第5コース 風呂上がりの一杯
その日の夜。牛太郎は自室でシャワーを浴びていた。ここはタウロスピア養成校にあるトレーナーの寮の一室。
こちらの世界では牛太郎はここに住んでいる。寮といっても元居た世界での自分の部屋より何段階も高いグレードの部屋だ。
しかし机の上にはいくつもの本が積み上げられ散らばっている。他はきれいに整頓されている分余計に目立っていた。
それもそのはず、ここは部屋に戻ってきた牛太郎が、本棚にあった本を引っ張り出して片っ端から読んだ形跡だ。
「……だめだ……。まったくわからん!!」
シャワーを浴びながら牛太郎はうなだれる。覚悟を決めた……というか必要に迫られた牛太郎は部屋につくなりこっちの世界の牛太郎の残した資料をみて最低限の知識を得ようとした。
一夜漬けでも資料を丸々コピーでも知識は知識だ。むしろないと、おかしなことを言ってクビになりかねない。
だから、勉強して身につけようと思ったのだが……ダメだった。取り出した本全てが専門書……ある程度の知識があることが前提で書かれているため、日本語で書かれているのに意味が理解できない。
それどころか、外国語で書かれていたものもあったくらいだ。
それでも、何とかしようと努力したが結局お手上げになり、シャワーを浴びているところだった。
「だめだ……頑張ってどうにかなるレベルじゃない……」
考えてみれば当然だろう。昨日まで就職浪人生だった人間がいきなり本を読んで勉強しただけで医者になれるはずがない。
「というか、どうすれば世界一の牛乙女? それを育てられるんだよ……」
あの時、牛女神はやる気を出せば、こっちの世界の牛太郎の記憶を思い出せるといっていた。
ということは今はやる気が足りないのか? それともやる気だけではだめで結果が伴わないとだめなのか?
しかし、結果を出すにはこっちの世界の牛太郎の記憶が必要という何ともしがたいジレンマに陥っている。
「ひとまず出たとこ勝負でやるしかないのか……唯一の希望は会長に頼んだ担当希望者に才能がある子がいることだな」
牛太郎はシャワーを浴びながら、あの後会長とのやり取りを思い出す。
「では、明日から早速……と言いたいところだが、花輪トレーナーには現在担当がいない。そしてもはや新人ではない。だから、自分で団を作ってもらう」
会長の説明はこうだ。そもそもトレーナーとは自分が育てたいと思う牛乙女と交渉し、自らの団に加えそこからタウロスピアに出場させる。
そもそもタウロスピア参加にはトレーナーの資格を持った団に所属している必要があり、参加できるかどうかの判断はトレーナーにゆだねられる。
このためトレーナーの権限は大きい。だからこそ資格取得は厳しいものになるのだ。
「しかし、資格取得したばかりの新人ではいきなり団を作っても誰も参加しない。だから、ベテラントレーナーの団に所属し経験を積んでから独立する」
ベテラントレーナーの団にはそれこそ多くの牛乙女が所属するため、一人では見きれない。だから、新人がそこで手伝う。
ちなみに資格を取る前のトレーナー見習いも優秀であれば団に入って育成の手伝いをすることもできる。
あくまでトレーナー業務の雑用だが、実戦形式に近いため、知識と経験を学べるため人気の進路だ。
「普通はそうしてベテラントレーナーの技術やコネを学んでいくのだが……君は普通じゃなかったな……自覚がないかもしれんが……」
どうやら、こっちの世界の牛太郎はかなり非常識なことをしていたらしい。トレーナー見習いをしていた団に所属したはいいが、いきなりその団に所属すらしていない当時、無名のヤマトクイーンをスカウトしてきたというのだ。
当然、お叱りどころか処罰レベルの話も持ち上がったらしい。何せ、所属している団の責任者であるトレーナーに無断でスカウトしてきたのだから。
普通なら、その場で処罰だが、その決定をヤマトクイーンとこっちの世界の牛太郎は全て結果でねじ伏せてきたらしい。
「だからなあ……普通なら新しく自分の団を作る際には前に所属していた団から数人連れて行ったり、フリーの牛乙女を紹介してもらうんだが……多分、だめだろうな」
会長の言葉に、牛太郎も否定できなかった。
眼をかけていたのに、ルール破りはするは、勝手に活動するはではいい顔はしない。
それでも結果が出ていたので、何も言わなかったのだろうが、その結果を出していたヤマトクイーンが去り、自立するとなれば話は別だ。
協力しないので済めば御の字。こっちをつぶしに来ても仕方がない。
「とりあえず、団を立ち上げるから入団希望者を募るようお願いだけはしたし……まあ、実績はあるからな! ゼロじゃあないだろ!」
会長の話では少なくとも3人。牛乙女が所属していないと新規の団として登録できないらしい。団ができないというのはトレーナーとして活動できないことになる。
そうなったらいったいどんな不幸にあうのか……。
想像するだけで恐ろしくなった牛太郎はシャワーの温度を上げ、身震いした体を温めなおした。
「しかし……こういうのは間違いなく向こうより品質がいいな。やっぱり儲かるのかね? 牛乙女のトレーナーって」
シャワーから上がると部屋にあったバスローブを着る肌触りもよく着心地が最高だ。これだけではない。
歯ブラシや洗顔用品など日用雑貨や電子レンジ、冷蔵庫といった電化製品も一般社会人が持つものに比べ数段上だと思える。
「……不謹慎だけど……なんかうれしいな。向こうじゃあこんな高級品絶対手が出ないから……」
運よく、高級ホテルに泊まった人間が感じるリッチな気分に浸りながら冷蔵庫に目をやる。
夜も遅く、ふろ上がりに何か腹に入れようと思ったが、今まで入院していたことを思い出した。
「いくらなんでもだめになってるか? 冷凍食品や未開封の物があればいいんだが……ん?」
望みをかけて扉を開けるとそこに食べ物はなく、一つ大きな箱があった。桐でできており、ただならぬ高級感をまとっている。
箱には「第50回十二天賞杯 優勝」と書かれていた。
「なんだこれ? 何かの祝い品か?」
牛太郎が箱を開けるとそこには一つのガラス瓶が入っていた。壊れないように周りを緩衝材で包まれた中で入っていたそれは白い液体が入ったガラス瓶。
一見してミルクが入ったガラス瓶だが、向こうの世界で見たようなものではない。
まずガラス瓶の形状からして違う。まるで高級ワインが入っているかのようなラベルとデザイン。おまけに底は金属板で覆われており側面には金色のプレートが張り付いていた。
「なになに……第50回十二天賞杯 一等絞り ヤマトクイーン? 何か大きな賞を取った記念品か?」
牛太郎もよく知らないが、何か大きな大会で優勝した時、優勝関係者には記念品や祝いの品が配られることを聞いたことがあった。
これもそのたぐいだろうと勝手に思ったところに箱の中に手紙が入っていた。
牛太郎は手紙を広げ中の文を読んでみる。
「え~と。これは貴方の物です。ヤマトクイーン……。ふむ……俺が入院中に配られて、代わりにヤマトクイーンが持ってきてくれたということかな?」
引退して牛太郎とトレーナー関係ではなくなったとはいえそれまで一緒に頑張ってきた関係だ。代わりに受け取って部屋に置いておいてくれても不自然ではないだろう。
「できれば……退院まで保管しておいて直接持ってきてくれたらいろいろ聞けて助かったんだがな……それにしても……」
牛太郎はミルクが入っているガラス瓶を見つめる。今は風呂上がり。そして目の前にはキンキンに冷えたミルク。
しかも、普通のミルクではなく明らかに高級品。牛太郎の喉が鳴る。
「高そうだけど……いいよな? 俺のものだっていってるし!」
牛太郎はワクワクしながらガラス瓶のふたを開け。その中のミルクを口に流し込む。
「(さて……やっぱり普通のよりうまい……!!!?!??!)」
そのミルクを口に含んだ瞬間、牛太郎の意識が覚醒した。いや、魂のレベルが上がった。
うまいとかいう次元ではない。今いたのはマンションの一室だったはずなのに、口から光が広がり世界が変わっていく。
牛太郎はミルクを飲みながら晴天の空に浮かんでいた。風が吹いているのを感じたが寒くはなく心地よい。
むしろ風が体の細胞の隙間を通り、悪いものを洗い流している感覚。
それだけではなくどんどん上昇していき、太陽の光の下に近づいていく。
体が暖かくなり、どこまでも飛んでいける感じだ。まるで背中に翼が生え飛翔しているとしか思えない。
それだけではない。流し込まれたミルクが舌を通り喉から食道、胃へと流し込まれる。
普通は舌でうまいと感じるのだが、今飲んでるものは違った。喉、食道、胃からもうまいと感じてしまう。
それどころか、胃から体の全て脳の天辺から足の先までおいしさが広がり光輝きだした。
もはや体は幸福感しか感じられない。天にも昇るという言葉を文字通り体験している。
やがて牛太郎は幸福感に包まれながら光となり世界を包み込んだ……。
「……はっ! え?!? ……あ……い……今の……は?」
意識がを取り戻した牛太郎は混乱していた。周りを見渡すとちゃんと自宅の床に立っている。手には殻になったガラス瓶だけ握っていた。
「え? あれ? 俺……今空を飛んで……いや……というか今夜だし……なんで?」
慌てた牛太郎だが、すぐに違和感に気づいた。体が軽い。というか疲労感が全くなくすぐにでも走り出せそうなくらい絶好調だ。
「こ……これは……もしかしてこれのおかげ?? いや……すごいな……」
牛太郎は空になったガラス瓶を見た。中身はすっかりなくなっており、おまけに時計を見ると飲み始めてから5分経っている。
つまり、あまりのうまさに5分も意識が吹っ飛び、体はそれに気づかづすべて飲み干したということだ。
「まあ……牛女神が管理して牛乙女なんてのがいる世界だ……。ミルクにとんでもない効果があっても不思議じゃないな……ふあぁ……」
牛太郎が納得すると不意に睡魔が襲ってきた。疲れは吹っ飛んだが、体が休むことを望んでいるのだ。この絶好調状態を使って完全に機能を回復せよと。
明日からトレーナーとして働かなければならない。足りないことだらけで、不安要素満載だが、今夜はよく眠れると確信が持てた。
そうして、牛太郎はベットに潜り眠りにつく……。そして驚くほどあっさり眠った。
それはまるで今夜だけは明日から続く困難な日々を忘れて眠りなさいという女神の配慮だったかもしれない。