第4コース ブラック上司の表はホワイト
ある程度歩き出して、牛太郎はふと気が付いた。ここはどこで自分の家はどこだろうと。
「いかん。いかん。ちょっとはしゃぎすぎだな……。とりあえず、誰かに聞いて……ん?」
冷静になってあたりを見渡すと目についたのは銅像だった。立派な石の台の上に載っているのは勇ましい大きな牛にまたがった女神。
芸術などわからない牛太郎だが、その像にはなぜか引き付けられた。そして、近づきしっかりとみることであることに気が付く。
またがった女神になぜか親近感がわいたのだ。
「……なんだ? どこかで見たような……いや……会って話をした??」
銅像のモデルになるような女性にあったことなどないし、女神など見たこともない。それどころか今までの記憶を総動員しても見覚えがない。
なのに、感覚で感じている。以前にあったことがあると。
わけのわからない感覚に気持ち悪さを覚えているとどこからか声が聞こえた。
『も……し……もし……し……もしも……もしもし~! 聞こえますか~?』
最初はとぎれとぎれだったがはっきりと聞こえるようになった。あたりを見渡しても誰もいない。なのに声がしっかりと聞こえる。
牛太郎は思わず像を凝視する。
「え……空耳じゃない? しかもこの声……」
牛太郎にはこの声が聞き覚えがあった。あの妙な空間でこの世界の牛太郎と会った時に上から響いてきた声だ。
『あ~ようやくつながった! やっぱり、管轄世界以外の魂との通信はつながりが悪いですね。私の像のそばに来てくれて助かりました。ずっと呼び掛けていたんですよ』
さっきよりクリアに聞こえる。しかもそれは目の前の銅像から聞こえてくるのだ。
「あ……う……やっぱり……あの時の……」
『はい! この世界の女神……牛女神と呼んでください。ホントの名前は人が言うとちょっとまずいことになるので』
姿は見えないがしっかりと聞こえる。牛太郎はできれば話したくない人からの電話に出でしまったような気分に包まれた。
「えーと。それで何の用です?」
『あ~はいはい。単刀直入に言います。あなた、牛乙女のトレーナーをやめようとしてますね?』
女神の言葉に牛太郎は目線をそらす。
『ごまかしても無駄ですよ。伊達に神をしておりませんので』
「いや! だって無理ですって! こっちの世界の俺はすごかったかもしれませんが、俺はそんな力ないですよ!!」
牛太郎は本心を叫んだ。そもそも、こっちの世界の牛太郎に対して思うことはない。むしろ、無理難題を押し付けられたとまで思っている。
これが、誰かに会いたいとかそこした家族が心配だとかならまだ何とかしてやろうと思った。
だが実際は、求められる要求のレベルが半端なく高い。
牛太郎からしてみればやってられるかという感じだった。
「第一俺はタウロスピア……でしたっけ? そんなものはよく知らないし、思い入れもありません。すごいなぁくらいの感想です。それなのに超一流といわれるこっちの俺の代わりなんて……」
できるはずがないと牛太郎は叫ぼうとした。そもそも、そんなことする義理はないのだと。
『でも……あなたは牛乙女のトレーナーになってこちらの世界の牛太郎さんの願いであった世界一の牛乙女を育てないと死にますよ?』
そんなことを牛女神は淡々とつぶやいた。
「できるわ……っへ? え……あ……あの……今死ぬ……っていいました?」
『はい。言いました。正確に言えばとっても苦しんで死んだ挙句、もっとひどい目にあうことになりますね』
「……は? はああぁあああ~~~~!!!!」
牛太郎はいきなりの言葉に絶叫を上げた。
牛女神の言い分はこうだ。貴方は向こうの世界で死ぬところを、こちらの世界の牛太郎の願いを叶えるためという理由で魂を救われた。
死ぬとは言え管轄外からの無理やり拉致に近いのでそちらの希望を叶えるという対価も払ったので拒否はできない。
それが、PC内のちょっとエッチな秘密データを消すという願いであっても。
「いや! たしかに! そういったけど!!!」
『いまさらそんなこと言われても困ります! 私だってそちらの世界の管理者に何度も頭下げたり面倒な書類を出しに行ったんですからね!! これだけ苦労して願いを叶えないなんてすれば大きなペナルティは当然ではないですか』
女神の言葉に牛太郎は文句を言いたかったが言い返せない。
「ち……ちなみに……もし俺がホントにトレーナーやめたら……具体的にはどうなるんですか……?」
人という生き物の悪癖に怖いもの見たさというものがある。絶対に知らなくていいし知って後悔するのだがどうしても最悪をのぞこうとするのだ。
『う~んと……そうですね……ぱっと思いつくのがいきなりトラックにはねられ体の90%が麻痺して数年寝たきりで苦しんだ挙句死んだ後、地獄で四肢を牛に引っ張られる牛裂きの刑ですかね? こう……ぶちぶっちぃいぃっと』
牛女神が明るく話した未来に牛太郎は血の気が引く。
『あっ! これはあくまで一例ですので! 実際はもっとひどいかもしれません。特に地獄は管理者ですが回してるのは別の方なので……問い合わせてみましょか?』
「いえ!! 結構です!!!!」
牛太郎は素早く首を振る。
『それで……どうします? それでもやめます? まあ……いきなりこちらに連れてこられたのは確かなのでやめても情状酌量として、この先ずっと死ぬまで貧乏で地獄に落ちた後牛裂き刑の長さを短縮するぐらいの便宜は図りますが……』
「(牛裂きは決定なのかよ!!!)」
牛太郎は心の中で突っ込みながら状況を考える。しかし、考えてもたどり着く結論は「もうやるしかない」だ。
もちろん、文句は言いたい。しかし、言ってもどうにもならない。
同じ進むしかないなら地獄が決定している逃亡より、まだ天国への道が見つかるかもしれない茨の道を進むしかない。
「や……やります……」
『え? なんですか? ちょっと聞き取りづらくて……通信状況が悪いのかしら……?』
「やります!! 世界一の牛乙女を育てて見せます!!!」
やけくそ気味に牛太郎は絶叫する。しかし、心の中ではこちらの世界の牛太郎への怨嗟の声が沸き上がっていた。
『まあまあ♡ なんと喜ばしいことでしょう!! これでみんな幸せになれます♡ ぜひ、がんばってくださいね』
厄介事が片付いたと顔が見えなくてもわかるくらいうれしそうな声の牛女神が余計に憎たらしい。
『それでは、やる気も出たみたいですし私から選別としてチートなるものを……上げたい所なんですが管理者としてはそれは見過ごせないので、貴方がやる気を出すほどこちらの世界の牛太郎さんの記憶を思い出せるようにしておきますね』
そういった瞬間、視界がふらついた。頭の中で見たことがない光景が流れる。
「これは……うちの住所……暗証番号?」
理解できた光景はこっちの世界の牛太郎の日常風景だった。ここら辺の地理やカードで振込しているといった光景。
『これで、こっちの世界で生活できなくなることはないですね』
「いや……助かりますけど……できれば、トレーナーとしての知識とかのほうが……」
牛太郎としてはある程度分かる生活の記憶より、まったく知らない牛乙女のトレーナーの知識のほうが欲しかった。
『え? でもそんなことすると貴方の脳みそがパーン! しちゃいますよ。こちらの世界の牛太郎さんが物心ついた時から蓄えた知識を一瞬で覚えようとすれば……ねえ? それでもやります?』
「いえ! 結構です!!!」
自分の頭が破裂する光景を容易に想像でき、牛太郎はすぐさま断った。
『それではがんばってくださいね。私と話がしたときは像に話しかければ運が良ければ応対しますよ』
運なのかよとつぶやくと頭の中に響いていた声が聞こえなくなった。
「……マジかよ……。いや……ほんとにやらなくちゃダメなのかよ……」
呆然としながら牛太郎は頭を抱える。本心はやりたくない。
「でも……どうすれば……とりあえずやってみて……そうだ! どうせ素人! 失敗するのは目に見えてる! けど、それは仕方がないじゃないか!」
どれだけ努力しても成功するとは限らない。目指して失敗してトレーナーを続けられなくなったらそれはどうしようもない。
能力があったから連れてこられたのではなく、たまたま連れてこれる状況だったから連れてこられたのだ。
失敗してもしょうがない。それに、今は休暇中だ。やる気はあってもやれることは限られている。
そう言い訳を思った瞬間、地面がひび割れ盛大に水柱があがった。
足元にあった水道管が壊れ水が噴き出したのだ。
「…………」
びしょびしょになった牛太郎が天を仰ぐ。
『追伸で~す。少しでも逃げ道を探そうとすれば不幸になりますよ~♪ 最初ですので少し情けをかけましたが……真面目に頑張りましょう。いいか悪いかはやる気と努力と成果で判断するものですよ~』
やまびこのような声が響く中、牛太郎は逃げ場がないことを実感した。そしてすぐさま踵を返し走り出す。
向かった先は先ほどたわわ会長がいたビルだ。
数分後、執務室で仕事をしていたたわわ会長は内線の電話に出た。
「どうした? え……花輪トレーナーがびしょぬれで戻ってきて私と面会したい????」
困惑した顔で、とりあえず許可を出したたわわ会長は部屋に入ってくるためのエレベーターのほうを見た。
到着のチャイムが鳴り、扉を開くと、びしょぬれの牛太郎が駆け込んできた。
「会長! すぐさまトレーナーとして活動をさせてください!!!」
開口一番のセリフにたわわ会長は若干引き気味だ。
「ど……どうした? さっきはいろいろ考える時間が……」
「ですので、先ほど退室した後考えました! 結果、やはり私はトレーナーとして生きるしかないと結論付けたのです! なのですぐにでも休暇の取り消しを!」
牛太郎は鬼気迫る勢いでたわわ会長に詰め寄る。下手をすれば机を踏み越え襲い掛からんと思えるほどだ。
だが実際に牛太郎はそのくらいのことは考えていた。何せ命がかかっているのだから。
「わ……わかった……」
あまりの迫力にたわわ会長は理由などを聞くという思考もできず返事をするしかなかった。