第3コース これがタウロスピア
牛太郎は退院手続きを終え、病院の玄関から出た後、タクシーを拾おうとあたりを見渡す。
自宅の住所は免許書で確認済みだから、タクシーを使えばなんとか行けるだろう。
幸い、財布やカード、自宅のカギらしきものはあったので、ひとまず帰宅を……などと考えていると、目の前に黒塗りの車が止まった。
「ん?」
誰かを迎えに来たのかなと慌てて離れようとすると、いきなりドアが開き、大柄な女性……いや牛乙女がおりてきた。
黒スーツにサングラスをかけ、明らかにただものではない雰囲気を醸し出している。
「花輪牛太郎さんですね? 会長がお呼びです。車にお乗りください」
そういって、あっという間に連れ込まれ拉致されてしまった。
そして、抵抗もできず、見知らぬ施設に車は入り、降ろされる。
地下駐車場らしく場所から黒スーツの牛乙女の無言の圧力にしゃべることもできず只々連行される。
階表示のないエレベーターにしばらくのり、ポーンと音がした後ドアが開く。
黒スーツの牛乙女はドアから離れお辞儀をした。ここから先は自分ひとりで行けということなのだろうか?
恐る恐るドアからでると、そこはフロア一帯をすべて使った一つの大きな部屋、窓の外から見る景色からここは高層ビルの上層部のようだ。
テレビやSNSで見る、社長室や学長室。そういった最高権力者の部屋に似ていた。フカフカの絨毯に高級な調度品。
そして部屋の最奥。ビジネスデスクを3つつなげたくらいの大きな机にまるで玉座のような椅子。
壁には「猛烈一等」と見事な達筆で書かれた書が額縁に入れられ飾られていた。
「おはよう! そして退院おめでとう! 花輪トレーナー!」
そう声をかけてきたのは、病院で会った自分の上司といっていた真っ赤なレディーススーツのロリ巨乳だ。
色々調べていく過程で分かったが、彼女の名前は「御橋たわわ」。
日本タウロスピア協会会長だ。簡単に言えば日本でのタウロスピアを取り仕切っている組織のトップ。
職場の上司といえるが上司の範疇を飛び越える存在だったことに内心こわくなった。
「本来なら退院直後ということなのでしばらくは自宅療養……させたかったのだがな。ヤマトクイーンのことでそうも言ってられなくなった」
そういって、たわわ会長は椅子の背もたれに体を預ける。
「彼女からはあらかた事情は聴いている。次は君の番だ。何か言うべきことはないか?」
会長の言葉に牛太郎は心の中で叫んでいた。
「(いうべきも何もこっちは何も知らないんだよ!!)」
そういうことは死んだこっちの牛太郎に言ってくれとは口が裂けても言えない。
なので姿勢を正し、毅然とした態度で返答した。
「何もありません。彼女が話したことが事実です」
下手なことは言わない。何せ事情が分からないのだ。何か言いつくろっても違和感しかない。
もし仮にヤマトクイーンにひどいことをしていた結果なら、誠心誠意謝罪すればいい。
謝罪で済めばいいが……。
「(まあ、結果トレーナーを首になってもそれはそれでOKってことで……。俺はトレーナーじゃないしな!!)」
牛太郎にスポーツの知識などない。それなのに国家資格レベルのトレーナーなどできるはずがない。
今の牛太郎の目標は穏便にトレーナーをやめ、環境を整える時間を稼ぐことにあった。
そんな牛太郎の態度にたわわ会長はしばらく考え込んでため息をつく。
「はあ……そうか。では、ヤマトクイーンが言った通り、階段の上で躓き、落ちそうになった彼女をかばって代わりに自分が落ちたということだな。その時の足の怪我はたまたまで、元から引退は決めていたと……」
たわわ会長の言葉に牛太郎は心の中でガッツポーズをする。
「(よし! 乗り切った。それにようやく知りたかったことを聞けた! そういう事情だったのか……びくびくして損した!!)」
犯罪とか、もっと危ない事情だったらどうしようかと思っていたがそれが杞憂だとわかるとほっとした。
あとは、たわわ会長の話を無難に切り上げ家に帰るだけだ。できれば、自宅療養の許可を取りたいところなので切り出そうと思った瞬間、部屋にアラームが鳴る。
「おっと。すまない。時間になったようだ。ひとまず、話の続きはレースを見てからにしよう」
たわわ会長はそういうとリモコンを取り出しスイッチを押す。するとアラームが鳴りやみ、天井から大きなスクリーンがおりてくる。
画面が付くとそこには大きな文字で「謹賀新年杯」と煌びやかな装飾を施された文字で書かれたテロップと和楽器で演奏されているファンファーレが鳴り響いた。
「今年最初のA5レース! お祭りレースという者もいるが、今年一年のタウロスピアの幕開けになるレース! 元旦の初日の出みたいなものだ! ぜひ観戦しなくてはな!」
そう言って、たわわ会長は身長にふさわしい無邪気な顔で画面を見ている。
「(早く帰りたいが……まあタウロスピアを見ていくことも悪くないか。新聞や雑誌だと結果しか載ってなかったし……)」
牛太郎がそう言って画面を見ると、出走する牛乙女たちがスタートゲージの中に入ったところだった。
スタートゲージはかなり重厚で、柵というより檻といったほうがいい。
『さ~いよいよ始まります!今年のタウロスピアの行く末を占う最初の大型闘技! 謹賀新年杯! まもなくスタートです!』
アナウンサーの声とともに歓声が響く。やがてそれは静まり静寂が響いた。そして……ほら貝が鳴り響くと同時にスタートゲートの扉に入っていた牛乙女たちが体当たりをかました。
「(!?!?!)」
ゲートの柵が開かなかった事故かと思ったがちがった。
『各牛乙女! 一斉にスタートゲートの柵をこじ開けた! どの牛乙女も扉の重さをものともしないいいスタートだ!!』
どうやら、タウロスピアのスタートはこういうものらしい。轟音と土煙をあげてミニスカ巫女服らしき服を着た牛乙女が一斉に飛び出す。
『このスタートがタウロスピアの醍醐味ですね!』
解説が感心したように話している。確かに迫力は画面越しでもすごかった。
『おーっと! レジェプリエール! 一頭だけ扉を開けられず手痛い出遅れ!!』
『謹賀新年杯の扉は特に重いものですからね。スピード重視のレジェプリエールにはきつかったかもしれませんね』
画面ではレジェプリエールと呼ばれた牛乙女が扉を押して隙間から這い出て走り始めている。だが、先に飛び出した集団からだいぶ離されてしまった。
『先頭集団は最初の坂に到達! 先頭はバーバリージャイアント! パワーには定評があります!』
バーバリージャイアントと呼ばれた金髪ロングウェーブヘアの(胸も)大柄な牛乙女が急な上り坂を駆け上がる。
そんなバーバリージャイアントの服を別の牛乙女がつかんだ。
「(ん? あれは妨害?)」
しかし、バーバリージャイアントは気にせず駆け上がる。
それどころかそのまま引きずりながら坂を駆け上がっていた。
『ストロングマーズがバーバリージャイアントを引き倒そうとするが構わず走り続ける! ああ~っと! ストロングマーズ! 引きずられてバランスを崩し転倒!』
妨害をものともせずバーバリージャイアントが坂を上り切り、コースをひた走る。やがて次にきたのは水が張ったプールだった。
『バーバリージャイアント! 水路に一番で突入! しかし、ここにきて失速!』
『彼女は内陸部生まれで水には慣れていませんからね。おまけにサイズも大きいので抵抗も大きいのでしょう』
先ほどまで勢いよく入っていたバーバリージャイアントはうまく進めず失速する。他の牛乙女も似たようにスピードを落とすが、一人だけ逆に加速しトップに迫る。
『ここで、ドラゴンヴィーナス!! さすが水路の女王! 失速したバーバリージャイアントを捕らえる。 並んで並んで~抜いた~!!!』
ドラゴンヴィーナスとよばれた黒髪ロングヘアの牛乙女が体一つ分抜け出て水路を出ると思った瞬間、バーバリージャイアントが体を水に沈めた。
そして、自らの頭を思いっきりドラゴンヴィーナスのお尻にぶつけた。
『おーっと! バーバリージャイアント! ここでドラゴンヴィーナスを突き上げた~!!!!』
悲鳴を上げてひっくり返りながら後方に飛ばされるドラゴンヴィーナス。
ここでバーバリージャイアントが再び戦闘かと思ったが突き上げた自分自身もバランスを崩し仲良く水路にひっくり返って落ちていった。
「(これも反則……じゃないのね。要するに牛乙女のパワーを生かした妨害ありの障害物競走か……)」
実況や観客、そしてたわわ会長の反応を見るにこれくらいのことは当たり前なのだろう。皆歓声を上げて楽しんでいる。
『さ~いよいよ中盤! ここから謹賀新年杯のみの障害! お年玉ゾーンだ!!!!』
アナウンサーがそう叫ぶと、コースの前方から運動会で使う大玉転がしぐらいの金属球が転がっていた。
紅白のメタリックでおめでたい色彩だが重さがかなりあるらしく、迫力満点で転がっている。
そしてそんな玉に向かって牛乙女たちは真っ向から向かっていく。
思わず悲鳴を出しそうになったが次の瞬間出たのは悲鳴ではなく唖然とした声だった。
画面では先頭に飛び出した牛乙女がその玉をがっちりと止めていた。
『きた~! クリスタルウォール! さすが日本一のパワー! その圧巻のパワーで玉を抑え込んだ!』
見た目はおかっぱヘアの女の子なのに自分より大きい金属球をがっちりと受け止め支えている。
この光景に牛太郎もすごいと思った。しかし、すごいことはすごいのだがそのせいで足が止まってしまった。
他の牛乙女はよけるか受け流して前に進んでいく。
『これはいけません! 止めるまではよかったですが、完全にそのあとのことを考えていません!』
悲しいかなアナウンサーの実況は正しく、止めた金属球の後ろにさらに金属球が当たって、ますます身動きが取れなくなっていた。
『例年、一人はいますね。興奮しすぎて止めてしまう牛乙女。まあこれも新年の風物詩ですね』
そんな呑気に笑いながらされた解説をしり目にいよいよ競技は佳境のようだ。
金属球らを抜け、これまで順調に走ってきた牛乙女たちが勢いをつけて走り出す。最後は何もないストレート。
どうやらスピード勝負のようだ。
『各牛乙女! 横一列で加速する! いったい誰が抜けだ……おおっと! ここで後方からレジェプリエールだ! 最初のスタートで出遅れたレジェプリエールが後方からものすごいスピードで迫ってくる!!!』
『出遅れたせいで妨害もなく加速できたみたいですね。こうなると彼女は止められませんよ!!』
あれだけあった差がどんどん縮まりいよいよ追いつくといった時、横一列に並んでいた集団から一頭の牛乙女が飛び出した。
黒い髪をポニーテールに束ねたその牛乙女。牛太郎はその姿にありえないものを見た。星々のきらめき。
見間違いかと目をこすり再び画面に戻すと大きな歓声がスピーカーから響いた。
『飛び出したのはムサシプリンセス!!! 止まらない! 止まらないぞ!!! 集団をおいて駆け出した~!!!』
ムサシプリンセスと呼ばれた牛乙女はさらに加速し集団を引き離し戦闘でゴールする。
『勝った! 勝った! 一等はムサシプリンセス! 謹賀新年杯を制したのはあのヤマトクイーンの妹! ムサシプリンセスだ~!!』
先頭で駆け抜けたムサシプリンセスは観客に向かって笑顔で手をふる。
『ヤマトクイーンの後継者は自分といわんばかりの激走! 女王が去り、空席になった王座に座るべくまず名乗りを上げたムサシプリンセス!! 姉の偉業をこえることはできるか! 今年のタウロスピアは目が離せないぞ~!!!』
歓喜の声を上げるアナウンサーの声と共に画面が真っ暗になった。
『ふは~♪ 堪能した! それにしてもムサシプリンセスか……。姉であるヤマトクイーンの引退に反対して情緒不安定になっていると聞いたが……逆にそれが着火剤になったかな? なあ、花輪トレーナー?』
いきなり、話を振られ、牛太郎は内心飛び上がった。
「(ふぇ!?! え……あ……いや! そんなことわからないって!! でも黙ってたら……)」
ここで言いよどれば怪しまれるかもしれない。このため、牛太郎はさもわかっているように返答する。
「わかりませんね。 私は彼女のトレーナーではないので。ですが、勝ったというの事実の前なので素直に称賛するべきだと思います」
どう答えれば正解になるのかわからないときは、当然のことを言うに限る。
そんな牛太郎の返答にたわわ会長は意外そうな顔をする。
「おや? 以前ヤマトクイーンがいなかったら彼女を選んだといった君の言葉とは思えないな。私はてっきり次は彼女の担当に名乗りを上げると思っていたぞ?」
たわわ会長の言葉に心の中の牛太郎はそんなこと知らん!と叫んでいたが、今はそんなことを言ってもどうしようもない。
いったのはこっちの世界の牛太郎だ。今の自分には何の関係もない。
「そのことですが……実はしばらく、休暇をいただきたいと思っています。入院時は体を治すことだけを考えてましたが、いざ退院してみて今後……将来のことをきちんと考えたいと……」
「なに!?! ……ふむ……君からそんな言葉が聞けるとはな……退院したらすぐ次の牛乙女の担当になって動き出すと思っていたが……」
どれだけ、タウロスピアに命を懸けていたんだよとつぶやきたかったが、天才トレーナーとよばれるくらいだ。
そのぐらいでないとやってられないだろう。しかし、今の牛太郎はそうではない。
「急がば回れという言葉もありますし、今までやってきたことが終わったのです。きちんと後片付けをしないと。なので、入院して休んでおきながら申し訳ないのですが……」
「休みたいというわけだな。担当していたヤマトクイーンも引退するから問題ないといえば問題ないのだが……」
たわわ会長は言いにくそうな感じで背もたれによりかかる。それに合わせて胸にある名前と同じ物体が揺れた。
「申し訳ないがあまり休むと君の立場が悪くなるぞ。元から君は特例だらけだった。それに不満を持つ者もいたが君とヤマトクイーンが出した結果ですべてねじ伏せてきたのだ」
手元のスイッチを操作して画面を天井に戻す。
「しかし、ヤマトクイーンが引退し、君は担当牛乙女がいない。つまりトレーナーとしては無職状態。その状態で活動しないとなると私でもかばうことはできないぞ」
それは当然のことだろう。だが、むしろそれは牛太郎にとって好都合だった。
「それは仕方がありませんね。まあそうなったらそれまでの男だったということなので……ですが、たとえマイナスでもそれをしないと先に進めないのです」
当然嘘だ。牛太郎は先に進むつもりはない。むしろここでクビにしてくれると面倒がなくて楽なのだ。
しかし、ここでクビにしてくださいなどといったら、あまりにも世間で知られているこちらの牛太郎とイメージがかけ離れている。
だから、この対応だ。これなら、これまでのイメージを崩さずフェードアウトできるはずだ。
「そこまで覚悟があるならこれ以上の話は無粋だな。休暇は認めるがあまり長く取れないことを理解してくれ」
たわわ会長の言葉に心の中でガッツポーズをした牛太郎はそれを表に出さず返事をした。
「はい。わかりました。それではこれで失礼します」
牛太郎はそう言ってエレベーターに向かう。エレベーターにはここに連れてきた黒服の牛乙女がいたため、平静を装いそのまま乗り込んだ。
降下したエレベーターが止まり、出口まで案内されしばらく一人で歩き、牛太郎やようやく達成感を感じられた。
「よし! これでひとまず時間を稼げた! さてと……あとは家に帰って転職先でも探そう。こっちの世界ではかなりのいい地位みたいだけどそんな超一流ばかりの世界なんてたまったもんじゃない」
牛太郎は自分が特別ではないことを自覚していた。こっちの世界の牛太郎の記憶とスキルを受け継いでいるならまだしも、残念ながら能力はもともといた牛太郎そのものだ。
素人がプロに交じって競うなど土台無理な話なのだ。
「できれば退職金がでるといいな~♪ っとその前に家に帰って通帳とかカードを見つけないと……泥棒になるかもしれないが、勝手につれてこられたんだ。慰謝料と思ってもらっておこう♪」
そういうと牛太郎はルンルン気分で歩き出した。