだった・・・・・・?」

恐る恐る催促した。もしかしたら、僕も相当音痴なのかもしれない。

「あなた、すごいわ・・・・・・」

やっと口を開いたさっちゃんの声は、少しだけ上擦っていた。

「うん。ヒーロー、お前はすごいよ・・・・・・」

青はふうっと前髪をかき上げた。

「どんなふうにすごい? 下手だった・・・・・・?」

2人の感想が、うまいのか下手なのか、それともそれ以外なのかわからなくて、さらに詳しい感想を催促してしまう。


「うまいよ」

と、ようやく声を出したのは、いままでずっとだんまりだった、さっちゃんのお父さんだった。

「それも、かなりね」

ずっしりと重い声色。さっちゃんのお父さんは、僕を見据えていた。リビングででっかい犬と戯れている陽気なおじさんの顔ではなかった。何度も会っているのに、初めて会う人みたいだった。

「そんなに、すごいのかな・・・・・・?」

僕は自分の歌の良し悪しは、正直なところわからない。けれど、目の前にいるさっちゃんのお父さん、さっちゃんと青の、僕を見る目がいつもとーーなにかがーー明らかに違うのはわかった。

その目には、隠しきれない驚きと、ひどく感心していることが伝わってきた。


「ボーカルはヒーローで決まりだな」

青がいった。

彼は多分、自分がボーカルをやりたかったのだろうと思う。僕も、まあこのメンバーで歌をやるならボーカルは青かなと思っていた。彼がマイクを握れば、なにより映えるからだ。


「うん。君しかいないね」

そう言い残し、さっちゃんのお父さんは、急に立ち上がり部屋を出て行ってしまった。

さっちゃんの部屋に残された僕ら3人は、とりあえずなんとか前進できているような気がして、嬉しかった。

歌詞ができて、ボーカルが決まって、あとはそれに音を乗せる作業が待っている。


夏休みの間に、歌はできそうな気がする。


歌ができたとして、それがどうというわけではないし、それでどうにかなるわけでもない。

中3の夏休みをこうして弄んで、僕たちは、多分3人とも、ずっとこのままでいたいと願っていたんだと思う。

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